91 昔話を聞きます
忙しい日々の合間、旭はサクヤと久しぶりに乗馬場でアドラメレクに乗って銀世界を楽しんだ。頬を刺す冬の冷気に痛みを感じながらもサクヤの腰に手を回して密着すれば心は春の様に温かい。
しかし、不満もある。防寒対策としてサクヤが被っている黒のニットの目出し帽が不審者でしかないのだ。以前雀の紹介で作成した黒革のボンテージスーツを着たら完全に不審者だ。幸いサクヤが成長してサイズアウトしたらしいので、今日は黒のブルゾンと皮パンにブーツと同じ黒づくめでも幾分マシな方だが、目出し帽が全てを台無しにしてまるで強盗犯だった。
相変わらずなサクヤの奇抜なファッションセンスに慣れを感じてしまっていたが、流石に目出し帽で目が覚めた旭は黒が好きなのは妥協するが、もっと大人しい服装にさせる為に来月の誕生日には服を贈るべきかと頭の中で計画を企てていた。
「そういえば先々代の闇の神子が契約していた闇の精霊は馬の姿をしていたそうだ」
独り言の様にボソリと呟いたサクヤの言葉に旭はまた歴代の闇の神子に意識を乗っ取られたのかと不安に瞳を揺らすが、我は正気だとフォローが入った。
先々代の闇の神子という事は旭の叔父であるイザナの前の闇の神子という事になる。となると今生きていた頃の先々代を知っているのは初代風の神子の時代から神殿にいる紫かイザナが生まれる前から神子をしている祖母くらいだろう。
乗馬を堪能してアドラメレクに感謝の気持ちを込めて餌やりとブラッシングをしながら旭は先々代の闇の神子についてサクヤに尋ねる事にした。
「うーむ…先々代もまた決して愉快な人生を歩んできたわけではない。それでも聞いてくれるか?」
またというのはイザナの悲し過ぎる人生と同様の悲劇があるというのだろうか。それでも旭は知りたいと頷けば、サクヤは腰を据えて話そうとアドラメレク世話を終えて身なりを整えてから風の神子の間へ向かう事とした。
休日だった事もあり、風の神子の間には神官は紫しかいなかった。
「おや、イチャイチャする様でしたら邪魔者は去りましょうか?」
「否、良ければ神官紫にも話を伺いたいと思っている」
「そうですか、何の話かしらないけど。ではお茶とお菓子の準備をするのでそれまでイチャイチャでもしてて下さい」
サクヤの申し出を受け入れた紫は食堂へと向かった。旭は紫の言葉に従い早速ソファに腰を下ろしたサクヤの膝に乗って抱き着いた。
「か、風の神子よ…これは少々大胆過ぎるのでは…」
動揺するサクヤに対して旭は特に気にした様子もなく更に体を寄せる。
「えー?普通だよ。こないだカップルの神官達が木陰でこっそりこんな感じでイチャイチャしてたもん!」
「何という事だ…まさか神殿内の風紀が乱れているとは…ちなみにその恋人達の神官達はどこの所属だったか?」
風紀の乱れに頭を抱えながらサクヤが問い掛けた所、腕章の色から男が氷、女が水だったと旭が答えたので、後でそれぞれの属性の神子に抗議しようと決めた。
「風の神子よ、何も他の恋人たちを真似する必要はない。我々は我々のペースで愛を育もうぞ」
「ええー…まあ、いいけど。分かった」
不服そうに頬を膨らませるも、旭は渋々顔が赤いサクヤの膝から降りてソファの隣に座った。2人でする事は片方が嫌がったらしない。義姉からの教えを守る事にしたのだ。
紫が食堂で用意してもらったお茶とお菓子を持って来たので、サクヤから先々代の闇の神子について話を聞く事になった。
「なるほど、先々代の闇の神子についてお話しするんですね。光の神子からの許可は?」
「養母の許可など必要ない。これは我の中にある闇の神子の記憶なのだから」
すっかり光の神子に反抗的になっているサクヤの姿に紫は愉快そうに口を歪めた。まあ彼ぐらいの年頃は親に反抗的になるのは普通だから問題ないだろう。そう判断して近くにあった簡素な椅子に座り会話に参加する事にした。
「大丈夫だよ紫さん、おばあちゃんはサクちゃんが闇の神子について話そうとしたら、聞いてあげてって言ってたもん」
どうやら光の神子の方が一枚上手らしい。少し悔しい気持ちもするけれど、それにより旭の心の準備ができているのはサクヤにとってありがたかった。
「…本題に移る。先々代の闇の神子は名をイザナといった。彼は養母と同じ日に当時の氷の神子次席の長男として生まれた。光の神子と闇の神子が同時に誕生したのは水鏡族史上初の事で村は大いに盛り上がったそうだ」
サクヤの説明に当時を思い出した紫が頷いたので作り話ではないのは確かだ。それにしても叔父と同じ名前とは…闇の神子の名前は代々同じ名前を付ける決まりがあるのだろうか。
「2人の誕生を受けて、他の神子達の話し合いの結果先々代は生まれて早々に養母と許嫁同士となった」
この時点で旭は悲劇の始まりを察した。現在祖母の配偶者は元炎の精霊だった祖父だ。つまり婚約は破棄されたのだ。しかしここで口を出すのは無粋なので黙って紅茶を啜る。
「あ、ちなみにその当時の風の神子は代表から三席までみんなお酒狂いで、毎日3人で酒盛りしてました」
紫からの先輩神子のなかなか尊敬できない情報に旭は吹き出してしまった。しかしそれにより張り詰めた気持ちが少しだけ和らいだ。
「先々代は養母と仲は良かったが、赤子の頃から一緒にいたが故に恋仲というよりも兄弟という感覚だった。それでもお互いにまあいいかと平和に暮らしていた」
「一方その頃風の神子達は酒の飲み過ぎが祟り、次席、三席と立て続けに亡くなり、代表1人だけになってしまいました。そんな中新しくやって来た風の神子は正に風来坊で、世界中をあちこち回った挙句、財産が尽きたから養ってくれと神子になりました」
だんだん風の神子の歴史の方に興味を持ってしまいそうになったが、グッと堪えてサクヤに話の催促をする様に視線を向けた。
「2人は年頃になり、16歳となった時点でいよいよ結婚かと周囲は盛り上がっていたが、当時炎の神子と契約を交わしていた炎の精霊である養父に養母が恋に落ちていた事に気付いた先々代は自分はまだ人として未熟だからと理由を並べて結婚を先延ばしにしていた」
「その頃酒飲み風の神子が死んだ後、風来坊の風の神子が代表になり、それから間もなく妻に先立たれて世を儚んだ先々代の風の神子が神殿にやって来て次席となりました」
「…待って紫さん。風の神子の話がめちゃくちゃ気になって闇の神子の話が頭に入らなくなるから後で話して」
ここに来て以前から気になっていた先々代の風の神子の登場に旭は思わずストップを掛けた。彼についてはじっくり聞きたいと思っていたから尚更だ。
「先々代の風の神子の話が気になるなら闇の神子の話は後日でも構わないが」
自分の話の食い付きが悪い事に薄々気付いていたサクヤが遠慮がちに申し出たが旭はぶんぶんと首を振って続きを懇願した。
「では…この頃から闇の神子は養母に冷たく接する様になった。それどころか人と会わず、彼が運営していた早馬の育成事業は他の者に託して闇の神子の間から一歩も出なくなり、面会も遮断した。その後闇の神子は不治の病に伏したと神殿は発表して養母との婚約破棄を発表した」
「まさか…おばあちゃんの為に仮病を使って婚約破棄をしたの?」
「仮病というよりは恋の病だろうか。彼は養母の養父への恋心に気付いたと同時に自分の養母への恋心に気付いたのだ。そして彼女の幸せの為ならと仮病を装って闇の神子の間で塞ぎ込んでいる内に精神が蝕まれたと思われる。その間に養母と養父はついに恋仲となった」
愛する人の為に身を引くなんて…旭はしばし放心状態でティーカップの紅茶を見つめていた。
「そしてついに養父は養母と生きていく為に精霊から人になり、精霊祭で皆に婚約を発表した。しかし水鏡族ではない人間が光の神子と結婚するなぞと周囲から反対の声を受けた。しかし一夜明けると何故か反対から一転、2人の結婚を村中が歓迎した」
一体それは何故なのか旭は首を傾げたが、思い付かなかった。紫は知っているのか複雑な表情を浮かべていた。
「何故ならばその夜、闇の神子が魔術を駆使して村中の人間に養父母の結婚を認める様に心を操ったからだ。彼の仕業と気付いた養父母は彼を問い正そうとしたが、禁忌を侵した彼は既に神殿から姿を消していた」
「それって…」
「ああ、先々代は闇の精霊との契約を破棄して神殿を出て、養父母達が無事結婚式を挙げたのを確認してからひっそりと人生に別れを告げた」
悲し過ぎる先々代の闇の神子の終末に旭は体を震わせてルビーの様に美しい瞳からポロポロと大粒の涙を流した。
「そんなのってないよ…どうして…」
「一度に大多数の人間の心を操った代償は重い」
心を操る魔術は使用者の精神に強い負担を与える。サクヤも子供の頃一度だけ犯罪者にアジトを自白させる為に用いたが、その日は一晩中悪夢に苛まれた記憶が今も残っていた。
「…なお、光の神子はこの偽りの祝福をいつか真実の祝福に変えてみせると決意してその後光の神子として多大なる功績を残して、先々代の闇の神子への弔いとしました。そして第二子の闇の神子を出産された際、彼の様な優しい人間になるようにとイザナと同じ名前を付けたのです」
紫による補足でようやく叔父と同じ名前である理由が発覚した。闇の神子の記憶には無い新事実に不意にサクヤは頬に一筋の涙が伝った。
美しい涙を流す幼馴染みの横顔に旭はピタリと泣き止み暫し釘付けになったが、先々代の闇の神子の記憶に同調してしまったのかと心配で顔を曇らせた。
「だ、大丈夫?」
「ああ…これは憶測だが、我の中の先々代の魂が救われたのかもしれない」
穏やかに笑うサクヤはどこか大人びていて、旭は胸の奥が熱くなり心臓が騒がしくなってきた。一体彼は何回惚れさせるつもりなのかと堪らなく彼が愛しかった。
しかし旭は他の闇の神子達も皆悲しい最期で、サクヤもその運命から逃れられないのではと強い不安に襲われた。少なくとも先代、先々代は若くして亡くなっている。そんな呪縛からサクヤを守る為にも真っ直ぐに愛を伝えよう。その気持ちをそっと唇に込めて、旭は彼の涙の跡にそっと口付けた。