第8話 魔王ギルの視点1
転生先の魔界で好きな色は一つもなかった。
闇と赤い月。墓場を彷彿とさせる漆黒の建物が並び、そこに生息する魔物や魔人たちは獰猛かつ好戦的だ。完全に弱肉強食の世界。
電気というエネルギーの代わりに魔力や、魔力を宿す鉱石が文明を支えている。魔界では魔導具を作るのに必要な鉱石がごろごろとあるので、この世界の人間社会よりも文明は発達している。もっとも二十一世紀に生きていた前世の文明を考えると、せいぜい十九世紀産業革命時代レベルだろうか。携帯端末がないとめちゃくちゃ不便!
知能の高い魔人もいるけれど、基本的に私利私欲のままに生きている連中ばかりで退屈だった。
そんな絶望の世界から抜け出して、今私はラベンダーの香りのする匂い袋入り抱き枕に、ふかふかのベッド、掛け布団にくるまりながら最高の朝を迎える。
念願だった天蓋付きベッド、レースは薔薇と猫の模様の上品な仕上がりで何度見ても惚れ惚れしてしまう。
誰にも咎められず、自分の趣味に理解者がいる。
この部屋の天蓋のレースやらカーテン、私の服も含めてエステルが作ってくれたオーダーメイドの逸品だ。着心地まで配慮された可愛くてエレガントなバスローブのまま風呂場へと向かう。
寝起きがあまりよくないので、朝はいつもお風呂に浸かって目を覚ます。シャワーでもいいかと思い一階に降りると、フリルの白いエプロン姿の少女がお風呂場から出てきた。赤い綺麗な髪に碧色の瞳、童顔で愛らしい姿に口元が自然と緩む。
私を見るなり、ニッコリと微笑んだ。朝から天使がいるわ。
「ギル、おはよう。お風呂なら湧いているよ」
「あら、沸かしてくれたの。嬉しいわ」
「えへへ。あ、それとミントの入浴剤を作ってみたから、あとで感想を教えてね」
「まあ、素敵だわ。ありがとうエステル、愛している」
ハグして頬にキスはスキンシップを図ったのだが、エステルは「もう、調子がいい」とか言いながら軽く抱き付いた。
キスの返しが可愛い。キスを返してくれてもいいのに。
恥ずかしがり屋なところも可愛い。あー、可愛すぎる。両手で顔を覆っていると心配そうに顔を覗きこんできて、私を萌え死にさせたいのかしら!
スキンシップへの抵抗は殆どない。
これはかなり早い段階でクリアできた。最終奥義「寝起きが悪いのよ」で通そうと思っていたのに、順応が早い。ちょっと心配になる私以外にもこんな風に異性とスキンシップしているのではないか──と。
しかし悪役令嬢で対象キャラ全員はもちろん、家族とも距離を置かれていた彼女の生い立ちから身近な相手はいない。
従者のイアン(フェリクス第二王子)はエステルを狙っていたようだけれど、ゲーム設定のキャラを知っているので、出会った当初から警戒していた。
結論、私だけに許された特権!
そんなことを考えつつ脱衣所へと向かった。
風呂場にはミントの爽やかな香りが満ちている。泡風呂で温度もちょうどいい。「朝から随分と贅沢だな」と吐息を漏らす。
穏やかで、窓の外は色鮮やかな青い空と悠々と流れる雲を眺めた。転生して魔界に居た頃は今のような生活など夢だと思っていた。
(昨日は家電製品を魔導具で作ったけれど、あと足りないものは……)
エステルとの同居生活で、いかに異性として意識してもらい──最終的に告白までのプランを早急に考える必要がある。
出会って早五年。
最初は同郷で似たような境遇。
理解者。
可愛い女の子から、目が離せない子に変わって、一生懸命で明るくていい子に気づけば友情から愛に変わっていた。けれど今の関係を崩したくなくて誤魔化して、おネエ口調で女友達って演じていたけれど──じゃないと、同居なんてあの子も承諾しなかっただろうし。まあ、これはこれで本音が言いやすいのはある。
今更「おネエ口調だけど、恋愛対象は異性なのよ」と爆弾発言を投下すべきか。このおネエキャラもギルフォードの設定だったが、前世ではMMORPGでおネエキャラを使っていたので、違和感などあまりなく口調も馴染んでいるという所からエステルに告げるべきか。
(でも同居開始数日で暴露は時期尚早かしら)
「魔王様、魔界の報告をしにまいりました」
部下の子犬が浴槽に現れた。名前はルベロ。黒い柴犬で愛くるしい外見なのは私の要望でもあった。
実際の姿だと三つ頭の化物で、外見が凶悪でどうにも好かない。そのためここに来る際は姿を変えるように通達しておいた。万が一エステルに遭遇した時、怖がらせないためでもある。
それまでの表情を一切削ぎ落した顔で部下を見つめる。「聞こう」とだけ告げると、ルベロは空気が張り詰めたのを感じ取ったのか身を引き締めた。
「はい。魔王様が床に臥せたことを魔界全体に通知し、それにより『次なる魔王』の擁立の件でだいぶ騒がしくなってきました。しかし魔王様が先手を打って次期魔王候補を立てていたので、立候補同士で水面下の戦いがはじまっているようです」
「バリバリの脳筋、あるいは戦闘狂しかいないと思っていたが頭の回る者もいたか。まあ暫くは魔界内での内戦に目を向けさせられればいい。人間界へ通ずる瘴気や扉の管理はどうだ?」
「瘴気は魔王様が懸念していた場所が弱まっていたので補強済みです。ただ完全にふさいでいるといつか瘴気の渦が爆発して大きな穴が開きかねないですが……」
「それならオースティンに任せている。ガス抜きとして他の場所に瘴気が出るように指示しているはずだが」
「す、すみません! すぐに確認してきます」
「ホウレンソウは常識だ。次からは気を付けるように」
「ハッ!」
子犬のルベロが消えたところで、「ふう」とバスタブに体を預ける。堅苦しい喋り方はストレスが溜まる。それこそ前世では社長をしていた時を思い出すので、パフォーマンスなど面倒だ。
(でも魔王らしさって大事よね~)
湯船から上がり着替える。今日は水玉のブラウスに紺のフリル付きのスカートを着こなす。
長い髪は風魔法で乾かし髪を結いあげたが、エステルのように器用ではないので編み込みなどは失敗。あとでエステルにお願いすることにした。さりげないスキンシップの機会が増え、テンションが上がる。
(さて、とシリーズ1は終わった。次はシリーズ2の開催時期まで数カ月はあるけど、先手を打たせてもらうわ)
魔界のバランスや調整を行いつつ自分の《死亡フラグ》回避に動く。最短でもシリーズ3のラスボス戦までは五年ぐらいある。その間に手は打ち、想定外は『次期魔王に面倒事を丸投げしてしまおう作戦』は順調だ。
シリーズ1後、魔界の扉を完全に封印したため瘴気の行き場を失いその結果、ハイヒメル大国のスフェラ領地に多発して魔物の被害が出る。
その領土がシリーズ2の舞台で、都合よくその領地のみに魔物の被害が出る設定だったので、他の領地にも程よく瘴気が出るようにオースティンに管理を任せた。
魔界では瘴気が濃すぎると凶暴化する魔物・魔族が続出するので、ある程度人間界の清浄な気を魔界に取り込む必要がある。これが魔界と人間界の構図なのだが、ハイヒメル大国の祖先たちは魔界を絶対悪とすることを是としているので、和解や協定などを結ぶという選択肢がそもそも存在しない。
対してここノードリヒト国は魔界の瘴気を一時的な天災として認識し、魔界とは持ちつ持たれつの良好な関係を築いている。
多種族国家であるこの国は種族ごとのいろいろな問題を抱えつつ、改善しようとする度量の広い精霊王と臣下がいるからこそ成り立っているのだろう。
(精霊王エルヴィスには会いに行かないといけないけれど……)
リビングに足を踏み入れると、朝ご飯のいい香りが部屋に漂ってきた。朝ごはんが用意されているという贅沢。そして何より作ってくれるのは愛しい人。最高だ。
(エステルと一緒に一度お礼をしに行って……、ああ、でも彼女を気に入ったら──)
「あ、ギル。今日の朝食は鮭の塩焼きと白米、卵焼きにほうれん草のスープだよ」
「まあ、味噌も醤油もないのに頑張ったわね!」
「そうなの。味噌と醬油は最低でも半年だけど、ギルのお腹を満たす料理をたくさん作ってあげるから楽しみに」
悪役令嬢の役割を終えたからか、ここに来てからエステルは以前よりも生き生きとしている。嬉々として話しかける姿が尊くて、可愛い。なんだ、この愛しい生き物。
この五年、エステルとは何かと連絡を取るために屋敷に訪れることが何度もあったが、いつもどこか笑顔に陰があった。
それも当然だろう。婚約破棄という明確なタイムリミットがあったのだから。もし断罪の場に自分がいたら──そう考え頭を振った。
タラレバは意味がない。
大事なのはこれからだ。
「そうね。楽しみだわ」
お読みいただきありがとうございました(◍´ꇴ`◍)ギル視点でした。
最終話まで毎日更新していきます。お楽しみいただけると幸いです。
本当は明日の予定でしたが、投稿しちゃいました。
次は朝の8時過ぎに更新予定です。
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