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93 夫婦喧嘩みたいです

「しばらく世話になる」


「はあ…どうしたの突然?」


 風の神子の間でサクヤと菫の3人で仲良くティータイムをしていたら、突如母の楓がトランクを持って姿を現した。


「トキオさんと喧嘩した」


「ええ!パパと⁉︎」


「ああ、だからトキオさんが仕事に行っている間に家を出た」


 母と兄が喧嘩するのはしょっちゅうだが、母が父と喧嘩した所なんて見た事が無い。そもそも、父が怒った顔を見た事がない。だから旭は自分が甘やかされて育った自負があった。


 一体夫婦喧嘩の理由は何なのか。修羅場新聞に則って考えると、浮気や嫁姑問題、飯が不味いなどが考えられるが、どれも両親に当てはまる気がしなかった。


「何で喧嘩したの?」


 理由を尋ねたら、楓が不機嫌に顔を歪る。すると風の神子の間の気温が急上昇した。冬場だから、温かくなるのは大歓迎だが、この調子だと、真夏の温度になってしまいそうだった。


「トキオさんが嘘をついていたんだ…」


 そう一言だけ話してから、普段兄が使っている部屋に泊まるからと、楓は紫から鍵を借りて、床に置いていたトランクを持って、風の神子の間から出て行った。


「パパ、どんな嘘ついてたんだろう?」


「うちのパパは美術商から買った絵画の値段を一桁安くママに申告して、後からバレて怒られてたけど」


 菫が自分の父親がついた嘘を挙げてくれたが、どうもしっくりこない。そもそも自分は5歳で神子になり家を出たので、普通の子供に比べて、両親の事をあまり知らない気がした。


「雫さんは旦那さんに嘘つかれた事ある?」


 紅茶のお代わりをお願いするついでに旭が尋ねると、神官の雫は何度も頷いた。


「タバコは辞めたって言ってたくせに、こっそり吸ってたり、普通の酒場に行ったとかいいながら、本当はキレイなお姉さん達がチヤホヤしてくれるお店に行ってたり…本当しょうもないです」


 溜息を吐いて、雫は夫への愚痴を溢す。どこの奥様達も苦労しているようだ。


「そういえば一族写真を撮った時にお兄ちゃんも嘘ついてたのがバレて、お義姉ちゃんを怒らせたな…」


 あの兄の親なのだから、父も長年母に嘘をついていてもおかしくない。これは由々しき事態だ。両親には今後も仲睦まじく暮らして欲しいので、ここは自分が一肌脱ぐしかない。


 そんな使命感に燃える旭に、菫は程々にするようにと声を掛けるが、聞こえていない様子だったので、苦笑しながらマドレーヌを上品にフォークで切った。


 夕方になり、精霊礼拝を済ませた旭は母に事情を聞くついでに、食事に誘う事にした。母が滞在しているであろう普段兄が利用している部屋のドアをノックする。


「ママー!ご飯一緒に食べよう!」


 部屋から返事がして、ドアが開くと、胸元が総レースで、膝丈の黒いベビードール姿の楓が姿を出したので、旭は思わず目を見開いた。


「やだママ可愛い!でも寒くないの?」


「私は元炎の神子だからな。少しも寒くない。部屋着を忘れたから、嫁のネグリジェでも借りようと思ったら、着丈が長くて、裾を引き摺ってしまってな。そしたら引き出しの奥にこれが袋に入っていたから、着てみた」


 そう言ってくるりと一回転して、フリルのついたベビードールの裾を摘む。胸から下がオーガンジー生地でうっすらと肌が透けていて、大人っぽいが、胸の中心のリボンがどこか可愛らしいデザインだった。


「いいなあ、私もこれ欲しい!今度お義姉ちゃんに買って来てもらおうっと」


 今の時期にはまだ寒いが、夏に着たら心地良さそうだ。また欲しい物が増えたと、旭は心を弾ませた。


 流石にこの格好で食堂に行くのは常識を疑われるからと、楓は普段着に着替えた。きっかけが夫婦喧嘩なのは残念だが、こうして母と2人で食事を取るのは初めてかもしれないので旭の心は弾む。


「ヘイ料理長!激辛楓スペシャル一丁!」


「激辛楓スペシャル…ですか?」


「前任の料理長から受け継がれなかったのか⁉︎」


「申し訳ありません…」


「なんという事だ…激辛楓スペシャルとは、唐辛子が大量に入った激辛鶏ガラスープに、唐辛子が練り込まれた激辛麺、青唐辛子と粉唐辛子をトッピングした物だ。作れないか?」


 そんな料理を食べる人間が神殿にいないだろうから、メニューが廃止されたのだろう。もしあったとしても、旭は絶対食べない。結局楓は旭と同じ物を頼んで、持参したマイ粉唐辛子を親の仇のように料理に振り掛けて食べていた。


 食事を終えた楓は暦の所に遊びに行くと、足早に炎の神子の間へと消えた。旭がひとり風の神子の間に戻ると、仕事を終えたトキオが待っていた。


「あれパパ、遅かったね」


 いつもの様に仕事終わりに神殿に直行したら、夕方には着いているはずだと、旭が指摘すれば、トキオは眉を下げて笑った。


「仕事から帰ったら、『トキワの家で暮らす』って楓さんの書き置きがあったんだよ」


「あちゃー、騙されたんだね。でも夫婦なんだし、水晶で位置を確認すればよかったのに」


「トキワにも言われた。書き置きを見て、無我夢中で走ったから、忘れてたんだよ」


 言われてみれば、いつも整っている父の御髪は乱れて、首まできっちり閉めてるシャツのボタンも2つ開いているので、走ったのは事実だろう。ちなみに両親の家から、兄の家まで歩いて2時間程掛かるらしいので、相当な距離だ。


 しかし、いくら嘘をつかれたからとはいえ、嘘で返すなんて、母も意地悪だと憤慨しながら、旭は父の背中を撫でて労ってあげた。夕飯はまだだというので、紫に頼んで用意してもらう。ついでに自分用のデザートもリクエストする。


「ママはパパが嘘をついたって言ってるけど、本当なの?」


 母が真相を話さないなら父に聞こうと、旭は単刀直入に尋ねると、父は気不味そうに肯定した。


「楓さんに嫌われたくなくて、嘘をついてしまったんだ…」


「どんな嘘をついたの?」


 嫌われない為の嘘という事は、愛故の嘘だと思われる。しかし、一体どんな嘘なのか気になったので、旭は性急に問いかけた。


「私と楓さんが神殿のバラ園で初対面で、お互い恋に落ちて、プロポーズした話は知っているよね?」


 両親のロマンティックな馴れ初めは、よく話題に上がるので、旭は即座に頷いた。父の嘘は随分と昔に遡るようだ。


「…じつは、初対面でお互い恋に落ちたというのは間違いで、私は楓さんと出会う前から好きだったんだ。

 ずっと黙っているつもりだったけれど、昨日楓さんとあの時、どっちが先に好きになったか話していて、ついムキになって、バラしてしまったんだ」


「はあ…」


 まさかそんな犬も食わないようなくだらない理由で夫婦喧嘩をしたとは思わなくて、旭は間の抜けた相槌を打った。


「じゃあ、パパはママの事、いつから好きだったの?」


「楓さんを好きになったのは、私が16歳の時…出会いの3年前だ。それまで神殿の行事に興味が無かったんだけど、職場の同僚に誘われて、付き合いで初めて炎属性の会合に参加した時だ。私は会合に出て来た楓さんに一目惚れしちゃったんだ。白い衣装に白い肌、漣のように揺れる銀髪が光って、神秘的で目が離せなかった」


 通常営業の父の惚気ではないかと思ったし、好きだという事には変わりないのに、この位の嘘で怒る母が旭は理解出来なかった。

 

「会合以来、楓さんに夢中になってしまった私は一目でもいいから楓さんを見たいという気持ちから、時間があれば、いつも神殿に行っていた。とは言っても、普通の村人が入れる場所しか行けないから、全然会えなかった。結局姿を見れるのは、年に1回の会合の時だけで、しかも手が届かない位置から、指を食わえて見ることしか出来なかった」


 娘の欲目かもしれないが、若い頃の父はさぞや美青年だったであろう。イメージとしては、結婚式の写真の時期の兄が灰色の髪にした具合だろうか。そんな美青年が神殿内をうろつていたら、噂の的になり、母の耳にも入りそうだが、きっと母は興味が無かったのだろう。


 そういえば母は神子の時、どんな暮らしをしていたのだろうか?父が出会えなかったということは、暦の様に図書館の運営は行っていないと思われる。旭は今度聞いてみることにした。


「そして3年経って、すっかり図書館の常連になっていたある日、長時間読書をして疲れた体を解すために、バラ園を見学しに行った時、ようやく楓さんと出会えたんだ」


 ここからは旭も知っている馴れ初めだろう。もしバラ園で2人が出会わなければ、自分は存在しなかっただろうと思うと、どこか感慨深いものを覚えた。


「うーん、とりあえずご飯食べたら一緒にママに謝りに行こう」


「旭…ありがとう」


 きっと母も許してくれるはずだと、旭は父を勇気づけて、遅めの夕飯を取る父の向かい側で、デザートのゼリーを楽しんだ。



 母は暦の部屋にいると思われていたが、父が念のため水晶で居場所を確認すると、バラ園だったので、そちらに向かった。父は軽く身なりを整えてからすっかり日が落ちたガゼボのベンチに座って、亡霊の様にぼんやりしている母の元へと進んだ。そんな両親を見守る為に旭は物影に隠れて、集音魔術を使い、会話を盗み聞きした。


「楓さん、ごめん…」


 ストレートに頭を下げて謝るトキオに、楓は俯いたままだった。まだ許す事が出来ないようだ。


「嘘をついてしまった事を後悔している。でも楓さんへの愛だけは嘘偽りなく本当なんだ!信じてくれないかな?」


 恐る恐る楓の隣に座って、トキオは縋る様に手を取り懇願する。その姿にプライドなんて、欠片も無かった。


「…嘘をつかれていた事は、確かにショックだった」


「本当にごめん…」


「私の方がずっとずっと、トキオさんの事が好きだと思ってたから。好きという気持ちに勝ち負けなんてないと分かっているが、悔しくて…ついへそを曲げてしまった」


「仲直りしてくれる?」


 いつもの穏やかで優しい声で問い掛け、隣に座ったトキオに楓は遠慮がちに頷き、そっと彼の厚い胸板に寄り添った。


「愛してるよ、楓さん」


「私はその1000倍は愛してるぞ」


「ふふふ、嬉しいなあ」


 なんだか、心配したのが馬鹿みたいだと、思いながら旭は仲直りして、いつもの睦まじい両親を一瞥すると、そっとバラ園から立ち去り、無性にサクヤの顔が見たくなったので、闇の神子の間に向かう事にした。


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