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学校の怪談なのにありきたりで抽象的ではなく、あまりにも細部まで設定されて描かれていた。
この乃戯高学園で三十年程前、文化祭の本番直前、演劇公演で主役を演じるはずだった女子生徒が交通事故で亡くなり、その幽霊が文化祭後に出現して三年生の生徒が多数、パニックになった……。
「あのー通し稽古の様子を録画したビデオを鑑賞した視聴覚室ってもしや……」
どうした川村。その、機械音声みたいだぞ。
「そこしかないと思う。この放送室のお隣……今年から私達、演劇部の部室」
この放送室からだと白いカーテンを開ければガラス越しに視聴覚室の中が覗ける。
逆に視聴覚室からだとこの放送室は窓がないので電気が消えているとよく中が見えない。
「ひぃ、マジかよ! よりによって今年から演劇部の部室になった部屋で起こっていたのかよ」
「咲ちゃん、その、安西未佐さんって名前……あの紙に……」
なんだ。相川さんはその亡くなった女子生徒の名前、安西未佐さんについて心当たりがある風だぞ。
「そうだね。あのメモに書かれた名前もそう読めるし、この一致は関係ないなんてことはなさそう。この怪談に関連するメモだったんだろうね」
「なんだよ、そのメモって」
「今週の月曜日に川村から放送室の鍵を渡されて、春と二人で放送室に入ったでしょう。あまり使われていない部屋だったし、軽くここも掃除した。
そこで見つけてしまったの。そこの棚には機材の説明書やディスク、テープ類もあれば関係のない本やファイルもあって、学校の歴史が感じられてつい漁っていたら……」
保坂さんがその棚へ。一冊の赤い本をパラパラと捲る。
「咲ちゃん、またあれ出すの……」
「こうなったら内緒にしておくわけにはいかないよ……あった、これ」
『生徒諸君へ。安西未佐さんはもうこの世にいません。見たとしたらそれはあなたの見間違いです、
幻覚です。そう強く言い聞かせ目を瞑り、また目を開ければ、ほら消えている。
それでもまだ見えるというのなら天井を見上げて深呼吸しましょう。頭がスッキリして落ち着くはずです。僕達は彼女の……』
(この後にも何か書きたげな鉛筆で書いたと思われる曲がった線があるが何の文字を書きたかったのかは不明)
薄い茶色に変色して、乱暴に破かれた痕のある紙切れ。これぞ達筆という字でその紙切れには書かれていた。
「なんだよ、これ!」
川村は負け犬みたいにきゃんきゃん吠えている。
「安西未佐……こんな綺麗な字だしそうとしか読めないね、これは」
いくら外面はでかくても陸の内面は蟻くらいになっているかもしれない。
「生徒諸君へ。安西未佐さんは、もうこの世に、いません……」
これ以上、僕は声に出して読む気になれなかった。
「このメモが放送室にあるってことは……当時の生徒か先生が校内放送でこう呼びかけたのかもね。
生徒諸君へ、なんて言葉から始まっているし。あっ僕達ってことは男性で、先生じゃなくて生徒か。
僕達っていかにも生徒っぽいもんね。筆跡からしても勉強できる生徒だったんだろうね。
そんな生徒がこんな行為に走るくらい当時は大混乱だったのかな……」
「なに、その校内放送、怖すぎでしょ。その、咲ちゃんもなんか怖くなっているよ」
「保坂、お前の豊かな想像力で俺達の恐怖はますます増大していると宣言しておく」
「ごめん、つい。こういうの読むと無意識に心理や背景を分析したくなるの。これも俳優の性ってやつだろうね」
一瞬でそこまで読解する保坂さんはやはり天才か。
「それに、このメモが挟んであった本……皆んな作品名くらいは聞いたことあるでしょ」
保坂さんはその赤い本の背表紙をこちらに向ける。
ロミオとジュリエット、シェイクスピア全集3……と刻まれていた。
「ロミオとジュリエット、あぁ、有名だな。俺、その映画、観たことある」
「恋愛もの悲劇の古典だよね」
「私、悲しいお話としか知らないけど、その名前は聞いたことある」
「僕も、相川さんと同じくらいの知識しか……」
「ロミオとジュリエット、福田恆存翻訳。新潮社が出版している。
福田恆存さん訳のシェイクスピア作品は新潮社から出版されていて、本屋に行けば簡単に購入できるけどロミオとジュリエットは別の翻訳者で刊行されているからこれ、福田さん訳が欲しい人にとっては喉から手が出るほど欲しい物だと思う」
「そうか」
川村のように四人もそうですかとしか言えないみたいな反応。
「こんな本が雑に放送室の棚にあるなんてさすが創設者さんが演劇好きなだけあるな。
しかも、これ初版本だから中古でも価値が分かっている神保町の古本屋とかに査定してもらえればそれなりの値段で買い取ってくれるかも。
かなり古い本なのに保存状態がすごくいいし。これは使用している紙や装丁が良質だからからかも……これなら図書室にある戯曲にはもっと貴重な本が置かれているんじゃないの」
演劇マニアの血がそうさせているのか、保坂さんは長々と品定めしている。
「それはいいとして……ロミオとジュリエットに挟まれていたこのメモ、これを書いたのは当時の男子生徒、この文章から読み取れる感情、ここから導かれるのは……この男性生徒は安西未佐さんに恋をしていたってところかな。どう、これで少しは怖くなくなったでしょ?」
……うん、そうかもしれない。いや、そうか?
「さすが保坂さんの読解力です。皆さん拍手。ところで、もう視聴覚室で部活動やるのが怖くなったのですけど、せめて部室変更させてもらうようにしません? なんならこの放送室に居るのも怖いです」
川村が土下座もいとわないように懇願している……。
「なに言っているの! 文化祭で全一年生に裏方作業を協力してもらって公演をやらせてもらえる可能性が高いんだよ。そんな幽霊が怖いからとか非科学的な理由で変更させてもらうのは心象悪いよ」
「そうは言ってもだな……」
「安西未佐さんを怖い幽霊だって思うのがいけないんだよ」
と僕も保坂さんのようにこのメモ書きに想いを寄せてみた。
「斉田君……」
「この世に大きな未練があって亡くなったとしても、安西未佐さんは恨みを残して亡くなったわけではないから恐れることはないんじゃないかな。
それどころか応援してくれるかもしれないじゃないか。またこの学校の文化祭に演劇が復活しようとしているんだから」
「その通りだよ。斉田君いいこと言う」
「これも何かの縁だし、こうなったら安西未佐さんのことをもっと知ってみようじゃないか。
どんな人物だったかを知ればその漠然とした恐怖も消えて無くなるよ。他人を知る、これ演技の基本でしょ。どうやら録画された映像があるみたいだし、ならそれを探し出して……」
こんな重苦しい空気の中でこんなにも饒舌になるなんて僕らしくないな。
けど、そう言わなくてはならない何かが僕の胸の中に息づいていた。
「いいね、それ! 曰くつきの映像だからこそ、それでなくても学校行事の活動記録を捨てるなんてことしていないはずだし。それに、斉田君の口から私が教えたことが出てくるなんて嬉しくなっちゃうな」
保坂さんの僕に対する好感度が爆上がりしたか、これは。
「その、映像を発掘しようってか……それで、安西さんの幽霊がまた出てきたらどうするんだよ」
「それで別の生徒が亡くなったとかはなかったみたいだし、大丈夫じゃないの? それに、幽霊を拝めるなんて経験、滅多にできるものじゃない……」
「もしかして保坂、楽しんでいる?」
「経験したことがないことを経験するのは俳優の成長には欠かせないことなの。
その中でも超レアな経験ができるかもしれないなら、楽しくならないはずないじゃない。
これ、みんなも覚えておいて。そのチャンスが巡ってきたら積極的に飛び込んで行ってほしい。これは俳優のみならず、根本的に人間としても成長できるチャンスなの」
やったことがないことに挑戦するのが人を最も成長させる、ってことだよな。
俳優になるとは人間としても成長すると同じだ——
保坂さんがこれだけ聡明で、人を惹きつけるのはこの心がけがあるからなんだろうな。
「咲ちゃん、こうなったらその映像を探すのはいいとして、安西未佐さんが映っている映像どこにありますか? って先生に聞くのはなんか気まずくならないかな」
「うん。私としても学校であった負の出来事を蒸し返すのはよろしくないと思っている。
ましてや以後、自粛ムードになって文化祭から演劇が無くなった原因だしね。
だったら過去に文化祭で行われた演劇公演の映像ありませんか? って聞けばいいじゃないのかな。
部活動の一環としても不自然なお願いじゃない。それで、保管場所だけ教えてもらったらあとはうちらで探すってなればその映像もついでに拝借できる」
「そうか。きっと歴代の公演も記録映像として録画されていてもおかしくないもんね。稽古も録画するくらいだし」
「なんだよ、陸も相川も乗り気なのかよ」
「川村、もうやるしかないよ。そんなに嫌なら川村はこの件では外れてもいいけど」
「斉田氏、俺はそれではい外れますって退散する性格じゃないのは分かっているだろう……」
女子生徒の事故死により本番が中止になってしまった年の稽古映像を発掘するか……こんなことをすることになるとは思いもよらなかった。
でも、この学校で演劇活動を、文化祭でまた演劇公演をするためにはその過程は踏むべきものだと思う。
あの日から止まってしまっていた時計の針を動かすためにも。




