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2 初夜の翌朝


 翌朝、身を起こすとそこは広い和室であった。


 新婚のように布団の下に赤い布が敷かれ、その上にふかふかの布団が置かれている。布団自体の模様も、赤地に金色の模様が美しく、手触りの良い布に覆われている。


 静津は、自分の体を覆っていたその高級寝具に改めて身震いする。


 この大日本国帝国では、一般の民は畳や藁の上で寝る。裸になり、その日着ていた着物を夜着(よぎ)として掛けて眠るのだ。

 静津の居た村には布団は存在せず、一帯を統治する男爵の邸宅にだけ、布団や寝台なるものが存在していた。

 それも、聞き伝手の情報であって、静津が直接目にした訳ではない。


 要するに、布団を使うことができるなど、彼女にとっては別世界の話で、しかも婚儀の日に自分一人で占領するように使ってしまうなど、喜びよりも恐ろしさが勝る事態であった。


「ん……」


(!?)


 ギョッと目を剥く静津が振り向くと、彼女の隣には男が寝ていた。


 ……男が寝ている!?


「…………」


 必死に自分の口を押え、叫ばないよう耐えたけれども、静津の目は隣ですやすやと眠りについている男に釘付けである。


 萩恒(はぎつね)崇詞(たかし)だ。


 昨日、静津の夫になった男。


(ちぎり)はしていないけれど)


 こういうときはどうしたらいいのだろう。

 旦那様(?)が起きるのを待った方がいいのか、それとも先に起きて身支度を行い、朝食の準備をして待っていた方がいいのか。


 考えた末、静津は起き上がって身支度をすることとした。


 彼女は日が昇ったら起き上がり、仕事をする生活をしてきたのだ。

 何もせずに布団の中でぬくぬくとしているのは、なんとも座りが悪い。


 そろそろと布団の中から起き上がり、近くに置いてある羽織に手を伸ばし、音を立てないように気を付けながら廊下に出た。


 思ったよりも暖かい。

 廊下には暖房器具などは設置されていないので、冬の寒さを貫くはずなのだが、不思議なことに、ここは心地よい温度が保たれている。


 そして、目に入ったのは、砂利が敷き詰められた、池の在る美しい庭園だ。

 (かけひ)から流れ落ちる水、ところどころ雪の積もったそれは、幻想的な美しさを演出している。


(こんなにも広くて、美しい中庭があるなんて)


 とても個人宅の中庭とは思えないそれに、ほうと静津は息を吐き、次いで、自分が廊下に居ながら中庭を眺めている事実に気が付いた。

 それを可能としているのは、透明な中庭の戸である。


(これ……もしかして、硝子(ガラス)……!?)


 西の国からやってきたという噂の代物なのではなかろうか。

 初めて見るその存在に、静津は暫く目を奪われる。


 温かいのは、この硝子のお陰なのだろうか。

 不思議に思って指で突いてみると、少し指紋が付いてしまって、慌てて静津は着物で硝子をぬぐった。


(硝子ってすごく冷たいのね。でも、廊下が暖かい。どういうことなのかしら)


 好く分からないと首を傾げながら、静津は廊下を進んでいく。


 広い家の中を暫く歩いていると、煮炊きの音がする方向があったので、そちらの方に進むことにした。

 案の定、台所に辿り着いた静津は、そこでせわしなく働く二人の侍女に目を瞬く。


 なんだか、同じ顔をしている気がする。


 静津は自分の目が悪くなったのかと、何度か目をこすったけれども、やはり同じ顔をしている。

 小さな村育ちなので、外界の人と接すること自体がほとんどなかった。

 もしかすると自分は人の見分けができないのだろうか。

 混乱しながら、そう考え始める静津に、最初に気が付いたのは、左側でくるくる動きながら仕事をしている侍女だった。


「!?」


「あ、あの……」

「!?」


 一人目がこちらを見て、ギョッとした顔をしたので、静津が声をかけると、二人目もギョッとした顔をしてこちらを見る。


 同じ顔である。


 混乱最中、鮭が焼ける好い音がして、三人でハッとし、慌てて魚焼き用のアミの上から鮭を取り出す。

 静津が差し出した皿の上に置かれた鮭は、無事にいい具合に焼きあがっていた。


「お手数を……」

「い、いえ」


「おはようございます」


 深々と三人でお辞儀をした後、二人は静津を凝視してくる。


 同じ顔で、である。


「あ、あの」

「どういうことなのでしょう」

「え?」


「何もなかったのですか?」

「……え?」


「それとも、体力無限大でいらっしゃるのですか」

「無限大!?」


「いえ、姉様。奥様の着物が乱れておりません」

「!!」


「頑なに拒まれた?」

「殿のお好みではなかった?」

「こんなに可愛らしいのに」

「お胸も大きいのに」


「あ、あの!」


 顔を赤くしている静津に、ハッとした二人の侍女は、頭を下げてくる。


「奥様、申し訳ございません」

「ぶしつけなことを申し上げました」

「い、いえ……」

「ですが、何がおありだったのですか?」

「いえ姉様、多分何もなかったのです」

「そうね、弐千果(にちか)。奥様、何故何もなかったのですか?」


 大きな水色の瞳で覗き込んでくる二人に、静津はごくりと息を呑む。


 何故何もなかったのか。

 そんなことは、静津の方が聞きたいくらいだ。


 そこに、襖がスターーーーン!と大きな音を立てて開いたので、静津はビクリと体を震わせた。


「どういうことだ」


 それは男だ。

 確か、萩恒(はぎつね)善治(ぜんじ)と名乗っていたはず。

 昨日の夜を迎える前に、注意事項をねちねちと静津に言い聞かせてきた男だ。

 その注意事項はほぼすべてが、『とにかく抱かれてこい』という一点に集約されるものであったのだが。


 崇詞(たかし)は昨晩、全ての采配は家令の善治(ぜんじ)が行うと言っていた。

 だから、昨日から延々と抱かれろ抱かれろと連呼していたこの男がこの家の家令なのだろう。


 それにしても、若い男だ。

 崇詞も十代後半か二十代前半と言った面立ちだったが、この善治なる男も若い。

 おそらく、三十路には届いていないであろう。


 家令というのは、家のことを全面的に任される貴族の家の柱ともいえる存在だ。

 故に、五十代の老人が担うことが多いと聞いていたが、どういうことなのだろう。


 ついでに、顔カタチも非常に好い男だ。

 萩恒公爵家の男は皆美人といった縛りでもあるのだろうか。


 いや、貴族は美しい妻を娶ることが多いので、代が続くにつれ目鼻立ちが良くなっていくものだ。

 だから、このように、美しい男や美しい女しか居ないというのは、自然なことなのかもしれない。


「お前、(とぎ)をしていないな!」


 今まで考えていたことを吹き飛ばすその質問に、静津の頭の中は真っ白になる。

 そんな静津に構わず、善治は静津に向かってきた。


崇詞(たかし)様に何を言われた。なんとしても事を成せと伝えておいたのに」

「は、はい……」

「あのお方には、お前の体が必要なのだ。少しでも可能性を上げるために、お前は身を賭してあのお方に尽くさねばならないと、言ったであろう!」


「……そのようなことだと思った」


 その場に居る全員が、ぎくりと身をこわばらせて、引き戸のほうを見る。


 そこには、昨晩あったばかりの、静津の夫が居た。


 萩恒(はぎつね)崇詞(たかし)だ。

 この広く大きな公爵家の若き当主。


「そのような采配までは要らぬと言ったであろう、善治」

「……ですが、崇詞(たかし)様!」

「狐の婚儀は形だけで好いのだ。内情は関係がない。それに、そのようなことにうつつを抜かしている暇もない」

「伽をせねば、形が足りぬ恐れもあるではありませんか!」

「どうやらそのようなことはないらしい」


 崇詞は右手を自身の胸元の前に差し出す。

 すると、彼のこげ茶色の瞳が緋色に輝き、差し出した手のひらから、緋色の炎が生まれ出た。


 萩恒(はぎつね)公爵家の者だけが有する異能の力だ。


 その美しさに、静津がほうと息を吐くと、それを見た崇詞は自嘲するようにほほ笑む


「そなたのお陰だ。感謝する」

「……もったいないお言葉でございます」

「そなた以外は喜んでいないみたいだがな」


 静津が振り向くと、侍女二人と善治は青い顔をしていた。

 やるせないような、悔しさと絶望が混ざったような表情だ。


 何かしてしまったのかと不安になる静津に、崇詞はほほ笑む。


「本当に、そなたの髪は赤いのだな」

「……は、はい……」

「目も赤い。狐神様の加護があることだろう」


 それだけ言うと、崇詞はその場を去っていった。


 誰もそれを引き留めなかった。



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