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エッセイ

「なろうテンプレ」は殺せるか?

作者: LE-389

 「なろうテンプレ」を一つの生き物として見ている人はいるだろうか?あまり多くは居ないのかもしれないが、少なくとも筆者はそう考えている。

 「王道」や「お約束」から生まれ、ここを住処として多くの作品群からなる奇妙で興味深い生き物。綺麗でも格好良くも無いかもしれないが、とても好きだ。


 好きとか嫌いとか、この生き物に対する意見をまとめたエッセイをたまに目にする。様々なスタンスの考え方を知る事が出来るので興味深く読んでいるが、そうしている内にタイトルの疑問を抱いた。

 「なろうテンプレ」は殺せるか、と。


 嫌いな人はかなり嫌いで、無くなって欲しいとすら思っているらしい。どうすればテンプレは無くなるか。生き物として見ている自分の感覚で言うなら「死ぬ」だろうか。



 現状、「なろうテンプレ」にあてはまる作品は数多く生まれ、同時に消費され続けている。これが「生きている」状態だとするなら、「死ぬ」というのは逆に読者も作者もいない状態だろう。どうすればそういう状態に出来る?


 少なくとも、エッセイでそれを実現するのは難しいだろう。というよりもむしろ、どんなに否定的な論調であれエッセイを書くという事は「なろうテンプレ」の繁栄に貢献している。


 昔見たSFパニックで「宇宙からやってきた怪物にそれを殺すための毒を投与した結果、殺すどころか進化を促進して手がつけられなくなってしまう」という展開があった。テンプレに否定的なエッセイはこの「毒」と同じように、「なろうテンプレ」を死に至らしめるようなパワーが無いためその進化を促している。


 「なろうテンプレ」を今とは違う形に変えるのが本意であるなら、これもまた間違いでは無いだろう。変異を促進しつつその方向をコントロールして、今と似ても似つかない形に変えてしまう。今の「なろうテンプレ」が嫌ならこれも一つの選択だ。



 個人的には、殺すなら二つの手段があるかと考えている。

 「食い殺す」か「進化の袋小路に追い込む」か。


 リョコウバトやドードーは人間に食い尽くされた。他の悪条件も重なっての結果だが、同じように「なろうテンプレ」を食い物にできないだろうか。


「著作権管理団体がMIDI文化を潰し、街から音楽を消した結果、音楽市場全体が衰退し始めた」


 これが本当かどうかは知らない。ただ、欲望のままにコンテンツを貪り続ければ息の根を止めるのも不可能ではないのでは、と思う。

 「なろうテンプレ」の生命力をはした金に換えて、使い尽くしてしまえば良い。「適当なものを送り出しても読者は読む」という了見で作品を制作し、受け手を搾取する、という風に。

 受け手の側も最初にこれを許容し、つまらなくなっていったそれに少しずつ飽きていけば、そのジャンルは死ぬだろう。


 問題は、これを個人でやろうとするのは厳しい事と、ラノベとか小説などより大きな単位で衰退を招く可能性があるという事か。



 もう一つの「進化の袋小路に追い込む」というのは、先述の変異の方向をコントロールするというのを関係がある。


 家畜は人の手により都合の良い存在へと作りかえられてきた。彼らは人に利益を与え、人の手によってその存在を支えられるが、同時に人が無くては生きてはいけないいびつな存在になっている。


 人が野生動物を家畜に作り変えたように、テンプレもその変化の方向を制御してやれば、絶滅するしかない存在に変える事は出来ないだろうか。


 突然変異は複製のエラーによって生じる。

 「不幸の手紙」が「棒の手紙」になったように、「呪いのビデオ」が助かる方法の部分を消された結果さらなる変異をしたように、ミームも変異するのだ。


 現在の「なろうテンプレ」は新しい形を模索している最中らしい。作者一人一人がテンプレに「ひねり」を加え、人気を得て生き残ったものが新しい形態として選ばれる。


 その変容におかしな方向性を与える、生き残れないはずのものを生き残らせるという事が出来れば、「なろうテンプレ」は正常な生き物としての機能を損なうだろう。


 相互評価クラスタによるランキング操作は「コミュニティを破壊する要因になり得る」と批判されていたが、筆者は「生き残れなかったはずの形質を生き残らせて、その結果テンプレを殺す」能力もあると考えている。


 「テンプレとはこうでなければならない」といった基準を流布して、「環境に合わせた変化を阻害する」というのも有効かもしれない。ワニ、サメやシーラカンスなどは大昔から形が大して変わっていないそうだが、それは形を変える必要が無かったからだ。

 変化しなければ生き残れないという状況にあっても変わることが出来ないならば、その生物は絶滅するしかない。


 こちらもまた個人では難しいという問題を抱えているが、「食い潰す」方とは違い試みるだけなら可能だ。筆者も新しい形の模索に関わりたいからと、意図は違えどテンプレに関わっている。



 このエッセイを読んでくれているあなたも、ここにいるならばテンプレに対して思う事はあるだろう。

 あなたは、テンプレをどう思っている?どうしたい?そして、どのような手段でそれを実現できると思う?

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― 新着の感想 ―
[一言] どうも初めまして。 活動報告などで時おり「なろうテンプレ」に関するネガティブな批判を、細々と書き綴っている日陰者です(笑) ふと「なろうテンプレは殺せるか?」というインパクトの大きなタイト…
[一言] はじめまして。 先日テンプレを扱ったエッセイを自分で書いた上で、当エッセイを読ませていただきました。 なのでまあ……後出しジャンケン的な意見になる事、ご容赦下さい。 そもそも何故テンプレが…
[一言] なろうテンプレを一つの生き物として見る。という発想は、地球を一つの生き物として捉えるガイア仮説に通じていて面白いです。 この手のテンプレはある意味で様式美でもありますから、新しいテンプレが…
2016/09/15 11:40 退会済み
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