6 夫となった崇詞の心中
五年前の冬の日、萩恒崇詞は十五歳でこの萩恒公爵家の当主となった。
両親は亡くなり、残った家族は当時一歳の弟の聡詞だけである。
次に血が近いのは再従兄の善治で、彼とて当時二十三歳。
他に親戚は無く、善治の父である入婿の欣治が家のことに口出しするのを防ぐのは容易ではなかった。
何をするにつけ軽んじられる子どもの崇詞と、出しゃばる欣治。
間に入る善治がやり手でなければ、萩恒公爵家は何をせずとも潰れていたに違いない。
「なぜ邪魔をするのだ、善治!」
「父上。貴方がこの家を牛耳ったとて、貴方は狐の血を引かぬ者。他の公爵家は見向きもすまいよ」
「それでもお前はわしの息子か!!」
「そうだよ、俺が貴方の息子だ。貴方が支配したとて、全ては俺が継ぐ。……支配しなくとも、そうなりそうだ。だから意味のないことに労を割くなよ、親父」
呆れた様子の息子の言に、その父・欣治が真っ赤な顔をして帰っていく。
それがいつもの流れであった。
「……すみません、崇詞様。後半は本意ではありません」
「分かっている。ありがとう、善治」
頭を下げる善治に、崇詞は笑う。
崇詞は知っているのだ。
善治は本当は、萩恒公爵家の家督に関りたくないと思っていることを、知っている。
周囲から若造だと散々嫌味を言われながら、自分よりさらに若い崇詞と幼い聡詞のためだけに、家令として奔走してくれているのだ。
彼には本当はやりたいことがあって、それを我慢して、家令として崇詞に傍近く使えることを選んでくれたのである。
「そんな言い方はやめてください。どうせ身を立てることができぬ程度のものです」
崇詞が、萩恒公爵家を捨てていいのだと軍資金を渡そうとしたところ、善治は顔を真っ赤にして逃げていった。それから何度か、独り立ちしなくて大丈夫か尋ねてみたけれども、善治はそのたびに顔を赤くして震えていたので、そのことについては触れてはいけないのだと、崇詞はようやく気が付いた。
とにかく、善治の気遣いを有難く感じた崇詞は、常に学びを怠らず、当主として立てるよう、次に引き継ぐことができるよう、努力を続けてきた。
しかし、若い二人で回すにはあまりにも公爵家は大きく、その綻びは少しずつ大きくなっていく。
一番の悩みは、家の中に内通者が居ることだった。
今の五大公爵家は、正直、好い関係を築けているとは言い難い。
特に、萩恒公爵家は今でこそその数を減らしてしまっているが、火を司る家として、魔物退治や蛇退治に駆り出され、英雄として目立つことが多く、帝や民の覚えが好い家であった。
そのことに対する嫉妬、やっかみが、萩恒公爵家の周りに亀裂を生んでいく。
公爵家の情報を盗もうとする輩に対しては、偽の情報を掴ませるなどしながら対応していたけれども、終いには崇詞の留守を狙って幼い聡詞に接触しようとする者が現れたので、近年雇った使用人の多くに暇を出すことになってしまった。
そして、暇を出した使用人の多くは聡詞の身の回りの世話をするために雇った女手であったため、崇詞と善治は頭を抱えた。
なじみの使用人である爺やと婆やだけでは、幼子のお守りをするにはなんとも心もとない。
悩んでいたところで、母方の遠縁の親戚が四人の侍女候補を派遣してくれた。
なんと西洋の血を引く、水色の目をした二組の双子だ。
「他の公爵家の息はかかっておりませぬ」
「私どもは異国の血を引きますが故に、この国の貴族に嫌われております」
「西の国の息はかかっているかもしれませぬ」
「父はたいそう、私どものお土産話を楽しみにしておりますが故に」
彼女らの父親は、異国の料理人らしい。
両親連れ立っての旅を続けていて、彼女達の土産話を聞く以上に、色々な地の情報を落としては去っていくのだとか。
それを西の国の息と言う四人。なんとも面白い女子達である。
「なるほどな」
「どうなさいますか、公爵様」
「雇っていただけますか、公爵様」
「両親の老後資金を稼がねばなりませぬ、公爵様」
「私達の老後資金も稼がねばなりませぬ、公爵様」
「……そちらの父の土産話、私も楽しみにしよう」
思わず失笑した崇詞に、四人はきゃあきゃあと黄色い声を上げながら喜んでいた。
それからというもの、四人は好く働いた。
聡詞の傍に近づけるまでに、半年をかけたけれども、問題ないどころか、愛着が沸く程に好く働いてくれた。
聡詞も、入れ代わり立ち代わり同じ顔が動き回るその様子を見て、あっという間に四人になついた。
そうして日々を過ごし、崇詞が二十歳、聡詞が六歳になった在る日、お上から呼び出しを受けた。
「祭を、執り行う」
崇詞は愕然とした。
早すぎる。
祭を行うは萩恒公爵家の責務、しかし。
「何故でございますか」
「……公爵」
「早すぎます。まだ五年しか経っておりませぬ。前回の祭の折、このよう次の祭が早まらぬよう、対処なさると仰ったではありませぬか」
「――萩恒公爵! 貴様、主上に逆らうつもりか!」
「好い、左大臣」
「祭を行う責務は理解しております。我が家の誇りをかけて、怯むことはございません。しかし、このようなやり方が続けられぬことは分かっていたでしょう!」
「赤毛の女を見繕いたも」
は、と言葉を落とした崇詞に、帝の言葉を受けるように、左大臣が続ける。
「萩恒公爵は妻として、赤毛赤目の女を迎え入れよ」
「そんなことでなんとかなるとお思いか!」
「お主らが情けなくも力を失いつつあるが故に、このようなことになっておるのだぞ」
「それは我が萩恒家への侮辱だぞ、左大臣!!」
立ち上がる崇詞に、議の場に居る他の四大公爵家からも、異が唱えられる。
「己の不出来を主上に擦るとは、萩恒も地に落ちたものよ」
「それに比べて経毘沼の残した功績の大きいこと」
「国で一番の英雄が聞いて呆れる」
「この事態、皆が迷惑するのですよ。狐が頼りないばかりに、情けないこと」
「そういうことか」
ぎりりと歯を食いしばる崇詞に、「怖や怖や」と他家は口を閉ざす。
「全てを我が家に擦りつけ、そうして民に言い訳をするつもりか」
仁王立ちのまま、周囲を見渡す崇詞に、今度こそ誰も口を開かない。
「祭は行う。しかし、これがこの国最後の祭だ」
それだけ吐き捨てるように告げると、崇詞はその場を去った。
公爵であるとはいえ、たかだか二十歳の若造が、帝や他の公爵家の面々に対してする態度ではない。
しかし、誰もそれを咎めないし、崇詞も悪びれるつもりは一切ない。
彼らは崇詞をこれ以上諫めることはできないのだ。
崇詞が祭を行うと言った以上、崇詞に頭が上がる人間は一人たりとも存在しない。
こうして、崇詞は赤毛赤目の妻を娶ることとなった。
家に戻り、祭を行うこと、妻を娶ることを家人に伝えたところ、皆絶句していた。
新たに雇った侍女四人は首を傾げていたので、他言無用と口止めをした上で内情を伝えたところ、四人は声を上げて泣き出してしまった。
そして、崇詞個人としては急ぐ気はさらさらなかったけれども、周囲にとっては急を要することだ。萩恒公爵家の嫁候補は国を挙げて捜索が開始され、意外にも初手の捜索場所である帝都の近隣の村で、すぐさま女は見つかった。
静津という、十八歳の女子だ。
父を三年前に亡くし、母と妹を養うため、嫁入りすることになんら抵抗はないという話であった。
(赤毛赤目の女が、このように早々に見つかるとは。これも運命なのかもしれないな)
母の遺した赤い巾着袋を見つめながら、崇詞は失笑する。
『これを、貴方の――に渡して』
崇詞の人生はいつだって、周りに決められて作り上げられてきた。
当主になることも、祭を行うことも、その時期も、そして、誰と妻をするのかも、崇詞の意思が介在することはない。
(……それは人の在り方なのか)
婚儀の当日。
足取り重く、崇詞は夫婦の寝室へと向かう。
式は執り行わなかった。
そのような手間をかけるような内実ではないのだから、不要なものは要らないと思ったのだ。
婚姻状に拇印を押し、それを萩恒公爵家の奥に在る祭壇に祭り上げれば、婚姻は成立である。
ただし、夫婦となった男と女は、毎日その寝室を共にしなければならない。
でなければ、条件を満たさない。
(だが、そこまでだ。そこから先は、自由にはさせぬ)
それは崇詞の矜持によるものだった。
全てを決める権利を奪われた彼の、唯一の抵抗がそれだったのだ。
だから、夫婦の寝室に居る花嫁が、目隠しをされ、手を拘束されているのを見て、崇詞は脱力してしまった。
確かにこの状況は、崇詞の内実から出たものではなく、外圧によるものだ。
しかし、この外圧の犯人は誰か、さしもの崇詞にも分かっている。
(あいつらは、一体何をしているのだ……)
慣れ親しんだ家令と侍女の顔を思い浮かべながら、内心笑いをこらえつつ、「なんということをしているのだ」と呟きながら目隠しを外し、そして息を呑んだ。
美しい女だ。
整った顔立ちは確かに美しいが、そのくらいであれば、どこにでも居る。
そうではなく、どうにも――そう、人目を惹く――華のある女だ。
決して弱弱しい訳ではなく、手を出すことを一瞬ためらうような、強さのある炎のような、清廉で力強い美しさ。
「綺麗な人」
女の口から出た言葉に、崇詞は思わずムッとした。
美しいのはこの女の方だ。
それに、『綺麗』というのは、男である崇詞にとって誉め言葉ではない。
女に男を意識させたくて、崇詞が女のほうに手を伸ばすと、女は怯んだように少し身を引いた。そのことに満足しながら、崇詞は彼女の右頬に触れる。
白い肌は手に吸い付くようで、崇詞は女の顔をこちらに向かせながらも、気が高ぶって仕方がない。
崇詞は相手に気取られぬよう、胸の内を落ち着かせながら、この婚姻が形だけのものであることをなんとか伝え、部屋を出ようとした。
「貴方の、お名前は?」
どうやら、妻となる女は崇詞に多少なりとも興味があるらしい。
「崇詞」
迷った末に名を教えたのは、自分の意思によるものか、それとも惑わされてのことか。
その時の崇詞には、どうにも判別をつけることができなかった。