15 走る狐の嫁
祭が行われるのは、夕方から夜にかけてのことだ。
帝国神社は日中、参拝を受け入れていて、ある程度人通りがある。
もちろん人払いはするけれども、人の立ち入る時間を避けるべきだというのが、これまでの祭の主催者の考えらしい。
既に日が沈み、道行く人が少なくなっていく中、静津達は萩恒家の豪奢な馬車に揺られながら、街道を急ぐ。
「もっと急げないかしら」
「これ以上は……」
「街道で出せる一番の速度を出していただいています」
「ちょっとお爺さん! もっと急いで!」
「早く! 早く! もっと早く!」
「お前さん達、無茶を言うなぁ」
急ぎたいという静津の言葉に、壱子と弐千果は難色を示し、参瑚と肆乃は御者の爺様を焚きつけている。
姉双子と妹双子で割と性格に差があるらしい。
ちなみに、静津と聡詞以外には見えていないと思うけれども、馬車の屋根の上には狐神達がひしめくように乗っていた。
彼らは面白そうな店や人が見えるたびにきゅんきゅん鳴くので、割とうるさい。
でも、それを言ったら多分狐達が泣いてしまいそうなので、静津は黙っている。
すると、困っている静津の気配を察したのか、聡詞は静津の耳に口を寄せて、「にぎやかでしょう」と秘め事を囁くようにそっと告げてきた。
「これが普通なのですか?」
「うん。きつねさん達、おしゃべりなの」
「なるほど」
これが数週間前に急に静かになったというのだから、聡詞はさぞかし不思議に思ったことだろう。
「奥様! 帝国神社が見えました!」
馬車の窓から外を覗いた弐千果が、声を上げた。
その声に、静津も聡詞も、馬車の窓から顔を出して外を見る。
塀に囲まれた広大な敷地を持つ神社だ。
築地塀と木々の奥に、雅な建物の屋根が見え隠れしている。
奥の一角に、帝国神社の北西にあると聞く五重塔が見えている。
そして、目の前に見えるのは、巨大な赤い鳥居から続く、木々に囲まれた石畳の内街道。
その奥に在る閉じられた門と、門兵達だ。
「こんなに厳重なの? 神社って、門扉はないものだと思っていたわ」
「帝国神社には在るのです」
「多くの宝物を祭り、建物自体も美しく、貴重なものなのです」
「夜陰に紛れて中で悪さをすることを防いでいるのです」
「あの門を通過しないと、中に入ることができませぬ」
中に入るには、門を通過しなければならない。
祭が行われている最中なのだから、当然、人払いの命は行き渡っていることだろう。
今この瞬間、この門を通過できるとされる存在は、一体何人だろうか。
(萩恒公爵家の馬車と、崇詞様の妻という立場で押すしかないか)
静津が考えをまとめきらないうちに、馬車は門の前まで辿り着いてしまう。
案の定、門兵達が馬車の扉の近くまで来て誰何してきたので、侍女の弐千果が馬車の窓を開け、萩恒公爵家の者であると返した。
「萩恒公爵家の者が何用か」
「中に居る我らが当主に届け物がございます」
「我らが渡してこよう」
「萩恒公爵家に伝わる貴重なものです。お家の外の方にお預けする訳にはまいりませぬ」
「では諦められよ。ここは明日の朝まで、何人たりとも通すことはできぬ」
「萩恒公爵の妻が来たと言ってもですか」
「……なおさら通す訳にはいかぬ。帝の勅命があるのだ」
萩恒公爵の妻という言葉にピクリと反応した門兵は、弐千果の言葉を嗤って退ける。
どうやら、萩恒公爵家に祭を行わせようとする者達は、崇詞の心を揺らがすものを排除するつもりのようだ。
弐千果が門兵の長と思しき者と窓越しに言い争っているけれども、門兵は嗤っていなすばかりで、馬車を通すつもりはないらしい。
(どうしよう。どうしたらいい? どうやったら、この門を抜けられる)
静津は歯噛みする。
中では既に祭が始まっているはずだ。
崇詞の命が危ない。
こちらの人手は、女と御者の爺様と六歳児だ。
強行しようにも、精悍な男性である門兵達を退けることができるとはとうてい思えない。
(狐火を使う……?)
焦りで、じっとりと手に汗が滲む。
静津の借りている狐火には、制約があるのだ。
この場を切り抜けるために、上手く使うことができるだろうか。
ただ、ここで躊躇っていては、静津は夫を失ってしまう。
やれることをすべてやらなければ。
「弐千果さん――」
静津が声を上げようとしたところで、肩に手を置く者がいた。
侍女の壱子である。
壱子は門兵と言い争っている弐千果を止めると、馬車の窓際へと場所を移った。
懐に手を忍ばせるその姿に、弐千果と参瑚、肆乃が息を呑む。
「なんだ、同じ顔? ……いや、何者だろうと、ここを通すなという帝の命令なのだ」
「これを見てもそのようなことが言えましょうか」
壱子が懐から取り出したのは、雅な印籠だ。
真っ赤な根付けに揺れる、長円筒形の美しい黒塗りの小箱。
その中心には、金で龍を模した家紋が描かれている。
この大日本帝国において、龍の家紋を持つ家は、ただ一つだけだ。
帝の――龍美家の家紋。
「な、何故! 何故、その家紋を――水色の瞳の――西の国の女が!」
「言わずもがな、我らがその所縁の者だからです。――中に用があります。今すぐここを通しなさい!」
壱子の言葉に、門兵の長は、動揺した様子で周りを見る。
しかし、長である彼に判断ができないことを、部下である彼らが判ずることができようか。
「ぬ、盗んだんだ。我らが高貴なる帝の一族から、大切な印籠を――」
「では、そなたが手に持ってみなさい」
言うが早いか、壱子が門兵の目の前に印籠を差し出してきたので、門兵の長は目を白黒させながら印籠に右手を伸ばした。
部下達から「兵長、いいんですか!?」「皇族の印籠を、俺達なんかが……」と声が上がる中、門兵の長の手が印籠に触れた瞬間、キィンという音と共に、その手は弾かれる。
悲鳴を上げながら右手を引いた門兵の長の瞳には、壱子の手の中に納まる印籠が映っていた。
紫色の結界に守られた印籠が。
「満足したか」
「あ、ああ……いえ、はい。あ、貴方様は……」
「皇族の印籠は、神々に守られし呪具。盗人ごときに触れられるものではないぞ、愚か者が!」
壱子の言葉に、真っ白な顔で呆然としている門兵の長の周りで、部下の門兵達が動き出した。
門の鍵を開け、馬車が通れるようにと端に身を寄せたのだ。
固まっている門兵の長は、部下達に引きずられるようにして端へと移動させられていく。
「ど、どうぞ、お入りください!」
周囲に居る門兵達からそう声が上がったので、静津達の馬車は遠慮なく中に進むこととした。
兵士達の視界から消えたところで、馬車の中で静津は息を吐いた。
「壱子さん」
「……隠していて申し訳ありませんでした、奥様」
頭を下げる壱子を見て、弐千果と参瑚と肆乃も頭を下げる。
静津は、どう反応したものやら分からず、固まっていた。
あの印籠を見る限り、どうやら彼女達は皇族らしい。
萩恒公爵家の嫁と、どちらが偉いのだろう。
頭を下げるべきは静津なのだろうか。
「私どもには、四大公爵家の息はかかっておりませぬ」
「帝の息も、かかっておりませぬ」
「私どもは西の国の料理人の娘でございます」
「ちょっと母が、大日本帝国の家出娘なだけでございます」
「出奔して行方不明中の帝の妹なだけでございます」
なにやら複雑な事情を抱えていそうな侍女達に、静津と聡詞は目を合わせる。
情報量が多すぎて、どう判断したらいいものやら。
「こんな事態だし、今までどおりでいいかしら?」
「「「「もちろんです!」」」」
パッと華やいだ顔をした侍女四人に、静津は頷いた。
静津の視界の中では、四人の周りには狐神達が寄り添っており、侍女達四人は悪くないと言わんばかりにきゅんきゅん鳴いている。
少なくとも、今日この場で、崇詞を助けようとする静津のことを後ろから刺してくることはないだろう。
ならば問題ない。
今この時、協力してくれるならば、静津は悪魔にだって魂を売ることができる。
「ありがとう」
ふわりとほほ笑んだ静津の言葉に、侍女達四人は何故か顔を赤くして俯いていた。
よくわからないけれども、今は些事に構っている場合ではない。
「奥様、侍女――様方? 内鳥居まで来たぞ。馬車で行けるのはここまでだぁ」
御者の爺様の声が聞こえて馬車が止まったので、静津達は馬車の中から急いで降りる。
帝国神社には鳥居が二つある。
巨大な外鳥居と、今居る場所にある小さな内鳥居だ。
内鳥居から続く石畳の先には、参拝用の社殿が見える。
その裏手まで走っていくと、大聖堂とそれを囲むようにした五つの棟があった。
祭が行われているのは、おそらく大聖堂だろう。
「奥様、大聖堂は社殿のどれかから中庭に入る必要があります!」
「火の狐神を祭る社殿から入りましょう」
侍女達と一緒に、周囲に居る狐神達がキュンキュン鳴きながら、五つの社殿のうちの一つに向かって走り出している。
彼女達の目指す先に在るのが、狐神を祭る社殿なのだろう。
聡詞を肆乃に任せ、壱子、弐千果、参瑚と共に、静津は足早に火の社殿に立ち入る。
下駄を手に持ち、足袋で中の廊下を走りながら、静津は不自然なほど人が居ないことに気が付く。
すると、同じことを思っていたらしい侍女の参瑚が口を開いた。
「社殿にはこんなにも人が居ないものなのですか、壱姉様」
「おそらく祭のための人払いよ、参瑚」
「門を通れる人は限られているから、中に人が居る方が面倒なのよ、参瑚」
まあ、人が居ないならそれでいいのだ。
好都合である。
息を切らしながら、美しく広い廊下を突き進むと、中庭にかけられた聖堂に続く渡り廊下に辿り着いた。
五つの社殿から渡された五本の廊下の中心にあるのは、大聖堂だ。
日が沈み、篝火の光で揺らめくそれは、噂どおり、金色に輝いていた。
広く大きく美しく、その輝きは世のすべてを包み込むような荘厳さに満ちている。
しかし、その景色を楽しむことなく、静津は視線の先に居る人物の名を呼んだ。
「――善治様!」
渡り廊下の先に居るのは、善治だ。
崇詞と共に、帝国神社に来ていた彼は、国一番の神事に参列するにふさわしいよう、雅な羽織袴に身を包んでいる。
大聖堂の大扉近くに控えていた彼は、走り寄って来る静津達を見て仰天した。
「ど、どういうことだ!? 何故、お前達がここに」
「崇詞様はどちらに!?」
「大聖堂の中だが……いや、待て。中では祭を行っているのだ、邪魔することはできない」
「これを見てもですか」
静津が狐神に目を走らせると、彼女の手のひらの中に薔薇色の炎が生まれる。
善治が息を呑んだところで、幼い声がかかった。
肆乃に手を引かれ、後からやってきた聡詞だ。
「善治にぃさま!」
「聡詞様!? 聡詞様までこんなところに」
「きつねさん達がね、静津がいないと、にぃさまがしんじゃうって言うの」
「き、狐……?」
「善治にぃさま、お願い。僕達を崇詞にぃさまのところへ連れて行って!」
真剣な様子の聡詞、そして周りを囲む静津達に、善治は動揺を隠さないまま、「無理なのだ」と呟く。
「大聖堂には、強力な封印の呪術がかけられているのだ。……経毘沼公爵家の秘術だ」
祭というのは、天秤の白蛇を封じている宝石箱を開けるだけではない。
その際が終わり次第、再び天秤の白蛇を宝石箱に封じなければならないのだ。
危惧される最悪の事態は、小箱から天秤の白蛇を逃がしてしまうことなのである。
世に出て自由に動き回る白蛇を捕まえるは容易ではない。
故に、祭を行う最中の大聖堂には、宝石箱と同等の封印の秘術が施されているのだ。
「この封印の術は、経毘沼公爵家の中でも精鋭の術師が複数人で施したものだ。解呪するには彼らの協力は必須、打ち破るには萩恒公爵家の火の力を要する。……崇詞様でなければ、無理だ」
歯噛みしながら俯く善治に、静津は赤色の瞳で、金色の大聖堂を見つめる。
確かに、大聖堂の扉にはいくつもの呪符が張り付けられ、建物自体を強固な牢とするための呪術がかけられている。暗くゆがんだ金の力が、そのように働いている。
扉に右手を当てると、静津の体が動かなくなる。
体を縛る金の力が、大聖堂に触れた静津の体をも縛ろうとしてくる。
心の臓の動きをも縛るその呪いに、静津は声を上げることもできない。
後ろから聡詞や侍女達の悲鳴が上がり、けれども、静津は動じなかった。
これでいいのだ。
金の力を制するのは、火の力。
そして、狐の嫁が授かる炎は、守るための力なのだから。
(崇詞様――)
静津はただ、夫の名を、心で呼ぶ。
右手から、薔薇色の炎が舞った。
あまりにも読まれないので心折れつつあります。°(°`ω´ °)°。
そういえば和風ファンタジーってこんな感じでしたね……。