79 きっと最初で最後です 後編
「す…末永くおすあわせにっ…ああっ!また噛んだ!」
精霊祭で同級生達と劇に出演する事となった旭は毎日セリフの練習に励んでいた。とはいってもその一言と共に花びらを主役達にフラワーシャワーをする配役である。
「いやあ、神子でよかったですね。これで役者だったら一瞬でクビになってましたよ」
「否定は出来ない…本番になったらどうなっちゃうのやら…」
「まあ普段精霊祭や会合で人前に出ているから案外いけるんじゃないですか?」
「だといいけど…」
よく考えたら同級生達よりも大勢の前で発言する機会は多い。来月だって風属性の会合で去年好評を得たピアノ演奏を予定している。自分は本番に強いタイプだと言い聞かせて旭はサクヤが昼食に誘いに来たので練習を中断させた。
「練習は順調かな?」
「うーん、ぼちぼちかな」
問い掛けられた質問に答えてから旭は料理長自慢のふわふわの衣とプリプリのエビのフリットを口にする。
「共に劇場観賞を行えないのは残念だが、風の神子の演技を楽しみにしているぞ」
「応援ありがとう、それに出番が無い時はサクちゃんと観覧席にいるからその時は仲良くしようね」
今年は全部兄に任せてもいいのだろうが、人前でサクヤとの仲睦まじい姿を見せつける貴重な機会なので出来れば観賞したかったのだ。
「そうだ!ご飯食べた後時間ある?一緒に台本読もうよ。私が少女役でサクちゃんが少年役ね!」
風の精霊のいたずらで飛んでしまった帽子を拾ってくれるサクヤを想像するだけで旭は胸のときめきが止まりなかった。どんなときだって自分がヒロインならばサクヤはヒーローだと頬をにやけさせながら旭はレーズンパンをちぎって食べる。
「相分かった。風の神子の力になれるならば助太刀しよう」
練習ではなく己の欲望を満たすためだけのお願いなのだが、旭はサクヤの優しさに甘える事にした。
サクヤと風の神子の間に戻った旭は早速台本を手に取ると、紫ら神官達を部屋から追い出して2人っきりになった。
「じゃあ少年の『これ、君の帽子?』からね」
ソファに身を寄せ合い、旭はセリフが書いてあるページを指してサクヤに指示をした。
「フハハハハハハ!この帽子を落としたのはそなたか⁉︎」
大幅にアレンジされたセリフに大袈裟なサクヤの演技に旭はズッコケそうになってしまった。これではムードのかけらもなく、原作が台無しだった。
「ちょっとサクちゃん!真面目にして!」
「我なりにアドリブを入れたのだが…」
「全然駄目!セリフをいじらないで!口調はそうだね…少女に一目惚れした感じでよろしく!」
旭の面倒臭い指示に応じるべく頭の中で役作りをし直すも、サクヤは次第に恥ずかしくなってきた。しかし期待に応えるべく口を開く。
「これ、君の帽子?」
変声期を終えて低く大人っぽくなったサクヤの演技に旭は心をときめかせてしまうも、慌てて少女のセリフを読んだ。
「はいありがとうございます!突然風で飛ばされちゃったんです!」
「そっか」
台本だと少年が少女に帽子を被せてあげるのだが、帽子がないので代わりにサクヤは優しく微笑み旭の頭を優しく撫でた。演技なのかもしれないが、許嫁の笑顔に旭はときめきで胸が苦しくなってしまった。
もう演技なんてどうでもいい、旭はサクヤにキスをねだるように目を伏せて迫った。
思わずサクヤは台本に視線を移してキスシーンの有無を確認したが記載されてなかった。つまり旭からのアドリブ…というよりもリクエストだと察した。
ならばとサクヤは赤い木の実を啄む鳥の様に旭に短く口付けた。
「もっとして」
要望に応えて貰って嬉しい気持ちではあるが、物足りなかった旭はうっとりした顔で催促すれば、また1つキスが降り注いだ。
許嫁との甘いひと時に満足した旭はサクヤが帰った後も夢見心地で執務をこなし、空いた時間には劇の練習を行うのだった。
***
そして遂に精霊祭当日となった。旭の出演する劇は午後の部からなので、午前中は例年通りサクヤ達と劇場観賞していた。
いつもと少し違うのは旭の隣に祖母がいるという事だろうか。サクヤは出生の経緯を知って以来祖母を避けていて、いつも精霊祭では祖母の隣に座っていたのに、旭に席を代わるように頼んで来たのだ。
祖母は反抗期だろうとサクヤを特に気にした様子では無く大きな声で合唱する子供達に目を細めている。
そんないつもより少し居心地が悪い午前中を終えて昼休憩にサクヤと控え室に行くと、既に兄が支度を整えていた。白を基調とした民族衣装姿に普段は無造作な髪の毛を後ろに撫で付けた髪型は兄が神子として人前に出る時のスタイルだ。これが村人達からいたく好評な上、本人曰く髪型を変えるだけで気持ちも切り替わるし、何より普段の生活で気づかれないにくいそうだ。
着替える前に買ってきてくれたという昼飯を頂きながら旭は兄に簡単に引き継ぎ事項を伝えた。
「このサンドイッチ美味しい!」
チキンとクリームチーズ、そしてにんじんサラダが挟まれたサンドイッチを旭は絶賛して次々と食べ進める。
「俺の同級生がやっている店なんだよ。これとこれも同級生が出店してたからおまけしてもらった」
「そういえばお兄ちゃんは普通に学校通っていたんだったね。じゃあ同級生と仲良しなんだ?」
「仲良くはないけど、クラス会は偶に顔出している。最低限の人付き合いは必要だからな」
「ふーん」
だから兄は自分に同級生との交流を勧めるのかなと思いつつ、父が祭の運営で奔走していたり、母はバザーで店番に奮闘していたり、義姉と姪は留守番だが、甥っ子達は彼らの伯母夫婦と一緒に祭を楽しんでいるなどと話を聞きながら旭は栄養補給を終えた。
休憩時間が終わるまで一眠りしようかと考えていたが、紫から同級生が迎えに来たと言われて断念した。
「なーんだ、ヒロトか」
「うるせえ、女子達が着替えにモタモタしてるからしょうがなく俺が来てやったんだよ」
「はいはいご苦労様。あ、そうだ!サクちゃん!」
不機嫌な幼馴染に旭は部屋に入りサクヤの腕を引いて戻ってきた。
「紹介してあげる。私の許嫁のサクちゃん!カッコいいでしょう?」
「いや、紹介しなくても殆どの村人が知ってるから。そんな事より早くしろ。みんな待ってるぞ」
ヒロトの反応の薄さに旭は不満げに頬を膨らませるも、名残惜しげにサクヤの腕から離れた。
「応援してる」
「ありがとうサクちゃん」
たった一言でもサクヤからの激励は旭を無敵にさせた。同級生達が準備をしている控え室に入ると、皆から歓迎されて悪い気がしなかった。
「旭ちゃんこれに着替えて」
衣装に着替えて薄化粧を施している響が差し出したのは劇の衣装だそうだ。今着ている神子の服の方が豪華で質も良いのにと思いつつ、旭は言われるままにミントグリーンの衣装に着替え、着ていた服は高価だからと紫が回収した。
「なるほど、風の精霊役はみんな同じ衣装なんだね」
「うん、みんなで作ったんだよ」
言われてみれば所々作りが拙い部分があり、彼女達が苦労した形跡が見える。本来なら旭もやるべきだったのだろうが、負担にならない様に気を遣ってくれたようだ。
簡単に打ち合わせを済ませると出番まであと少しとなり、同級生全員で円陣を組んだ。
「泣いても笑っても、みんなで挑む精霊祭は最後…悔いがないようにやり切ろう!」
クラスのリーダー格の少女の呼びかけに声をあげて気合が入れると、全員は持ち場についた。旭は同じ場面に出る精霊役のヒロト達と舞台袖で出番を待った。
主演の少女と少年役は実際に付き合っているらしいと巴と響から聞いていたが、確かに中々良い雰囲気である。これなら精霊祭にまつわる新たな結婚のジンクスの誕生となるかもしれないと妄想している内に劇は進み、遂に最後の結婚式の場面となった。
大きく深呼吸をして旭は他の風の精霊役と共に舞台に躍り出る。
「おめでとう」
「末永くお幸せに」
そして何度も練習したセリフをヒロトのセリフの後に言ってから結婚式を挙げる少年少女達に握っていた花びらを優しく投げるーーーこれにて任務完了だ。
こうして旭の出演は呆気なく終わったのだった。
***
「サクちゃーん!どうだった私の演技?」
出演を終えて旭は着替えを済ませると、一目散にサクヤの元へと向かい感想を求めた。
「正に風の精霊そのものだったぞ」
「えへへー、ありがとう!」
紫以外本物を見た事ないけれど、という言葉を飲み込みサクヤが褒めれば、旭は満面の笑みを浮かべる。
「それはそうと旭、クラスの打ち上げに行くんだろう?」
「あー…わざわざ神殿内の貸部屋を押さえてくれたみたいだけど…疲れたし、いっかなー…」
席を譲る兄の言葉に旭は気まずそうに肩をすくめた。みんなとの劇は楽しかったし、充実感もあったが、自分が参加するとなると兄が懇親会に出席する事になるし、護衛の神官が残業となるので気が引ける思いがあった。
「そう言わずに行ってこい」
「でも家でお義姉ちゃん達が待ってるよ?」
「元々遅くなるって伝えてるし、あっちも実家で夕飯を済ませるみたいだから」
「…分かった。行ってくる」
どうやら兄は打ち合げの件も織り込み済みだったようだ。そこまでお膳立てされると旭は頷くしかなかった。
「風の神子よ、楽しんでくるがいい」
「うん、ありがとうサクちゃん」
サクヤに元気付けられた旭は精霊祭が終わり、快く残業に応じてくれたマイトを護衛に同級生達の待つ打ち上げ会場へ向かった。
打ち上げの参加は同級生達に歓迎され大いに盛り上がったので、たまにはこういのも良いかもしれないと旭も少しだけ人付き合いに前向きになった。