放火
ぱっと放った。
火のついた枝はまっすぐに飛び込んでいき、うまく煙突の中に吸いこまれた。先に放り込んでおいた少量のガソリンにうまく引火したのか、煙突は衝撃音とともに火を吹いた。
俺はそこまで見届けると、後ろの仲間たちを振り返った。口には出さずとも、にやりと笑うだけで気持ちは手に取るように伝わった。せなかがぞくぞくとしてどうしようもないほど楽しい。いや、楽しいなんてことばじゃたりないくらいだ。
(これだから癖になる……)
家の中からは火に巻かれた住人たちがまろび出て来ている。女ばかりが4人に子供が5人ほどだろうか。どいつもこいつもがりがりに痩せていて、今やどんどんと彼らの住居だったものを飲み込んで行く炎を、彼らはなすすべもなく見つめているだけだ。
「流河の民」
俺たちはその名を侮蔑を込めて呼んだ。
流河の民とは、遥かとおく、衣流河をずっとずっとさかのぼって行ったところが故郷だという。外見的には俺たちと何の違いもないはずだが、内輪性が強く、気がつけば俺たち先住民の上に君臨していた。そうして、俺が生まれた頃にはすでに世界は、俺たちと先住民の上に流河の民がいるのが普通になっていた。
ところが、それは数ヶ月前を境に、大きく変わることになる。彼らが戦争に負け、敗北民となったのだ。
俺は目を細め、腹を空かした獣のように家を飲み込んでいく炎のあいまから、流河の民を見つめて感傷に浸っていた。
数ヶ月前まではでかい顔をして俺たちを尻に敷いていた流河の民。彼らも今や、遠くの都の戦争に負けただけでこの有様だ。男たちは皆捕虜として捕らえられ、残った女たちばかりが集まって作ったのがこの流河の村落だったが、食べるものもなく、絶望と死ばかりがはびこっている。じつに臭くて汚い貧しい村だ。
その流河の民の子供のうちのひとりが(5歳ほどだろうか)泣くことすらできない、と言った表情で家を見ていた彼が、おもむろに視線をあげると「あっ」と言った表情をした。
「ママ、あそこに!」
その言葉を聞くや否や、俺たちはさっと顔を引っ込めると、一目散に逃げ出した。流河の村落から、同い年くらいの少年たちが何やら叫びながら追いかけてきたが、まったく恐るるに足らなかった。なぜなら彼らは栄養失調で、誰もまともに俺たちに追いつくことなど出来やしなかったからだ。
はやる心臓と、わずかな寂寞感と、敵をやっつけた後のような大きな達成感に頭をふらふらさせながら家に戻ると、ぐつぐつと夕飯の具材を茹でていた母親が「おかえり」といった。俺はうまそうな匂いに釣られて母親のそばにいくと、横から鍋の中をのぞき見た。そこには溢れんばかりの具材と、鳥肉が入っていて、思わず口の中に湧いたつばを飲み込んだ。流河の民の支配を逃れてから、夕飯の具材はあきらかに豪華になっていた。
「ほら、手伝って」と言って手渡された箸を鍋につっこみ、ぐるぐるとかき回していると、「今日はどこへ行っていたんだい、遅かったじゃないか」と母親が言った。その言葉にどこか非難の色が見受けられたので、俺は顔をしかめて「別に」とだけ返事をした。
「流河の民の村落にだけは行くんじゃないよ。なるべく関わらないようにしなさい」
母親はいつものようにそう言った。
「分かってる」と、俺もいつものように返事をする。
(まさか、息子が彼らに放火しているなんて、思いもよらないんだろうなあ)
母親に隠し事をしていることが、少しの優越感と少しの背徳感を少年にもたらす。それでも、もしその事実を知ったとしても、母親はきっと喜ぶに違いないと、少年は信じ込んでいたのだった。