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ここは何処だ?
映像が再生されても川村をはじめ皆んなが静か過ぎたことに違和感を持つべきだったが目が、耳がテレビの映像しか見聞きしていない狭窄状態だったような気もする。
「この映像は脚立が無くてね。演技指導担当の先生がカメラを片手で持って撮っていたんだよ。こうして観ると長時間、揺れもなく撮っていて大したもんだよ」
テレビと台はあるけど、あとはシャボン玉みたいな模様でここは囲まれていた。僕は上半身を捻って声の主を見る。
「あなたが……藤井さん?」
制服ではなく小豆色のタートルネックに黒いスボンを履いている。長身のイケメン。
「そう。藤井一輝。この乃戯高学園には三年生から通った転校生。その前はアメリカで暮らしていた。両親はアメリカに残り日本では一人暮らしだったんだ」
「どうして三年目から乃戯高学園へ?」
「それは彼女、目当てで。そう、安西未佐さん。ストーカーではないよ。僕の第二の母国、日本にとんでもない逸材が現れたって母さんから聞かされて……母さんは日本人で大学生になったらアメリカに留学して演劇を学んだりと演劇好きなものだから日本の演劇界隈には精通していてね」
母親がアメリカへ留学するくらい演劇好きか。藤井さんも演劇一家みたいなものなのか。
しかもハリウッドの国アメリカで生活をしている……藤井さんの演技が玄人じみていたのは当然だったか。
「もしや藤井さん……母親が日本人で、父親が外国の方だったりします? 髪の色、鼻の形、目つきから純日本人とは思えないので」
「そうだよ。父さんがアメリカ人。大学で知り合って交際して、結婚した」
容姿も中身も日本人男性と欧米人男性の良いところ取りみたいな人で反則だな。
「安西未佐さんの演技はどうでしたか? 本番はできなくても共演者としてがっつり稽古はすることもできたわけですけど」
「……僕は生まれながらに恵まれてロンドン、ニューヨーク、モスクワと演劇の中心地へ行かせてもらったし本場の演劇教育も著名な演出家から受けることができた。世界中の秀才と交流してきた僕でも彼女には驚愕した。安西さんこそ俳優をやるために生まれてきたんだろうね。あそこまでくると畏怖すらする」
「どのへんがですか?」
「まるで役の方から寄ってきてくれるみたいなんだ。役が彼女になら心を預けてもいい、私を舞台上で投影させてください、幕が降りるまで生きさせてくださいと平伏すみたいに……」
こっちから役を知ろうとしなくても、役の方から好かれているってことか。それこそ反則だ。
「そこまでくると藤井さんも人並み以上に演劇を学んできた分、実力差で心が折れません? 素人なら凄いで済みますけど」
「それがね、彼女は共演者まで頂へ誘ってくれるんだ。私に身を委ねれば万事が上手くいく……それでその間だけはどんな大根役者も名優になれる」
「それは……相手役を覚醒させるってことですか。藤井さんにもできない芸当ですね」
「僕どころかローレンス・オリヴィエでもそんな真似はできないよ。それと引き換えに魔法が解けた後はぐったりしてしまうけどね。本来であれば逆立ちしてもできない演技をしたんだから」
「……安西さんが舞台上にいない時はどうなるんですか?」
「盛大に空回りしてしまうね。あれ、さっきまでできたのにって」
それはそれで困ったものだな。が、一時的でも名演技ができるなら……と彼女を渇望してしまう人はいそうだ。
テレビにはリハーサル映像がまだ流れている。その安西さんはもうこの世にはいない。
「観客にこの人、上手い演技するなって思わせているうちはまだまだなんだよ。安西さんはもう役になりきるってものじゃなく、役の魂が憑依して降臨させるというニュアンスだね。これぞ演劇という儀式だ。
僕という役があったとして、僕がこうして喋っても誰も上手い演技だななんて思わないだろう? だって僕なんだから。そういうこと」
と寝そべりながら藤井さんは言った。
「……ところで自分の部屋みたいにくつろいでいますけど、僕をここから出していただけないでしょうか?」
藤井さんと安西さんの話ができたのは有意義だったが、肝心なのはそこだ。僕は何処に居るんだ。
「薄情だね。せっかくこうしてご対面できたのに」
「ご対面できたって……藤井さんは何者なんですか? 安西さんを追ってもうお亡くなりにはなったりしていませんよね」
「……生物学的にはね。社会的には死んでしまって、この有様だけど」
「社会的に死んだ?」
「僕みたいになるのが有り触れた事ではないだろうけどね。……社会的に死んだ人ってどんな人だと思う?」
社会的に死んだ人はどんな人かって……なんていう質問だ。
「うーん、大きな犯罪を犯してしまい逮捕されて実名報道されて、会社をクビになって、家族からも絶縁されて、刑務所を出てもまともな会社は雇ってくれなくなって、世間からは犯罪者の目で見られて一生肩身狭く暮らすことになるような人ですか?」
「それも一つの答えだけど、逮捕されて実刑、或いは執行猶予判決の罪を犯したのなら釈放されても国が保護観察をしてくれて、更生するための支援をしてくれるだろう。だったらまだその人は死んでいない」
「……あっ、そういうことなら引きこもりってやつですか。不登校か無職になってしまい社会との繋がりが薄い、おまけに本人に社会復帰する気のない人」
「そうだね。それでも、不登校なら卒業するまでの間なら学校側が気にかけてくれる。学生でもない無職でも最後の砦として家族、両親がいるだろう。
それさえも失われた、どこの誰もあの人は今、何をしているんだろう? と気にかけてくれる人がいなくなってしまったらもう完全なる社会的な死ってやつだな」
藤井さんは日本では一人暮らしだった……まさか。
「いや、まってください。いくら、家族とは離れ離れで暮らしていても外国で暮らす息子のことを気にかけない両親がどこにいますか? 家族関係は良好ではなかったのですか?」
「亡くなったんだよ。銃乱射事件の犠牲者として。アメリカではよくあることだね」
銃で両親が殺されたか……日本ではまず起きない。
「この空間は何処だと思う? 僕は肉体を離れた人間の意識のみが到達することができる空間だと思っている」
「肉体を離れた人間の意識だけが行ける……幽体離脱ってやつですか?」
「そういうことなのかな。どうやってそれを成し遂げたか? まず社会的に死んだ人間がここにいます。その人が自暴自棄になって、無気力のまま睡眠薬をやや過剰に服用して深い眠りにつく。その眠りの中である日、こんな夢を見る。眠りから覚めて起き上がる夢だ。
あぁーお腹減った、トイレに行きたいとなかなか抗うことのできない生理的欲求を満たすために。場所も自室だからここで、脳は錯覚する。もう自分は眠りから覚めていると。こうなったらどうなる? その夢の中で生活することになる!」
藤井さんがサイコパスな科学者になったみたいだ。これ以上、這って近づかないでくれ。
「夢の中の思い込み、錯覚を侮ってはいけない。夢の中で翼が生えて空を飛ぶと、空を飛ぶってこういうことか! と妙に感激する。風邪をひくと喉が痛くなる、
殴られるとその衝撃をくらったみたいになる。夢を見ていると人間の身体は全身麻酔にかかったように実体の感覚は失われて、新たな感覚が肉体と空の間に生まれるんだ。その感覚のままで脳がこれが正常だと判断してしまったら……その離脱は起きるってことだ。そして、僕は旅立つ! 新たな時空へ!」
これが演劇のワンシーンなら藤井さんの演技はアカデミー賞主演男優賞ものだ。こんな空想をここまでの迫真をもって語ることができているんだから。




