6月16日103号室『転』
ー6月16日103号室『転』
ー西日に煽られ黒煙が昇る、彼女の薫りをのせて……
「綺麗は汚い、汚いは綺麗……」
彼女は黒煙の立つ空を一瞥し、そう呟くのだった。ー
寝苦しさを覚え気怠げに身体を起こす正午前。おぼつかない足取りで立ち上がると服を着替え、冷蔵庫の中を吟味し有り合わせで適当な炒め物をこしらえ、それらを盛り付け机に向かう。それらを胃へ流し込むとパソコンに手をつける。最後に私が愛した、少なくとも私は愛していた彼女だ。
ー「誰よりも美しかった彼女は晩年、病に侵されるの。醜く痩せ衰えた彼女は結局誰にも知られる事なく死んでいくのよ。」ー
そう、どれだけ美しいものもいつかは朽ちる、美しく醜い愛しの君……このまま不粋を貪り続けるのなら、いっそ美しいと思える今のうちに……
ー人気のない廃社の隅、初夏の蒸し暑さを塗り潰すような静謐と鬱屈、薮を吹き抜ける風は皮膚を撫でる。既に動かない彼女の体躯に新聞紙や枝木、枯葉を被せ廃油を浴びせる。そしてー
キーボードを叩く速度が増す
ー火種を彼女に手向ける。凛とした空気を一瞬で昇華するように、彼女は勢いよく燃え上がる。善悪の彼岸に咲く言葉の花達に見送られ、彼女は逝く。淡白な空に饒舌な夕日が陽を帯びている。彼女の灼ける臭いが煙と共に空に立ち昇る。ー
この指で塵焦にしてしまおう。あぁ、これで私の復讐と云う自己満足は収束した。私は達観に囚われある種の絶頂に達した。
ーさぁ、天国でも地獄でもない処へ……ー
恍惚とした表情で画面を眺めていると、不意に扉を叩く音。私は急ぎ冷静を取り繕い、ドアに向かう。扉を開けると二人組みのオトコが立っていた。筋骨隆々とした青年と痩せこけた中年のアンバランスな……いや、ある意味バランスのとれた二人組みだった。
「こんにちは、真熊さん。警視庁の増田です。」
中年の男は愛想よく笑いながらそう名乗る、手には警察手帳がかざされている。
「同じく、警視庁の円形です。」
青年の方は顔色を変えず、淡々と告げる。
「はぁ、警察がうちに何のようですが……?近くで事件でも?」
私の質問に二人は顔を見合わせる。
「ニュースになっていましたが、ご存知でないのですか?」
増田は訝しげに尋ねる。私は頷く。
「壇城勘さんが亡くなられたんですよ。あなたのご友人の、それも殺人です。」
増田の言葉を聞いて絶句、と同時に身も竦むような衝撃に襲われた。死んだ?勘が……?えもいえぬ寒気に苛まれ私は言葉を失った。
「本日はその件でお話を聞かせて頂きたく参上した次第です。」
円形は相変わらず淡々と告げる。しかし、今の私には言葉はただの音に過ぎず右から入れば左に抜けるようなどうでもいいものだった。勘が死んだ。私が殺した?いやまさか……確かに私は昨夜、物語の中で彼を殺した。殺させた。しかし、飽くまでそれは物語だ。現実とは違う、私が捻じ曲げた現実を私以外が現実と呼ぶことは決してない。それが私が世界に偏在しない唯一の証明であり、私がこれまで綴ってきたそれらが夢物語と呼ばれる所以である。しかし……
あまりに出来過ぎた話には私は思考能力を削がれ彼らに対する言葉が喉から出てこなかった。
「それと、万丈芹那さん。ご存知ですよね?彼女とも連絡が取れないのです。何か聞いていませんか……?」
増田は頓狂な口調でそう尋ねる。まるで私が犯人ではないのか?と疑うような口調だ。無理もない、実際私が彼の立場だったらまず私を疑うだろう。しかし、私はやっていない……それだけは断じよう。
「それも、今知りました……」
私はありのままそう告げた。しかし、言うまでもなく彼らは信じてはいないようだった。それからいくつか質問をされ
「……わかりました。」
増田は小さく溜息を吐きそう呟く
「今夜はこれで失礼します、それでは。」
彼らは軽く会釈し私の部屋の扉の前から去っていった。気が付けば空は茜錦の候。雲の少ないがらんどうに澄んだ空に稜線から覗く落日が空を赤黒く染める。私は彼らが去ったことを確認すると間髪入れず走り出していた。コンコースから外れコンクリート塀で区分された迷路のような裏通を民家の点在する細い路地裏の煉瓦造の階段を駆け上がる。杞憂であってくれ、そうこころで何度も叫びながら何度も芹那に連絡を入れるが応答はない。そもそも彼女からの連絡は二週間も前から絶えていたのだ。今更私の連絡に応答する筈がない。そう思いつつも通路に転がる土だらけの牛乳瓶を蹴り飛ばしながら彼女に電話をかける。
すると、遠く薄くだが確かに。彼女の携帯の音が何処かで聞こえる。私は無我夢中で石畳を超え朽ちた鳥居を潜り石段を駆け上がる。その向こう立ち昇る黒煙に見向きもせずに……
神社の境内はがらんどうを極めており人の気配は無かった。それでも彼女の携帯は何処かで鳴っている。私は辺りを見渡しそして、それを見つけてしまう。杞憂であれとあれほど願った光景が目の前に広がっていた。
ー西日に煽られ黒煙が昇る、彼女の薫りをのせて……ー
目の前の光景が信じられず私は思わず慟哭を上げる。何故、一体誰が……ふと着信音がすぐ近くだと言うことに気付く。咽び、すわぶきを繰り返し音の方を一瞥する。そして、やはり、全くどうして、何故なのか、私が予想した通り、私の予想だにしないその彼女がたっていた。
「どう……して……」
私は声にならない声で呆然と呟く
「どうして……?それはあなたが一番ご存知の筈よ?」
彼女はいつもの様に優しく口元を緩めそう返す。そう、私は知っていた筈だ。私が私の理想の梗概の中で勘と芹那を殺したのは、殺させたのは他でもない、302号室の彼女だ。私の物語の中で彼女は名前のない私の欲望そのものだった。それは、マクベスの中のマクベス夫人の様に……しかし、これは紛れもなく現実ではあり、絵空事のような物語ではない。
「これは現実だ……そもそもあなたは……」
「私は
「同じじゃない。現実も虚実も、あの魔女達も言っていたでしょう?綺麗は汚い、汚いは綺麗って……本質はそう、私達は二律背反の矛盾塊。」
頭がパンクしそうだ。私は言葉を失い地面に膝をつく
「これは、物語か、それとも……」
「どちらでもいいじゃない?それよりも……」
彼女は私の手を取りそして
「私を連れってくださるのでしょう?天国でも地獄でもない処へ……」
恍惚とした表情でそう尋ねるのだった。
ー嗚呼、無花果の葉が剥かれる。私の中に濁色の激情が透過する。六畳間に響く嬌声のちに俯仰。
彼が息を荒げて私を縊る、薄れる意識の中に恍惚と陶酔を見出しそれらに耽溺するのだ……ー
軋むベッドの上で彼女の白皙の体躯に体を擦り付ける。彼女は妖艶に微笑み指を絡めてくる。私は促されるまま彼女を押し倒す。
柘榴を砕き白濁の欲をその果肉に撒き散らした。
私は知っていた、この物語の終止符を。おそらく彼女も……故にこうして肉体を交え性っているのだろう。しかし……
私は一瞬躊躇するも、その悦楽に呑まれそのまま彼女の首に手をかけ、そして勢いよく腕に力を込めて彼女の首を絞める、彼女は目を見開き体をくねらせもがく。しかし私は手を緩めることなく寧ろ徐々に力を強めていく。彼女の呼吸が徐々に弱々しくなっていく。それにつれ彼女の顔が火照り嗚咽のような喘ぎ声を上げ私をみる。
「これで……フィナーレ、それではいつ会いましょう……?」
掠れて消え入るような声で彼女は尋ねる。そして私が絶頂に達したと同時に彼女は事切れた。
「いつ会いましょう……か、語るに及ばず……」
私は失笑しこう括る。
ーー