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76 許嫁と話し合いをします

 一方でサクヤは闇の神子の間の執務室にていつも通り仕事を行っていた。違う事といえば、年老いた直属の神官達の他に手練れの神官達が彼の脇を固めている所だろうか。


 恐らくこれは光の神子の差金だろう。突然サクヤが自らの生命を絶つ可能性を危惧しているのか、現在はマイトとヒナタがサクヤを見張っている。馴染みの神官な分、多少気は楽だがそれでも窮屈である。


「神官ヒナタよ、塾生に提供する教材はいつ頃納品出来そうだ?」


「はい、開校日の1週間前には間に合いそうです。ギリギリ注文期限に出版社に訪問出来たのはラッキーでした」


 いつも通りの様子のサクヤにマイトは憤りさえ感じていたが、今は与えられた業務をこなさなくてはならないと奥歯を噛み締めてやり切れない思いを隠した。




「たのもー!」


 そろそろ昼飯時だという頃に突如威勢のいい声と共に闇の神子の間の扉が開くと、青白い顔をした旭が仁王立ちしていた。


「サクちゃん!婚約破棄を撤回して!ていうか私は認めないから!」


 興奮気味に婚約破棄の撤回を求める旭に周囲に緊張が走る。今村一番の修羅場は恐らくここだろうと誰もが思った事だろう。


「否、撤回はしない。我の事は忘れてくれ」


 対照的にサクヤは淡々とした態度なので、旭は頬を膨らまして許嫁を見据えた。しかし直ぐに俯かれ視線を逸らされる。


「そんなんでハイそうですかと引き下がるわけがないでしょう?なんで?ちゃんと理由を言って!嘘はダメだからね!」


「…相分かった。皆の衆、しばらく風の神子と2人きりにさせてくれ」


 食い下がる旭にサクヤもこのままだと婚約破棄に納得してもらえず堂々巡りだと判断し、腹を決めて事情を話す事にした。


「しかし私とヒナタさんは光の神子からの勅命を受けてここにいます」


「重々承知だが我を信じてくれ。皆が心配する様な事態にはしない」


 サクヤの指示にマイトら神官達は戸惑いながらも、サクヤと旭を信じてぞろぞろと闇の神子の間から出て行った。


「さあ、サクちゃん!洗いざらい話してもらうからね!」


 虚勢を張らないと崩れ落ちてしまいそだった旭は自らを鼓舞する様に勝ち気に笑い、近くのソファに腰を下ろした。サクヤも向かい側のソファに座る。


「最初に確認だけど、サクちゃんは私の事嫌いになった訳じゃないよね?」


 嘘はダメだと言われた手前、静かに頷く事しか出来なかった。どうせ話を聞いたら旭も身を引くはずだ。開き直ってしまおうと決めてサクヤは口を開いた。


「先日、生みの母親が我に面会を求めたので応じた」


「えっ…」


 突然長年謎だったサクヤの生みの親についての話だったので旭は意表を突かれてしまった。


「どんな人だったの?」


 よかったねと言いたい所だったが、旭は婚約破棄の原因かもしれないと思うと、とてもではないが言えなかった。


「面立ちが我と似ていた…現在夫と我と父違いの弟と妹に当たる子供達と西の集落で暮らしているそうだ」


 西の集落といえば兄の住まいがある場所だ。もしかしたら知り合いやご近所かもしれないと思うと、なんとも言えない気持ちになった。


「そっか、サクちゃんはお兄ちゃんだったんだね」


「………」


 弟と妹がいて嬉しくなかったのか、サクヤは押し黙る。まずい事を言ってしまったと旭は焦るが、覆水盆に返らずだ。




「風の神子は…もし兄である代行が借金に喘いでいたら、手を貸すか?」


 暫しの沈黙を破り投げ掛けてきたサクヤの問いに旭は腕を組んでシンキングポーズを取った。兄は金の亡者で、風の神子代行の仕事や旭達への指導に対する報酬はしっかり巻き上げるが、旭に借金を申し込む事はなかった。だがもし言われたら、兄家族の為になるなら貸しはするだろう。


 しかしながらサクヤが言いたい事はそういう事では無い。今までの関係を取り除いた兄妹という血縁関係だけで金を貸すかどうかという事だ。それならば答えは1つだ。


「勿論貸すよ。私とお兄ちゃんは今日まで築き上げた関係があるから。でも同じ血を分けた兄妹という理由では絶対に貸さない」


 旭の回答にサクヤは安堵のため息をついた。どうやら同じ考えのようだ。となるとサクヤは生みの母親から弟と妹の為に借金、または援助を申し込まれたのかもしれない。


 つまり金の為にサクヤに会いに来たというわけだ。そう推測すると旭は胸が苦しくなり、やり切れない思いが込み上げて目から次々と涙が溢れ出てきた。


「風の神子よ、泣かないでくれ…」


「泣くに決まってるじゃん!質問からしてサクちゃんママはお金の無心をする為に会いにきたんでしょ?酷いよ!サクちゃんは金のなる木じゃないんだよ!人だよ⁉︎私の許嫁なんだから!」


 婚約破棄は絶対に認めない。許嫁として鼻を啜りながら旭は憤怒に吠えた。


「金のなる木か…言い得て妙だな。我は長らく神殿に捨てられていたと言われてきたが、実際は生みの母親が養母に赤子の我を売り付けたのが事実だからな」


 自嘲しながら己の出生を話すサクヤに旭は目眩がした。のっぴきならない事情があっても自分のお腹を痛めて産んだ子供をお金と引き換えに渡した彼の実母と、快く買ったであろう祖母への嫌悪感に拳を震わせる。


「最低!サクちゃんのママもおばあちゃんも最低っ!信じられない!」


 怒りに任せて絶叫すれば周囲に旋風が発生して執務室を荒らした。後で片付けなければと思いながらも、自分に代わって魔力を抑えられない位泣いて怒る旭の姿にサクヤは胸が空くのを感じた。


「でも…それがなんで婚約破棄のキッカケになるの?もしかしてサクちゃんママから反対されてるの⁉︎」


 個人的には美少女神子として清純派で売ってきたつもりだが、サクヤの母親には誤魔化せなかったのだろうか。


「…寧ろ逆だ。我が資金援助を断ったら…婚約者の風の神子に援助をしてもらえないかと打診された」


 まるで世界の終わりを告げるように重苦しい口調のサクヤに旭はこれが婚約破棄の理由だと確信した。


 婚約破棄は死んでも嫌だが、許嫁の愛故の決断に旭はソファから立ち上がると、彼の隣に座って迷う事なく抱き着いた。

 

「守ってくれてありがとう。私サクちゃんが世界で一番大好き!これからもずっとサクちゃんと楽しいことも嬉しいことも、悲しいこともムカつくことも一緒に過ごしたい!」


「風の神子…」


 真っ直ぐな旭の言葉はサクヤの凍てついていた心を瞬時に溶かした。自分の出生に愛が無かったとしても、今こうして抱き着いてくれる許嫁の愛は本物だと信じられた。


「だから二度と婚約破棄だなんて言わないで…辛い事も一緒に乗り越えよう!私、サクちゃんが一緒じゃなきゃダメなの!大好きなの!」


「…本当に僕でいいの?闇の神子である事くらいしか取り柄が無いよ?」


 今にも泣き出しそうな声で問い掛けるサクヤに旭は何度も頷いた。


「サクちゃんだからいいの!これからもずっと一緒にいてね。あとサクちゃんは良い所たくさんあるんだから!今から言おうか?夜までかかると思うけど」


 鼻息荒く旭はサクヤの良い所を言おうとしたが、穏やかな笑顔で首を振られたので次の機会にする事にした。


「ありがとう…あさちゃん…」


 飾らないサクヤの言葉に旭は安堵してポロポロと涙を流しながら彼のシャツを強く握りしめた。




「という事で、仲直りのキスをしよう!」


 涙が引っ込むなりキスの提案をする許嫁にサクヤは目を丸くした後に動揺を抑えるように何度か深呼吸をしてから瞼を閉じた彼女の肩に手を添えて息を吸うと、目を薄めて柔らかい唇に自身の唇をそっと押し付けた。



「…ふうっ、水泳の成果かな?前より長くキス出来たかも!」


 前回同様息を止めてキスに挑んだ旭は満足気に体内に足りなくなった酸素を大きく吸い込んだ。サクヤも同様に息を整えた。


 本当は鼻で息をすればいい事をサクヤは気付いていたが、この初々しい旭とのキスが愛おしかったので、彼女が気付くまで楽しむ事にしようと決めると、こっそり舌を出した。

設定メモ


 サクヤの素の一人称は「僕」で、神子として人前に出る時は「私」、普段は闇の力に目覚めたっぽくてカッコいいから「我」を意識的に使っています。

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