第四話 PMは悪童に辟易する
「エレノア様、こちらになります」
上品な物腰の男性が、スマートな仕草で手案内しつつ、頭を下げた。
エレノアの後に続く俺とフネに、男性は一瞬だけ目配せするが、事前に聞かされているのか何も言ってはこない。
メルカティスを発って、一両日。
俺たちは首脳会談が開催される、ルミナ国の聖導神殿――オラクリウムに到着していた。
眼前に聳える、巨大な西洋風の建造物。
だが近付いてみると、外壁のあちこちにひびが入り、補修の跡も見当たらない。
各国の最高審議官を迎え入れるという触れ込みの割には、見た目の荘厳さと反して、保守計画の杜撰さが気になった。
これならエレノアのオフィスビルの方が、よほど立派な造りだ。
歴史性を重視しているのか、予算が足りないのか。
「ふわー。でっかい建物だねー」
「あまり騒ぐなよ」
高いアーチを潜り抜けながら、大きな感嘆の声を漏らすフネに、俺は注意の意をこめて肘で突く。
しかし当たり所が悪かったのか、肘の先で柔らかい弾力が跳ね返ってきた。
しまったと思った時には、もう遅い。
「んきゃー! オサムのえっち!」
フネの甲高い声が、聖堂内に響き渡る。
同時に周囲から何事かと、突き刺さるような視線が降り注いだ。
「ちょ、ちょっと。静かに……」
エレノアが慌ててフネを静かにさせようと諫める。
だがフネが暴れるので、その様子はまるで、癇癪を起こした子供と保育園の先生の様相だ。
発端の俺もエレノアと一緒になって、フネの口を塞ぎにかかる。
「むぐう!」
エレノアに背後から押さえられ、俺に口を塞がれて、ようやくフネが静かになった。
それを見計らっていたかのように、今度は男の笑い声が起こる。
「はっはっは! メルカティスは、今回は子連れで参加か? さすがはエルフ如きが代表になれる国だ。笑わせてくれる」
声の方に視線を向けると、そこには精悍な顔つきの若者が、建物内の柱に寄り掛かりながら、こちらに嫌な笑みを送っていた。
深い紺碧の詰襟に身を包んだ、美丈夫。
金の刺繍が施された衣服は、見るからに彼の位の高さを象徴するような仕立て上がりだ。
笑みを浮かべているが、漆黒の瞳の底は全く笑っていない。
あまり外見で人を判断したくはないが、とても好きになれるタイプではなかった。
ふとエレノアを見ると、彼女は明確に敵意の籠った目で男を睨んでいる。
「その薄汚い口を閉じなさい、ヴェルナー。氷漬けにしてあげようかしら?」
吐き出される言葉も憎悪の色が濃い。
どうやら知った仲だが、友好的な間柄でないのは明白だ。
「相変わらず生意気な女狐だな。黙っていれば、俺の妾に加えてやるほどには美人なのに勿体ない」
「貴方の? 冗談はよして。反吐が出るわ」
ヴェルナーの続けて放った言葉に、エレノアが吐き捨てるように言い返す。
まさに一触即発の剣呑な空気が、二人の間に緊張を走らせた。
破壊したのは、クラッシャーの相棒だ。
「ノアちゃんをいじめるな、くそやろう! フネがぶっちめてやる!」
腕まくりしたフネが、さっきのこともすっかり忘れて、拳を握り締める。
さすがに武器の類は入り口で預けることになったが、彼女の膂力をもってすれば、素手でも身体に穴を穿ちかねない。
こんな衆目の集まる場所で、如何にも地位の高そうな男をぶん殴ればどうなるか。
理屈では、止めるべきだと分かっている。
しかし正直このヴェルナーという男の態度は目に余った。
特にエレノアへの下卑た物言いは度し難い。
少しは痛い目を見るのもありかもしれない――
そんな風に俺が逡巡している間にも、フネはすでに駆け出している。
疾風迅雷の速さで間近まで迫ったフネに、ヴェルナーは嘲笑を浮かべたままだった。
余裕綽々の男が無様に吹き飛ぶ、そんな未来が頭を過ぎる。
少なくとも俺は、そうなるものだと思っていた。
「戯れが過ぎるぞ、ヴェルナー」
だがフネの振り被った拳は、ヴェルナーの背後からぬっと現れた長身の男に掴まれ、宙で縫い留められた。
黒光りする鎧を身に纏った、やたらと目つきの鋭い頬のこけた男。
彼は掴んだフネの拳をじっと見つめながら、窘めるようにヴェルナーをじろりと睥睨した。
「悪い悪い。メルカティスは護衛が壊滅したと、風聞に及んでいてな。どんな代わりを用意するのかと、興味を持っただけだ。女子供が代役を務めるようでは、先が思いやられるみたいだがな」
両手を挙げながら、相変わらずのにやにや笑いを止めないヴェルナー。
その言葉に、俺は思わずエレノアを襲撃させた主格を連想した。
だが彼自身が何者か分からない以上、それは憶測に過ぎない。
「ふんがー!」
フネが拳を掴まれた状態のまま吼える。
とても見た目は少女のものとは思えない雄叫びだ。
「……冗談だろ?」
そのまま力任せに、腕を振り上げるフネ。
握った拳ごと身体を持ち上げられ、黒い鎧の男は低く呻いた。
鋭い双眸が僅かに見開かれ、彼は握っていた手を離して、素早くフネから距離を取る。
「にげんなー!」
「やめろ、フネ」
ぞろぞろ人が集まってきたのを見て、俺はようやく彼女を止めに入った。
これ以上目立っては、エレノアにも迷惑がかかる。
悔しそうに歯噛みするフネだったが、俺の制止には大人しく従ってくれた。
「それでは諸君、また後程。エレノア、飼い犬はきちんと躾けておけよ」
「……!」
最後にもしっかりと強烈な嫌味を残し、ヴェルナーと長身の男は去っていく。
エレノアはその背中を、もはや敵意を越えて殺意の眼差しで見送ったが、さすがに暴言を返すほど軽率な行動は取らなかった。
逆に制止していたフネは、ヴェルナーの捨て台詞の言葉の意味に気付き、ふんがふんがと鼻息を鳴らす。
「あいつ、絶対ぶっとばす!」
「どうどう」
宥める俺。
隣ではエレノアが彼らの姿が消えたのを見計らって、深い溜息を吐いた。
美しい横顔は、酷く疲れているように見える。
「……あれが神託に反発している勢力の一つ、ガルズの王――ヴェルナーよ」
「えらく、若いんだな」
俺の感想は至極真っ当なものだった。
一国の王を担うには、今の男は若過ぎる気がする。
二十代後半から、若く見えたとしても三十代前半だろう。
「先代の王が、急逝してね。あの男が後を継いだのよ。前王は話の分かる方だったけれど、ヴェルナーに代わってからはあの通りよ」
何やら含みを持たせる言い方で、エレノアは俺の言葉に小さく漏らしたのだった。
会議は巨大な円卓の間で執り行われた。
各国の最高審議官が、円卓に並べられた高く立派な椅子にめいめい着席している。
エレノアに聞いたところによると、最高審議官は王が兼ねる場合もあれば、国民投票によって決まる場合もあるらしい。
彼女の場合はもちろん後者だ。
さらに俺たちのような護衛や従者の者たちが、円卓を囲むように立ち並んでおり、室内は喧騒に包まれていた。
円卓の席には、先ほどのヴェルナーの姿も見受けられる。
彼は脚を大きく組み、周囲をじろりと一瞥していた。
一瞬目が合った気がするが、侮蔑の色を微かに浮かべただけで、すぐに視線は外される。
俺たちのような下賤な者は、眼中にないという態度だろう。
生憎こちらとしても、彼自身に興味はない。
だがエレノアの護衛を引き受けた以上、情報は収集する必要があった。
この中に、彼女を襲撃させた主犯がいないとも限らないのだ。
「おさむ、フネもすわりたいー」
「我慢しろ」
俺は隣で退屈そうに壁にもたれ掛かるフネを、適当にあしらいながら、円卓の席に座る他の面々に視線を向ける。
ヴェルナーの右隣には、大人しそうな白髪の初老の男。
さらに時計回りに、すらりとした眼鏡をかけた、神経質そうな中年男性。
続けて、今度はやたらとどっしりとした体格の、日に焼けた男。
椅子から突き出た足が、床につかないほどの背丈の低さから、メルカティスの入口でフネが意気投合したドワーフと同じ種族だろうか。
さらに隣には、エレノアが静かに座っている。
だが彼女とヴェルナーの間の椅子には、今は誰も座っていなかった。
サザンドール連邦国家の国の数は六つ。
円卓の席も六つ。
つまり後一名、この会談に座する者がいるということだ。
「鎮まれ」
その時、室内に凛とした鈴を鳴らすような声が響き渡る。
騒然としていた室内は、一瞬で静まり返った。
部屋に現れたのは、背の高い黒髪ロングの女騎士と、対照的に小さな巫女衣装の少女。
どうやら彼女らが、会談の最後のピースのようだ。
ビジネスの世界では、露骨に嫌な態度を取る人間に出くわす機会はそうそうありません。
しかしネチネチと重箱の隅を突く人間はごまんといます。
特に何かを起こしてしまった場合に、後付けのように「〜をしなかったのはなぜか」「〜を準備しておくのは当たり前のルールだが、なぜできなかったのか」挙句には、「それを見越しておくのがマネージメントだよね」と続きます。
わしゃ神様かい、と嫌味の一つも言いたくなるのを、グッと堪えて、笑顔で応対できるようになり、最後には「御指摘感謝します。今後の施策に包含し、検討を進めさせて頂きます」まで言えるようになると、立派な社会人です。
人は何かを失い、何かを得る。
私は何を得たのだろう。
そしてこの長々とした後書きはなんなのだろう、と




