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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

作者: 鍋島五尺

私は私を愛していた。


輝く瞳は静かな海のようで、またすらりと通った鼻筋は凛としていた。薄い瞼に細い血管が小川のように透けていた。愛らしい小さな耳はすれ違う人々の目さえ引いた。頬は痩けるでも膨らむでもなく、可愛らしくそこにあった。背筋はまるで定規を当てたように真っ直ぐで、背丈は誰と並んでも私が映えるよう。脚も腕も細く、しかし深いエロスを感じさせた。肌は初雪のようにどこまでも白い。髪は黒く、艶やかであった。

何よりも特筆すべきは指だ。細く、長く、美しさを体現したような私の指。それぞれの指は均衡を保ち、お互いに引き立てあっているように見えた。爪は一寸の狂いもなく整えられ、この指でなぞれば全てが虜になる。私の指には虎さえ殺す艶かしさがあった。

私は、欠点の入り込む隙もなく、完璧であった。


それが全璧ではなくなってしまったことに気がついたのは今朝である。

喧しい振鈴で目を覚ました私は、いつものようにそれを止めようと机上の時計に手を伸ばした。何の変哲もない動作のはずであるはずが、どこか違和感がある。昨朝の景色とは明らかに違いがある。拭い去れない違和感がある。しかし、机の何処を凝視してもその原因が見つからない。おかしい。何かがおかしいのだ。私は先程の動作をもう一度繰り返してみた。寝台から身を起こす。身体を捻り、机の方へ手を伸ばす。その時、私は発見した。

それは、あるはずのないものだった。亀毛兎角とはまさにこの事である。右手、小指のまた少し右。それは、まるで自分の居場所は元来ここである、これは自然であるとでも言いたげに、継ぎ目もなく張り付いていた。それは“指“であった。あるわけもない、しかしそこにあるのは六本目の指であった。

次の衝撃は、その異形を現実のものか否か確かめようとした時に起こった。左手の”それ”である。ああ、人体の対称性を恨もう。これが本当に私の身体なのか、私の指なのか。右手のそれを掴んだ感触、掴まれた感触から確証した。この指は、少なからず神経系により私の脳髄へ確実に接続している。そして、これは現実だ。信じ難いことながら。私はその感触から、この奇妙な事実を信じざるを得なかった。

まず考えねばならないのはこの不可思議な事象が発生してしまった原因だ。これはどんな病なのだろうか。私はこれによく似た病を知っていた。多指病である。しかし、多指症は子宮内で指の発生に問題が起こってしまうことが原因で起こされる、先天性の病であるはずだ。それでは後天性の多指症とは。そんなものは私は知らぬ。そもそも、そのような病があったとしても発現は段階があるものだろう。一朝一夕で指が生えるなどといったふざけたことが起こるわけがない。しかし、そうやって頭を抱えても、存在するはずのない指は確かにそこにあるのだ。その指の存在を私の感覚器官は否定していないのだ。

だがそうしていても物事は進展しない。少なからずこの問題を解決しなくてはならないのだ。私は母にそれを伝えることにした。時刻は七時。母は既に起床し居間にいる筈だ。私は階段を駆け下り、この驚くべき事実を母に伝えた。しかし、母の反応は私が想像していたものには遠く及ばなかった。なんと彼女は、それがどうかしたのか、あなたは珍しく寝惚けているのかと私に言った。なんということだろう。愛娘の身体に重大な異変が起こっているというのに、気にもとめないのである。はじめ私はそう憤慨したが、すぐにその理由に気がついた。円卓を布巾で拭き上げるその手にも、その指が存在するのである。その指遣いから、それは自らが彼女の誕生から存在している事を主張していた。それを母は疑っていなかった。

受像機に映る男の原稿を持つ手にも、街を歩く人々の手にも、それは張り付いていた。そしてそれを誰も気に留めていない。学友も、教師も、誰もかもだ。私の指をどう思うかとそれを見せても、いつものように綺麗だと褒めるのみであった。おかしいのはこの珍妙な指ではなく私だというのか。私だけが狐憑きにでもあったというのか。この非常識な常識を認めろというのか。私の指にしっかりとへばりつくそれは、戸惑う私を見てにたにたと笑っているようであった。


私の美しさは汚された。

完璧であったはずの美しさを、この指が奪ってしまった。何よりも耐えられないのは、誰もがこの私を見て、未だ尚美しいと評価することだった。私の指は美しいと。この指さえもだ。この奇妙な指が私の一部であると、美しい私であると皆が認めることが、私には許せるはずもないことであった。私の身体は今や私の所有するそれとは異なるものにすり替えられたように感じた。

何という絶望、何という侮辱!全てはこの不快な笑みを浮かべる指のせいだ。しかし、何度それを見ても私の指のようであるのだ。その姿形も、その肌も、私のそれと相違無いのだ。ついに私は私を疑った。本当に指は五本であるべきなのだろうか、私は重大な思い違いをしているのではないだろうか。だがどうしても私は私を裏切れなかった。六本目の指など受け入れられるはずがないではないか。それが世界で私だけの非常識だとしても、私の指は私のものだ。誰にも侵されない私だけのものだ!


私がその指を切り落とす決断をするまで時間はそれほどかからなかった。私の私たる所以とはその美しさであったはずだ。私は私を取り戻さなくてはならない。だから、この忌まわしい指を排除することに何の躊躇もなかった。

その筋の方々は指の付け根にのみを当て、それを思い切り槌で叩くそうだ。我が家の家業は大工などではなく、当然のみも槌もありはしない。だが代用は効く。私は台所の包丁と父の所有する酒瓶をこっそりと盗み出し自室に籠った。猿ぐつわのように布を噛む。恐れが無いと言えば嘘だ。私は恐怖している。自身の一部を切り落とそうとしていてなお平気でいられる者など居るはずがない。私の唇は震えているようであった。そして私は恐怖のゆえに、この震えが自分からは最も離れた他人の体に起こっていることのように思えた。私の体を私が取り戻すための恐怖が、更に私の体を私から遠ざけていることに戦慄した。だからこそ、私はこの悍ましい指を即刻叩き落とさなくてはならないと再び確信した。刃先を指元に当て、柄に酒瓶を載せただけですぐにその白い皮膚は破けた。鋭い痛みが走る。肌に鮮血が流れる様は、まるで帆布に赤の水彩塗料を落としたようだった。どこまでも美しく憎らしい。酒瓶に力を込めると、刃は心地よいほどに沈み込んでいく。もう一息と、私は全体重を片の手に載せた。

意外なことだが、指を落とした後痛みは殆ど無かった。すぐに布で傷口を押さえたが、流れ出る血液は床に落ちぼたりと音を立てた。これで良かったのだろうか。いや、これで良いのだ。この手こそ私の手だ。この身体こそ私の身体だ。赤く濡れた両の手を見て安心した私は寝台へばたんと倒れ込んだ。

明朝、赤く染まった布団と枕を見て母親は酷く驚き、さらに私の手を見ると卒倒してしまった。父は仕事の予定を急遽取り止め、私を病院へ運んだ。なぜこのようなことをしたのかと問い詰められたが、私の言い分は意味不明だと突っぱねられてしまった。


私は美しさを取り戻した。

しかしそれは誰にも理解されなかった。私はもう誰にも美しいと言われなくなってしまった。少し寂しいような気もしたが、それでも私は満足であった。私は美しい。誰よりもだ。火を見るよりも明らかなことだ。何者にも侵されない美しさ。私はこの結果に心底満足していた。

だが、気がついてしまった。また目が覚めたとき、あの汚らわしい指が復活していたらどうする。またもや私の美しさを邪魔しようとする者が現れたら。またそれを排除すれば良いだろうか、否、その事自体を私は許容できるはずもない。絶対にそれをさせてはならない。私は私の美しさを金輪際守り通さなければならない。だから私は、私の身体をこの美しいままに留めておくことに決めた。後悔はない。私は満足している。私は美しいのだ。だから、これで良い。何も思い残すことはない。最後に一つお願いがある。私の身体をこのままにしておいてほしい。人形のように飾っていてほしい。この美しさを、私を理解してくれますように。


これを私の遺書とする。


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