9 義姉は最高の癒しです
爽やかな風と共に旭はサクヤと朝のランニングに勤しんでいた。サクヤは相変わらず全身黒づくめの運動着に邪魔じゃないのかと思わず問いかけたくなるような鋲が大量に付いた腕輪を左右に3つずつ着けていた。
彼が言うには腕輪はリミッターで、これを外すと膨大な闇の力が暴走するらしい。
もちろん旭は信じてなかったが、最近は突っ込むのも疲れたし、こうやって自分にペースを合わせて走ってくれる優しい許嫁との時間は嫌いじゃなかった。
旭はノルマが終了したが、サクヤはまだ走るということなので息を整えながら風の神子の間に戻ると、灰色の髪を低い位置でシニヨンをした女性が側近の紫と楽しそうに談笑していていた。そして旭に気付くとソファから立ち上がり手を振った。
「お義姉ちゃん!」
その人物は旭の義姉の命だった。彼女は兄嫁で幼い頃から優しく接してくれていたので、旭は大好きだった。
久々の再会に旭が駆け寄り、義姉の豊満で柔らかい胸に飛び込めば、甥のクオンと同じツンとした猫の様に気まぐれそうな瞳に反して優しく抱きしめてくれた。
「元気だった?」
「うん!こないだは誕生日プレゼントありがとう!」
「いえいえ、うちの男連中がいつもお世話になっている感謝の気持ちです」
義姉の胸に甘えるように頬擦りしながら、旭は元気に返事をした。その様子を紫は穏やかに見守った。
「はっ!お兄ちゃんは?くーちゃん、せっちゃんも!」
兄と甥っ子達の姿が無かったので旭が焦りながら辺りをキョロキョロと見回すと、命はクスクスと声を立てて笑う。
「あの人は休日出勤。最近雨ばかり降って作業が中止になっていたから工期が迫ってるの。クオンとセツナは伯父と従兄弟で川へ魚釣りに行っちゃったから、旭ちゃんに会いに来ちゃった!あの人には内緒ね。多分バレてるけど」
言われてみればここ最近兄の襲来が多く、特訓地獄だった旭は悲鳴を上げていたが、その皺寄せが休日に来てしまった様だ。今頃汗水垂らして働いているであろう兄の姿を思い浮かべて、旭は少し胸がスッとした。
「風の神子、代行の奥様から手作りクッキーを頂いたのでお茶を用意いたしますね」
「クッキー!?ありがとうお義姉ちゃん!」
紫の言葉に旭は目を輝かせて再び命に抱きつけば、今度は優しく頭を撫でて貰った。悪魔の様に厳しい兄に対して義姉は優しくて正に天使だった。
「あとはこの前言っていた本も持って来たよ」
そう言って命はソファに置いていたトートバッグに敷き詰められた本を指した。年始の挨拶に神殿に訪れた際、旭が読みたいと言っていた貴族の恋愛模様が描かれた小説で、命が少女の頃によく読んでいた物だった。
「嬉しい!貴族の恋愛物は初めて読む!」
「普段はどんな小説を読んでいるの?」
「最近は『そよ風のシンデレラ』シリーズが大好きなの!普通の女の子が神子である事を隠している年下の男の子に溺愛される物語なの!お義姉ちゃんは読んだことある?無いなら貸してあげるよ!」
「そ、そうなんだ…私は最近推理小説にハマっているから遠慮しておくよ」
嬉々として好きな本を語る旭に対して、命は口角を引き攣らせると首を振って辞退した。
一旦旭は汗を流して若草色のワンピースにいつもの白い神子の羽織を着てから、義姉の作ったクッキーを紅茶と共に味わった。
「美味しー!お義姉ちゃんのクッキー最高!」
「ありがとう、あーやっぱ女の子も可愛いなあ…欲しいな女の子…」
クッキーを絶賛してくれる可愛い義妹に命は目を細めてしみじみと呟き、レモンティーにたっぷりと蜂蜜を垂らした。
「え、お義姉ちゃんまだ子供欲しいの?」
自分自身が2人兄妹なので、既に子供が2人いる義姉に旭は目を丸くして問いかけると、命は力強く頷いた。
「女の子が生まれるまで諦めないよ。本当ならもっとハイペースで作って、今頃5人の子供達に囲まれる予定だったんだけどね…」
義姉が子供好きなのは知っていたが、まさかここまでだとは思わずに旭は呆気に取られてしまった。
「でも最近お兄ちゃんとお義姉ちゃんって仲悪いよね?」
兄と義姉の不仲は旭の悩みの1つだった。歳を取っても変わらず仲睦まじい両親と比べるのは間違っているのかもしれないが、身近な夫婦である叔母夫婦だって穏やかな雰囲気なのに対して、兄は義姉の話をすると急に不機嫌になるし、親戚が集まる時位しか2人一緒に姿を現すことがなかった。
「うーん、まあ…旭ちゃんからはそう思われてもしょうがないかな?」
不仲を否定しない義姉に旭は不安で眉を寄せた。兄の事は苦手だが、決して嫌いではなかったので、妻子に捨てられた姿を想像すると、哀れみで涙が出た。
「お義姉ちゃん、お兄ちゃんを見捨てないであげて!お兄ちゃんは意地悪で性格が悪いけど、くーちゃんとせっちゃんのパパだし、私もお義姉ちゃんが私のお義姉ちゃんじゃ無くなるのは嫌だ!」
旭のお願いに命は驚きながらも泣かせてしまった罪悪感から優しく抱きしめてごめんねと謝罪した。
「心配しないで、離婚は絶対しないから。若い頃は浮気されたら即離婚かなーなんて考えていたけど、今はクオンとセツナの学費を確保しなきゃいけないし、さっきも言ったけど、まだまだ子供も欲しいからね。向こうが土下座して泣いてお願いしても別れないよ」
「…それってお義姉ちゃんにとってお兄ちゃんはお金と体しか価値が無いの?そもそもお兄ちゃんとなんで結婚したの?」
「なんで結婚したかって…私の人生史上最高に顔が好みだったから、かな?あの人との子供なら絶対美形だと思ったから。現に2人とも中々の美形でしょ?」
確かに兄は類稀なる美貌を持っていて、他の男神子達に負けない位女性人気があったし、息子のクオンとセツナも幼いながら将来有望な整った顔だちをしていた。
「離婚しないのは安心したけど、なんかお兄ちゃんが可哀想…」
「うーん、私はちゃんと愛はあるよ?今の所はね」
義姉の曖昧な語尾に旭は納得出来なかったが、これ以上問い詰めて2人の仲に悪影響が及んでも困るので、夫婦仲についてはこれ以上問い詰めるのは止めた。
お昼が近くなって来たので2人で調理場を借りて料理を作る事にした。とはいっても料理が苦手な旭は簡単な手伝いをするだけで、ゆで卵の殻を剥いたり、レタスを千切ったり、味見をしたりするだけだった。
昼食が完成すると、サクヤにも食べて欲しくて旭は風の神子の間へと招待した。
「ほう、久しいな闇の眷属を生みし者よ!」
クツクツと喉で笑いながら現れたサクヤはここ最近のお気に入りである自作のダメージ加工が施されたシャツとズボンに神子の羽織を肩に引っ掛けた出で立ちでやってきた。
闇の眷属を生みし者とは、彼にとって闇の眷属であるクオンとサクヤの母親である命の事を指しているようだ。
「ど、どうしたのサクヤ様!?」
サクヤがおかしくなってから初めて会った命は彼の姿に驚き声を上げると、サクヤに詰め寄った。ここで義姉がガツンと説教してくれたら、元の許嫁に戻るかもしれない。旭は期待に平たい胸を膨らませた。
「どこでどうしたらそんなに服がボロボロになるの?ご飯食べたら繕ってあげるからね!」
まさかの母親目線の発言に旭は思わず吹き出しそうになった。心外だったサクヤは不服そうに口を歪ませた。
「否!これはこういう衣服だ!繕う必要は無い!」
「でもこんなに穴だらけだと、引っ掛けて怪我するから危ないよ?旭ちゃん、裁縫道具持ってる?」
「持ってない。お裁縫なんてした事ないもん…あ、そうだ!おばあちゃんが持ってるからご飯食べたら光の神子の間に行こう!ミシンもあったはずだよ」
祖母が趣味で手芸をしていた事を思い出した旭が提案すると、午後からの予定が決まった。これでサクヤの服装がまともになる。旭は明るい気分で昼食の手作りサンドイッチを命達と楽しんだ。
昼食を食べた後はサクヤに逃げられない様に両腕を旭と命がガッシリと捕まえて光の神子の間へ向かった。
「あら、今日は賑やかね」
安楽椅子でレース編みをしていた光の神子は孫達の姿に嬉しさで目を細めると、手を止めた。
「お久しぶりです。体調はいかがですか?」
「本当、命さん久しぶりね。体調はまずまずといったところよ」
挨拶を交わしている光の神子と命の間に入る様に旭はひょっこりと顔を出して、安楽椅子の肘掛けにしがみついた。
「ねえ、おばあちゃん!お裁縫箱とミシンをお義姉ちゃんに貸してあげて。サクちゃんの服をお直ししてもらうの」
孫の頼みに光の神子は近くにいた神官に目配せをして作業台と共に裁縫箱とミシンを用意してもらった。
「私もサクヤの服の破れが気になってたのよ。あなたは唯一無二の存在である闇の神子なのだから、ちゃんとした服装をしなさい」
養母に言われてしまうと流石のサクヤも気まずいのか、ベッドの影で破れた服を脱ぐと、光の神子からストールを借りて腰に巻き羽織を肩に掛けると、服を命に差し出した。
「うわー、近くで見ると思ったより酷いな…何か布を当てた方がいいかな?」
穴だらけのシャツとズボンを広げると命は声を上げ、どんな補修をしようか思案する。
「そうね、私が持っている布で良ければ使ってちょうだい」
光の神子は再び神官にお願いして、次は大きな箱いっぱいに詰まった布地を持って来てもらった。
「わあ、この花柄の生地可愛いー!」
布地を物色した旭はピンクの小花柄の生地を手に目を輝かせた。その横でサクヤは赤黒い生地を手に取った。
「この龍の生き血を吸った生地にしよう。闇の眷属を生みし者よ!これを使い新たな衣を生み出すがいい!」
「はいはい、闇の眷属を生みし者がサクヤ様の為に頑張りまーす」
ノリをサクヤに合わせてあげながら命は赤黒い生地を受け取ると、早速補修を始める事にした。その様子を旭とサクヤは興味津々に眺めていた。
「手際がいいわね。よくするの?」
「はい、うちの男達がしょっちゅう服に穴を空けますからね」
「ふふ、私の孫とひ孫は元気がいいのね」
孫嫁の返事に光の神子は彼女達の賑やかな日常が頭に浮かび、含み笑いをしてからレース編みを再開した。
「出来た!サクヤ様着てみて」
2時間程で完成して、命はサクヤに補修した服を手渡すと、サクヤはいそいそと衝立の後ろで着替えた。裂けていた箇所は丁寧に縫い留められていて、穴が空いていた箇所は赤黒い布を裏から当てて縫われていた。
「ほう、中々良い出来ではないか。我の闇の力を表現出来ているぞ!」
「お褒め頂き光栄です」
上から目線で褒めるサクヤに対して、命も合わせる様に恭しくお辞儀をして感謝してから裁縫道具を片付け始めた。
「他にもあったら補修してあげるよ。時間が無いから家に持ち帰りになるけどね」
「否、これ以上闇の眷属を生みし者が手を煩わせる必要は無い。後は我の配下に任せる」
「ねえお姉ちゃん!だったらこの花柄の生地で私に何か作って!」
旭は先程気に入った小花柄の生地を手に義姉にリクエストした。サクヤが補修してもらっているのを見てて羨ましくなったのだ。
「いいよ。スカートでいいかな?とりあえずサイズ測らせて」
「やったー!」
快く引き受けてくれた義姉に旭は歓喜して早速寸法を測ってもらった後、光の神子が持っていた型紙からフレアスカートを選んだ。
「うわっ、もうこんな時間…帰らなきゃ。じゃあ旭ちゃん、完成したら持ってくるね。では失礼します」
夕方になって時間を確認した命は、花柄の生地と型紙を手に、光の神子の間を後にした。
「楽しみだなー!えへへ、今日は最高の1日だった!」
充実した休日に旭は先刻よりは少しマシな服装になったサクヤを一瞥してから満面の笑みを浮かべて、義姉が作る花柄のスカートを心待ちにするのだった。
登場人物メモ
命 いのち
32歳 髪色 灰 目の色 赤 水と風属性
旭の兄嫁。美形好きで妹萌え属性を持つ。お人好しで困っている人を放っておけない。