96 あと少しの辛抱です
先日サクヤは16歳になった。水鏡族の村では役場に婚姻届を出せば、結婚が認められる年齢となる。しかし旭が年下なので、あと1年と2ヶ月程待ってもらう事となる。
散々悩んだ挙句、今年の誕生日プレゼントはターコイズグリーンの石が付いたブレスレットにした。いつも黒い服ばかり着ているので、アクセントになるはずだと思い選んだ。
幸いサクヤは喜んでくれて、毎日のように身につけてくれていた。今もティーカップを持つ左手首に輝いている。
「はあ、菫もサクちゃんももう結婚出来るんだよね…」
2ヶ月ほど前に菫も誕生日を迎え、16歳になっていた。置いてきぼりを食らっている旭は不満げにスコーンにジャムを塗る。
「まあね、これでアラタさんと結婚出来るから、今まで以上に手加減なしで攻めてるつもりよ!今年中にはキメるから、霰姉さんにもドレスの注文もしたの」
結婚式の騒動で菫も落ち込んでいると思っていたが、案外元気そうである。恋する乙女は無敵といった所だろうか。
「ただライバルも出現してるのよ」
「えー、脛に傷を持つアラタさんに近付く変な人なんて菫しかいないんじゃない?」
あれからお見合いの話も無いようだし、アラタ自身もそれを望んでいなかったので、旭は菫のライバルに心当たりがなかった。
「棗ちゃんと椿ちゃんよ…アラタさんたらすっかり夢中で仕事以外はベッタリみたい。お陰でなかなか2人っきりになれないのよ」
最初は梢から罰として参加させられた子育てだが、今ではすっかり積極的になっているらしい。確かに旭は双子を乳母車に乗せたアラタが散歩している姿をよく見かけていた。
「ただ、好きには応えてくれないけど、前より私の話を聞いてくれているし、覚えてくれているの」
壁打ち状態だった関係に光が見えた菫は嬉しそうだ。男だけの食事会での説教が功を奏したようだと、サクヤは親友の恋の進展に頬を緩ませた。
「あなた達はそろそろ結婚式の日取りを決めなくていいの?」
去年のアラタの結婚式を考えたら、早ければ早い程周囲に迷惑が掛からないというのは、旭もサクヤも学習済みだ。
「予定としては、風の神子の誕生日にと考えているが…そうだな、善は急げだ。今から婚礼部に相談して、日取りを固めよう」
思ったが吉日、サクヤは旭と、今後の計画の為にと、菫の3人で神殿の婚礼部へと向かった。幸い今日は平日の為、打ち合わせに来ているカップルは少なかったが、許嫁関係にあるサクヤと旭に加えて、同世代の菫という組み合わせは彼らの好奇心をくすぐり、注目を浴びていた。
「皆様本日はどうされましたか?」
そんな若い3人の神子達に婚礼部の神官は慌てて、用件を尋ねてきた。
「今日は私と風の神子の結婚式の日取りについて相談に来ました。共通の友人である氷の神子三席も興味あるとの事だったので、同席させて下さい。勿論受付の順番は守ります」
サクヤの発言で周囲に説明はついただろう。神官はそういういことならばと、番号札を渡して待機する様指示した。
空いていた後方のソファに3人で腰掛けて順番を待つ。旭は待合室にいるカップル達をこっそり観察する。10代のカップルは旭達だけで、後は20代から30代と見受けられた。どのカップルも仲が良さそうだ。結婚するのだから当たり前だと言われたらそれまでだが。
30分ほど待ってようやく順番が回ってきた。旭達はプランナーである中年女性の神官に案内されて、応接間のソファに並んで座った。
「1年後の風の神子の16歳の誕生日の5月に挙式したいと考えているのだが、可能だろうか?」
神殿関係者しかいないので、サクヤはいつもの口調で問い掛ける。神官は挙式の予定が書かれた来年のカレンダーを机に広げた。
「えー、風の神子の誕生日は…あ、こちらですか」
流石に誕生日まで知らない神官を助けるために、旭は自分で誕生日を指差す。
「この日は…チャペルは空いてますが、平日なので、挙式は難しいかもしれません。神子の結婚式となると、村人へのお披露目がありますので、休日に挙式するのが好ましいですね」
「そんな…」
一刻も早い結婚を願っていた旭は落胆の表情を浮かべた。そんな彼女を励ます様にサクヤが頭を、菫が背中を撫でた。
「では、風の神子の誕生日から最初の休日…この日は如何かな?」
サクヤが指した休日はまだ何も書き込まれていない状態だったので、神官は大きく頷く。
「この日なら可能だと思います。ひとまずキープという形にして、光の神子にお伺いを立てる事になります」
「承知した。念のため次の日の休日も押さえてもらえるだろうか?」
幸い、1年以上先という事もあり、次の日の予定も無かったので、サクヤは神官に依頼すると快諾してもらえた。
日取りが決まると、急にサクヤと本当に結婚するという実感が湧いて、旭は胸がドキドキとときめいてきた。
「では、早速ですがこちらに目を通して、ご希望のウエディングプランをお考え下さい」
次に神官が机に置いたプランニングシートは招待する人、結婚式、結婚パーティーに行いたい事を記入式で作成するものだった。
「今回は私が承りましたが、こちらの婚礼部は村人向けの対応を行なっておりますので、今後は神子の結婚式を執り仕切る神官に引き継ぎとなります」
「そうだったんですね、勉強不足でした」
「いえ、少しだけでも神子の結婚式に関わる事が出来て幸せでした。神子担当の婚礼部も喜んで、お二方の結婚式に尽力する事でしょう」
「前回が悲惨だったからね」
旭の言葉に神官は「まあ…」と苦笑を漏らす。
「参考にしたいから、アラタさんの結婚式について苦労した事とか、知ってたら教えて欲しいな」
「ですが…」
「結局破談になっちゃったんだもん、愚痴の一つ言っても不敬じゃないと思うし、アラタさんも怒らないよ。もしもの時は私達が責任を持ちます」
寧ろアラタは頭に地面を擦り付ける勢いで謝るだろう。旭の懇願に神官は重い口を開いた。
「じつは…土の神子の婚礼は準備期間が短く、プランが二転三転して人手が足りず、私もお手伝いをしていました」
準備の段階からして、不幸な結婚式の始まりだったのかもしれない。サクヤも菫も同じ考えだったのか、黙っている。
「特に結婚パーティーについて花嫁は精霊の間で行うと意気込んでおりましたが、招待客の村人が多く、警備の都合上難しい為、説得に苦労しました」
神官が言う事には、結婚パーティーの会場は神殿関係者のみを精霊の間で、それ以外は村人でも入れる普通の会場と2カ所に分けて、新郎新婦が行き来する予定だったそうだ。
結局、破談により精霊の間で神殿関係者は双子の誕生パーティーを行い、そしてもう1つの会場では食事が勿体無いので、持ち帰りOKの食事会を行ったそうだ。
「…破談となった今だから話せる事ですが、花嫁は複数の女性神官に対して言い掛かりをつけて、土の神子に泣きついて担当から外していたので、婚礼部での評判は最悪でした」
女だと色仕掛けや、泣き落としが効きにくいと睨んだ作戦なのかもしれない。もしあのままアラタと結婚していたら、神殿内は大変な事になっていただろう。
「静さんて今どうしてるんだろうね…」
あれだけの騒ぎを起こした張本人だ。村には居づらいだろう。そう旭が推測していた所、菫が鼻で笑った。
「うちの密偵に調べて貰ったんだけど、アラタさんは破談の後、あの女の実家が村八分に合わないか心配して、近所の農家一軒一軒に自分にも非があったと説明して回ったけど、あの女の両親はケジメとして、勘当して村から追い出したみたい」
氷の神子に密偵がいるなんて、初めて知った旭はそちらの方に興味が向いてしまった。風の神子の密偵は言うなれば風の精霊達だろう。他の属性はどうだろうと思考が巡る。
「凄いのはあの女、妊娠してたでしょう?その後更に父親候補が出てきたらしいわよ。こっちが把握しただけでプラス10人はいたとか」
「うーむ、恐るべき床上手だな…前世はサキュバスか」
思わず漏らしたサクヤの感想に菫も頷く一方で、無垢な旭は首を傾げる。
「サクちゃん、床上手て何?」
「そ、それはだな…………黙秘する」
気不味さから説明を放棄したサクヤに菫は笑い声を上げてから、助け舟を出す事にした。
「男をメロメロにする能力に長けているて意味よ」
「なるほどね、確かに色んなタイプの人が『ちょっと待った!』してたもんね」
「そうね、まあ私はたった1人、最愛の人だけに愛されたいけどね」
旭も同意見だったので、肯定する。だからこそサクヤと結婚するのだ。
「話の続きだけど、現在あの女は貿易都市で、父親候補の従兄弟と、元カレその1、元神官の4人で暮らしているんですって」
「どひゃー!」
浮気されたのは火を見るよりも明らかなのに、よく一緒に暮らせるものだと、旭は驚き目を丸くさせた。
「働き手が3人もいれば、お腹の子供も食べる物に困らないからいいんじゃない?そもそも私達にはもう関係ない話だし!」
「それもそうだね」
生まれてくる子供には罪がない。多くの人々を陥れたり、誑かした事は良くないが、今後は心を入れ替えて、1人の親として、真っ当に生きて欲しいと、旭は願った。
無駄話はここまでにして、旭達は婚礼部を後にした。プランニングシートは旭が所持する事になった。
「魔物の襲撃に備えるのも大事だけど、こっちも頑張らないと!」
「そうだな、村が暗くなっている時こそ、明るい話題が必要だ」
サクヤと、同じ考えだったので、旭の気分は更に上がる。
「きっとあなた達の結婚式が行われる頃には戦いも終わっているはずよ。頑張りましょう!」
「うん!」
戦いの末に結婚がある。目標が出来た旭は早速風の神子の間でプランニングシートに記入をした後は訓練場に行って己を磨く事にした。