表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/22

1 初めて会う夫との初夜


 静津(しづ)はその日、お国で一番の良い男と結婚することになったらしい。


「静かに。喋る必要はありません」

「かのお方の言うことをしっかり聞くのですよ」

「会話は不要です。ただ、申し付けられることだけをなさい」

「そなたに自由はありませぬ」


 白い服を着せられ、白い布で目隠しをされ、白い足袋を履き、白い紐で手首を縛られる。


 そうして静津は、そこまで運ばれてきた。


「何も考えてはなりませぬ」

「かのお方にあだなしてはなりませぬ」

「ただひたすら、真っすぐに従いなさい」

「身を賭して、お仕えするのです」


 紐を引き、前が見えぬ静津を誘導してきた侍女四人の声は、それを最後に聞こえなくなった。


 音もなく立ち去るのは、公爵家の侍女ならではのことなのだろう。


 座らされたその場所は、なんだかふかふかしているような気がする。

 もしかして、もしかしなくとも、布団の上ということなのか。


 静津はここにきて初めて、手が震えている自分に気が付いた。


 ここに何をしに来たのか、分からないほど、静津は幼くはない。

 けれども、ここに何をしに来たのか、受け入れられるほど、静津は大人ではなかった。


(きっと、逃げてはならねぇと死んだ父様(とうさま)も言ってるはず)


 彼女の肩には病気がちの母の命が乗り、彼女の(うしろ)には、いとけない妹の身柄が在る。

 村から連れてこられたその時から、静津の心は決まっている。

 だから、言うことを聞かない体の方がおかしいのだ。

 そうに違いにない。


 ――ガタン。


 唐突にふすまが開いた音がして、静津は音のした方を振り返る。

 目隠しをされているので、誰がそこに居るのか、その瞳に映すことは叶わない。


 しかし、静津の姿を見た相手が、息を呑むような気配が伝わってきた。


「なんということをしているのだ」


 若い男の声だ。

 少し低めの、耳に残るような、美しい声。


 それが聞こえたと思ったその次の瞬間、静津の瞳に光が差した。


 驚いて目を瞬いたけれども、想像よりも光は柔い。今が夜半で、室内の光源が灯楼だけだからだろう。

 ゆっくりをまつげを上げ、自分の前に居る男を振り仰ぐと、そこには膝を突いてこちらをまざまざと見つめている若い男が居た。


 顔の美しい男だ。


 臙脂(えんじ)色に金の刺繍を施された高貴な着物が良く似合っている。

 鼻筋が通っており、涼やかな目元、さらりと揺れる長い黒髪も美しい。


「綺麗な人」


 思わず呟くと、男は目を瞬き、次いでムッとしたような顔で、こちらに手を伸ばしてきた。

 少しのけぞってしまった静津に構うことなく、男は静津の右頬に手を寄せる。


「髪は本当に赤か」

「……日に透けたときだけです」

「ここでは良く見えぬな」

「……」

「瞳も赤か」

「自分では分かりませぬ」


 間近でじっくりと髪を瞳を見つめられ、見目の繊細さに反して無骨な手に触れられ、静津は避けてはならないと分かっていても、羞恥により目を逸らしてしまう。

 思わず縛られた手首を揺らしてしまい、紐がきしむその音で、男は静津の手元の様子に気が付いた。


「……馬鹿なことを」


 男は胸元から小刀を取り出すと、静津の手首の自由を奪う白い紐を断ち切る。

 そうして、その紐を床に捨て置くと、小刀を胸元に戻し、静津の目の前で胡坐をかいた。


「お前、名はなんという」

「……」

「俺を相手に、口が利けぬか」

「静津といいます」

「静津か。静津、お前はなんと言われてここに来た」

「高貴なる萩恒(はぎつね)公爵の妻に成るように、と」


 ため息を吐く男に、静津は内心焦りだす。

 ここでお役御免と言われる訳にはいかないのだ。

 静津に価値がないと言われてしまえば、母の命が。


「俺は妻を迎えたいと思っていない」

「……。然様、ですか……」

「だが、赤い髪、赤い瞳の女を妻にする必要がある。急を要することだそうだ」


 男はそれだけ言うと、自嘲するように嗤った。


 静津はそれを見て、不思議に思った。

 言葉の端から、自らの婚姻について、人に強要されて動いているそぶりが見える。

 男はこの国でも最上位の貴族――公爵その人であるというのに、一体どうしたことなのだろう。


 国の官僚も村の官僚も、赤みがかった髪、赤い瞳の若い女、できるだけ肌が白く、赤が映える女を探していた。萩恒公爵の嫁探しをするとの告知状が、近隣の村々に張り出されたのだ。

 そして、静津が手を上げ、選ばれた。

 静津をここまで連れてきた官僚の一人が言うには、静津が近隣で最も条件に合う女であったそうだ。


 ここまで国を挙げて嫁探しに動いておきながら、その中心に要る夫となるべき男の気持ちは置き去りになっているらしい。


 しかし、静津はここで質問を投げるような出しゃばりをするほど阿呆ではない。己の立場を、好く理解している。

 静かに口を閉ざしている静津に、男は満足そうに頷いた。


「故に、これは仮初(かりそめ)の婚儀とする」

「……仮初?」

「契約と言い替えても好い。お前は俺の妻となり、俺はお前を妻として扱う。けれども、内実は夫婦ではない。理解できるか」


 静津は五秒ほど固まった後、「はい」と短く答えた。


「俺と会話をする必要もない。すべての采配は、家令の善治が行う」

「はい」

「では、もう眠ると好い。俺も湯浴みの後で寝る」


 そう言って、男はその場で立ち上がった。

 あっと声が出てしまい、男は静津に向かって冷たく視線を投げる。


「何か用か」

「……公爵様。あの」

「早くしろ」

「貴方の、お名前は?」


 軽く目を見開いた男は、少し思案するように固まった後、くるりと踵を返して、広い部屋の中、襖へと向かってしまう。

 名前も教えてもらえないのかと、静津が目線を下げたところで、ぽつりと男の声が落ちた。


崇詞(たかし)


 静津は目線を上げると同時に襖の音がし、室内は静津一人になってしまう。


 暫くそうして呆けていたけれども、誰も部屋にやってこないので、静津はぱたりと布団の中に倒れこんだ。


 今まで寝たことがないふかふかの感触に、これも高価なのだろうなと、ひび割れの多いその手で布団を撫でる。


(思っていたのと、全然違うわ)


 夢見ていた結婚とは、全然違う。

 教えてもらった夫婦の夜とも、全然違う。

 覚悟していた身売り婚とも、なんだか違う気がする。


 緊張が解けたせいか、急に(まぶた)を重く感じつつ、静津は最後に聞いた男の声を思い出していた。


 ――萩恒(はぎつね)崇詞(たかし)


 どうやらそれが、静津の夫の名前らしい。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ