10
こっちは急いでいるのに——となったらお決まりのように足止めをくらってしまうのは人生の運命か。
テープを再生するためにはビデオカメラのバッテリーを充電しなければいけなかった。説明書は無いので……あったとしてもこの無数にある細かいボタンを前に操作は難航するのは必至だ。
ズボンのポケットに悠々と収まるスマホしか操作したことのない若者はこのデカ物を前に苦戦している。
ビデオカメラを持ち歩いて動画を撮影できるようになったのはつい最近だと水本さんは言っていたが、このサイズでも持ち運ぶのには適さないと思わずにはいられない。
「はい、テレビに接続完了、チャンネルもこれでいいんだな。あとはバッテリーの充電が終わるのを待つだけだが、四十分は充電したんだから一本のビデオを再生するくらいならもういいんじゃね?」
今回は川村に同意したいが、とっくに引退しているはずのビデオカメラを起動させようとしているんだ。四十分くらいでどこまで充電がされているのだろうか。
古くて、経年劣化しているだろうバッテリーだともう百パーセント充電されることはないし、減るのも早くなってくると聞くし……。
「じゃあバッテリー装填してみる? あとは作動してくれるかだけど」
動いてくれと念じながら僕はバッテリーを手にする。
「このビデオカメラ白色だから傷や汚れが目立ちそうなものだけど、それは少ないし手を挟むバンドもくたびれてない……。
三十年以上前に買った物でもずっとこの鞄の中にあって使用回数はそこまでじゃなかったみたい……故障していて再生できませんでしたって心配はなさそうかな」
「お次は保坂が探偵になったか」
「こんなの、探偵でなくても一目で分かるって」
僕は保坂さんからビデオカメラ本体をもらう。
「長年、使用された形跡がない。テープの出し入れも頻繁ではなかった、これでこのテープはリハーサル映像の原本だって説がますます濃厚になったわけだね」
……あれ、どうしたのだろう。シーンと静寂がこの場に……。
「言われてみればそうか」
毎度おなじみ川村がこの静寂を破ってくれた。
調子に乗ってこのビデオカメラの中にあるテープはリハーサル映像の原本だと断言してしまったが、不覚にもその確証なんてものはどこにもなかった。
これで、いざ再生してみたら別の映像だったなんて事になったら大恥だ。
その予防線を張ることに成功したものの……皆んなはそんな疑うこともなく僕の言葉を信じ切ってしまったというわけか。もう慌てん坊なんだから。
……さぁ、いよいよ再生される。緊張は最高潮だが、このテープにはリハーサル映像が録画されているのか? そっちの緊張が強くなっているかもしれない。
……サーという微かな音。再生されたと思われるが……。
画面は真っ暗であったが爽快な音楽が鳴る。よし、これは演劇公演の映像らしき開幕だ。
「真っ黒だけどもう映像の乱れがひでーな……なんか音楽が鳴っているみたいだけど、音割れて聴けたものじゃないし……」
十秒ほど経ったら音楽がフェードアウトして舞台、中央に照明が当たる。
そこには一人の女性が立っていた。距離からして舞台、真下にカメラがあって撮影しているのか。
台詞を喋り始めた……この人は安西未佐さんだ!
安西さんが右に移動しながら長台詞を喋っている……関西弁ではなく標準語で!
これなら関西出身だなんて思わせない。
「おっ、砂嵐がマシになった。……この女性が安西さんなんじゃね!?」
「この人が……アングル的には……お客さんが居るならこんな最前席の人からしてみれば鑑賞の妨げになる位置にカメラなんて設置しないはず……リハ映像だと思う」
右側には机とソファが三つありもう一人の女性がソファに腰を下ろしている。どうやらこの子は安西さん演じる役の幼少期らしい。安西さんの役が過去を回想しているシーンか。
「あっ、またひどくなったよー……」
そこへ左側から男性が登場……この人はあの、藤井さんだ!
「えっ、砂嵐どころか映像途切れた? また暗くなったけど……」
藤井さんとやり取りをしている子……台詞をめいっぱい明るく喋るだけに全体力を消費しているみたいだ。
技術的には発声と滑舌も微妙だ……それに比べて藤井さんは自然体で……自分の台詞なんかよりも相手に集中して、それに合わせようとしている……俳優としての実力差は歴然だ。
藤井さんが女の子に童話? を語りだした。
藤井さんにスポットライトが。ここからは藤井さんの独壇場か。
その語りを聞いていると、あれ涙が……なんでこんな冒頭のシーンで。
彼の透明な心という丸い小さな池。その聖水が僕の心に注がれて、僕は藤井さんと一体化してみたいだ。なんて楽園のような絵なんだろう。
そう、藤井さんの描く絵が僕にも共有されている……これが名演ってやつだ。
えっ! これって藤井さんの声が……僕の耳元で囁いてくれている……?
「そうだ。僕は君の耳元でこの台詞を喋っている。まだ覚えているもんだね。あまりにも懐かしい」
「……」
「おっ映像が戻った……けど、舞台上にはまた女性一人しかいない、だと……?」
「物語は進行しているみたいだね。照明は当たっていないけど、下手と上手にうっすら共演者がいる……あっ、上手側がまたブレて……もしかしてこれ、この女性主人公……安西さん以外は映らないようになっている……?」
藤井さんが倒れた。この役は病気を患っているのか。女の子が金切り声を。そこへ看護師が駆けつける。左のベッドへ運ばれた。
そしてまた安西さんが喋る。
「僕を見つけてくれてありがとう。これで、僕はまたこっちの時空へ意識だけでも帰還できた」
画面の中にいるはずの人が僕の背後に居た。甘い声でまた囁く。




