龍が守るもの
私が、このA.T.G.Cで何とか続けているお話の登場人物に沿って、今回も何とか書き上げました。ファンタジーってジャンルは、このお話にとっては、真正面のジャンルで、書きやすいはずではあるんですけど、逆に広すぎてまとまりませんでした……。
文体も、いつもと違う感じになってしまって、なんか不自然な感じが……。
と、とにかく、よろしくお願いいたします。
神がまだ信じられていた時代。
龍は様々な力を司り、最も強力な神の使いとして、恐れられていた。
そして、恐れられると同時に、頼られ、慕われてもいた。
とある沼を守る龍は、そこで人と暮らすことが好きだった。
だから、人の頼みごとは大抵のことは叶えてやった。
だが、次第に人間は増長し、叶える訳にはいかない頼みが持ち込まれる様になった。流石の龍も自然のバランスを崩すような頼みを聞く訳にはいかなかった。
しかし、増長した人間は、それが大いに不満だった。
当初は、そんな人間はごく一部だった。
しかし、日を追い、そんな人間が増えていった。
次第に、龍に対する不満と反感は募っていた。
そして龍への頼みごとはしなくなっていった。
人間は、もう自分たちだけの力で暮らしていくことができるようになったと考えていた。
自然の剥き身の猛威に耐え、つつましく生きることができたなら、それも間違いではなかったのかもしれない。
だが、人間には欲があった。
欲しいと思うことに上限は無く、自分の欲望の為には、他から奪い取ることも厭わなかった。自然界のバランスなど、お構いなしだった。
そして、人間同士での奪い合いさえする様になっていた。
人間同士の争い、それは龍の一番嫌っていることだった。
それでも。
それでも、まだ龍はいた。
夏真っ盛りの日射しを受け、黒光りする甲冑を身にまとった男たちが、道を走ってきた。誇らしげに身に付けた飾りが、これまでに何人もの敵を倒してきた猛者であることを示していた。
そんな男たちを鳥居の影から、一人の巫女が見つめていた。
名を美月と言い、その神社の末娘だった。
男たちの姿が消えてしまうと、美月は振り返り、社へと向かった。 神社を囲む鎮守の森に入ると、日射しが遮られ、夏の盛りでも心地よい涼しさがあった。
静謐な涼しさの中、美月は静かに考えていた。
田畑からの収穫があれば、争いなどせずにすむのではないだろうか……。
あの男は生きて明日を迎えることができるだろうか。何人もの男が、ああして出かけて行き、二度と戻らなかった。
人が生きていく為には、必要な物を手に入れなければならない。 それは理解できた。
けど、いつからだろう?
いつから、人同士で争わないと、生きていくのに必要な物が手に入らなくなってしまったのだろう?
昔は、自分たちの田畑を耕していれば生きていけたはずだったのに……。
どこかで、何かが変わってしまったのだろうか?
争えば争うほど、事態は悪くなっていくように思えた。
けど、今日を生き残るためには争うしかない。 現状はそう思えた。
人は、どこかで、何かを間違えてしまった。 そんな気がしていた。 それが何かが判れば、元に戻れるだろうか?
けど、自分などにどうにできるものではない、そんな気がしていた。
自分たちはどうにもできない一本道を進んでいる。
別の道を選ぶことなど、もうできない。その先に何があろうと、進んでいくしかない。
そして、道が途切れたら……。
そのときは、自分たちは滅ぶときなのだろうか。 それは仕方のないこと。
そんなことを抵抗もなく思ってしまう美月には、どこか感情と言うものが抜け落ちてしまったかの様なところがあった。
今、この辺りの村はお互いに臨戦状態にあった。
今日を生き抜くためには、戦うしかない。 けど、いつまでこんなことを?
何か、根本的な解決はないのだろうか?
全ての始まりは水不足からだった。
もう、何ヶ月も雨は降っていない。
その水不足を解決する為、隣の村を越えて、大きな川からの用水を作ることで話がまとまった。用水を作ること自体は立派なことかもしれない。
だが、途中にある村、川のほとりの村との交渉は決裂した。お互いの欲しいものを主張し譲ることがなかったのだから、当たり前かもしれない。それでも男たちは、自分たちに必要なものだから、間違ってなどいない。やるしかない、そう言って譲らなかった。
本当にそうだろうか?
果たして、あちこちの村との間で諍いが起こった。
最初に石を投げたのは誰だっただろう?
最初に鎧を着て出掛けたのは誰だったのだろう?
最初に刀を抜いたのは?
そして、最初に人が死んだのはいつだっただろう……。
気が付けば、用水路の建設どころではなくなっていた。
この辺り一帯は、領地を、水を求める争いに明け暮れる危険な場所になってしまった。
そんな中、美月は今でも全ての村の幸福を願っていた。
既に、人の力だけではそれは叶わないかもしれない。 けど、龍神の力を借りることができれば、今の、争いしかない日々を変えることができるかもしれない。
そう信じていた。
だから、毎日、沼の近くに立つ鳥居で祈りをささげた。
もちろん、祈ることは全ての村が豊かになりますように。 雨が降りますように。 だった。
龍神なら、いつか雨を降らせてくれる。 龍神は絶対に人を見捨てない。 それは、彼女にも説明ができない、根拠のない思いだった。
でも、確信していた。
鳥居から沼を、いや、かつては沼だった場所を眺めた。
干ばつが続き、今、沼はただの湿った泥の海だった。水源としては何の意味もなかった。
けど、この沼には龍神がいる。
かつては、つがいの龍が。 そして、今は、その子の龍が。
一度、まだ、ここが立派な沼だった頃、彼女は龍の姿を見たことがあった。
大きくごつごつとした体。鼻から揺らめく息。金色に輝く瞳。鋭い爪。その力強い姿を頼もしいと思った。 不思議と怖いとは思わなかった。
もっとよく見たくて、近付こうとしたとき、龍が彼女の存在に気が付いた。
次の瞬間、お互いが、お互いの目をのぞき込んでいた。
龍の目に浮かんだのは、驚愕に見えた。 が、瞬く間にその表情は優しいものに、そして、切なさを湛えたものになった。
お互いの視線が離れるとき、龍の目には光るものが浮かんでいた様にも見えた。
龍って泣くんだろうか。 どんなことで泣くんだろう。
そして思った。 龍にも心があるんだな、と。
それ以来、龍の姿を見かけることはなかったけど、それでも龍を信じる気持ちは揺るがなかった。龍の目に光る雫を、涙を見たせいだろうか?
とにかく、彼女は龍を信じた。
いまの、人たちが争う状況を、この、先のない状況を何とかできるのは龍しかない。
そのことを、彼女は信じていた。
だから、来る日も、来る日も、祈りをささげた。
そんなある日、とうとう龍が現れた。
「おまえは、どうしてそこまで他人の為に祈れるのかな」
龍の話す声は低く、静かだった。 初めて聞いた声だったけれど、でも、その響きはなぜか懐かしかった。 彼女の答えはいっそとんちんかんなものだった。
「あの日、どうしてあなたは泣いていたんですか?」
「それは……」
しばしの逡巡の後、龍は答えた。
「人が争うのが悲しいから。 どうして人は争うのか、お互いを傷付けるだけなのに……」
その続きがあるような気がして、美月は無言で続く言葉を待った。
「争うのを止めれば、雨は降るかもしれないのに……」
龍の言葉は、ある意味、彼女の予測していたことだった。
「雨が降れば、争いは止まります」
「争いが無くならなければ、雨は降らない。 それが、天の決定です」
「雨が降らなければ、争いは止まりません」
美月と龍の言葉は平行線だった。
けど、村同士の交渉と違ったことが一つだけあった。
「判りました」「判った」
「あなたを信じます」「おまえを信じよう」
お互いが飲み込んだ言葉と決意を、お互いには知らなかったけど、ただ、両者が感じ取っていたのは、お互いの言葉に嘘がない、ということだった。
それだけだったけど、それで十分だった。
だから、まずは自分から踏み出そう。 お互い、同時にそう思った。
お互いを見つめる視線には、優しさが満ちていた。
かつて、この眼を知っていた。
恐る恐る、という感じで、龍が尋ねた。
「おまえの名を聞いていなかった」
「私は、美月と言います」
その答えを聞き、龍は僅かに体を震わせたが、やがて静かに頷いた。
龍が視線を外した瞬間、美月は思わず声を上げた。
「あ……」
離れたくない、初めてそんなことを感じた。 けど、今はすべきことがあった。
「また……、 また、お会いできますか?」
必死に龍に向かって問いかけた。
ふと天を仰いだ龍が、振り向き、美月を見つめた。 その眼には喜びと優しさがあふれている様に思えた。
「いつか……」
それだけ言うと、龍は一気に飛び去ってしまった。
龍が完全に見えなくなるまで空を見上げていたけど、やがて視線を地上にもどし、村への道を歩き始めた。
その顔は、少し前までの感情の抜け落ちたものではなかった。
いつの間にか、その心には、希望と決意が宿っていた。
人々を説得する。 争いさえ止めれば、きっとすぐにでも雨が降る。
すぐにも、村の戦士たちを説得しないと。 何を言われても、何をされても、この命に代えても説得してみせる。 あの龍の信頼に応えることには、そのくらいの価値がある。
そうすれば、あの龍にまた会える。
美月はそう確信していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
龍は天へと向かった。 雨を降らせる為、雨を降らせるようにお願いする為に。
この願いは、告げれば命がない。 それが、天に住む龍神の長が決めた掟だ。
人は嫌いではなかったが、自分の命をかける価値のある生き物か、それが分からなかった。
だから、これまでは何もしないでいた。
けど、あの巫女。 彼女は特別だ。
ずっと知ってる。 もちろん、彼女が生まれたときからずっと見つめてきた。 いや、そうじゃない。もっと前からだ。
以前から何か引っかかっていた。けど、あえて近付こうとはしなかった。かつて、人に近付いて何が起きたのか。
自分は策に嵌り、自分を信じた少女は正気を保てず闇に堕ちた。
全てを失った。 もうこりごりだ。
そう思ったけど……。
あの巫女を初めて見た瞬間、あまりにあの少女に似ていることに動揺した。
まさか、あの少女の生まれ変わりが目の前に現れるなんて、そんな奇跡を信じることはできなかった。
だが、あの巫女から目が離せなくなった。
そして、そっと様子を窺えば窺うほど、あの巫女の姿が、かつて自分を信じた果てに闇に堕ちた少女に重なった。もう、とっくに分かっていたのかもしれない。
そして今日、直接言葉を交わし、名を知り確信した。
美月がかつての『満月』の生まれ変わりなことは間違いない。
彼女が困っている時に、それを助ける為にとなりにいることができる。 こんなに嬉しいことはない。
美月が願うなら、自分は何だって叶えてみせる。
しかも、龍神の長とは自分の父親、つまり、かつてはあの地を守る龍だったのだから。
真摯に訴えれば、きっと解ってくれる。
天に到着した龍は、真っ直ぐに両親を説得しに行った。
「急にどうしたんだ」
「父さん。 今日は頼みがあって来ました」
龍の頼みごとを、敏感に両親は感じていた。
「聞かん。 いや、聞きたくない。 わしらはお前を殺したくない」
「ですが父さん。 どうあっても、この願いだけは聞いてもらいます」
どうしても雨を降らしてもらいたい龍と、息子の龍を殺したくない龍神の言い合いは何日にも渡って続いた。
しかし、龍の決意は固く。 とうとう、龍神は息子の願いを聞かざるを得ない、そう覚悟しました。
「父さん、ありがとう。 本当にありがとう……」
龍神は、願いをもう一つ聞くことにしました。 もう一度、自分たちの所に生まれ変わりたい、そんな願いを期待していたのかもしれません。
「最後にあと一つ、望みを聞いてやろう」
けど、龍の願いは予想外のものでした。
「じゃぁ……。 生まれ変わるなら、今度は人間になりたい」
「……」
「だめかな……」
「おまえという奴は……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、とうとうその地には何ヶ月かぶりに雨が降り注ぎました。
いつも以上に激しい雨は、龍神の涙だったと言われています。 どうしてなら、まるで慟哭の様な雷鳴がいつまでも鳴り響いていたからです。
そして、雨と一緒に、ばらばらになった、龍の体も落ちてきました。
雨を降らせてくれたありがたい龍として、その体は丁寧に葬られました。
そして、龍の頭と一緒に、一人の巫女が、やはり丁寧に葬られました。
「争いさえ止めれば、雨が降る。 龍は約束してくれた。 だから争いを止めて」
そう主張して、あちこちの村を説得して回った巫女でした。
何も食べることも、飲むこともなく説得を続け、雨が降り出した瞬間にとうとう力尽きてしまったのです。
力尽き、倒れ、雨に打たれてはいたけれど。
その顔には、とても幸せそうな笑顔が浮かんでいました。
えっと、この龍の伝説、実は元ねたがあります。千葉県印旛沼に伝わる、龍の雫っていう伝説です。骨格はその伝説からいただいてきてます。
さぁ、どこまで美月(あ、新しい字)で引っ張れるでしょう? 何とか最後まで行きたいです。
それではまた!