愛想を振りまき夫を立てることが責務なら、そんな婚約は破棄させていただきます!
「本当にお前は愛想がなく可愛げもないな! それに比べてマリエッタなんて愛想がいいし、笑顔も可愛いんだ」
「そうですか」
グレイスは目の前の婚約者であるデヴィートへ感情のない返事をする。その様子を学院の生徒たちが興味深く囲んでいる。
「そんな可愛いマリエッタにお前は嫌がらせをしたんだな!」
「……は?」
(全く身に覚えがないのですが)
デヴィートが唐突に意味不明なことを言い出したので、首を傾げるグレイス。
「しらばっくれるなよグレイス! お前はマリエッタの教科書に落書きをしたり、彼女の悪口を院内で吹聴したり、あげく階段から突き落とそうとしたらしいな!」
「……………………」
呆然としながらデヴィートを見る。
「お前の悪事を晒したと言うのに動揺すらしないのだなお前は! 本当に可愛げもなく、卑劣な女だ!」
「うう……私……怖かった……」
「マリエッタ……」
デヴィートは泣きじゃくるマリエッタを優しく抱き寄せる。
(私は何を見せられているのでしょうか)
大きくため息をつきたいのだが、グレイスの表情はぴくりとも動かない。
「お前のような女と婚約関係とは甚だ虫唾が走る! そもそもこの婚約は両親が勝手に決めたもの。今まで両親の顔を立てていたが、もう我慢の限界だ! よって、この婚約は破棄させてもらう!!」
デヴィートは指をグレイスに向けて高らかに宣言する。周りを囲んでいる生徒たちは婚約破棄の現場を目の当たりにしてざわつく。
「承知いたしました」
「は?」
グレイスは真顔で同意したはずなのに、なぜかデヴィートが驚いている。
(だって別に私この人のこと、好きでもなければ何も思ったことなかったし)
以前からデヴィートはマリエッタとの仲を深めていることをグレイスは知っていた。
昔、両親が決めた婚約者であるデヴィートを紹介され、少しずつデヴィートを知っていけたらいいと思った時期もあった。
しかしデヴィートは誰に対しても横暴だったり、弱い者をいたぶって喜んだりと好感を持てる部分が何一つなかった。
グレイスへの態度も酷かった。使いっ走りのようなこともやらされたし、優しくされたこともなかった。
(そもそも教科書に落書きとか悪口を吹聴とか階段から突き落とすって……全部貴方からされたのだけれど)
マリエッタに対する今の話が嫌がらせという括りながら、今までデヴィートから嫌がらせを受けていたということになる。そしてグレイスはずっと無表情で耐えていた。勿論無言で耐えているのには理由がある。
昔デヴィートから言われたことだ。
『いいか。当然のことだが、妻は夫に愛想よく振る舞うんだ。そして夫を立てろ。俺を失望させるなよ』
そう言われ、グレイスは精一杯の努力をした。そもそも家格からして上位である伯爵のデヴィートへ婚約を解消するよう打診することはできなかった。
マリエッタと仲を深めていることも知っていた。しかし心は何も動かなかった。
「なるほど。あまりに驚きすぎて呆然としているのだな。だったらもう一つお前に教えてやろう」
デヴィートはマリエッタを抱く手に力を込める。マリエッタも嬉しそうだ。
「俺はマリエッタ・アーソリーと婚約する!」
デヴィートの高らかな声に周りがさらにざわつく。
「どうだ! グレイス!」
「左様でございますか」
「……本当に可愛げのない無表情女だな。……手続きはまた後日に」
心のこもっていないグレイスの返事に白けたのかデヴィートはマリエッタとその場を後にしたのだった。
デヴィートの婚約破棄宣言は学院で瞬く間に広がった。グレイスはマリエッタを虐め、婚約破棄されてもぴくりとも表情を変えない『無表情姫』と言われるようになった。
全てが捏造ばかりだが、グレイスは欠片も気にしていなかった。今日だって学院のベンチで堂々と本を読んでいる。
(落ち着きますね。私が人に嫌がらせをするやばい女だって噂もあって誰も私に近づきませんし、快適です)
ページを捲る時、何か白いものが視界を横切る。グレイスが目を向けると、どうやら授業で使うプリントがひらりと舞ってきたようだ。
「……………………」
グレイスはベンチから離れて落ちているプリントを手に取り、固まる。
(拾ってしまったけれど……これ、どうしましょうか)
立ち尽くしながらも周りを見渡す。そして一人の男子学生がキョロキョロと何かを探すように不自然な動きをしていた。
(きっとあの人ですよね……でも、嫌がらせをする無表情姫から物なんか渡されたくないでしょうし……)
それでも手の中の物を彼は探しているだろう。グレイスはゆっくり息を吸って歩き出す。
「すみません。こちら落ちていました」
「ああ、よかった。探していたんだ。貴女は……」
「グレイス・ガートナーと申します」
グレイスは礼を取る。
「私はオズウェル・ファントラスト。良ければ拾ってくれた礼をさせてくれ」
「いえ結構です。それでは」
グレイスは頭を下げて本が置きっぱなしになっているベンチへ戻る。そんな様子をオズウェルは静かに見ていた。
翌日もグレイスはベンチで昼食をとり、本を読んでいた。誰にも邪魔されず本を読めるこの時間をグレイスは気に入っていた。しかしこの平穏は終わってしまう。
「やあ、グレイス」
「……オズウェル様」
何しに来たのだろうとオズウェルを見ながら考える。
「隣、良いだろうか」
「……はい」
少しベンチの端に寄るとオズウェルは静かに座る。
(ベンチなら沢山あるのになんで隣に座るんだろう)
疑問に思いながらも口にすると面倒ごとになるような気がして、隣にいるオズウェルをいないものとして読書を続けようとするグレイス。
「何を読んでいるんだ?」
「……この国の歴史に関連した御伽話です」
「そちらは?」
ベンチの隅に積んである本に目を向けるオズウェル。
「これは……」
「?」
グレイスが不自然に言葉を切る。オズウェルが不思議そうに見る。
「同じようなお伽話です」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「あの」
「……ぷっ、はははは! 君、隠し事が苦手だろう」
楽しそうに笑うオズウェルにグレイスは眉を寄せる。
「本当は?」
(誤魔化しきれそうにありませんね)
「こういったものです」
グレイスが本を差し出す。
「西洋菓子大全」
オズウェルが本のタイトルを読み上げる。そしてすぐにグレイスを見る。
「普通の本じゃないか。隠す理由が分からないのだが」
「それは……」
黙りこくるグレイス。できればこのまま話が流れてほしいと思い、ちらりとオズウェルを見ると、オズウェルは静かにグレイスの答えを待っている。
ここまでくると正直に話すしかないだろう。
「それは……食い意地が張ってると思われる思ったからです……」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……はははっ!」
オズウェルは目を瞬かせると、すぐに意味を理解したのか爆笑する。
「そこまで笑わなくても!」
「悪いな。だが……ふっ」
オズウェルが笑う中、グレイスの顔が熱くなる。
(まだ笑ってます……)
火照った頬を両手で押さえながらオズウェルを睨むグレイス。
「何だ。そう言う顔もできるじゃないか。無表情姫か……噂は噂でしかないな」
オズウェルが何か小さな声で言ったが、グレイスはそれを聞き取れなかった。
「それで? グレイスのおすすめは何だ?」
オズウェルは本に目を向ける。
「そうですね。こちらのページのカヌレは甘すぎなくて良いかと。市井でも見た目が良く評判……はっ!」
グレイスが我に返り、恐る恐るオズウェルを見ると笑うことを我慢しているようで、ぷるぷる震えていた。
「それで? くくっ……続きは?」
「ないです」
ささっと本を集め、ベンチから勢いよく立つ。
「それでは、わたくしはこれにて」
軽く挨拶し、早足でその場を離れるグレイス。背後から笑い声が聞こえたが、無視することを心に決めた。
(これは戦略的撤退……戦略的撤退……)
自分に言い聞かせ、走り出すのだった。
翌日のお昼休みもベンチで済ませ、本を読んでいた。しかしグレイスの平和は続かない。
「やあ、グレイス」
「……………………」
(また来たのですか。このお方、暇なのでしょうか)
黙り込んだ後、グレイスは挨拶する。
「こんにちは、オズウェル様。こちらにはどういったご用事で?」
「勿論グレイスに会う為だ。駄目か?」
やっぱり暇なのかと目の前のオズウェルを見上げて心の中でため息を吐く。
「オズウェル様の貴重なお時間をわたくしめが頂戴してしまうのは恐縮ですので、わたくしに構わずお好きに過ごされてはいかがでしょうか」
「ああ。勿論俺は好きに過ごしているからな。隣、いいか?」
オズウェルはまた隣に座ろうとしているらしい。断る事は当然できず、グレイスは頷くことになる。
「わたくしと居てもお暇でしょう」
本に目を向けながら恐らく暇そうにしているであろうオズウェルに話しかける。
「そんな事ないさ。それに今日は貴女に渡したい物があるんだ」
「渡したい物?」
胡乱げな目をオズウェルに向けるグレイス。
「これだ」
オズウェルが差し出したのはひとつの紙袋。しかし紙袋に書いてあるロゴには覚えがある。
「これは……」
「ああ、昨日グレイスに教えてもらったカヌレだ。貴女と一緒に食べようと思ってな」
「……………………」
オズウェルがガサガサと紙袋からカヌレを取り出し、グレイスに渡してくる。
「あの、わたくしは結構です。誰か他の方に差し上げたらいかがでしょう」
昨日から目の前の男に平穏を乱されていると感じるグレイスは早々に拒絶して立ち去ろうとする。
「そうか。不要か。……それならば捨てるしかないか」
「捨てる!?」
「ああ。これは貴女と食べる為に持ってきた物だからな」
「お待ちください! いただきます!」
捨てるだなんてもったいないと無理やりカヌレをぶんどり、口に入れる。
「…………!」
ほのかな甘味が口いっぱいに広がる。美味しさに表情がゆるみそうになるのを必死に堪え、もぐもぐと食べる。勿論そんなグレイスを楽しそうに見つめているオズウェルの視線も気がづいているが、気づかないふりをするのだった。
このようにグレイスがベンチで本を読んで過ごす日々にすんなりとオズウェルが入り込むようになった。
(このお方、本当に暇なんですね)
追い払うのも労力を費やすと判断したグレイスは今日も諦めて本に目を向ける。オズウェルも珍しく本を持ってきたようで、足を組みながらも優雅に読書をしている。
(珍しい)
なんとなく静かにオズウェルを見るグレイス。
「なんだ?」
「あ……いえ……何の本を読んでいるか気になりまして」
「これは隣の国の歴史本だ。父の跡を継いで外交に携わることになるだろうからな」
ファントラスト公爵といえば、外交を担う国のトップ貴族だ。
「それにしても驚いたな」
「?」
「グレイスが私に興味を持ってくれただなんて」
「興味!?」
嬉しそうな様子のオズウェル相手にグレイスは動揺する。全くそんなつもりはなく、何となく聞いてみただけだからだ。
(これじゃ私が変態みたいじゃないですか)
「私に少しでも興味を持ってくれただなんて嬉しい」
「持ってません」
「ちなみに私の愛読書は」
「聞いてません」
「私の愛読書は『黒猫と怪盗ジェイク』だな」
「……!」
グレイスは目を見開く。
『黒猫と怪盗ジェイク』というお話はジェイクという男と、人の言葉を話せる黒猫が一緒に怪盗となり、不当に奪われた物を奪い返し、弱い者やあるべき場所へ返すお話だ。
「私もあのお話、大好きです! 最後、ジェイクの大切な物が奪われてそれを奪い返すところも良くて……!」
物語でジェイクも大切なものを奪われてしまう。それは価値のある物ではなく相棒の黒猫だ。ジェイクが大切にしていた物は目に見える物ではなく、黒猫との友情だったのだ。
「いつもクールで、でも大切なところは妥協しない。最後まで諦めないっていうところが……………………」
「……………………」
「……………………」
「? どうした? 続けないのか?」
オズウェルはニヤニヤしながらグレイスを眺めている。
(やってしまいました……つい好きな話だからってまた夢中になって熱弁してしまいました)
そろりとグレイスは視線を逸らす。
「し、失礼しました。お見苦しいところを」
「見苦しい?」
オズウェルは目を大きく開け、すぐに目を瞬かせる。
「いくら好きな本だとはいえ、夢中になって熱弁してしまいました」
「ふっ……そんなことか。謝る事はない。何より、好きな物を素直に好きと言う貴女を好ましく思うし、何より可愛らしかった」
「か、かわ!?」
笑うのを我慢しながらも、どこか優しくグレイスを見つめるオズウェルにどこか胸がざわついてしまう。また、可愛らしいだなんて異性に言われたこともなかった為、驚いてしまう。
「誰にでも出来ることではない」
どこか諦めたような顔をするオズウェル。
「オズウェル様は違うのですか?」
「そうだな。ファントラスト家を継ぐ為にはひとつの物に関心を強く寄せることは好ましくないからな」
確かに家を継ぐ者になるならば、公平な目線で物事を判断しなければならないのかもしれない。
「……誰かにそう言われたのですか?」
「そうではないが……」
「……………………」
グレイスは持っていた本をベンチに置き、雲ひとつない空を見上げる。
「昔、おばあ様からよく色々な本を読み聞かせてもらいました。それもあって、私は本が大好きです」
子どもの頃よく強請ったことを思い出す。
「この世界はくそったれなことが詰まっています」
「くそったれって」
オズウェルは可笑しそうに笑う。
しかしグレイスは本気だ。婚約破棄宣言をしたデヴィートだってくそったれのひとつだ。
「わたくしはここでちゃんと生きていける糧のひとつが本だと胸を張って言えます」
「グレイス……」
勿論本以外にもグレイスは家族も大切だ。生きて行く為の糧は多いに越した事はない。
「それに、多分私が本を好きにならなかったら見えている世界はもっと暗いものだったと思います」
「……………………」
「好きな事を無理に見つける必要はないですが、もしあるのなら、それでいてオズウェル様がわたくしの先ほどの言動を肯定してくださるのなら、たまには躊躇しないのも良いかもしれませんよ」
後ろから風が吹く。この時グレイスは自分がどのような表情で話しているのか気がつく事はなかった。
(私の平和なお昼休みはどこに)
数日後、デヴィートから突然呼び出され中庭へ赴くと、デヴィートだけではなく、マリエッタや取り巻きの学生が多くいた。
(本当に暇なようですね)
「さあグレイス! 今日! 俺は! 正式に! 婚約を! 破棄させてもらう!」
「そうですか」
「お前は本当に無表情だな! もっと落ち込んだり、惜しんだりできないのか!」
デヴィートはグレイスに文句をつける。しかしグレイスは欠片も心が動かなかった。デヴィート相手に何も感じないのはもう癖なのかもしれない。
「惜しんで欲しいのですか? デヴィート様」
「そんなわけないだろう! それと俺の名前を呼ぶな! 汚らわしい!」
「…………」
グレイスは無言でデヴィートと対峙する。デヴィートの隣にいたマリエッタはデヴィートの腕に自分の腕をまわす。
「デヴィート様! グレイス様は深く落ち込んでいるのですわ! そしてそれを表に出さないようにしている。だって、婚約破棄されてとても惨めだと思いますし!」
(この方は何を言っているのでしょうか。そんな気持ち、欠片もありませんが)
グレイスが遠い目をしている中、マリエッタの言葉で勢いを取り戻したのか、デヴィートは鼻息荒く宣言する。
「そうだなマリエッタ! さあグレイス! この書類にサインをしろ!」
「かしこまりました」
グレイスは書類を取りに行こうとデヴィートの元へ歩く。そしてそれを惨めなものでも見るように見下し、蔑む取り巻きたちが興味深く見ている。
(本当にくそったれですね。さて、お父様たちには何て説明しましょうか)
そんなことをぼんやりと考えながら書類を受け取る。近くに簡易的な台があり、サインをしてそれをデヴィートへ手渡す。
「皆の者、見たか! これで婚約解消だ!」
デヴィートは婚約解消の書類を持ち、見せびらかすように上へ突き出している。
周りは「これが婚約破棄か!」とか「こんなところで本当に婚約破棄が見られるなんて」とか「いい気味」とかそういった言葉でざわついている。デヴィートは気分が良さそうだ。
(用事も済んだし、もう帰ってもいいかしら)
この茶番をさっさと終わらせたく適当にこの場を去る理由を考えている時だった。
「グレイス、こんなところにいたのか」
「オズウェル様……」
「お前は……オズウェル・ファントラスト!?」
面倒な人が現れてげんなりとするグレイス。デヴィートはオズウェルの登場を驚いている。
「貴女がいつになってもベンチに来ないから心配した。ここで何をしているんだ?」
「何って「ここで正式な婚約破棄を行っていたのだ!」……とのことです」
グレイスの言葉を遮り、鼻高々に説明するデヴィート。オズウェルは「本当か?」と言ったので、グレイスは首を縦に振る。
「ファントラスト殿! こちらにはどういったご用事で? もしや俺とこの無表情女との婚約解消の瞬間を鑑賞されたかったのか!」
「それはぜひとも見たかったな。とても愉快だっただろう」
「そうだろうとも!」
デヴィートは満足気に話しているが、グレイスにはオズウェルがデヴィートを馬鹿にしているようにしか見えなかった。
「私はグレイスに用があったのだ。昼食はまだだろう? 早くベンチへ行こう」
さりげなく腰を抱き寄せられ、グレイスは眉根を寄せる。
「な!? ファントラスト殿! この女は無表情で可愛げもなく、あげくマリエッタを虐めた性悪女なのですよ!」
デヴィートの説明に付け加えてマリエッタが「怖かった」とぼやく。
「別にそれでも構わない。もう容赦をしなくていいと分かって今はとても気分がいい」
「……は?」
デヴィートは話が理解できていないようで首を傾げている。しかしそれはグレイスも同じだ。
グレイスも首を傾げる中、ゆっくりと手をオズウェルの手に掬われる。
「これでやっと、グレイスを口説ける」
「は!?」
グレイスは動揺して大きな声をあげてしまう。
「オズウェル様。寝ぼけていらっしゃるみたいですね。ここは現実。早くお目覚めになってください」
「ははっ。貴女は寝ぼけていると思っているのか。確かにグレイスを口説けるようになった今が夢なのかもしれないな。……だが」
掬われている手がゆっくりオズウェルの口元に寄せられて、軽く手の甲に口づけられる。
「私は本気だ」
「…………!」
グレイスは驚き、目をまんまるくする。
「オズウェル様! もしや婚約者を探して……? そんな無表情女より私の方が! 生憎婚約者はいませんし!」
「マリエッタ!?」
マリエッタがなぜか手のひらを返す。それをオズウェルが乾いた笑みで一蹴する。
「はっ。無表情女だと? 何を言っているんだ? これが」
頬をオズウェルの親指が優しく撫でる。その力加減にグレイスは顔が熱くなる。
「グレイスが無表情女だと、本気で言っているのか?」
「ちょっと、オズウェル様!」
挑発するように言っているオズウェルの制服の腕の裾部分を軽く引っ張るグレイス。
「何を世迷言を仰っているのですか」
「世迷言ではない。私は本気だ。グレイスといると楽しいし、世界が少し、明るく見える」
「……オズウェル様」
オズウェルの真剣な様子にグレイスは目を見開く。一方デヴィートは慌てた様子でグレイスに声をかける。
「ぐ、グレイス! お前とファントラスト殿は一体どういう関係なんだ!」
「関係……ですか?」
グレイスは楽しそうにしているオズウェルを見てうーんと首を捻る。
(友達……ではありませんよね)
考えるのは一瞬だった。
「ただの知り合いです」
「そうだよな! そうに決まってる! ま、まさか! 俺との婚約期間中にファントラスト殿と親しくしてたのか! いや、お前みたいな女をファントラスト殿が気にいるはずがない」
なぜか自分で勝手に結論を作り、自分に言い聞かせるようにしているデヴィート。とりあえず誤解は正そうと口を開いた時だった。
「彼女と出会ったのは貴殿が婚約破棄宣言とやらを行った後だ。何も問題はないだろう。それに彼女とは話をしただけ。婚約者がいる令嬢に男は話すことも許されないのか?」
「いえ! 滅相もございません!!」
オズウェルはデヴィートを尋問するよう捲し立て、デヴィートは顔を青くして勢いに流され、肯定し頷くだけだ。ちなみに家格はオズウェルの方が上だ。
(ものすごい力技ですね)
グレイスは婚約期間中にオズウェルと仲を深めたというデヴィートの言葉を否定しようとしたが、これではわざわざ否定する必要はなさそうだ。
「それでいて、そちらのマリエッタ・アーソリー男爵令嬢と抱き合っていたのを私は見かけた。それも、グレイスとの婚約期間中に」
「な!?」
デヴィートの顔が真っ青になる。そしてグレイスたちを囲っていた取り巻きの生徒も驚き、疑うようにデヴィートを見ている。
「グレイスのことをとやかく言う前に、自身のことを顧みられたらどうだ」
「ひいいい!」
デヴィートは奇声をあげ、崩れ落ちる。オズウェルが来るまで威勢がよかったのにすごい変わりようだ。
「オズウェル様、違うのです! 抱き合っていたのはそうしないとデヴィート様が殴ると言ってきて……私は脅されていたのです……!」
「マリエッタ!?」
崩れ落ちているデヴィートの隣で泣いているように顔を両手で覆い、悲痛な声をあげるマリエッタ。隣でデヴィートは驚いている。
(本当に、何を見せられているのでしょうか)
マリエッタの手のひら返しに呆れるグレイス。茶番でしかない。
マリエッタは涙ぐむ目でオズウェルを見つめてからオズウェルのもとへ走ろうとする。
「すまないが、私は他人が近い距離にいることを好まない」
「は、はい」
マリエッタは足を止める。
(つまり、近寄るなってことですね。というか、私とはこんなに距離が近いのだからその言い訳は有効なのでしょうか)
「マリエッタ・アーソリー男爵令嬢。貴女はグレイスから虐めを受けていたと聞いたが、それは真実か?」
「はい! 本当に怖かった……」
マリエッタは溢れる涙を指で拭っている。
「具体的にはどのような?」
「階段を突き落とされたり、教科書に落書きされたり……」
「階段から突き落とした……か。それはさぞかし怖かっただろう」
「はい……」
「それで? それはいつの話だ?」
「え? それは……」
「なんだ。そんな怖い目にあったと言うのにいつだったのかも覚えていないのか」
「えっと……えっと……そう! 一週間前のお休み空けです」
焦ったようにマリエッタが言葉を紡ぐ。
「その言葉に嘘偽りはないな」
「はい……!」
「グレイス」
デヴィートとマリエッタに話していたオズウェルが急にグレイスに話しかけた為、グレイスは驚く。そしてグレイスに話しかける時だけ声のやわらかさが違っていた。
「一週間前の休み明け、貴女はどこにいたんだ?」
「どこって……家ですが」
「は?」
マリエッタの声のトーンが変わる。
「その言葉に嘘偽りはないな」
「ええ。だって私、休み中に風邪をひいてしまい、休み明けはずっと寝込んでいましたもの」
それこそ、回復して学院へ戻った当日にデヴィートからの婚約破棄宣言を受けたのだ。迷惑でしかない。
「な!?」
マリエッタが小さな悲鳴みたいな声をあげ、血相を変えている。デヴィートも顔を青くしている。
(知らなかったみたいですね。まあ婚約破棄宣言が初対面のようなものでしたし、無理もないかもしれませんが……それにしてもこの様子ではデヴィート様も知らなかったようですね。仮にも婚約者ですのに)
お見舞いの言葉の一つもなく、事実すら知らなかった元婚約者にグレイスは何も感じない。マリエッタは慌てて言葉を重ねる。
「ま、間違いましたわ! 休みに入る前の……」
「貴女は私に嘘偽りはないと誓った。その上で間違えたというのか」
「そ、それは……」
「グレイスの出席は後でいくらでも確認できるだろう。それと、落書きされた教科書は筆跡鑑定士にでも見せよう」
「!?」
今、ここにいる生徒はデヴィートとマリエッタを冷たい目線で睨んでいる。どう見てもマリエッタよりオズウェルの話の方が信ぴょう性があるからだ。
マリエッタは顔をさらに青くしてデヴィートに駆け寄る。
「デヴィート様! どうしてこんなことに! グレイスを陥れる為なら理由は何でもいいって! どうせ追求されることはないし、される空気は作らないって言っていたのに!」
デヴィートに泣きつくマリエッタ。しかしマリエッタの言葉はグレイスたちに筒抜けだ。あまりにもお粗末だ。
「さて、これで邪魔するものはなくなったな。さて、グレイス。お昼にしよう」
「……………………ぷっ……はははっ!」
グレイスは堪えきれずに笑ってしまう。満足気なオズウェルと反対にデヴィートとマリエッタはズタボロになっているからだ。
一方他の生徒はグレイスが笑っているのを見て驚いている。
「オズウェル様。もう少し手加減して差し上げたらいかがですか?」
「手加減? 必要ないだろう。それにしてもよくこんな奴の婚約者なんてやっていたな」
「そうですね。でも、デヴィー……じゃなかった。私はずっとバカ男には私ではなくマリエッタさんのような女性がとてもお似合いだと思っていました」
「バカ男!?」
デヴィートが大きな声を上げ、驚いている。デヴィートに反論することもなかったグレイスが初めて抗ったからだ。
(名前を呼ばれるのが汚らわしいと言われたから呼ばなかったのに、なぜこんなに驚かれるのでしょうか)
グレイスは不思議そうにデヴィートを見ながら続ける。
「そして、私は貴方に一つお礼を言わなければとずっと思っていたのです」
「れ、礼……だと?」
さらに顔色を悪くするデヴィート。
「貴方と婚約解消する日をずっと夢見ていたのです。ありがとうございます!」
「ひいいいいい!」
本当に嬉しく、笑みを浮かべて礼を述べるとデヴィートは奇声をあげて倒れ込む。
「トドメをさしたな。グレイス」
ぽんとグレイスの肩にオズウェルの手が乗る。
「ああ、そうそう」
オズウェルは顔を青くして倒れこんでいるデヴィートに目を向ける。
「グレイスを無表情だとか言って吹聴していたのは貴殿だったな」
オズウェルはグレイスの方を向き、優しくグレイスの頬に手を添える。
「っ!」
自然とオズウェルと目が合い、グレイスに向けた目がとても優しく、何を言ったらいいのか分からずひたすら顔に熱が集まる。
「こんなに表情豊かなのに」
オズウェルはゆっくりグレイスの頬から手を離すと、冷たい目をオズウェルに向ける。
「グレイスが無表情? 何を馬鹿げた事を。貴殿がグレイスをきちんと見ていなかった結果だろう。そもそも婚約者を笑顔にさせるのは俺たち男の誇らしい責務だろう」
「……!」
(トドメは私ではなく、オズウェル様なのでは……)
デヴィートはもう目すら合わせられないような状況だ。グレイスはオズウェルに目を向ける。
(こういう人に愛される女性はきっと幸せなのでしょうね)
ぼんやりとそんな事を考えながら周りを見渡すと、女子生徒が顔を赤らめてうっとりしていたり、赤い顔をして気絶していたりしている。
うっすら「オズウェル様……素敵すぎる……うう……」というような悶える声も聞こえてくる。
「さあ、こんなバカ男たちは置いて早く行こうか」
「オズウェル様?」
オズウェルは早くここから離れたい様子だ。お昼を食べずに待っていたのかと疑問に思ったが、ズタボロのデヴィートとマリエッタ。それにうっとりしている女子生徒をそのままにはしておけない。
何とか事態を収集したいと思ったが、オズウェルは何も気にしていないようだ。
「私はグレイスのことをもっと知りたい。貴女は私を知り合いだと言った。貴女なら他人という可能性もあったが……少なくとも少しは心を許されていると私は自負している」
「うっ……」
「貴女は私の黒猫になると、あの時思った。まあ本のジェイクと黒猫のような関係ではなく、異なった関係性だが」
『黒猫と怪盗ジェイク』のジェイクが一番大切にしているのが黒猫だ。つまり、オズウェルは今後グレイスがかけがえのないものになると断言しているようだ。
それでいて関係性が異なるというのは、友情ではなく恋情や愛情という意味だということをグレイスは何となく察する。
「私はバカ男から貴女を奪う怪盗なんだろうな」
「オズウェル様……」
「私はグレイスと一緒の時間を過ごしてみたいんだ。家のしがらみでどこか諦めていたが、グレイスがいればこのくそったれな世界が今は明るく見える」
「……!」
今の言葉はいつかグレイスがオズウェルに言った言葉だ。
そしてグレイスは好きなものを好きと言えなかったオズウェルが躊躇することをやめたと理解する。
躊躇しなくなった結果、デヴィートとマリエッタをボロ雑巾のようにズタボロに論破した上、グレイスの名誉も回復したのだ。この一件で本気になったオズウェルの有能さがあらわになるのだった。
「厄介ですね」
「素直な私は嫌か?」
「いえ。……そういうオズウェル様の今のご気分は?」
「そうだな……気分が良い」
どこか飄々としながらも言葉通りの表情をしているオズウェル。グレイスは小さく「そうですか」と微笑むのだった。
「そういえばこの前のカヌレのお礼にクッキーを焼いてきたのですが」
「グレイスが!?」
「ええ。ぜひ毒見を」
「俺はいくつかの毒に耐性があるからな。問題はない」
「……………………」
冗談で言ったつもりが、オズウェルの返答を聞いてどこか遠い目をするグレイス。
そんなグレイスとオズウェルは野次馬の存在を忘れて二人で楽しく会話をしていつものベンチへ足を進める。
今回の一件でデヴィートとマリエッタは学院の生徒から冷たい目で見られ、当然婚約することもなかった。顔を合わせては罵り合い、それが見せ物のようになった。そしてデヴィートとマリエッタの噂は、学院の外の社交界にも流れ、二人は肩身の狭い思いをすることとなる。
オズウェルとグレイスについては紳士的でありながらも楽しそうにするオズウェルと、様々な可愛らしい表情をするようになったグレイスを学院全員が公認で行く末を見守るのだった。
グレイスとオズウェルがお互いを知り、将来何を選ぶのかは、また別のお話。
読んでいただきありがとうございます!
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恋愛についてグレイスはポンコツなので、オズウェル頑張れ!




