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9 つかの間の幸せ


 崇詞はそれからというもの、朝昼晩と一緒に食卓を囲むようになった。


 彼の弟である六歳の聡詞はたいそう喜んでいて、昼間に静津の部屋で遊んでいるときも、事あるごとに兄のことを楽しそうに話している。


「ねえねえ静津。にぃさまは、かっこいいでしょう? 僕もああなりたいのです」

「このむちむちのほっぺを失うのは、国の損失のような気がしますが」

「……静津!」

「何をしなくとも、聡詞(さとし)様はお兄様そっくりの立派な男になってしまうんでしょうねえ」


 尊いふくふくほっぺをむにむに摘まんで愛でながら、感慨深げにそう呟く。

 すると、不満げな声を上げたばかりの尊い御子様は、サラサラの黒髪を揺らしながら、満足そうに「静津!」と声を上げた。


「さて、そろそろ行きましょうか」

「うん!」


 静津が腰を上げると、くりくりした赤色の瞳が愛らしい(わらべ)は、ぱあっと華やいだ笑みを浮かべながら後をついてきた。

 その向かう先は、台所である。


 手を繋いで静津と聡詞が廊下を歩き、台所に現れると、そこに居た侍女二人はにこりとほほ笑んで静津達を迎えてくれた。


「お待ちしておりました」

「材料は取り揃えておりますよ」

参瑚(さんご)さん、肆乃(しの)さん。どうもありがとう」

「どうもありがとう!」


 お礼を言える賢い六歳児に、女三人はにっこりとほほ笑む。

 わしゃわしゃと頭を撫でられながら、女三人にえらいえらいと褒められた本人も、ご満悦のようだ。村の子であれば恥ずかしいと嫌がりそうなものだが、聡詞は箱入りで、擦れたところのない素直な御子様なのである。


「今日は何を作るの?」

「稲荷寿司にしようと思うの」

「おいなりさん! 僕、おいなりさん大好き!」

「それはよかった。崇詞さんに喜んでもらえるよう、沢山作りましょうね」

「うん!」


 楽しそうな聡詞に、ふふっと笑いながら、静津は、台所の内庭にある井戸から汲んだ井戸水で、米を研ぎ始める。


 崇詞はこのところ、事務仕事はできるだけ少なく寄せて、体の鍛錬を主に行っているのだ。

 広い邸宅の内部に存在する稽古場に師範を呼び、剣術や柔術を学んでいる。


 そのため、生命を生み出す聖なる教本を読む以外にすることのない元飯炊き屋の静津は、麗しき旦那様である崇詞に毎日差し入れを行っているのだ。

 すると、それを見ていた聡詞が、「僕もやりたい!」と参戦してきたのである。


「おお、好いですよ聡詞様。お米がぱんぱんに詰まった、美味しそうなお稲荷さんです」

「ふふ。僕はね、ずっとおいなりさんのお米は少なすぎると思っていたんです」

「聡詞様、器用ですねえ。そんなに入れたら、参瑚(さんご)は御揚げさんを破ってしまいそうです」

「本当に。流石は聡詞様です」


 手放しに誉められた聡詞は、恥じらうように目を彷徨(さまよ)わせた後、へへっと嬉しそうにほほ笑んだ。


 美幼児がこんなことをしてはいけない。

 見かけた人類すべてに襲われてしまう。

 静津も、その肩に母と妹の今後が乗っていなければ、今すぐ襲い掛かって愛でてしまったことだろう。

 義姉とはいえ、それは合法なのだろうか。


「沢山出来ましたね」


 大皿にこれでもかと盛られた稲荷寿司に、四人は満足そうに頷く。


 (あたた)かいお茶と、一息に飲める(ぬる)めのお茶を用意したら、出陣である。


「あ、そうだ」


 出陣前に、大切なことを忘れていた。


「ほら、聡詞様。頑張った子へのご褒美です」


 静津は稲荷寿司を作る片手間で、こっそりとべっこう飴を作っていたのだ。

 つまようじに刺した琥珀色のそれを渡すと、聡詞は宝物を授けられたかのように、目をキラキラさせながらそれを受け取って、口に含む。


「あまい……」


 満たされた顔をしている六歳児に思わず女三人で笑いながら、べっこう飴を入れた袋も抱えつつ、四人は出陣した。


 稽古場の近くまで来ると、稽古場を走る男の足音が聞こえる。

 ダン!という物音と共に、「参った!」という男の声が聞こえてきて、それが知らない男の声だったので、聡詞の顔がパッと華やいだ。


「にぃさまが勝ったのかな!?」

「どうでしょうねえ」


 笑うばかりの静津に、聡詞はとたとたと音を立てて廊下を走り、稽古場の扉を開ける。

 そして、「にぃさますごいーーーー!」と喜色に満ちた声を上げながら、稽古場の中に居る兄に向って走って行ったので、おそらく試合形式の稽古で、崇詞が師範(しはん)を打ち倒したということなのだろう。


 稽古場の中に入ると、崇詞は床に膝をついて、走り寄ってきた幼い弟と歓談しているところであった。


「崇詞様、差し入れでございます」

「もうそのような時間だったか。……師範、休憩に致しませんか」

「そうですね、好い頃合いでしょう」


 師範と呼ばれた男が頷いたので、崇詞は静津の手から濡れた手拭いを受け取り、汗をぬぐった。

 そして、温めの茶を一気に飲み干したので、静津はお代わりの茶を渡す。

 そのお代わりの茶も、彼は一気に飲み干していた。

 どうやら相当根を詰めて稽古をしていたらしい。


 それはそれとして、静津はこの世の不条理を感じていた。


 稽古着の首元を緩め、汗をぬぐっているだけなのに、色香(いろか)(ほとば)っている。

 彼がごくごくと茶を飲む度に喉ぼとけが動いて、白い肌に滴る汗と相まって、なんとも目に毒だ。

 美人は何をしても絵になる。

 静津が同じことをしても、このようなことにはならないであろう。

 この世はあまりにも不条理で、理不尽だ。


 稽古場の向かいにある休憩所に移動し、皆で座卓を囲みながら稲荷寿司をつついていると、家令の善治(ぜんじ)がそこにやってきた。


「ちょうどいいところに来たな」

「そろそろおやつの時間だと思っていましたから」

「おやつの狙い撃ちをするとは、童心を忘れぬ男よ」


 崇詞がくつくつ笑いながら稲荷寿司を乗せた小皿を差し出すと、善治は嬉しそうに稲荷寿司を受け取り、空いている座布団に腰かけた。


「萩恒家の当主様におかれましては、たいそう根を詰めていらっしゃるようで」

「まあな。おかげで善治も忙しいだろう。悪いな」

「他に人手が居ませんからね。お気になさいませんよう」


 崇詞が鍛錬に集中するということは、家の仕事を一手に善治が引き受けるということだ。

 萩恒家は公爵の家なので、国の役人としての仕事も含め、やることは多い。

 (くま)の濃い目をこすりながら、稲荷寿司をほおばり、熱い茶を飲む善治に、六歳の聡詞が声をかける。


「善治にぃさま、すごく疲れてる?」

「そうですね。でも、聡詞様がねぎらってくださったら、きっと元気になります」

「!! あのね、そこのお稲荷さん、僕が作ったの。食べたらきっと、元気になるよ」

「……聡様が!?」

「うん。すごいでしょう。お米を一杯詰めたのに、破れなかったの!」


 目を丸くした善治は、胸を張る聡詞を見ながら、米がぱんぱんに入った稲荷寿司をさらに一つ手に取り、躊躇(ためら)うことなく頬張る。


「わあ、すごく美味しいです。聡詞様はなんでもできるのですね」

「ふふん。僕はすごいんだ」

「はい、本当に。……いや本当に、これは旨いな」


 善治が本当に美味しそうに稲荷寿司を食べるので、胸を張っていた聡詞は段々と照れくさくなったのか、参瑚(さんご)の服の後ろに隠れてしまった。

 私達の可愛い聡詞様は、慎ましやかなのである。

 あまりの愛らしさに、その場から笑い声が上がる。


 崇詞も、笑っていた。

 楽しそうなその様子に、静津も思わず笑顔になる。



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