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「あっ」
トイレから出ると、ちょうど保坂さんも女子トイレから出てきたところだった。
「あっ、どうも。お疲れ様です」
なんかぎくしゃくしているなー。まだ基本、敬語を使っているのもあるかもしれない。
保坂さんはCクラスで僕はBクラスへ戻るからこのまま教室まで共に歩くことになる。
そこまでもうちょっと会話ができれば良いけど……何を話せば良いんだろう。せっかく二人きりになれたのに。
「……斉田君ってさぁ……実は演技の経験あったりする?
今日の斉田君さっきも言ったけど、とても未経験者には見えなかった。何というか……演じながらの修正力と、その場で思いついて取った行動が玄人じみていて。
……そうじゃないならまるでリアルタイムでコーチングする人がいるみたいだった」
はい、僕には藤井一輝さんという専属のコーチがいました! なんて言えるわけがない。
「いえ、ここまで演技なんてもんは強いて挙げるなら幼稚園と小学校でやった紙人形劇くらいなもので未経験なんですけど……もしかしたら、自分で言うのもあれですけどお芝居の感性はあるのかもしれないって今日、新たな発見がありました」
「……うん。お芝居の感性はあるだろうね。それでも……初回のエクササイズであそこまでやれるなら……天才かもね」
うっ、横切ろうとする保坂さんの生暖かい吐息が鼻にかかったような。まだ保坂さんを画面越しのアイドルみたいに思っていたけど、この息は……万人が吐く息だ。
「そんな……天才だなんて。あっ、天才だったら安西未佐さんじゃないですか。あーまさかあのビデオを観たからその安西さんの魂が僕に乗り移ったのかなーなんて」
ひっ……ズドンと雷でも落ちたのか。保坂さんは眼を見開いた。
「安西未佐さん……。斉田君、変なこと聞くけど安西さんに会ったことあるの?」
な、何を……なんでそんなことを聞くの? 会ったことあるわけがない……。
いや待てよ。だがあれは……。
「安西さんは約三十年前に高校三年生で亡くなっているんですよ。現在、高校一年生の僕が、会えるわけがないじゃないですか」
「そうだよね。私、なに馬鹿なことを聞いているんだろう。
でもね……斉田君。さっき視聴覚室で、あのビデオを観た後に集団ヒステリーが原因じゃないかって見解を述べたけど、安西未佐さんは皆んなから慕われていたってまるで三十年前、安西未佐さんは学年でどれだけ好かれていたか直に見てきた当事者みたいな言い方だったんだけど、あの言葉にはどんなイメージを持っていたの? 何か、何かがあったはず、じゃないと……!」
両腕をガシッと掴まれた……保坂さんから僕に触ってくるなんて。
「……あんな風に台詞は喋れない。私には薄っすらと伝播した。斉田君が頭の中で描いているものが」
台詞はただ字面だけをなぞるのではなく、しっかりとその底にあるものを掘り下げて、自分なりのイメージがなければその台詞は観客には届かない——
それが保坂さんには届いたってことか。
俳優って……人の脳内を、心を解読できる種族なのか。
「ビデオで彼女の演技を観て……なんとなくそう思っただけです。それこそ、そこから僕はリハーサルまでの練習風景なんかも想像できて……きっとクラス中から慕われていたんだろうなって……」
しわくちゃになった袖部分をそっとアイロンをかけるように伸ばしてくれた。そこから保坂さんの手は振り子のようにだらんと落ちる。
「そこまで想像を膨らませたんだ。やっぱり……斉田君は演技の才能あるよ。これからも自信持って」
そう言い残して保坂さんは去って行く。
「ははっ。あれは……嫉妬かな」
藤井さん……。そういえば待っていてくれたんですよね。
「待つも何も僕は斉田君に付いていくしかないんだけど」
このくらいなら離れても良いのは幸いでした。トイレの中まで付いて来られたらと思うと……。
ところで嫉妬というのは。
「保坂さんは斉田君の才能に嫉妬しているってこと。自分よりも才能がありそうなことに焦っているのさ。保坂さんも僕のようにかつてどこかで遭遇したことがあるのかもね。斉田君みたいな神童を」
そんな……そこまで……保坂さんの方がずっと先に演技を学んでいるのに。
「いや、演技に関しては先に学んだことによるアドバンテージはスポーツほどにはない。
子役からやっているからって、数年も経てば子役なんて演じれる年齢ではなくなるわけだしいわばリセットされる。それよりも、いつまでも厚みのある演技をしていくためにはどんな人生経験を積んでいるかにかかっている。十代から活躍している俳優でもずっと芸能界という異様な、閉鎖された村みたいな中で生きていて、浮世離れしていたらいずれハリボテ演技しかできなくなるだろうしね」
そういうものなんですね。
「俳優ってコンスタントに作品出演さえしていれば良いわけじゃないし、その人の人生が最大限生かせる適役が与えられたら未経験者でも一躍、名演技ができるかもしれない……演技って経験年数だけでは計れない不思議な技術だね」
一生、下っ端だと思われた僕が伏兵みたいに台頭してきたら、実力がある人ほど狼狽えは大きいのかもしれないな。
ところで藤井さん……藤井さんは、このままでいいんですか? せっかく幽霊みたいでもまたこっちに帰って来れたなら……、
「いいんだって」
スパッと遮断された。よほど意志は固いようだ。
「……安心してくれ。いつまでもこんな状態は続かないよ。それはなんとなく感じるんだ。またどんどん薄くなっていき僕はやがてまた消える。それがいつかは不透明だけど、そんな何年もはかからない。それまで、付き合ってくれ、頼む」
そのうちまた消えてしまうのか。藤井さんをこちらに呼び戻すにはどうしたら……。
藤井さんは幽霊とか霊的なものは信じる人なんですか? ご自身がそれを実証しているようなものですけど。
「いるわけがないって断固としては拒まないよ。演劇作品で幽霊や妖精、妖怪、怪物みたいな役はたくさん出てくるし、そこで冷ややかになったら俳優なんてできない」
そうですよね。そういえば演劇界にも定番の怖い話ってあるんですか。四谷怪談を上演する際は神社に行ってお参りをしないといけないって有名らしいですけど。
「そういういかにも怪談って逸話よりも僕は、この劇場は照明が仕込みや本番中に落下して、何人かのスタッフや出演者が亡くなっているって話を聞いた時の方がゾッとしたけどね」
えっ、そんな事故があるんですか……。
「あるよ。劇場の舞台作りなんて工事現場みたいなものだからね。そういう事故は少なくはないよ。その中でも宝塚歌劇団の公演中に起きた死亡事故は身の毛もよだつ。なんせ本番中に舞台装置のセリに衣装が巻き込まれてそのまま身体が上下に切断されて血飛沫が……」
もういいです!
「どう? 幽霊なんかよりもよっぽどこういう事故の方が怖いでしょ」
宝塚ってそんな死亡事故も起こしていたんですか……。
「三十年以上前の事故だし、ファンや関係者でもなければ知る機会なんてないだろうね」
藤井さんから数えて三十年ってことは倍の六十年以上は前ってことか。文化祭でも無事故で終わらせないとな。
「斉田氏、遅かったじゃん。俺、先に帰っているね」
教室の前まで行くと川村が帰ってしまうところだった。
「うん。じゃあね」
……部活終わりは部員と一緒に帰る……なんて青春はこの演劇部では無理そうだった。
部活が終われば着替えのため男女で別れることになる。男子と女子では帰ろうとするまでにかかる時間には差がある。部長の保坂さんは部室の鍵も返さないといけない。
仲が良ければお互い校門前で待っているってこともあるんだろうけど、ご覧の通り川村は自分の都合を優先してさっさと帰宅してしまうし、Cクラスは個人主義の集まりなのかもしれない。
選択授業や再編成されたクラスでも今学期は保坂さんと一緒のクラスにはなれなかった。
同じ部活に入ってもなかなか保坂さんとの距離が遠かったのはがっかりだな。
「おっ、保坂も帰り?」
「まだ。着替えてないし」
保坂さんが着替えもせずまたCクラスから出てきた。どこへ行くのだろうか。
「裕矢君、お帰り。川村は帰っちゃったよ」
「うん、さっき廊下で出会した」
陸は帰れそうなのに僕を待っていてくれたようだ。
「男子! もう帰る? 良かったら一緒に帰ろう」
相川さんがBクラスにやって来て一緒に帰ろうと誘ってきた。
「どうしたんですか? 急に」
「斉田君、敬語はいいって。もっと気軽に話そう。咲ちゃんがなんか用事あるから先に帰ってもいいって言うから……なら今日は男子と帰ろうと思って来てみた」
相川さん、まだ若干エクササイズで演じた人格ではなかろうか……?
敬語はいいか……保坂さんからそのお許しがもらえる日は来るのか。
「じゃあちょっと待っていて。すぐ着替えるから」
着替えをしていないってことは校内に用事があるんだよな。何の用事があるんだろうか。
「そうだ。斉田君あとでLINE交換しよう!」
「あ、うん。いいよ別に」
「陸君もね」
相川さんが僕らBクラスに心を開いてくれている。今日のエクササイズがその気にさせてくれたのかな。




