第一話 『しんぱんのひぱーとわん』
――来てしまった。ついにこの日が来てしまった。
俺は今、教室の目の前で、担任の雛森美智子先生と一緒に立ち尽くしている。
雛森先生は、何が楽しいのか全く分からないが、やたらにヘラヘラ笑っている。
一方俺はと言うと、今向き合わなければならない障壁を刮目したことにより、後悔の念が頭の中でぐるぐると回っていた。
何度も何度もこの日が来ないように、神頼みもしたし、方違えもしたし、丑の刻参りまでやった。時間の合間を見て、毎日念仏だって唱えた。
それにもかかわらず、遂にこの日が来てしまった。サイコパス学園などと言った、わけの分からない高校に入学することになってしまったんだ。
こんなことが近所に知れ渡ってしまっては、俺はとてもじゃないが街を出歩くことができない。
仮にスキップしながら街を徘徊したともなれば、あらゆる人達から指を指されることだろう。
ねーあのお兄ちゃん、どこの学校行ってるのー? サイコパス学園? 何それ、おいしいのー?
……はっ! いかん。気づかない内に、妄想が一人走りを始めてしまった。
確かに、この学校の編入試験を受けないという手もあった。あるにはあった。そうだ。全く君の言う通りだ。
しかし、しかしだよ君。仮にここで僕が受験しなかったとしよう。そんなことをすれば、俺が親から勘当されることは目に見えてる。
家から身ぐるみ剝がされて放り出された俺は、そのまま危ない仕事に手を染めることになる。そして、恨みを買われた俺は、やがて東京湾にでも沈められることだろう。
生憎俺は、まだ東京湾に沈む訳にはいかない。だって、享年十七歳なんてさすがに悲しすぎるだろ。
「あれえ~久山くぅん。どしたのぉ~?」
一人悶々としている俺を尻目に、担任の先生が見るからに馬鹿っぽいしゃべり方で話しかけてきた。
雛森先生は、薄茶色に染められたクルクルの天然パーマと、度がきつそうな黒縁メガネがトレードマークだ。顔つきは丸顔で、眼目がどこかの少女漫画のようにぱっちりしており、アヒル口が目立っている。
――と、まぁそこまでは良い。問題はこの人の来ている服だ。ああ、実にひどいもんだ。
まるで幼稚園児が、就寝前に着服するような黒ネコの着ぐるみを着ているのだ。見るからに暑苦しくて、動きにくそうである。とても良い年をした大人の身なりとは思えない。
避難訓練とかの時、一体どうするんだろ、この人。避難集合場所まで機敏に動けなくないか? 消火器、絶対その肉球もどきでは持てんよね? 本番の時に火を消せなかったら、間違いなく俺ら死ぬよね?
そもそも……誰だこんな人雇ったの?
「もしかしてぇ~緊張してるぅ~?」
にへらぁと締まらない笑みを浮かべながら、俺の神経を逆なでしてくる先生。
ええ――イラっとしてますね。できることなら、今すぐ貴方を東京湾に沈めて、この場からいなくなりたいと思ってます。
「大丈夫だよぉ~。みんなぁ~イイ子だからぁ~すぐにぃ~打ち解けられるとぉ~思うよぉ~。それじゃぁ~お邪魔しま~す」
今から他人の家に入るんじゃないんだぞ、おい! と言う俺の突っ込みを待たずして、先生は豪快に教室の扉を開ける。
俺はと言うと、そのまま何食わぬ顔で教室内を闊歩する先生の後を、ただただ無言でついて行った。
死んだお祖母ちゃんからは、何があっても金魚のフンにはなるなと教わったが、今の俺は紛れもない金魚のフンだろう。ごめんよお祖母ちゃん。
俺が一人祖母ちゃんに謝っている内に、先生と俺は教壇に辿り着いてしまった。
同級生達はと言うと、始終無言で俺の方を見つめてくる。
痛い、痛い、痛い! クラスメイトの視線がめちゃくちゃに痛い! 刺さってる、刺さってる! 俺の脚、腰、腹に思いっきり刺さってる!
「今日からぁ~皆のぉ~お友達になるぅ~久山甲斐くぅん。皆ぁ~仲良くぅしてねぇ~」
突き刺さる視線を感じない程に図太いのか、先生はマイペースで俺の紹介をしてくれる。
すると少し雰囲気が和らいで、同級生達は盛大に拍手してくれた。思ったより良いクラスなのかもしれない。
改めてクラスを見直すと、学校の制服を纏った人達の集まりであることに気づいた。せいぜいおかしいのは、一人だけピエロの恰好をした人がいることだろう。大した問題じゃない。
……え? 何でピエロの恰好をした人が、学校にいるの?
「あれぇ~? 何かぁ~おかしなぁ~ことでもぉ~あったぁ~?」
「あの~先生。どうして学校にピエロの恰好をした人がいらっしゃるんでしょうか?」
「えぇ~? だってぇ~ピエロのぉ~一人やぁ~二人くらいぃ~、高校にぃ~いるでしょうぅ~?」
おかしな子ねぇ~と、体を揺すりながら笑っている雛森先生。
あれ? もしかして俺がおかしいの? この学校じゃなくて、俺がおかしいの? どこかこの学校ズレてない?
「まぁ~いいわぁ~。折角だからぁ~久山くぅ~ん。何かぁ~一言ぉ~」
雛森先生が、相変わらずの間延びした言い方で、俺にキラーパスを投げてきた。
い、いかん。個性的な先生やクラスメイトに気を取られて、全く何も考えていなかった。何かしゃべらないと。このまま黙っていると、折角できた新しい仲間達から不審に思われそうだ。
「ど……どうか皆さん――」
緊張して声が震えてきた。あまり人前でスピーチした経験がないのだから、仕方がない。
それでも俺は絶対にやり切るぞ! 俺は逃げないんだ!
「――おホモ達になってください!」
あ、噛んでしま――。
――こうして俺は、転校初日にクラスメイト達から薔薇族の称号を与えられることになってしまった。
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