86 ダブルでハッピーです
「おまたせー」
花嫁の入場ギリギリになって菫はようやく姿を現した。勿論白いドレス姿のままだ。静に気付かれて泣かれるのではと思っていたが、緊張しているのか、長いベールなので動けないのか、こちらを振り返る事は無かった。
世話役の女性やスタッフは菫の白ドレス姿に唖然としていた。静をエスコートする彼女の父親も何か言いたげにこちらを見ていたが、注意する間も無くチャペルのドアは開かれていよいよ花嫁入場となった。旭は慌てて先程説明を受けたベールの持ち方を菫に説明すると、2人で長いベールの裾を持って花嫁の歩幅に合わせて進んだ。
チャペル内では所々でどよめきが走っていた。無理もない、紺色のドレスの旭はともかく花嫁と花婿以外は身につけてはならないと言われている白を着た菫が堂々と闊歩しているのだから。
花婿であるアラタの元に辿り着いてお役御免となった旭と菫はそれぞれの席に移動して結婚式を見守る事とした。
後方の兄の隣の席に腰を下ろして祭壇を見た旭は思わず瞠目した。神子の結婚式の進行役はミナトが引き受ける事が多いのだが、今回は祖母がアラタと静の前にいた。水鏡族の象徴的存在である光の神子に頼むとは怖い物知らずなものだと呆れを通り越して感心してしまった。
「それでは婚礼の儀を執り行います。始めに誓いの言葉を…新郎アラタは新婦静を妻として病める時も健やかな時も愛し合い支え合うと誓いますか?」
「はい、誓います」
普段はラフな格好が多いアラタも今日ばかりはピシッとした花婿衣装を着こなして背筋をしっかり伸ばした精悍な出立ちだった。
「続いて新婦静、あなたは新郎アラタを夫として病める時も健やかな時も愛し合い支え合うと誓いますか?」
「はい…誓います」
いつもの甘ったるい声で愛を誓う静は今この村で一番幸せな花嫁だろう。自分も近い将来あの場所でサクヤと愛を誓い会える日が楽しみだと兄の隣にいるサクヤに視線を向けて微笑んだ。
「2人の結婚に異議のある者はいますか?」
これは流れ的に問い掛けるもので、実際異議を唱える者はいない。大半の参列者がそう思っていたが、旭は異議を唱えそうな菫の様子が気になってしょうがなかった。
「その結婚待った!」
チャペルのドアが開き沈黙を破った男の声に一同は注目した。男の声だったので旭はてっきり先程の従兄弟だと思っていたが、彼とは違う若い男性だった。
「静!お前を幸せに出来るのはこの俺だ!」
まるで恋愛小説のワンシーンの様な出来事にチャペルはどよめく。当事者である静は突然の事に驚き震えている。アラタは呆然と立ち尽くしていた。
「いや!静ちゃんを幸せにするのは俺だ!子供の頃に結婚する約束だってしたんだ!」
乱入男に触発されたのか、先程控室にやって来た静の従兄弟も結婚を阻止すべく立ち上がった。
「あーあ、調査が甘かったみたいだな」
「それってどういうこと?」
呆れた口調でこぼした兄の発言に旭は思わず尋ねる。
「風の精霊達に聞いたんだけど、あの女元カレがたくさんいるらしい。まあアラタとお見合いした時点で全員と切れていたからそこまで問題無いかと判断して一応アラタには素行を再度調べ直せと忠告していたんだけど…」
「はっきり言ってあげればよかったのに…」
「人から聞きたい情報じゃないだろう」
確かに結婚相手の元恋人の話なんて出来れば聞きたくない。しかしこうして修羅場を目の当たりにしていると、今回ばかりは言うべきだったのではと感じてしまった。
「あらあら、どうしましょうかね」
年の功なのか、光の神子は動じた様子はなく寧ろ楽しそうに花嫁に問いかけた。静は顔面蒼白で首を振りアラタの腕にしがみついた。
「私はアラタ様と添い遂げます!」
毅然とした様子で自分の意思を告げる静に元気付けられてアラタの瞳に光が戻る。
「必ず私が静さんを幸せにします。だからお二方共、どうか私達の結婚をお許しください」
真摯なアラタの姿勢に静の元恋人と従兄弟は押し黙るも、頷く様子は無かった。このまま式が進まないとなると後のお披露目や結婚パーティーの進行に響いてしまう。一体どうなってしまうのかと誰もが考えていたその時、またもやチャペルの入り口から乱入者が現れた。
「静っ!君は間違っている!偽りの心と体で土の神子に嫁ぐなんて精霊達がお怒りになるぞ!」
現れた男はアラタとは正反対の線の細い長髪の中性的な雰囲気の男性だった。彼もまた静の元恋人だろうか。それにしても偽りの心と体とはどういう意味なのか。旭は小首を傾げて兄に問うと茶番に付き合ってられないと言わんばかりに欠伸をしていた。
「まあ…これは一体どういう事かしら?説明してくださる?」
説明を求められた静は何か話そうとするが、何度も躊躇い声に出せずにいる。
「彼女は神子の花嫁になる夢だけの為に土の神子を利用しているのです!」
「違います!アラタ様信じて下さい!彼は以前私に交際を申し込んだ際に断られたから逆恨みをしているんです!」
必死にアラタに弁明する静に長髪の男は馬鹿にする様に鼻で笑った。
「土の神子よ、よく聞いてください。この女は現在妊娠していますよ!」
「どひゃー!」
更なる修羅場新聞案件に周囲は更にざわつき、旭も思わず間の抜けた声を上げてしまった。もしやダイエットに失敗したのも妊娠が原因だったのだろうかと勘繰り、再び彼らの行く末を見守る。
「静さん…本当なの?」
力無く問い掛けるアラタに静は何度も首を振って違うと叫ぶ。結婚と赤ちゃんとダブルでハッピーなのに、アラタと静は何であんなに死にそうな顔をしてるのか、旭が兄に尋ねると「ハッピーなのはお前の頭だ」と一蹴された。
「このまま結婚したら分かる話です。直ぐに子を授かったと言って予定より大幅に早く生まれる事でしょう」
まるで預言者のように仰々しく告げる長髪の男の言葉にチャペルは静まり返った。もし彼の言った事が現実となれば大問題である。
「このままじゃ埒が明かないわね。燕、妊娠検査機を持って来てもらえる?」
「承知しました」
参列していた雷の神子三席の燕が開発した魔道具を持ってくる様にと光の神子は命じてから、腕を組んでニヤリと静を一瞥して笑った。
しばらくして燕が魔道具の検査機を持って来て光の神子にそれを手渡し使い方を簡単に説明した。
「さあ、ハッキリさせましょうか?」
悪魔の様に口だけで笑う光の神子に静は怯えてアラタの背に隠れたが、その態度が全てを物語っているのは明らかで、アラタは諦観の眼差しで静の手を取り検査機に触れさせた。すると魔道具の白い魔法石の部分が赤色に光った。
「赤色は陽性。つまり妊娠している事を指すのよね?」
光の神子が確認すると燕は2回頷き、使い終わった検査機を回収した。
「ご懐妊おめでとう、元気な赤ちゃんを産んでね」
祝福する光の神子に対して静はガタガタと震えてその場にしゃがみ込んでしまった。アラタは立ち尽くしたまま動かない。
「それで父親はもちろんアラタよね?まさか愛を誓い合ったのに違うとは言わせないわよ?」
どこか威圧感のある光の神子の言葉に一同は震え上がる。村人の前ではいつも慈悲深い印象だから尚更のことだろう。
「申し訳ありません!俺が父親です!結婚式の準備が思うように行かないと泣いていた静を慰めていたらつい…」
アラタより先に父親だと名乗り出たのは最初に登場した乱入男だ。
「いや俺です!静ちゃんがお嫁に行く前に1回だけ思い出にと頼み込んで…その…」
次に名乗り出たのは静の従兄弟だ。こうなると長髪の男も名乗り出るのかと一同が注目すると、男は苦々しげに手を挙げた。
「もしかすると私かもしれません。嫁ぐ事に悩んでいると夜更けに相談に来た静と関係を持ちました」
父親候補がアラタ以外に3人もいるなんて誰が思っただろうか。しかしこれだけでは終わらなかった。
「土の神子っー!申し訳ありません!私もその1人であります!!」
アラタに対して謝罪したのは彼の側近の神官だった。側近のまさかの裏切りにアラタはフラフラと頽れた。
「彼女の相談を聞いているうちに何度かそういう雰囲気になりまして…頼まれていた素行の再調査も行なっておりません!墓場まで持っていくつもりでしたが、耐えられませんでしたあー!」
神官は堰を切った様に泣き出しチャペル内は騒然となってしまった。
「やっべぇ、こんなビッチ見た事ないわ」
思わず口走った兄の言葉は殊の外チャペル内に響いてしまい、周囲から失笑が漏れた。旭はこの地獄から早く抜け出したい気持ちでいっぱいだったが、どうするべきかまるで想像出来なかった。
「お集まり頂いた皆様には申し訳ありませんが、どうやら結婚式を続ける事は不可能なようですね。一先ず別室でそれぞれにお話を聞きましょう」
光の神子の言葉で結婚式はお開きとなってしまった。参列者は席を立ちぞろぞろとチャペルから出て行く中で旭は立ち上がり周囲を見渡すと、静と彼女の両親は魂を抜かれた様に動かなくなっていた。
父親候補の男達はまとめて神官達に身柄を拘束されて連行されて行き、アラタは母親と妹、そして異国に嫁いでいた姉が彼の背中を撫でて慰めている。まるで葬式の様なムードに旭は居た堪れなくなった。
「…よくもアラタさんをここまで傷付けたわね!許せない!」
チャペル内の人も疎らになった頃、怨念の籠った声で菫が静に掴みかかり平手打ちをした。
「私がどんな気持ちでアラタさんの花嫁になる事を諦めたと思ってるの⁉︎それを…それをーっ!」
泣きじゃくりながらもう一度平手打ちをしようとした菫の腕をアラタが掴み阻止した。
「どうしてこの女を守るのよ!」
「もういいんだ…」
金切声で非難する菫にアラタは疲れ果てた顔で首を振り一言告げて自嘲した。
妊婦に暴力は良くない。仕方ないので旭は祭壇前へと向かい、放心状態の静を立たせて世話役の女性に介助を頼み彼女の両親と共に退場を促した。
「旭ぃ…」
こちらを見るなり菫は抱き付き、子供の様に声を上げて泣き出した。旭も触発されて目尻に涙を浮かべて親友の背中を優しく撫でた。
「しかしこれからどうするの?野外劇場で村人が今か今かと花嫁のお披露目を待ってるんじゃない?」
「ううむ、中止の旨を伝えるのが妥当だが…それで納得してもらえるか」
気怠げに問題点を指摘する兄にサクヤも唸り声を上げて考え込んだ。
「俺が1人で説明するよ。こうなったのは全て俺の責任だしね」
力無く笑いアラタは覚悟を決めて身なりを整え背筋を伸ばせば、先程の落ちぶれた姿から一転、土の神子代表らしい品格のある姿となった。
「いたいた!生まれましたよ!」
場違いなほど明るい声でチャペルに現れたのは梢の夫リクトだ。結婚式の惨劇などいざ知らず、眩しい位の笑顔を浮かべている。
「2人とも女の子です!梢ちゃんも無事です!」
「わあ!おめでとうリクトさん!」
嬉しい話題に旭は目を輝かせる。アラタの母親や要と蕾も同様だ。各々父親になったばかりのリクトに言葉を掛けてすっかり祝福ムードだ。
「そうだわ!花嫁のお披露目の代わりに双子の赤ちゃんのお披露目をしましょう!」
閃いたと光の神子は指を鳴らし意気揚々と側近神官を呼んで早速準備に移らせた。
「生まれたばかりの赤ん坊を村人達に晒すとかばあちゃん馬鹿なの?」
「何とでも言ってちょうだい。大丈夫、直ぐ終わらせるし赤ちゃん達に負担がかからない様に私が祝福をかけて守るわ。梢にも悪いけど少し無理をしてもらうわ。リクトさんも出るのよ。早く着替えて!」
忙しくなるわよと光の神子は老体ながらパワフルに双子のお披露目に向けて準備を始めた。すっかり蚊帳の外となった旭達は予定通り野外劇場へ向かいお披露目を見届ける事にした。
その後、産後で満身創痍の梢は光の神子の治癒魔術の助けを得て、お産の延長戦だと勇ましくリクトと双子達と共に野外劇場にて誕生のお披露目を行った。
更にダメ押しでアラタと母親と蕾、そして要と彼女の夫と子供達と土の神子一族を総動員させて豪華さをアピールする。それにより今日の主役は完全に生まれたばかりの双子達となり、アラタの結婚の破談は大した話題にならずに済んだのだった。
登場人物メモ
蕾 つぼみ
23歳歳 土の神子三席 髪の色 灰 目の色 赤 土属性
アラタの妹。上の姉2人同様気が強い。荒地でも栽培出来る作物について研究している。




