私と先生
皆は自分の上にお兄ちゃんかお姉ちゃん、どっちがほしい?
私はそうだなあ。お姉ちゃんはもういるから、お兄ちゃん! お兄ちゃんがほしいな。
下に弟か妹がいるのもいいかもしれないけど、私は自分が一番甘やかされたいから、下はいいや。遠慮しておく。
学校の授業中、そんなことを考えながら窓から校庭を眺める。今は同じ二年のCクラス男子がサッカーをしてるみたい。多分、女子は体育館でバレーかな。男子が楽しそうにボールでじゃれあってるのを見ると、なんだか微笑ましく感じる。
「こーら。そんなに外がいいなら男子と混ざってやってきてもいいんだぞ」
ぽん。頭を小突かれて見上げれば、教科書を片手で開いてる歴史を教える鳶王子先生が私を見下ろしてた。
授業中に注意されたことが恥ずかしくって顔が熱くなるのを感じつつ俯けば、周りの席の子がくすくす笑ってる。仕方ないじゃん、歴史って得意科目じゃないから集中力が続かないんだもの。
キーンコーンカーンコーン。
「では今日はここまで。榊はHR後に資料室へと来るように」
「はあい」
教卓の上で職員室に戻る準備をしてる鳶王子先生が私にそう告げるもんだから、仕方なく返事をした。
「麻奈美やったじゃん。鳶王子先生のよーびーだーし!」
「そんなにいいなら変わってよ」
「やーよ。あたしこれから清くんと放課後デートだし」
「……リア充め」
HR後に手をひらひらさせながらそう言ってさっさと帰ってしまった樹里。くそう。でもまあ、私も絶対に嫌ってわけじゃないんだよね。だってさ、鳶王子先生ってばイケメンだし。
顔面偏差値がわりと高い我が校だけど、ダントツなんだよね。顔。あっさり塩系かな。
まあ、だから歴史資料室を根城にしてる鳶王子先生のとこに行くのは、女子からは結構羨ましがられるってわけ。
コンコン。
「開いてるぞ」
「失礼しまーす……」
「来たか。不良生徒」
「不良じゃないですよー。ただちょっと集中力が続かないってだけです」
「そうかそうか。なら集中力をつけさせないとな。ほら、一〇ページずつ綴じろ」
げ。机の上に乗っているのは藁半紙。今度の授業にでも使うのかな。だけど、重なった量が多い。これ、二年の分全部じゃない?
「ええっ。こんなにあるのに私一人ですか!」
「大丈夫だ。無心にやれば閉校時間までには終わる」
「えー!」
「えー、じゃない。ほら、早くやんないと終わらないぞ」
「ぐ」
私は仕方ないから机に並んでる藁半紙を一〇枚ずつに分けていく。横目でちらと先生を見れば、コーヒーを飲みつつ答案用紙に丸つけをしてる。その横顔は端整だから綺麗で、ついじーっと見つめてしまってた。
いけないいけない。早く帰って乙女ゲーの続きしたいんだから。
先生の言う通り、無心になってやってたらなんとか綴じ終わった。窓の外を見ればいつの間にか日が落ちてる。今は冬だから、十八時の閉校時間でも外は真っ暗なのよね。
ふう。なんか疲れたな。
「終わったか。俺も仕事は終わったところだ。手伝ってくれてありがとな」
「いいえ。じゃあ私は帰りますね。さようなら」
「ああ、いや。少し待ってろ。送ってく」
「え、でも」
「どうせ帰る途中だ。乗ってけ」
首をコキコキさせてると、丸付けを終わった先生が私にそう言ってくる。たしか先生は赤のスポーツカーに乗ってるんだよね。あの車の助手席に乗るのかあ。いつもは美人な女の人でも乗せてるんじゃないかって女子が言ってたけど、まさか私が乗ることになるなんてね。
「シートベルトはしたか?」
「はい」
「じゃあ、帰るか」
先生の車の中はいい匂いがした。大人の男性が運転してる車って感じ。初めての経験でなんだかどきどきしてきた。今が夜でよかった。だって、こっち見られたら顔が赤くなってるのばれちゃうし。
「榊は歴史は嫌いか」
「嫌いっていうか、苦手です。長い感じの名前は覚えづらいし、年号だって暗号みたいでさっぱりです」
「そうか。それらにロマンを感じられれば覚えるのも苦ではなくなるんだがな」
ハンドルを切りながらそう言う先生は、苦手を克服させるには……とかぶつぶつ言いつつ車を右折させる。
あれ、そういえば私の家って知ってたっけ? そんなことを考えてると、段々私の家へと向かっているのがわかる。
「先生、私の家知ってるんですか?」
「ん? ああ、まあ、な」
え、なんでだろ。担任でさえクラスの生徒の住所を知らないと思うんだけど。首を傾げてみるけどわからなかった。
「なんで知ってるんですか? 担任のみねやんでさえ知らないと思うのに」
「なんでだと思う?」
「え」
なんで?
うーん。ここが乙女ゲーの世界なら、ヒロインと教師の恋愛に発展していきそうだけど、ここはリアル。そんなことは起きるはずもないし。
「たまたま私が帰ってる時に見かけたとか?」
「たまたま、ね。まあ、それは宿題としておこう」
「ええ?」
「榊が中間テストの歴史で七〇点以上取ったら教えてやる」
「え、なんかボーダー低いですね」
「低い方がやりやすいだろ。手近な点数にしておけば、少しでもやる気が出ると思ってな」
まあ、それはそうだけど。これで九〇点とか言われたら、じゃあいいですって言うし。七〇点なら少し頑張れば手が届きそうだものね。
「じゃあ、約束ですよ」
そして。
結果からいうと中間テストの歴史の点数は七三点。無事に七〇点以上とれた。
でも、あの約束から一ヶ月は経つし、なんだか今更なんだよね。別にもう知りたいともあんまり思ってないし。
だって、どうせ私の点数を上げさせるための口実でしょ。きっとたまたま見かけただけって言われるだけでしょ。
だけど。
“榊。約束覚えてるか? 放課後、資料室に来るように”
かえってきた答案用紙の隅にそう書かれていた。
先生は約束を覚えてた。じゃあ、たまたま見かけたんじゃないってこと? だけど、わざわざそれを私に教える必要ってあるのかな。
「失礼します」
「来たか。まあ、座れ。コーヒー飲めるか?」
「はい」
先生の淹れてくれたブラックコーヒーをちびちび飲んでいると、先生はじっとこっちを見ていたようで、私と目が合うとはっとした表情になって咳払いをした。
「実はだな」
「はい」
「お前と俺は親戚なんだ。今まで顔を合わせることもないような細い関係だけどな。お前がうちに入学する時に、お前の両親からよろしくと言われたんだよ。一応親戚だからな、家に挨拶に行ったわけだ」
「親戚? うそ、初耳」
「俺の母親の従兄弟の子供だからな。だから俺は親戚のお兄ちゃんってわけだ」
「……お兄ちゃん」
これは予想外。
うちの親戚は皆女系家族だから、男の子なんていないもんだと思ってた。
「わ、これ自慢しちゃお」
「いや、黙っとけ」
え、なんで? 疑問符一杯の顔をすると。
「おかしな探りを入れられたくないからな。榊、お前だって嫌だろ。テストの点数が上がったのは俺と親戚だからなんて言われたらな」
「それは嫌かも。だけど私、今回の点数、そこまで言われるようなものじゃないよ」
そう言うと。先生は机の上で指をとんとんさせた。
「これから週一で個別指導をすることになったんだよ」
「個別指導?」
「お前の両親から電話がきてな。お前の成績を嘆かれたんだよ。それも二時間ほどな……。で、話の流れで俺がお前の勉強を見ることになったんだ。つまり、俺は家庭教師ってことだ。タダ働きのな」
なんだって!
そんなこと一言も言ってなかったじゃない。なんでそんなことになって……。
「お前の両親からの頼みだから、俺に断りの文句を言っても無駄だぞ。観念するんだな」
「……なんてことだ」
「さっそく明日の土曜から始めるからな。苦手科目の教科書はちゃんと持って帰っておくんだぞ」
げえ。苦手科目……。歴史、古典、生物。三つもあるし。わーん。なんて余計な頼みをしてくれてんの私の両親! 帰ったら文句言いたいけど、どうせ一喝されておしまいだろうな。
「はあ……。なんでこんなことに……」
「嘆きたいのはこっちだ。せっかくの休みを親戚の妹の勉強を見るハメになったんだからな。俺にとってメリットは……いや、あるな」
私だって嘆きたいよ。私のメリットなんてないし。先生のメリットってなに? 生徒の点数が上がることかな。
「せっかくだ。頑張ればご褒美に勉強以外のことも教えてやるぞ」
「ご褒美? なにかくれるの?」
「そうだ。得がたい経験ができるぞ」
経験? 物をくれるんじゃないのね、残念。
「なんだ。そんな残念な顔をして。俺の毎週を一日独占できるんだぞ。嬉しいだろ」
「ええーっ。そりゃ先生はイケメンだから、目の保養にはいいかもしれないけど」
「だろう」
自分で言うか。納得すんな。親戚ってことで急に親近感が湧いてつい敬語を忘れちゃった。でも先生もなにも言わないし、いっか。
だけど、なんだかこれって、私が今やってる乙女ゲーの学園ラヴァーズの設定にもちょっと似てるかも。ヒロインが幼馴染の先生の個別指導を受けて、成績と恋愛経験値を上げてく感じなんだよね。
ヒロインの場合は、ご褒美に少しづつ二人の触れ合いの度合いが増えていくやつなんだけど。最後はキスしてるスチルがあったっけ。
先生とキス、かあ。
「どうした、顔が赤いぞ」
「え!」
思わず両手で頬を押さえる。変なこと考えてたのばれた?
「ははっ。榊は可愛いな」
そう言って先生が私の両手を外して頬を撫でてくる。わ、今私なにされてるの。どきどきが止らなくて心臓が壊れそう。
「……まあ、お前の考えてることと、そう遠くないとだけ言っておこうか。……教師と生徒という枠組みを取り除けば、中々に好みだからな」
それって、それって!
まさか、私に乙女ゲーのようなイベントが起きるなんて、これっぽっちも思わなかった。それに先生が最後にぼそっと言った言葉って、そんなまさか。
目を見開いて先生を見ると、イタズラが成功したことを楽しんでるって表情だった。だけど、私を見るその目は、なんだかとっても優しく見えて。
「もう余所見はさせないからな」
その後。私と先生がどうなったか?
それはご想像にお任せします。だけど、苦手科目を克服できたということだけは言っておこうかな。