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みんなって?

作者: 池咲ゆき

そういえば、いつからか、無駄な買い物が減った気がします。

「みんなの言ってる」

「みんなやってる」

「みんな持ってる」


 その言葉に何の効力があるというのだろうか、と常々思う。きっと私は「みんな」という言葉に過剰反応しているのだろう。

 だが、私にとって「みんな」というのは何の理由にもなり得ないのだから仕方ないのだ。


 そう思い始めたのは恐らく小学生の頃だろう。自身もまだ「みんな」を多用していた頃である。

 何だったかは忘れたが、欲しいものがあった。何故欲しいと思ったのかさえ覚えていないが、「みんな持ってる、私も欲しい」と母に言った事は覚えている。

 それに対して母は「みんなって具体的に誰?」と意趣返しとも思える様な返事をしたのだ。当然、対して考えずに「みんな」と表現した私は、慌ててクラス内で持ってる子の名前を挙げ始めたが、結果は計6人程度だ。少なくとも、1クラスあたり30人近くいる中で、6人は「みんな」では無いのでは?と自身でも気付いた。特に接点の多いクラスメイト数人の中での6人は多いかもしれないが、だとしても安易に「みんな」と言うべきでなかったと反省したのを覚えている。その日、何故それが欲しいと思ったのか、を自分基準で答えることができなかった。


 だが、今の私にとって「みんな」は、人数や割合が影響して理由になり得ないのではない。

 とても単純なことで、私が最終的な判断をする時に重要なことは、「わたし」にとって必要か不要かだけなのだ。

 「みんな」が持っていたとしても私には使い道のないもの、「みんな」が良いと言っていても私には合わないもの、それは「わたし」にとっては有益なものでないだろう。「みんな」が注目している流行のものであっても、自身の好みでなければ買わないし持たない。そういうのが流行っているんだなー、という事実や情報がそこにあるだけである。

 もちろん、「みんな」や「流行」を否定したいわけではなく、話題のもので自身の好みや実益を感じられるものは取り入れる。それは、私が「わたし」にとって良いものだと感じたからだ。つまり、「みんな」が持っているから欲しいのではなく、「みんな」が持っているそれを私も便利に使うだろうと「わたし」が判断したから欲しいのだ。


 「みんな」が言っていようが、やっていようが、持っていようが、それは「わたし」にとって、1つの情報でしかない。それ以上でもそれ以外でもない。


 きっとあの日の母は、そんなに深く考えず、買ってくれ攻撃を躱すために「みんなって具体的に誰?」と言っただけのつもりだと思う。だが、今振り返っても欲しかった物も理由も思い出せない程度のそれを「他人」基準の価値観で判断して、「自分も欲しい」と結論を出した当時の私には、とても大きな衝撃だったのだ。周りが持っているかは別として、単純に、それを欲しいと思うに足るだけの理由があれば「みんな」なんて言葉を使わずに母を説得したに違いない。


 だから、私にとって「みんな」というのは何の理由にもなり得ないのだ。


 自身が何かを判断するとき、今一度、その本質を確認してみると、違う結論が出るかもしれない。

赤信号 みんなで渡れば 怖くない

という風刺のような謎の川柳?を聞いたことがありますが、僅かながら、全滅する可能性を忘れてはいけないと思うのです。

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