第1話 「タフなだけが取り柄なもんで」
とある農村から離れた森の中。
小鳥たちが囀り、木々が葉っぱを揺らす。
そんな穏やかな中で轟音が炸裂する。
音の発信源には幼い顔つきには見合わないたくましい体格を持った少年が斧を振りかぶり、目の前の自分の何倍もの大きさのある巨木に目掛けて振り下ろす。斧と木が衝突した直後、辺りに衝撃音が鳴り響く。木は深々と抉られており、そこに斧が突き刺さっていた。少年は斧を木から引き抜くと再び欠損部に向かって斧を振り下ろす。それを数回繰り返したところで木は自壊するかのように、ゆっくりと倒れ込んでしまった。
???「今日はこんなものか。」
少年は顔色ひとつ変えず、切り倒した巨木を細かく割っていき、いくつもの薪に変えてしまうと持って来ていた背負子に積んでいく。そうして全てを積み終えたところで背負子を背負い、村に帰ろうと一歩を踏み出した。
刹那。突如として殺気を感じる。そして背後からグルルルルと獣の唸り声が聞こえる。少年が振り返るとそこには隠れているつもりであろうがその巨体ゆえに草陰からはみ出している姿があった。少年を睨みつけ、鋭い歯を見せつけている。そしてゆっくりと少年に向かってにじり寄ってくる。赤黒い体毛に2.5メートル近くはあろうかという体調。そして血のように赤く染まった瞳。この森林に住まうレッドベアーと呼ばれている魔物であった。レッドベアーはその凶暴さゆえに村を襲っては人を食らうこともあるとされているほど恐ろしい魔物だ。そんなものが目の前にいると言うのに少年は恐怖を感じている様子はなく、冷淡に獣に向かって視線を飛ばす。相も変わらず、レッドベアーはこちらに近づいてくる。
???「さて、やるか。」
そう言うと背負っていた背負子をその場に下ろす。手には先ほど木を切っていた斧が握られていた。左足を前に出し、少し前屈みになる。そうして両者とも戦闘体制に入った。互いに距離を詰め合い、殺気を向ける。すると突然、レッドベアーが雄叫びをあげ、少年に向かって走り出す。それと同時、コンマ数秒にも満たない時間差で少年もレッドベアーに向かって走り出す。そして、両者の距離がゼロになったところでレッドベアーは巨体を少年に向かって突進させる。しかし、そこに少年の姿はもうなかった。
瞬間、獣の視界に映る。赤黒い液体が飛び散る。何が起こったのかはわからない。ただ何故か自身の体体力が抜けていくことだけがわかる。獣はその場に倒れ伏し、自身の血の海に溺れていく。そして目にする。目の前にはべっとりと血のついた斧を持った少年がそこに立っていた。斧を振って、血を払い落とす。そしてその瞬間、獣の首元が猛烈に焼けるほど熱くなる。そこで初めて、自分が切られたのだと知る。抗えない微睡を感じながら、獣は意識を閉ざしていくのであった。
???「レッドベアーか。今日の飯は熊鍋かな。」
少年は同様に獣の死体を解体する。毛皮,血肉と細かくなっていく。ある程度解体を終えると少年は分けられた肉と皮をできるだけ持ち、背負子を背負って、ようやく村へ帰るのであった。
少年の名はグランハルト。彼の実家は農家を営んでおり、父親母親ともに家業に勤しんでいる。グランハルトにはたまに手伝いをさせるのだが、手は足りているので基本的に彼は自由に過ごしている。しかし、彼は子供らしく友だちと遊ぶのではなく、いつも危険だから近づかないように言われている森の奥の方へ通っている。その理由がこれである。彼は力をつけるために体を鍛えたり、森に住まう魔物を狩ったりしている。それを何年も繰り返しているうちにレッドベアーのような凶暴な魔物でさえも倒せるようになっていた。しかし、何故かような少年がここまでの力をつけることができたのか。それは彼の生まれ持った忍耐力と耐久力のおかげであった。体が悲鳴をあげようとも限界が来て膝から崩れ落ちようともその度に何度も立ち上がり、その力をふるい続けた。そうして今、彼は村の誰にも負けない力を身につけた。
村に帰ると、何やら村の様子がやけに騒がしかった。そして村の入り口に人だかりができていた。見ると、村長が誰かと話しているようだ。近づいてみると、話し相手は高貴な衣装の男と女が鎧を身に纏った護衛らしき人物に守られていた。男はどうやらこの地の領主のようだ。領主はとても社交的であり、体裁も整っていると噂に聞く。実際に足を運んで領民の悩み事などを親身になって聞き、解決する。そのことから聖人と人々の間で称されているのだ。
しかし、騎士は分かるが男の隣の自分とそう変わらなさそうな少女の方は分からない。ひとまず、荷物を家に置こうと入り口に近く。
すると、
村長「ん?おー、グランハルトか。ちょっとこっちに来なさい。領主様のお見えだ。お前も挨拶なさい。」
村長がグランハルトの存在に気づき、彼を呼ぶ。このまま村に入らないのもどうかと思っていたので、グランハルトは村長の元もとへ行く。すると村長と話していた男や護衛の騎士,少女もこちらの方を向く。青い瞳を煌めかせ、青い長髪を靡かせる。少女はそこに立っていた。グランハルトと目が合う。彼は気づく。いや、彼だからこそ"それ"に気づいた。思わず身構えてしまう。少女が、少女の周りですらも青く染まっている。彼は未だかつて出会ったことのない強大な魔力の持ち主と相対している。レッドベアーもその他の魔物にも感じなかった恐怖が彼の体を強張らせた。
すると少女が少し後退り、周りの護衛が彼に武器を向ける。男は少女に近寄り、心配しているようだ。
そこで自分がいつの間にか彼らに向けて敵意を負けていることに気がつく。急いで、警戒を解くと何もなかったかのように彼らのもとに歩み寄るのであった。
少女はそれに気づくと、男に何かを話しかける。男は驚いた表情でこちらを見る。男は護衛たちに武器を下ろすように指示すると彼と同じように何もなかったかのように彼を迎える。村長は少し困惑していたが、彼がやってくるとはっと正気を取り戻し、話し始める。
村長「グランハルト。こちらは我らが領主デンゼルガ辺境伯だ。」
デンゼルガ辺境伯「こんにちはグランハルト君。村長の紹介通り、私はこの地の領主マクラス・デンゼルガというものだ。よろしく頼むよ。」
グランハルト「どうも。グランハルトと言います。」
デンゼルガ辺境伯「こっちは私の娘のティアナだ。さぁ、挨拶して。」
少女は少し怯えながらも挨拶をする。
ティアナ「私はデンゼルガ辺境伯の娘。ティアナ・デンゼルガよ。」
お互いの視線が交錯する。それは明らかに敵と対峙した時の目であった。互いが互いのことを警戒し合う。そんな緊張が辺りをつたう。するとデンゼルガが話し出す。
デンゼルガ辺境伯「先ほどはうちの護衛が失礼した。」
グランハルト「いいえ。こちらも急に森の中から出て来たものですから、怪しいのは当然かと。」
デンゼルガ辺境伯「それにしても君、もしかして魔力が見えているのかい?」
グランハルトはその質問に首を傾げることしかできなかった。魔力は誰にでも見えるはずだ。それがこの世界の普通である。なのに大人が食べ物の食べ方を知らないみたいに領主は聞く。グランハルトが困惑していることに気づいたのか領主は慌てて訂正する。
デンゼルガ辺境伯「あー、そう言う意味じゃなくてね。ティアナのことだよ。彼女の魔力が君には見えているのかな?」
グランハルト「どういうことですか?」
デンゼルガ辺境伯「娘は今、魔力を抑えているんだ。だから普通の人からすればそこらの人と何ら変わらないんだが、君はどうやらそうじゃないみたいだね。」
グランハルト「…。」
デンゼルガ辺境伯「君の目には娘はどう映っている?」
グランハルト「正直に言うと、化け物みたいですね。こんな強大な魔力みたこともありませんよ。」
そう言うと領主は笑う。
デンゼルガ辺境伯「ふはは。こちらからすれば君の方がよほど化け物じみているけどね。」
グランハルト「と言いますと?」
デンゼルガ辺境伯「それだよそれ。」
領主は彼の手に持つレッドベアーの毛皮と肉に指を差す。
デンゼルガ辺境伯「それはレッドベアーのものじゃないか?」
グランハルト「分かるのですね。」
デンゼルガ辺境伯「もちろん。ここらじゃ、かなり厄介な魔物だからね。被害の大きさは耳の痛いほどよく知っているよ。しかし、そんな魔物の肉や毛皮も持っていて、なおかつその服に着いた血。君は一体何者なんだい?」
そう領主が尋ねると、グランハルトはこう言う。
グランハルト「タフなだけが取り柄なただの男です。」
グランハルトは一礼すると自分の家に帰っていくのであった。領主は去り行く彼を見つめているとティアナが声をかける。
ティアナ「お父様。」
デンゼルガ辺境伯「どうしたんだいティアナ?」
ティアナ「彼からは底知れない力を感じます。もしかすると、彼がそうなんじゃないですか?」
デンゼルガ辺境伯「"勇者"…か。それは違うよ。」
ティアナ「どうしてそう思うのですか。」
デンゼルガ辺境伯「ティアナには言ってなかったけど勇者は既に誰か分かっているんだよ。しかも、彼は王都にいる。だから、彼が勇者じゃないことは明白なんだ。」
ティアナ「そうですか。」
デンゼルガ辺境伯「でも…」
そう言って領主は眉を寄せる。
デンゼルガ辺境伯「間違いなく、彼は化け物だよ。もっと時が過ぎれば、それこそ勇者に匹敵するほどになるかもね。」
村長「あの〜、領主様。」
デンゼルガ辺境伯「おっと、これは失礼をした。」
そう言って領主は村長の話に戻るのであった。