1章[動き出す黒き陰謀]
張り詰めた緊張感のある空気の漂う静寂の中、突如魔王がパチッと指を弾く。
すると皇帝達の前に給仕のメイドが出現し、それぞれの席に茶と菓子を並べていく。
紅茶とケーキとクッキー、どれも丁寧な細工や職人の技が使われているのが見て取れ、紛れもない最高級品である事は疑いようもない。
甘い香りに促され皇帝達の緊張が少し緩んだのか菓子を口に運ぶ者もちらほら現れる。
――そんな中で口火を切ったのは白のスーツをカッチリと着こなしたスレンダーな美しき女悪魔エンペラーデビル、エウリュアレーであった。
「魔王様発言の許可を」
「ふふっそんな堅苦しく無くていいのよ、どうぞ続けて」
「では失礼します」
エウリュアレーは魔王の一言を聞くと今回の会議が初参加の特に目立つ存在に対し、威圧するような視線を向けた。
「おお、怖い怖いそんな顔しとると折角の美人が台無しばい」
見るからに怪しい黒の衣に身を包みながらも豪華絢爛なアクセサリーを身に纏い、銀の王冠を乗せた山羊の悪魔の頭骨を被る女性……素顔は分からぬが、声は明らかに九州弁の女性。
彼女こそ冥府神ハーデスその人だ。
そんなハーデスの煽りには一切反応は示さずにエウリュアレーは続けた。
「お言葉ですが魔王様、この場は本来我ら13皇帝と魔王様のみの出席が原則の筈故なぜこのような得体のしれぬ者の参加をお認めになられたのですか?」
エウリュアレーの問いに魔王は愉快そうに笑みを浮かべるとお茶を軽くすすったあと、ゆっくりと口を開く。
「今回の輪廻種出現という一報はそこにいるハーデスからもたらされたものです、そして女神フレアが動き出したとの情報もね、それが嘘であるのなら此奴を殺せばいいだけの事……いや私の前でそんな嘘を吐ける者など恐らくはいない事でしょう? 例えそれが冥府の神様でもね? 裏を返せばこの場に呼んで話を聞くだけの価値はあるという事よ」
魔王はハーデスに少し冷たい視線を合わせた後にエウリュアレーには笑みを見せた。
エウリュアレーはその言葉に納得したのか反論する事は無かった。
(……あほやろ、心臓止まるかと思ったっちゃこんなところおったら命がなんぼあっても足りんばい、早めに言いたいこと言って撤退した方がよか)
「いやまぁそういう事やけん、皆さんそんな警戒せんでね、それでウチがなんばしにここに来たか教えるけぇ」
ハーデスはそう言うとそそくさと懐に手を伸ばし用意していた地図を出席者に配っていく。
その地図には世界の西方、人間界のタカマガハラ大帝国領の近辺で魔界と人間界との国境沿いにある小さな国に一つのバツ印が描かれていた。
「これはなんだ? 輪廻種は東の人間界で確認されたんじゃねぇのかよ、一体何の関係が?」
先程まで菓子をつまんでいた野性味に溢れる褐色の派手な女性、獣皇帝ベルガロウが地図の指し示す場所の意味が分からないという感じでハーデスに問いかける。
他の皇帝達も概ね同じ反応を示す。
その反応に対しハーデスは待ってましたと言わんばかりに語気を強め回答する。
「そうなんよ! これは私が独自に調べた輪廻種の出現予想地域の第一候補である軍事国家オリオン、タカマガハラ周辺は監視とワープジャミングが強すぎて私も百年程にようやく調査に赴ける様になったんちゃけどね……あぁちなみにやけど私の予想は未だに入国出来ていないタカマガハラ大帝国を除く世界全土での輪廻種出現の予想はほぼ完璧に出来るったい、事実同時期に輪廻種が確認されるであろう第二候補のホウライの裂け目は予想通りの動きを示したんよ」
ハーデスは頭骨の隙間から器用に菓子を口に運んで話を再開する。
「輪廻種ってやつはね次元の裂け目に様々な異世界の力が溜まると生まれ出る……要は裂け目からこぼれ出た生き物みたいで出現自体を予想するのは裂け目の規模と時間を計算すれば比較的容易な筈……だったのに」
皇帝達はハーデスの情報を冷静に精査する者と興味なさげに菓子を摘まむ者に見事に分かれていた、その中でも魔王だけはニコニコと笑顔で皆の様子を楽しそうに見つめているだけでその心の内は誰にも読めない。
「あの土地は普通じゃないばい裂け目の力が今まで見たことがない位強大な場所なのに裂け目の目視は出来ないどころか都市が普通に存在し人間が何の影響も無く住んどるっちゅう意味分からんとこでね……」
赤いマントを羽織り堂々たるいで立ちの皇帝の名に恥じぬ凛とした雰囲気を持つ女性、魔物随一の知識人であり絶対強者の一角龍皇ユーべルがハーデスの話を自分なりに理解し皇帝達にも分かりやすく見解述べた。
「要するに……だ、オリオンという人間の国はこの世界の癌である次元の裂け目と輪廻種に対し何らかの力で抑え込んでいるもしくは干渉する技術がある可能性がある、そう言いたいのだろう?」
「それがどうしたってのよ、そんな事どうでもいいわぁ」
白い着物を着た和装の皇帝、伊邪那美がこの場から早く帰りたそうな感じでテーブルに肘をついて気だるそうにそう呟く。
「まぁ待て」エウリュアレーが伊邪那美を宥めつつ呟く。
「……いずれにせよこの世の万物、観察出来るものは干渉も出来る、そしてもしもその一歩先……裂け目に対し干渉出来る等という技術が存在するのならば次元の裂け目の持つ強大な力を【利用】出来るかもしれん」
皇帝達の中でも特に優秀で頭の切れるエウリュアレーはそう結論を述べた。
そこに慌ててハーデスが待ったをかける。
「まぁまだ結論を出すのは早か~といえど正直行動の早いフレアが動き出してしまった今となっては時間的余裕は殆んど無いけん、ウチ一人でちまちま潜入調査なんて時間がかかりすぎるっちゃ、そこで魔族の皆さんに協力を申し出たかったばってん」
「なるほどな……兵を動かせと?」
ユーべルは表情を崩さず冷静にそれでいて高圧的にハーデスに問いかける、その目からは殺気を漂わせ返答次第では殺生も辞さぬ面持ちであった。
たかが一介の神であるハーデスの憶測にすぎぬ妄言の為に魔界と言えど中立条約を結ばざるを得ない程の超大国タカマガハラの周辺国に問題を起こすのは得策ではないという事を長くこの世を生きてきたユーベルは知っていた。
「よう分かっとるやん」
頭骨で表情こそ見えないがハーデスは満足そうに返答する。
「よっしゃ早速、戦の準備といこうぜ!」
このハーデスの言葉に初々とした反応を示した好戦的な面々は三名。
獣皇帝ベルガロウと先程まで無言を貫き茶菓子を頬張っていた皇帝スライム、グーラ=フルートと皇帝スキュラ、ゲネルジブリールである。
対して渋い表情を見せたのがハーピィエンペラー、シュトゥルムフリューゲルと妖精皇シルフィーネガイア、海棲皇乙姫の三名、他の皇帝達は表情を変える事は無く会話に耳を傾けていた。
「あたいは反対だよ! タカマガハラに喧嘩を売りかねない行動なんてどうかしてる! そうでしょユーベル様」
鮮やかな極彩色の羽を身に纏った子供の様な背丈のハーピィエンペラー、シュトゥルムフリューゲルはユーベルにそう告げた。
「――私も陸の争い事なんてごめんよ、勝手にやりたい奴だけドンパチしてれば?」
緑のジャージ姿に似合わぬ美しい宝石細工がなされた珊瑚の髪飾りを付けた長い髪をはためかせながら海棲皇乙姫はフリューゲルの意見に同調を示した。
「おやおやおやおや、災厄の皇帝の名にふさわしくない恥晒しどもスラね、たかが人間相手にしかも地図を見たらタカマガハラじゃなくただの小国相手にビビってるスラか?」
青く半透明な身体でありながら肉感的で情欲をそそる見事な肉体美を醸し出す、サイドテールのスライム、グーラフルートは席を立ち強気な口調と嫌味な笑顔で反対派の皇帝達を煽り立てる。
それに対しフリューゲルは顔を真っ赤にし「やるかこの野郎」と怒りの声をぶつけた。
「やってみるスラ、焼き鳥!」
「なんだと? 水ノリ野郎!」
もはや会議では無く幼稚な言い争いに発展しかけたその時に氷の様に冷たい一声が場の熱を一気に奪う。
「少シ黙レ……魔王様ノ御前デアル……ゾ」
半分に割れた仮面から瞳孔の開いた赤い眼をギラつかせる鉄の色の肌を持つ整った顔の女性が手首に仕込まれたブレードをグーラの方へと差し向けるとグーラは舌打ちしながらしぶしぶ着席する。
青いドレスのような装備に鉄色の肌を持つ彼女こそ、ここ数十年で誕生した新参の皇帝、魔導機械帝キルである。
彼女は元が魔導機械であるが故に冷静で機械的にこの場で言い争うのは良くないという合理的な判断を下し行動したのである、協調性や合理的な判断など殆んどない己の自我が強い皇帝達の調停役となっている彼女は纏まりのない者たちが集う会議を行う上で非常に重宝する存在であった。
場が再び静寂へと戻るとハーデスは先程中断された話題を話はじめた。
「勿論ユーベルさんが言おうとせん事も分かるっちゃ、ウチの勝手な話に軍を出せなんて、トンデモナイ話やけん……しかしな?」
ここでハーデスは少しの間を置き、満を持して自分の今日一番伝えたかった事を皇帝達に告げた。
「こんな激戦区にある小国が今までどこからも支配を受けなかったのか? その答えが潜入したことによって少しだけ分かったんっちゃ、さっきのエウリュアレーさんの話は当たってるかもしれんよオリオンの騎士団の中に少なくとも数名【輪廻種の力を持った人間】がおる、つまりは奴らは既に裂け目の力の一部を利用した兵隊を作れるっちゅう事ばい、賢いアンタならこの意味分かるっちゃろ?」
ユーベルは初めてハーデスの言葉に動揺し眉をひそめた、頭の切れる皇帝達は概ね同じ反応を示す。
ハーデスの言葉が正しければオリオンという国は対策を取らず野放しにしておけば今後魔界にとっての重大な脅威になる可能性を秘めているかもしれないからだ。
「これはあんたらにもメリットのある話やと思うがね、上手い具合に事が進み輪廻種の力を持つ魔王軍を作れるなんて事になれば……タカマガハラなんぞ恐れるに足らず一気に天下統一たい、ウチはその世界でのんびり主神として君臨して余生を過ごせばなんもいらんのやけん、ウィンウィンの関係やろ」
この神は正直信用出来ない、それでも今は此奴の策略に手を貸しオリオンに軍を出すべきだユーベルはそう考えた。
――パンッパンッと魔王が手を叩く、その瞬間皇帝達は全ての動きを止め視線を魔王の方へと移した。
「――楽しいお喋りの内容は纏まったかしら? 軍を動かすかは各々の判断にまかせるわそれぞれ抱える事情が違いますものね、そこはみんなで話し合いなさいな、あぁそれとあくまでオリオンとの戦いだけ考える事を忘れずにタカマガハラとの全面戦争だけは絶対に避けなさい」
あくまでも第一の目標は次元の裂け目の力の利用についての情報を得る事でタカマガハラの逆鱗に触れる立ち振る舞いをする事がないように魔王は皇帝達に念を押す。
この会議の議長的な立場に落ち着いていたユーベルが魔王の意を組み大まかな作戦を発議する。
「――軍は小規模だが腕の立つ者を集め人間の土地を荒らす魔物のはぐれ者集団に偽装する、これをオリオンに揺動として仕向けるそしてもう一つ隠密行動を得意とする部隊を用意し混乱に乗じてオリオンから情報を盗み出すこれが得策かと思われます、成功率を上げるための前段階として作戦開始まで準備期間を置き、ハーデスが事前に潜入し怪しい物に目星をつけておくあくまで私の素案ですが」
感心する皇帝達とハーデス、魔王も満足そうに了承の笑みを浮かべた。
「今日はみんな疲れたでしょう? 作戦はユーべルのものを採用で具体的な話は後日行いましょうか、フフフフ……裂け目の力を利用出来るなんて事になればそれはそれは面白い事ですわ」
魔王の合図で皇帝達はそれぞれの思惑を胸に抱き会議場を後にする。
ここ数百年動きを見せなかった魔王軍は静かに動き出し、仮初の平和を享受していた人間界の住人は凄惨な戦禍の渦へと着実に巻き込まれていくのであった。
それは何も西の大陸の話だけではなく、彷徨達のいる東の大陸ヤハテウスも例外などではなかった。
辺境の地より生まれ落ちた、たった一体の輪廻種の出現そして謎多き国オリオン。
その影響は留まる事を知らず、世界は激動の新時代を歩み始める。




