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92 みんなでティータイムです

 この時期になるとトキワは雪で仕事が少なくなるので、魔石精製や戦闘訓練の指導をして生活費を稼ぐ為に神殿によく来るのだが、今日は珍しく妻と娘も一緒だった。


「ああっ!うさちゃんるーちゃん可愛すぎる!


 兄に抱っこされたうさ耳フードのついたピンクのロンパースを着ていた姪っ子の可愛さに旭は堪らず歓声を上げた。今日はパッチリと目が開いていて金色と赤色の瞳がこちらを不思議そうに見据えていた。


「ありがとう、これは私の叔母が螢の為に縫ってくれたの」


「すごーい!よかったね、るーちゃん!」


 相変わらず多方面から溺愛されている螢に旭も負けじと何か貢ごうと思い、来週商人達が来るので、頭の中の欲しいものリストに追加した。


 この後義姉は梢から先輩ママとして相談に乗って欲しいと言われているので土の神子の間に行くらしい。


「先に訓練場で体を慣らしておけ」


「はーい…」


 土の神子の間までは警備も行き届いているし、義姉も場所を知っているはずなのに、過保護な兄は土の神子の間まで送っていくらしい。ならば旭も一緒に行きたいが、ついて来るなという威圧感のある視線に敵わず重い足取りでマイトを従え訓練場に向かった。


「こんにちは」


 訓練場に向かう途中、バスケットを手にした環と遭遇した。


「環さんこんにちはー、どこ行くの?私達は地獄の訓練場だよ」


「私はこれからクッキーを焼きに調理場に行くの。それで…あの、焼き上がったら一緒にティータイムしませんか?」


 一応旭にお伺いを立てている体だろうが、環の視線は完全にマイトだ。彼女の意図を充分に理解した旭はコクリと頷いて歓迎した。


「ぜひぜひ!じゃあ3時に風の神子の間でみんなで食べよう!ね、マイトさん!」


 暗にマイトもお茶会に参加する様に促して予定を決めると、嬉しそうに調理場に向かう環を見送り、旭達も目的地へと足を進めた。



 ***



 そして午後3時、風の神子の間には淹れたての紅茶の香りが漂っていた。お茶会用にと用意した大きめのテーブルを囲むのは、旭とサクヤ、環とそして螢を膝に乗せたトキワと命だった。


「今日はサクヤ君とトキワさんと奥様、お嬢様もご一緒だったんですね…」


「はい、正月は助けて頂いてありがとうございました」


 ペコペコと頭を下げ合う義姉と環に旭はクスクスと声を立てて笑ってしまった。よく考えたらこの組み合わせは中々珍しい。


「いえ、そんな…えっと、マイトさんは…?」


「急に警備のお仕事が入っちゃったんだ」


 マイトは警備に病人が出て代理を名乗り出た為不在である。旭はクッキーをテーブルに並べる前に彼の分のクッキーを別に避けるよう紫にお願いしておいた。


「そう…ですか…」


 どこか表情が固い環に旭はもしかしたら環は旭とマイトの3人でティータイムを楽しみたかったのかもしれないと勘ぐった。こんな事ならマイトを引き止めておくべきだった。気が回らなかったと反省しつつ、旭は一応主催として皆にお茶と環が作ったクッキーを勧めた。


 クッキーはキャラメル味と紅茶の葉が入ったもの、そしてベリーソースでピンク色に染まったクッキーとバラエティに富んでいた。旭は早速キャラメル味のクッキーを齧り、サクサクとした食感とキャラメルの風味を楽しんだ。


「美味しい!流石環さん!ね、サクちゃん!」


「うむ、非常に美味である」


「本当、食感が軽くていくらでも食べられそう!」


 旭とサクヤ、そして命も環のクッキーを大絶賛した。


「ほらあなたも食べて、すごく美味しいよ」


 螢にミルクをあげる事を優先していたトキワに命はそっと紅茶クッキーを食べさせてあげた。なんだかんだで仲が良いなと旭は暖かいミルクを入れた紅茶を飲みながら兄夫婦を横目に見た。


 命が環にクッキーの作り方を尋ねたり、今の時期の薬草の手入れについて情報交換したりしていく内に環の緊張も解れて表情も和らいでいった。2人は同じ属性だし、趣味や仕事も似ているから案外気も合うのかもしれない。


「あれ、顔赤いけど大丈夫?」


 何枚目かのクッキーを口に放り込んであげようとした命は夫の異変に眉を顰める。言われてみれば少し目が潤んで艶っぽい兄に旭も心配になる。


「…大丈夫じゃない。部屋で休む」


 早口でそう告げて娘を妻に託して、トキワは猫背でそそくさと風の神子の間を出て行った。その際視線だけで人を殺しかねない目でこちらを睨んだので旭と環は短く悲鳴を上げた。


「ど、どうしたんだろう?さっきまでピンピンしてたのに」


 環と手を合わせて震えながら旭は疑問を口にしてサクヤを見遣ると、彼もまた顔を赤くして息を荒くしていた。


「あれ、サクちゃんも赤いよ?熱でもある?」


「ひゃうっ!」


 隣で兄同様に顔を赤くしていたサクヤの頬に旭は手を当てると、今まで聞いた事ないような奇声が上がった。


「…し、失敬…どうやら我も熱があるようだ…今日はこれにて失礼する」


 声を上擦らせてサクヤも足早に風の神子の間を出て行ったので旭は義姉と顔を合わせて首を傾げた。


「代行も闇の神子も拾い食いでもしたんじゃないですか?」


「そんな野犬じゃあるまいし…ちょっと様子を見て来ます」


 傍に控えていた紫に娘を任せて命は席を立ち夫の後を追おうとした。


「ごめんなさいっ!!」


 しかし突然の環による謝罪で命は足を止めて猫目を丸くさせた。


「えっと…環様の所為ではないと思いますよ?」


「いいえ!私が作ったクッキーが原因なんです!」


 環の罪の告白に旭は耳を疑った。善良で穏やかな彼女が人に害を与える様な食べ物を作るとはとても思えないのだ。


「でも私もお義姉ちゃんもこの通り何ともないし…やっぱ紫さんの言う通り拾い食いしたのかも?」


 更に言えば作った本人である環もクッキーを食べたのに顔色ひとつ変わっていないので、拾い食いは言い過ぎだが、男性陣に非がある様な気がした。


「いいえ、このクッキーは男性が食べると媚薬の効果があって…好きな人の前で気持ちを抑えられなくなるんです!」


「な、なんですってー⁉︎」


 本当に環が犯人だとは思わず、旭は驚愕に声を上げた。兄はどうでもいいのでさておき、今サクヤは旭への好意に溢れているという事だ。そう思うと居ても立ってもいられず、サクヤの後を追おうと風の神子の間を出ようとした。


「待って旭ちゃん、どこに行くつもりなの?」


「サクちゃんの所に決まってるじゃん!積極的なサクちゃんとイチャイチャ出来るなんて天国だし!」


 焦りを滲ませた声色で腕を掴み引き止めた義姉の問いかけに、旭は己の欲望を包み隠さず目を輝かせて答えた。すると義姉は腕を引き、旭を力強く羽交い締めにした。


「行っちゃ駄目。サクヤ様の事が大好きなら今はそっとしてあげて」


「ええー…はーい…」


 義姉の真剣な叱責に旭は興醒めして、次第に体の力を抜いた。抵抗しないと判断した命は旭を椅子に座らせて自分も無言で席に着いた。


「理由を話して貰えますよね?」


 子供を諭す様な優しい口調で命が問い掛けると、環はごめんなさいと何度も呟き涙を零した。今彼女達を知らない人間が見たら、義姉が環をいじめているように見えるなと修羅場新聞脳の旭はぼんやりと考えつつ、美味しいし女には効果がないらしいので、残りのクッキーに手を出した。


「…私、マイトさんの事が好きなんです」


 うん、知ってる。


 そんな言葉が喉から出そうになるが旭は聞き役に徹する為にぐっと堪えて、おかわりの紅茶を飲む。


「初めて出会ったのは私が薬草園で積んだ薬草を研究室まで運んでいた時の事…夢中になって沢山採取したから籠が重くてフラついていたら、マイトさんが声を掛けてくれて代わりに持ってくれたんです。そしてお互い話をしながら研究室に向かってた時に、マイトさんのご両親が腰を痛めている話をして、私はお礼にと腰痛に効く薬をプレゼントしました」


 まさか馴れ初めから始まると思わなかった旭は戸惑うが、これまで誰にも言えず隠して来た恋心が抑え切れないのだろう。元々興味があったし、義姉も制止しないので引き続き聞くことにした。


「翌日、薬の効果があったとマイトさんが嬉しそうにお礼を言いに来てくれました。その笑顔から心からご両親を大切にしている優しい方だと思って…それでこれきりの関係になるのが嫌で、強引にご両親に腰痛の薬の治験をお願いしました」


 確かにマイトから環に治験を依頼されたと報告はあった。当時は特に気にしていなかったが、これが恋の始まりだったのかと旭はラブストーリーの当事者になれたことに感慨深さを覚えた。


「私の下心とは裏腹にマイトさんはいつも真面目に治験の報告書を提出してくれました。そんなある日、彼は私に一輪の赤いバラをプレゼントしてくれました」


「ああ!あの時の!」


 聞き役に専念するつもりだったのに、旭はつい声を上げて水をさしてしまった。去年旭が菫と暦で愛の告白企画を主催した時に、余ったバラをマイトがお世話になっている人に渡すとお買上げしたのだが、どうやら環へのプレゼントだったようだ。


「ごめん、続けて」


「…はい、バラを頂いた私はまさに有頂天となったと同時に、もしかしてマイトさんも私のことを慕ってくれているんしゃないかと期待しました。ですがそんな事聞ける訳もないし、私から想いを伝える勇気が無く今日まで来ました」


 物心つく前からサクヤを好きだと主張していた旭には環の気持ちが理解出来ず唸っていたが、義姉は深く共感したらしく何度も頷いていた。


「そしてマイトさんの気持ちが知りたいと思った私は人として道が外れた手段だと思いながらも、媚薬入りのクッキーを作って彼に食べさせようとしたのですが…こんな事になるなんて…本当にごめんなさい」


 ようやく今回の動機が分かり、再び環は謝罪した。ターゲットであるマイトは急用でクッキーを食べず、代わりにイレギュラーな存在であるトキワとサクヤが食べてしまい、環の作戦は大失敗となった訳だ。


「ある意味実力行使だけれど…薬で本音を確かめるのは良くないですよね?」


「はい…」


 義姉の問いに環はしおらしく返事をする。


「これからはもう薬に頼らず、マイトさんに気持ちを伝えられますよね?」


「それは…自信がありません。こんな卑怯な真似をした私にマイトさんを愛する資格なんか…」


 暴走した乙女心を猛省するのはいい事だが、マイトへの想いを諦めるのはお門違いだ。何とか考え直して貰えないか旭が言葉を探していたが、突如妙案が閃いてクッキーを一気に3枚口に放り込むと、豪快に咀嚼してハーブティーで流し込んだ。


「環さんもお義姉ちゃんも食べて!紫さん、マイトさんの分のクッキーも持ってきて下さい」


 そしてまた旭はクッキーを頬張り、命達にも食べろと視線を向ければ、命は義妹の思惑を察してクッキーを口に入れた。環も続く。紫は螢をゆりかごに寝かしてからマイトの分のクッキーをテーブルに広げた。その後3人は黙々とかけら一つ残さずクッキーを完食した。


「あーお腹いっぱい…これ夕飯いらないわ…」


 クッキーのお供にお茶を3杯おかわりした旭は満腹に呻き声を上げた。当分クッキーは見たくない位だ。


「私も…でもまあこれで証拠隠滅完了だね」


 義姉の言葉に旭は頷いて種明かしとした。媚薬入りのクッキーを全部食べてマイトの口に入らなければ、環の作戦は無かった事に出来るという訳だ。


「さてと、お兄ちゃんとサクちゃんはどうしようかな…」


 心優しいサクヤはともかく、兄は怒りに任せてマイトに環の所業をバラす気がしたので案じると、義姉が絶対黙らせると夫婦の力関係が見え隠れした気もしたが、頼もしい言葉をくれた。


「これでお兄ちゃんとサクちゃんは拾い食いをして体調を崩したって事にして、クッキーは美味しかったのでうっかりマイトさんの分も食べちゃったって言えば解決だね!」


 旭が勝気に口元を拭い、策略を披露する一方で環は罪悪感に押し潰されそうな顔をしていた。


「本当にごめんなさい…ありがとうございます」


「こちらこそ美味しいクッキーありがとうございました!あとはいい知らせをお待ちしていますよ」


 命の中では既に媚薬クッキー事件は屠られて、本題はマイトへの告白に移り変わっていた。


「はい!必ずマイトさんに私の想いを伝えます!」


 環の宣言に旭は応援すると言いながらも、内心自分達より先に結婚するかもしれないなと焦りを感じるのであった。

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