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「安西未佐さん……どうしてその娘の名前を?」
サーッと血の気がひいたような水本さん。これは安西さんは諸々訳ありだってことを知っているゆえの反応か。
「なんでこの学校の文化祭から演劇という催し物が無くなったのか? その理由は本番前に安西未佐さんという生徒が事故死して中止になってしまったからだと伺いました。私達は安西未佐さんはどんな人物だったのかを知りたくて、演劇公演の映像はないのか探し始めたのです」
「そこまでのことを……どこからその情報を?」
「三年生の方から教えてもらいました。一年生が今年の文化祭で演劇公演を復活させようとしていると聞いてか」
「そんな、三年生だからって……」
これは……保坂さんは安西さんの幽霊が出たとされる事件は敢えて伏せているみたいだしその怪談が年々、学校関係者よりもオカルト好きの間で有名になってしまったということまで詳しくなさそうだな水本さんは。
「水本さんは安西未佐さんの演技を直接、観たことは、生前にお話したことはあるのでしょうか?」
「話したことはないけど、演技は拝見させてもらった。安西さんは天才女優だったよ」
安西さんは天才女優だった……当時を知る者から真っ先に出てくる言葉がそれか。
となると彼女は演劇界の至宝だった、そんな人物が高校生の年で亡くなってしまわれた。
「天才女優……やっぱりそうだったか。俺、この怪談を聞いた時から安西さんはどんな人だったんだろうって考えたけど、ただの演劇好き高校生だとは思えなかったんだよなー」
「川村!」
「えっ! なんでそんな怒るの?」
保坂さんが制止するように川村を叱る。
……そうか、水本さんからしてみれば怪談の事はこっちは知らない体で話を進めていたはずだ。
「……このかいだん……怪、談ということか。そうか、そういうことか。あんだけ大騒ぎだったしね。学校の怪談として語り継がれても不思議ではないか。大人達には気づかれないようにひっそりと出回っていたんだね」
そうなんだけど、そこからその怪談は外へ放たれて学校外に点在するオカルトマニアのような人の心を躍らせて、学校内ではその影は薄くなり……ネットから情報が逆輸入されている、こういう事もあるんだな。
「はい、その怪談は学校内に留まらず全国に広まってしまっているようです。これには触れないでおこうと思いましたが、こうなってしまったからには単刀直入にお尋ねします。あるんですよね? 安西さんが亡くなる前に、録画されたその年の公演リハーサル映像が……!」
保坂さんは腹をきめたようだ。獣が獲物を喰らおうとしているような圧。ご老体には耐えられないんじゃないか……。
「安西さんが亡くなる前に撮ったリハーサルの映像……はて、それは、あれは……どこへ?」
どうした? 急に水本さんがだらんと涎を垂らしてしまうようなだらしない面に。
「あ、あるんですよね? そのリハーサルの映像は録画されて、文化祭終了後に鑑賞された……?」
この堕落ぶりに保坂さんも首を傾げたくなっている。どうしてそんな理性を失ってしまわれたのか理解不能のようだ。
「そうだよ。観たはずだ。だからあんな大騒ぎになったんだから。それで、その後は? ……あぁー誰だったかな? はっ? ははっ。あれ、思い出せん。あれは、あれは……」
おかしい、これは明らかにおかしいぞ。ここまでの水本さんの性格とは全く別人になってしまったみたいだ。頭がやられてしまったと言うべきか?
「どうなされたのですか? 水本さん!」
頭を抱えてうずくまる水本さん。僕が呼びかけるも——
「そうだ、そうだ。誰だお前は? あともうちょっとだ、あともうちょっとで……」
うっ、なんだその悪魔のような赤い目の光は……あ、今度は僕が頭痛に……。
……君は誰だ?
履歴書に貼られる写真のような枠、そこに炙り出される男性。黒い底から浮上してきたみたいだ。
僕はその写真へ……潜り込むように……意識が、現実から切断されたみたいに……暗くなってしまった。
これは夢……?
この感覚はそれに近い。
ここは……学校の廊下だな。どこの階だろう。
「藤井君!」
溌剌とした女性の声が。それに、イントネーションが……関西弁みたいだな。
「安西さん。どうしたの?」
安西さんだと! この女性が?
……あぁ、なんて凛々しい顔立ちだ。それでいて、関西訛り……このギャップよ。
この二人はどういった……それにしても僕はこの、二人をどこから見ているのだろうか。男性の脇の下から見上げているような。
「昨日のビデオ私、自宅でも見てん。けど藤井君、第三幕から立ち方が藤井君になっとったで。右足を少し前に出す癖が出てる」
「うそ、本当に! それは大失敗だ。どうしてそうなったんだろう?」
……右足を少し前に出しながら立って何が悪いのか?
それが、この男性、藤井さんの癖?
……それでは役ではなくそれを演じている自分の素が出てしまっているってことか。
ダメ出しも天才女優という名に相応しいレベルの高さ。
それに君は何を言っているんだい? とチンプンカンプンにならず悔しがっていることから藤井さんも相当、レベルが高い俳優なんだろう。
これは天才同士の演劇談義か。
藤井さんも背が高くて、ロックバンドのベーシストをやっていそうなイケメンだ。
あっ、藤井さんは音楽じゃなくて演劇だった、失敬。
……人間、恋でも惹かれ合うのは似た者、同士か。はぁー。
どうやら二人でどこかへ移動を開始した。二人の背中が鉄壁のようだ。これが天才という高き壁か。
ここは視聴覚室! 我が演劇部の部室ではないか。
内装は変わっていない……が、液晶テレビではなく黒い四角い箱のようなテレビが台の上にある。
これがブラウン管テレビってやつか。
台の下には銀色の再生機があった。何を観るつもりだ?
そんなの、僕達、演劇部が求めていたあの映像に決まっているじゃないかと確信していた。それはこうして復習するように観られてたんだな。
あれ、でもビデオテープはビデオテープでも規格が異なり、一般に普及したプレイヤーでは再生できないんじゃなかったのか?
再生機の挿入口に難なく吸い込まれていくテープ……。
「ほら、ここ! このシーンはどうやった? 振り返れる?」
ここはどんな時間軸なんだ、いつの間にか例の改善するべき箇所が映し出されているようだぞ。
そう慌てるも、僕にはこの前からの斜めアングルから動かすことはできなかった。
二人の姿はよく見えるんだけどテレビ画面が悲しいほど見えない。音声も聴こえず。
この視点はどういう法則で決まっているのだろうか。
……この女性が安西未佐さんなら、その幽霊も怖がることなんてないんじゃないのかな。
あれ、その安西さんがもうこの世にはいない、文化祭での本番ステージに立つことなく……そう思っただけで目が潤んできた。なんでだろう。
辺りがボコボコと水泡でぼやけ暗転。僕は滝のように下へ流れる。
隣に安西さんが居なくなり藤井さんが……廃人のように錆びてしまっている。なんて変わり果ててしまったんだ。
そこへ訪問者が。この男性は誰だろう。
停止ボタンを押して再生機からビデオテープを取り出す男性。
それを……どこへ持っていくつもりだ。
「隣の部屋へしまっておくよ。まだ必要ならいつでも取りに来るといいけど、そろそろ……」
隣の部屋とは……。
僕は閃く。
こうして僕はエレベーターで上へ行くように夢から目を覚ます……。




