87 今年を振り返ります
アラタの結婚が破談になったり、梢とリクトの間に双子が生まれたりと神殿は大賑わいとなったが、数日もすれば年末年始に向けての準備に追われる様になっていた。
毎年恒例の大掃除を行う神官達を横目に旭はバケツに浸した雑巾を絞る。今年から自分も大掃除に参加すると決めたのはいいが、手出しする隙を与えてもらえず、仕方なく自分の部屋だけ掃除する事となった。
我が部屋ながら散らかっているなと自嘲しながら旭はお気に入りの磁器製の猫の置物を水気を切った雑巾で拭くと汚れが雑巾にべったりとついたので、これからはもっとまめに掃除をしなければと戒めてから、次は持ち物を整理する事にした。
「うーむ、本が場所を取りすぎてしまっている…でも減らせないな…」
旭は手近にあった机に積み上がった一番上の本を手に取った。
「あ!『そよ風のシンデレラ』の新刊!読むのすっかり忘れてた!あーん、私のバカ!」
いつもの務めに劇の出演や狩りに会合、そして結婚式とここ最近多忙だった為、発売されたものの買うだけ買って積んでいた愛読書に旭は声を上げた。どうりでここ最近暦が何か言いたそうにしていた訳だと思いつつ読み進める事とした。
「はあ…その手があったかーっ!」
続刊が出る度に糖度が増す「そよ風のシンデレラ」は今回は海水浴デートの話で、ナンパされるミコトを翠が守るという思わず胸がときめいてしまう展開だった。しかも後日翠の誕生日プレゼントの1つとして照れ屋なミコトが混浴を提案するという大胆さに旭は思わずそのページを二度見してしまった。
「はいはい、水着を着て混浴ね。これは名案だわ。私もサクちゃんにお願いしてみようっと!」
水着を着て混浴するのはプールみたいなものだ。頑ななサクヤもこれなら首を縦に振るはずだ。
「でも海水浴も憧れるなあ、巷で話題のハート形のカップルストローでサクちゃんと一緒にトロピカルジュースを飲みたいな…ぐふふ、ストローだけでも取り寄せてみようかな?」
今年はサクヤと許嫁としてだけではなく恋仲としても進展があった。お互い両想いでキスだって3回もした。しかしよく考えたら3回は少ない気もしたので来年はもっとキスをしたいと野望に鼻を膨らませページを進めていった。
「やけに静かだと思ったら…あなた何やってるんですか?」
大掃除が終わり、様子を見に来た紫の声で旭はハッと現実に戻り、窓から外の様子を見ると夕焼け空になっていた。すっかり読み耽ってしまったと慌てて本を閉じて片付けを再開した。
仕方ないので紫はマイトに残業を頼み、一緒に旭の部屋の大掃除を始めた。
「えへへ、ごめんねマイトさん。早く帰りたかったでしょう?」
「いえ、お気になさらずに。それよりも男の私が自室を片付けても大丈夫なのですか?」
「うん平気、マイトさんはもう1人のお兄ちゃんみたいなものだし!」
「そう言って頂けると嬉しいです」
マイトには幼い頃から世話をして貰っているので抵抗が無いと旭は恋愛小説を本棚に収める。
「よかったですね、風の神子。実兄に部屋を片付けて貰ってたら日記帳とか声に出して読まれていたでしょうね」
脱ぎっぱなしの服やコートを畳んだりハンガーに掛けたりしながら吐いた紫の毒に旭は何度も頷いた。
お喋りも程々にして紫とマイトが片付けている間に旭は夕方の礼拝を済ませてから合流する頃には掃除は終了していた。
「2人共ありがとう!これで気持ち良く新年を迎えられるよ!」
「次の年末は計画的に片付けて下さいね。まあ、今月は色々ありましたからね…土の神子の結婚の破談は歴史に残る事件でしたよ」
アラタと静の破談についてはいつも村人宛に神殿からのお知らせという形で回覧板にて双子誕生というトップニュースの片隅で価値観の相違が生まれたと曖昧な理由で記載されていた。
静のお腹の子の父親についてはアラタは関係を持った事が一度も無く、身に覚えがないという事から候補から除外されたのは不幸中の幸いだった。ちなみに父親候補の1人である神官は責任を感じて神殿を去っている。
さぞや落ち込んでいるだろうと皆アラタを心配していたが、梢が迷惑をかけた償いとして神子の務めに以外は双子の子育ての参加を強制させた為、落ち込む暇も無く忙殺されているそうだ。
「双子ちゃん達は神殿にとって救世主になったね。しかもめちゃくちゃ可愛い!」
「夏には代行に娘さんが生まれましたし、神子の世代交代の日もそう遠くないでしょうね」
「るーちゃんにも会いたいなあ、明日新年の挨拶に来てくれるのが今から楽しみ!」
きっと明日は双子と螢の初対面を迎えるはずだ。旭は想像するだけで目尻が下がった。
手伝ってくれたマイトを見送ってから旭は夕飯を取った。本当はサクヤと食べたかったが、相変わらず忙しい様で遠慮してしまった。しかしながら年越しは一緒にいようと約束していたので、食後はおめかしをしてサクヤを迎え入れようと奮闘することにした。
約束の時間になり紫を下がらせて、旭は風の神子の間でサクヤの訪問を今か今かと心待ちにしていていると、ドアがノックされた。
「サクちゃん!ようこそ!」
ドアを開けて相変わらず奇抜で黒づくめに着飾ったサクヤを迎え入れた旭は彼の手を取りいつもの応接スペースへと誘った。
「これを…我の神官が夜食にと用意してくれた」
黒づくめの服装に不釣り合いな手提げのついた手提げ籠を掲げ、サクヤはそれをローテーブルに置いた。早速旭はピンクのチェック柄のクロスを取って中身を確認した。
「わあ、芋団子だ!正月休みが明けたらお礼言わないと!」
闇の神子に使えるおばあちゃん神官は素朴な味わいの料理やお菓子を作るのが得意で、子供の頃から食べて来たサクヤと旭にとって大好物だった。
「うちの神官達にも見習って欲しいな。雫さんは料理を教えてくれるけど、手作りの差し入れなんてしてくれないし、紫さんなんて料理しないしな」
あとの神官達は男ばかりだからか、料理が趣味の者はいなかった。
「風の神子よ、それは少々欲張りではないか?神官雫は家庭がある身が故にわざわざ差し入れを作る余裕など無かろう。そもそも彼女が料理を作るべき相手は家族だ」
正論過ぎるサクヤの言葉に旭は口を尖らせて分かっているからと、芋団子を1つ摘んで口に放り込むも、喉を詰まらせて咳き込んでしまった。お茶を用意していなかったのでひたすら苦しさと戦い、こんな時水属性魔術が使えたらと悔やんだ。
「大丈夫か?」
「うん、何とか…とりあえずお茶を用意しよう…」
食器棚からティーセットを取り出し、ローテーブルに並べてから旭は慣れない手つきでお茶の用意をした。
「ふう…今度からお茶を用意してからお菓子を食べなきゃね」
失態から反省して旭は懲りずに芋団子をもう1つ食べた。サクヤも団子を齧る。
「今年も色々あったけれど、サクちゃんと一緒にいれて楽しかったなあ」
このまま年明けまでイチャつこうとサクヤの腕にしがみついてからもたれて旭は甘い溜息をついた。
「そうだな、風の神子には多大なる迷惑を掛けてしまった。本当にすまなかった」
頭を打って記憶喪失になったり、突然婚約破棄を申し出たり、確かにサクヤには振り回された一年だった気がすると旭は思いもしたが、自分もいつも彼に無理難題を押し付けているのでお互い様だと感じたので、笑顔で首を振った。
「我としては勇者エアハルトとの邂逅は非常に有意義だった。彼は外側の立場から我を評価してくれて、大切な事に気付かせてくれた」
自分でも気づいていなかった旭への想いを言い当てた勇者に対してサクヤは感謝しかなかった。あれから何度か手紙のやり取りをしているが、返事が来るたび心が躍っていた。
現在は魔王の足跡を追いながら南諸国を旅しているらしいが、また近々顔を見せに来ると書いてあったので今から楽しみにしていた。
「来年はついにサクちゃんも16歳になるね…一足先に結婚出来る様になるからって他の子に目移りしないでね」
「無論だ。我の想いに迷いはもう無い」
「信じてるからね。となるとそろそろ結婚式の準備も始めなきゃね。霰さんが衣装に力を入れて欲しいなら1年前から依頼して欲しいって言ってたし」
「結婚式は風の神子の16歳の誕生日はどうかと考えている」
「うん!16歳になったら真っ先に結婚したい!」
サクヤの口から提案されて旭は嬉しい気持ちでいっぱいになり、彼の腕に頬擦りをした。
「何か来年が楽しみになって来た。たくさん思い出作ろうね!」
「ああ、これからも共に歳を重ねよう」
ふと時計に視線を移すと年が明けるまであと少しだった。旭はこの日の為に考えていた野望をサクヤに語る事にした。
「サクちゃん、お願いがあるの。年越しはサクちゃんとキスして過ごしたいの」
「なるほど…」
要望に対してサクヤは腕を組んで考え込む。躊躇しているのかと旭が不安になりながら返事を待つがその間も時は流れて年越しは刻一刻と近づいている。年明けと共に塔に設置されている鐘が鳴るはずだ。それが鳴る前に返答して欲しい所だ。
「これまでの経験上、我々の息が続くのは30秒程。となると年が変わる15秒前位に口付けを交わせば何とか年を越せるだろうか」
キスが嫌だったわけではなく、作戦を立てていたサクヤに旭はホッとして、その作戦に乗る事にした。気付けば年越しまであと2分、時計をじっと見つめて旭とサクヤはキスをするタイミングを窺った。
「あと20秒!準備しなきゃ!」
大きく息を吸い込んで準備をしたら、旭はサクヤからのキスを待つべくそっと瞳を閉じた。タイミングを委ねられたサクヤは横目で時計を見ながら息を吸って旭の唇にそっと口付けた。
それから10秒程して年明けを告げる鐘が鳴り響いた。まるで2人の愛を認めている様だと旭はうっとりと目を細めて鐘の音を聞いていたが、息が続かなくなったので仕方なくサクヤの唇から離れた。
「はあ…はあ…サクちゃん、今年もよろしくお願いします」
「ふぅ、こちらこそよろしく頼む」
互いに酸素補給をしてからというなんとも滑稽な挨拶を交わした後、旭はサクヤと声を出して笑い合って共に新年の訪れを祝ったのだった。
いつも読んでくださり感謝です!本日活動報告にて母の日SS更新してます。