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17 天秤の白蛇


 経毘沼(へびぬま)公爵家の術師と謎の男が火花を散らす中、彼らの期待を一心に背負う崇詞は、意外にも冷静に戦いを見ていた。


(あと一息、足りぬ)


 祭を始めてから四半刻(しはんとき)が経過した。


 天秤の白蛇は聞いていたよりもずっと巨大であった。

 宝石箱から解放された蛇は怒りに満ちており、すぐさま崇詞を萩恒の男と判じて敵意を向けてきた。


 しかし、その技は伝え聞いていたとおりのものであった。


 その神力をふんだんに使い、宙に金属の刃を生じさせ、投げつけてくる。

 大蛇の大きな体を利用し、予想もつかない動きをしながら、その尻尾で殴りつけてくる。


 逆に言うと、それだけであった。


 それだけがとてつもなく強く、ただ人には対応しようもないのだが、崇詞には火の異能の力がある。

 そしてなにより、崇詞は戦いという分野において、秀でた才を持っていた。



   ~✿~✿~✿~


『ご子息の才は歴代で一、二を争うかもしれません』


 そのように両親に告げたのは、どの武術の師範であったか。


 萩恒の男は、戦いの男だ。

 七歳になると武術の稽古を始め、十二歳になると魔獣退治や心霊退治に駆り出され、十八歳を超え、妻を娶ると、(さい)に参加するようになる。

 炎を操り、敵を屠るその姿を見て、人々は男達を英雄と呼ぶようになる。

 尊敬され崇められる男達の後ろ姿、そして喜ぶ人々の笑顔を見て、子ども達もああなりたいと鍛錬を重ねるのだ。


 それ故に、萩恒公爵家には武術の使い手に関する人脈が広い。

 ありとあらゆる使い手が、かの萩恒の男達に自らの技術を仕込もうと集まるのだ。

 そして、男達が武勇を上げるたびに、使い手達の名誉に繋がる。

 故に、その結びつきは途絶えることなく、今日(こんにち)まで続いてきた。


 そして、崇詞は十二歳を超えた辺りから、その使い手達の誰に対しても、勝利を収めるようになった。

 炎が使えない間も、萩恒公爵家に伝わる火の呪術の掛けられた刀を用いて、魔獣退治や心霊退治に出ることもあったが、それも難なくこなすことができる程度のものであった。


『それは崇詞様だからですよ。此度(こたび)の心霊退治、本来であれば炎を使う萩恒の男が三人は必要です』


 呆れ顔でそう告げてきたのは、再従兄(はとこ)の善治だ。

 心霊退治は木を司る猿渡(さるわたり)公爵家の領分で、崇詞が出陣しなくとも、時を待てばそれは執り行われるものであった。

 しかし、崇詞は自分が行くのが一番早いと、出陣依頼に対して快諾し、あっという間に退治し終わってしまったのである。


『民が困っているのだ。早急に解決すべきであろう』

『流石は義を重んじる萩恒公爵家の嫡男でいらっしゃる』


 屈託なく笑っていた善治の顔を、崇詞は今でも覚えている。


(おそらく、あれは本質を突いている。俺はどこまでも、萩恒の男なのだろう)


 崇詞の中で、義を重んじることは自然なことなのだ。

 武を極めることも、人々の危機に駆けつけることも――『心』を重んじることが、体の芯にしみついている。


『それはとても好いことだ、崇詞。その生き方は、萩恒の男の力となる』


 亡き父の言葉が崇詞の脳裏をよぎる。


『お前はきっと、俺よりも強くなるだろう』


 そう言いながら、崇詞に全ての戦いの基礎を仕込んだのは、当の父であった。

 日々の鍛錬の中で、丁寧に次世代に知識を技術を伝えていく。


『祭は回を重ねる度に、厳しいものとなっている。しかし、戦いに赴く我らがやることは変わらない』



   ~✿~✿~✿~


 そう、やることは変わらないのだ。


 目の前に敵が現れると分かっているのであれば、それを受け入れる。

 体を鍛え、武器を用意し、己の中の選択肢を増やす。

 それだけでなく、事前に知っていることの利点を活かし――敵を分析する。


「子飼いの狐が……よくもそのように我の攻撃を避け続けるものだ!」


 苛立ちを隠さない白蛇は、諦めずに刃を生み出し、崇詞に向かって投げつけてくる。

 同時に崇詞の息の根を止めようと、尻尾を振るった。


 崇詞は蛇の尻尾を避けながら、蛇の体に上り、その体を大きく切りつける。

 蛇の悲鳴を聞きながら、投げられた刃に向かって炎を向かわせ、それをすべて床に叩き落とした。


 そのように、しようとした。


 しかし、そのうちの一本が、宙に浮かんだまま自然にない動きをして炎を避け、崇詞の死角から目にも留まらぬ速さで彼を射抜かんと襲い来るではないか。


「――萩恒の当主!」


 大聖堂の隅から悲鳴が上がり、白蛇がにやりと目を細める。


 しかし崇詞は、体を回転させながら、手に持っていた刀で難なく宙を走る刃を打ち落とし、その勢いで再度白蛇の体を切りつけ、跳ねるようにしてその場から距離を取る。


「投げるだけではないことは知っている」


 それだけ言うと、崇詞は改めて白蛇を見た。


 痛みに悲鳴を上げている天秤の白蛇。

 切りつけた傷が癒える代わりに、その大きさが少し小さくなっている。

 そして、黒くよどんだその瞳で、崇詞を憎々し気に睨みつけている。


 白蛇が何をできるのか。

 敵の手数。己の手数。何が有効で、何を避けるべきか。


 全てを念頭に置いて、崇詞は今日という日を迎えたのだ。


 この段階で、このような小手先の業で倒れることはない。


(しかし……)


 それでも、勝利までは程遠いと、崇詞自身が分かっている。


「小僧、分かっているぞ」


 尻尾による攻撃を避け続ける崇詞の耳に、白蛇の嗤い声が届く。


「段々と、炎が小さくなってきておる。そろそろ、限界が近かろう」


 崇詞は内心、歯噛みする。


 それは事実だった。


 崇詞は武に秀でているとはいえ、人である。

 走り続ければ息が上がるし、刀を振るい続ければ筋肉が痛む。


 分かっていても、敵の攻撃を避けられなくなる。


 そしてそれが来た瞬間、この祭は終わるのだ。


「ほれ、隙が出てきたぞ」


 金属の刃を自由自在に宙を動かす白蛇に、炎が追い付かなくなってきた。


 宙を駆ける刃は、狐の炎で叩き落さなければ、延々と崇詞を追ってくる。

 しかし、使う炎は最小限に抑えなければ、崇詞が床に膝をつくことになってしまう。


 そしてとうとう、一本の刃が崇詞の左腕を掠めた。


「……っ!」

「ようやく一本。ここまでくれば、あとは早い」


 ニタリと目を細める白蛇に、崇詞は真っすぐに向き合う。


 掠めただけの左腕が、焼けるように痛い。

 そしてしばらくすると、痛みすら感じなくなる。


 天秤の白蛇の振るう刃は、癒しの刃なのだ。


 細胞を分裂させ、傷を癒すそれは、過ぎると二度と戻らぬ傷を与える凶器となる。

 それを直すことができる者は天秤の白蛇以外にはなく、当然のことであるが、怒れる蛇神が与えた傷を治すことはない。


(仕方がない)


 崇詞は戦い方を変えることにした。


 刃をすべて追いかけるのは、体力の落ちた崇詞には難しい。

 しかしとにかく、崇詞の体に刃が触れなければいいのだ。


 崇詞は放たれる刃を追うことなく、自らの周りに炎を纏いながら、白き大蛇へと近づき、傷を与えていく。

 白蛇の悲鳴が響き、床を叩きながらのたうつ蛇の体を避けている最中、崇詞は白蛇の暗い瞳がぎらついたことに気が付いた。


 そして、宙に浮かぶ金属が狙う先が、己だけではないことに気が付いた。


「ひっ――」


 目を瞬く間もない刹那の瞬間の判断だった。


「――は、萩恒の、当主!」


 崇詞は地に膝をつく。


 全身の痛みに、声が出なかった。


 複数の切り傷、そして右腿と左腕に刺さったままの刃が、体を縛り、思うように動くことができない。


 白蛇の刃は、大聖堂の隅に居る、自身の神官である経毘沼(へびぬま)の術師達を狙っていた。

 祭る神からの攻撃を、神官が避けることはできない。


 だから、崇詞は迷うことなく、経毘沼(へびぬま)の術師達の周りに火を放った。

 彼らを狙う刃を叩き落とし――故に、崇詞自身に向かう刃への対応が、できなかったのだ。


「見るも無惨よのう、萩恒の小僧」


 声もなく痛みに耐える崇詞に、天秤の白蛇は間近により、上から見下ろしてくる。

 崇詞は眉根を寄せ、歯を食いしばり、立ち上がろうとするけれども、それは叶わなかった。


 金縛り。


 与えた傷を元に生き物を縛るそれは、金を司る蛇神の権能だ。

 この刃を抜かない限り、崇詞は刃を()()()()()()()()を出すことができない。


「義を軽んじる愚者を守り、死ぬか。義を重んじる狐の神官が、笑わせる」


 その声音は、どこか寂しさを含んでいるようにも聞こえた。


 崇詞は何を期待されていたのだろう。

 白蛇は、萩恒の男に何を期待していたのか。


 声だけは縛られていないことに気が付いた崇詞は、自身を(ほふ)ろうとする蛇神に対して問う。


「……自身の神官を(おとり)にするなど、最も義に反する行為ではないか」

「神を閉じ込め、利用することしか考えぬ者を、神官と言えようか」


 静かな言葉に、反論する者は居ない。


「愚者の作りし下らぬ仕組みも、これで終わりよ。……恨みと憎しみを、我が思い知らせてくれる……」


 恨みに塗れた声音に、崇詞はここまでかと、蛇を振り仰いだ。


 焦げ茶色の瞳に映るのは、白く大きな蛇神だ。

 崇詞の命を摘み取るべく、今まさに、刃を振るおうとしている。


 そして、暗黒に染まった瞳には、意外にも、崇詞に対する恨みは浮かんでいなかった。


 むしろ、ここで潰える崇詞の恨みも抱えていこうとする慈愛が、そこにはあった。


 いや、慈愛と言うのは違うのかもしれない。

 それを担うのは、狐の役目だ。



 目の前に顕現するは、天秤の白蛇。



 義を守る者に義を。


 利を与える者に利を。


 そして、全てのしわ寄せを一心に受けた崇詞に、平穏と、復讐を与えようとしているのだ。



 それはあまりにも公平で、平等で。





 その在り方を、慈しむことができたなら――。





「お待ちください」





 その瞬間、薔薇色の炎が舞い上がり、大聖堂の全てを包み込んだ。


 何かを燃やし尽くした後、すぐさまに立ち消えた炎の中心に立つのは、見覚えのある女子(おなご)だ。

 美しく長い赤髪(せきはつ)を揺らし、赤色の瞳で、崇詞と白蛇を真っすぐに見つめている。


 崇詞は何度も目を瞬き、自身の目に映るそれを疑ったけれども、見える光景は変わらず、彼女が本当にそこに居るのだと知った。

 そして、驚くべきは、崇詞の真上から、笑い声が上がったことだ。


「く――ははははは! お前、そこのお前、狐の小僧! やるではないか、どうしてどうして、これは面白い」


 白蛇の笑い声が大聖堂に響き渡る。


 その最中、開け放たれた扉から迷うことなく入ってきた女は、崇詞と白蛇の前まで近付くと、その膝を折り、白蛇に向かって頭を下げた。


「お初にお目にかかります、蛇神(へびがみ)様。――今代(こんだい)の狐の嫁、名を萩恒静津と申します」


 頭を下げたまま、崇詞の知る、崇詞の知らない、妻なる謎の女は、続きを告げた。


「この世における久方ぶりの、()()()()()()でございます。是非とも話を聞いていただけませんでしょうか」


 そうして、狐の嫁を名乗る不思議な女は、肝心の夫である崇詞を置いてけぼりにしたまま、話を進めていくのである。



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