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5 秘密の狐の子


 それからというもの、静津はなんとか夫に接触しようと試みた。

 しかし、どの時間であっても、夫は静津を拒絶した。


 着飾ったり、逆にみすぼらしい恰好をしてみたり、食事を作ってみたり、卑猥な教本に従って全裸で風呂場に突入してみたりしたけれども、夫はつれなかった。

 いや、最後のは、真っ赤な顔をして悲鳴を上げていたような気もするが。


 どうやら本当に、夫は静津に何かを求めるつもりはなく、このままの状況を好しとして考えているらしい。


 ということはだ。


「このままでいいのかしら」


「「「「いけません!!!!」」」」


 呟きに返ってきた大音量に静津が驚いて顔を上げると、そこには八つの水色の瞳があって、静津は「ひぇっ」と声を上げてしまった。


「このままでは好くありません」

「絶対にいけません」

「早く夫婦として結ばれてください」

「せめてもの可能性を信じたいのです」


 必死の様子の侍女四人に、静津はためらうようにして質問する。


「あの、皆様は何故そんなにも焦っておられるのですか?」


 静津の言葉に、侍女達四人は静まり返る。

 ぽろりと言葉を落としたのは、肆乃(しの)だ。


(さい)がやってまいります」

「――肆乃(しの)!」


 その先は教えてもらうことはできなかった。

 侍女達が慌てて、四人とも撤収したからだ。


(さい)……?)


 しかし、聞き覚えのある言葉に、静津は思考の海に沈んでいた。


 (さい)と言えば確か五年前、静津が十三歳の頃に行われたことがあるはずだ。

 その時も、確か雪の降る季節のことであったように記憶している。


 街の人は国を挙げての祭りだと言い、屋台を出し火を焚いて、盛大に祝い事をしていた。

 当時、八歳年下の八重はまだ五歳で、ちょうど風邪をひいていた。そのため母はお守りで家に残り、生前の父と静津だけが祭りに出て、屋台で母と八重への土産を沢山買ったことを覚えている。


 ――父様、楽しいね!


 イカ焼き、たこ焼き、焼きそば、綿がしにりんご飴。

 沢山のお土産を抱えながらそう告げた静津に、しかし父・夏津八(かつや)は苦笑いをするばかりだった。


 多くの薪をくべられ、見たこともないほど大きく膨れ上がった炎は、祭りの中心で燃え盛り、暖かくて綺麗で、静津の目には特別なものに映った。

 けれども、それを見ていた父の赤色の目は、とても寂しそうだ。


 ――帰ろうか。


 だから、そう言って、宴も早々に(きびす)を返す父・夏津八に、静津は反対することができなかった。


 ――すまないな、静津。父さんは(さい)が嫌いなんだ。


 雪が降りしきる中、家路を辿りながら、父はそう呟いて立ち止まった。

 五年も前のその日の景色を、静津は今でも鮮明に覚えている。

 息も凍るような凍てついた空気の中、誰も居ない道の中で、怒りに震えるその肩に、静津はこれはきっと大切な話なのだと耳を澄ませた。


「お目出たいお祭りじゃないの?」

「名前こそ目出たいが、内実はそのような褒められたものではない」

「そうなの?」

「そうだ。そして、それを知る者は少ない。そして、数少ない狐の――を知る者は、それを止めやしない」


 いつも微笑んでいた父が、笑っていない。

 憎々し気に言い捨てるそれはきっと、父の心を傷つけたことがあるのだろう。


「誰か、あれを止めないといけない。けれども、きっと途絶えるまで止まらないのだろう」


 あの時、父はなんと言っていただろうか。

 大事なところが靄にかかったように思い出せない。


 中庭の美しい光景を見ながら、卑猥な小説を片手にうんうん唸っていると、ふと、「きゅん」という可愛らしい声が聞こえた。


 小さな小さな、お狐様だ。


 美しい中庭の中で、雪をかぶりながら、静津のことを見ている。


「あら。そんなところで、どうしたの?」

「きゅん」

「中に入りたいの?」

「きゅんきゅん」

「……ちょっとだけなら、いいかしら。汚さないって、約束してくれる?」

「きゅん!」


 嬉しそうに鳴く狐に、静津は迷いながらも、ガラガラと硝子でてきた引き戸を開く。


 猛烈な冷気と雪が入ってきて、「ふぁっ」と悲鳴を上げたところで、可愛い金色の子狐はするりと静津の足にまとわりついてきた。


「あら、懐こいのね」

「きゅん」


 すりすりと身を摺り寄せてくる狐に、静津は思わず微笑みながら、和室へを戻る。

 狐は当然のように静津の後をついてきて、腰を下ろした彼女の隣で丸まり、ぬくぬくと目を細めた。


 美しい毛並みの狐だ。

 どうにも野を駆けまわっているとは思えない清潔ぶりである。

 そして、人に慣れている。

 もしかして、萩恒(はぎつね)という名前だけあって、この家では狐を飼っているのだろうか。


「可愛いね」

「きゅん」

「勝手に入れたと知れたら怒られてしまうかもしれないから、この部屋だけだよ」

「きゅん……」

「落ち込まないの。そうだ、ここに来てからね、すごくいいものを頂いたの。一緒に温まりましょうか」

「……きゅん?」


 狐の足を手拭いで拭った静津は、四人の侍女から与えられたとっておきの道具を押し入れから取り出した。


 炬燵(こたつ)である!


 赤地に金色の模様が美しい炬燵布団――この家はどうやら赤色が本当に好きらしい――を机の上に広げ、天板を上にのせる。

 中に炎の魔石を仕込んだ行火(あんか)を仕込み、机の上にみかんと湯呑と卑猥な小説を数冊置いたら、炬燵(永久機関)の完成である。


「ほら、こっちにおいで」

「きゅん?」

「とっても暖かいのよ」


 静津がぬくぬくと温まっていると、狐は興味津々でその隣に忍び込んできた。


「きゅ、きゅーん……!!」


 想像以上に感動した様子のお狐様は、炬燵の中でぱたぱたと尻尾を振っている。


「ふふ。気に入ってくれてよかった」

「きゅん!」

「あ、そうだ。おトイレに行くときは、声をかけてね。ここには君のおトイレはないから、お外でしないとね」

「きゅん!?」

「ああでも、あの綺麗な中庭でそんなことをしてもいいのかしら」

「……きゅん!」

「あら、ご機嫌斜めなの?」

「きゅん! きゅん!」

「どうしたのかしら。まあいいわ。この暖かい炬燵の中でこれを見たら、きっと機嫌が直るもの……」


 静津が、もりっと音を立てながら蜜柑の皮を剥くと、狐の動きが止まった。

 その赤い瞳は蜜柑の実に注がれ、ゆっくりとそれを静津が自分の口元に持っていき、ぱくりと口に含むと、「きゅ、きゅーん……」としおらしい声が部屋に鳴り響く。


「どうだね。君も一つ、行ってみないかね」

「きゅむ!」

「うむ、好いぞ好いぞ。近う寄りなさい」


 静津が焦らすようにしながら、最終的に狐の口に蜜柑の実を放り込むと、狐は嬉しそうに蜜柑をぱくついていた。

 静津ももう一つ蜜柑を剥き、その実を一つほおばると、口の中に瑞々しい甘みが広がって、頬が蕩けそうになる。


「ここの家は、蜜柑も美味しいのよね」

「きゅん! きゅん!」

「でもねえ。とっても暇なの。恩義は沢山あるし、この家のみんなに何かしてあげられるといいのだけれど」

「きゅん?」

「元が飯炊き屋の静津さんだからね、ご飯を作るのも得意なの。でもね、食べてくれるのはあの四人だけで、旦那様は食べてくれないのよ」


 最近の静津は暇すぎて、毎日のように昼餉や夕餉を作っていた。

 最初は遠慮していた侍女四人であったが、静津の作る飯が、庶民的であるが故に脳に直接届くような旨さを誇っていたため、早々に白旗を上げた。

 朝餉はまだ奥様と侍女という体裁を保っているが、昼餉と夕餉はもはや五人で一緒に食卓を囲んでいる。

 昼ご飯を静津が作る日は、夜ご飯を侍女が作る。夜ご飯を静津が作る日は、昼ご飯を侍女が作る。そうして、お互いの料理で勉強しながら、切磋琢磨しているのだ。

 これにより、下町料理と高級貴族料理の技術を併せ持った最強の料理人五人衆が誕生しつつある。


「私達は一体どこを目指しているのかしらねぇ」

「きゅん?」


 狐の美しい毛並みを撫でながら、静津はうとうととまどろんでいく。


 くぁ、とあくびをした狐を見ながら、静津の意識はゆっくりと、暗闇に沈んでいった。



   ~✿~✿~✿~


 ふと、人の気配が近くに在る気がして、静津はゆっくりと目を開ける。


「!」


 間近に、くりくりとした赤色の宝石が在って、静津の起床になんだかワクワクしているような気配がする。

 しかし何度か目を瞬いた後、静津は眠かったのでそのまま目を閉じた。


「!?」


 驚いている気配がする。

 まあいい。

 静津は眠いのだ。すまないことだ。


「ね、寝ちゃうの……」


 なんだか幼い声だ。

 その哀れっぽい言葉に、ちょっと可哀そうになってきたので、静津は仕方なく起きることにする。


「!」


 静津が目をこすりながら起き上がると、そこには小さな旦那様が居た。

 あの美しい男が、大分若返ったような姿だ。

 年は六歳くらいだろうか。

 もちもちした幼さの残る頬がどうにも愛らしい。

 けれども、男の子なので心に強さを宿しているのであろう、キリリとしたつもりの顔でこちらを見つめている。


 周りを見渡したけれども、先ほどまで一緒に眠っていた狐はどこにもいない。

 あの子はうまく外に逃げたのだろうか。

 台所に行って侍女達に悲鳴を上げさせていたりしないといいのだけれども。


「こんにちは」

「こんにちは」


 お互いに深々と頭を下げると、そこには沈黙が落ちる。


「お姉さんは」

「はい」

「お客さんじゃないですね」

「そうですね」


 一応、この家のお嫁さんである。


「ここに、何をしに来たのですか」


 一応の体裁はお嫁さん、その真なる姿は何をするでもないただ飯食らいなのだ。

 なので何をしに来たと言われると、なんとも答えづらい。


「もしかして」

「はい」

「僕と、遊ぶためですか」

「うん?」

「僕と遊ぶために、御呼ばれしたのですか」


 よく見ると、その小さな手には、けん玉や縄跳びやカルタが握られている。

 これはその……。


「そうかもしれません」


 そう答えると、太陽のような笑みが返ってきて、美しい御子様の眩しい笑顔に、静津は目がつぶれるかと思った。


 そこからは、下町娘の技術を駆使して、死ぬほど遊び尽くした。

 静津は本当に暇だったので、本当に全力を尽くした。


「奥様。……その、人を見かけませんでしたか」


 今日は珍しいことに、何度も侍女達が静津の部屋にやってきて、そのように尋ねてきた。

 そして、尊いであろう謎の御子様は、侍女が来るたびに素早く押し入れに隠れるなどして、身を隠しながら発見されることを防いでいた。


 その忍びのような動きに、きっと彼はここに居ることがばれてはいけないのであろうと静津は察する。


 なるほど、遊ぶために御呼ばれしたと偽ったからには、静津も遊びぶために全力を尽くさねばなるまい。


参瑚(さんご)さん。人探しは結構ですが、私は淫らな長編小説を読んでいるので暫く外してください」

「とんでもない人払いの台詞ですね」


 淫らな長編小説をあてがった張本人である侍女達は、仕方がないとばかりに暫く部屋にはやってこなかった。


 これ幸いと、縄跳びで三重跳びを披露するなどして御子様と遊びつくした静津は、御子様の心からの笑顔を勝ち取り、「また来る!」という光栄な言葉を賜ることに成功した。


 大変満足して、てちてちと去って行く小さな後ろ姿。


 彼の名前は、萩恒(はぎつね)聡詞(さとし)

 御年六歳の、この家の当主の弟君らしい。



次から夫目線

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