75 激動の会議です
毎月の定例会議、神子達が各々の事業について報告を行う。旭は9月に奨学基金を利用して進学する若者達の紹介を行う事にしている。兄は相変わらず隣で頬杖を立ててつまらなさそうに座っているだけだが、それも自分を信用しているから手出ししてないだけだと前向きに考えている。
今月の会議もつつがなく進んで行き、最後にサクヤが塾開校に向けて塾生を募集中であると発表していた。最初は無計画だったのでどうなるかと思っていたが、想像より早く実現させたサクヤの手腕に一同は感心していた。
旭としてはここ最近全く構ってもらえていなかったので、ひと段落ついたら目一杯イチャイチャしようと企んでいると、顔に出ていたのか兄に頬を引っ張られてしまった。
「最後に何か皆に報告がある方はどうぞ」
本日会議進行を務めるミナトからの申し出に手を挙げたのはサクヤとアラタだった。ミナトは年上のアラタを先に指名した。
「えー、この度結婚式が12月に決まりました事をご報告いたします。詳細は後日招待状をお送りしますのでご確認下さい」
アラタが静との結婚式の日取りが決まったとなると、いよいよ菫も恋敗れるといった所だろうか。旭はいかにして親友を励ますべくパジャマパーティーに誘おうか考えていたが、次にサクヤが発言するので中断して耳を傾けた。
「我は風の神子との婚約を破棄する」
その言葉は旭の意識を奪うのには十分すぎる言葉だった。
***
「なーんだ、夢かあ…」
パチリと目を開くとそこは旭の部屋だった。やれやれ悪役令嬢物の恋愛小説を読み過ぎてしまったようだと自嘲しながら寝返りを打つと、顔が柔らかい物体に埋もれた。
「え?これは…」
温かくて柔らかくて弾力があっていい匂いがする物体が何か確信した旭は顔を上げると艶っぽくも慈愛に満ちた表情をした雷の神子の雀が添い寝をしていた。
「おはよう、旭ちゃん。おっぱい揉む?」
「揉む!」
「ふふふ、ご堪能あれ」
何故添い寝をしているのかという疑問よりも目の前の誘惑に勝てず、旭は雀の豊満な胸を揉みしだいた。
「ほあー!柔らかーい!いい匂いー!それでいて弾力がすごーい!お義姉ちゃんのおっぱいも素晴らしいけど、雀さんのおっぱいも最高ー!」
旭がやわやわと無心に雀の胸を味わっていると、ノックも無しに兄が様子を見に来た。
「うわ、変態だ」
「変態じゃありませんー!」
蔑んだ視線を向ける兄に旭は頬を膨らませる。そんな兄妹喧嘩に雀はくすくすと上品に笑った。
「トキワ君もおっぱい揉む?」
「金貨100枚貰ったとしても断る。それより旭、お前大丈夫なのか?」
「大丈夫って何が?」
何を心配しているのか分からず首を傾げる旭に雀は顔を曇らせた。
「どうやら旭ちゃんは夢だったと思ってるみたいよ」
「我が妹ながら現実逃避が上手いな…」
顔を抑えてうんざりした様子の兄に旭は訝しむが、雀が放った「夢」という単語にまさかと顔色を青くした。
「まさか…あれって夢じゃなかったの?」
問い掛けにトキワと雀は気不味そうに頷いた。夢であって欲しかった旭は完全に狼狽えた様子で何度も首を振った。
「やだやだやだやだーっ!婚約破棄したくないよーっ!うわーん!」
自分で口にしておきながら旭は絶望で目から涙が溢れ、堪えきれず雀の胸に顔を埋めて幼い子供の様に泣き出した。
結局旭は疲れ果てるまで泣き続けてしまい、その後また眠りに就いてしまって、次に起きたのは翌日の朝で、流石に雀は添い寝してくれていなかった。
「おはようございます風の神子。目覚めはいかがですか?」
「最悪に決まってるじゃん…もう無理辛すぎる」
明らかな目の違和感に旭は顔を顰めると、また泣きたくなってしまった。何故サクヤから一方的に婚約破棄を言い渡されたのか、まるで見当もつかなかった。
「昨日の夕方と今日の朝は代行が礼拝をして頂きました。とりあえず食事でもどうですか?」
「何も食べたくない…」
ショックのあまり食欲が無い旭はぼんやりと宙を仰ぎ嘆息した。考えたくないが、考えないと何も解決しない。何故サクヤが婚約破棄などと言い出したのか理由を探る。
ここ1週間は忙しさを理由に顔を合わせてくれなかった。思えばこんなに顔を見なかったのは初めてだ。それまでは病気の時以外は毎日会っていたのだ。
つまりサクヤが心変わりをしたのは1週間前だと予想したが、理由なんて思いつかなかった。旭は水分だけでも取れと紫から手渡された水を飲み干して飢えた体に潤いを与えるが頭はスッキリせず、左手の薬指に光る婚約指輪をぼんやりと見つめた。
「紫さんは何でサクちゃんがあんな事を言ったか、心当たりある?」
自分で考えても埒が開かないので紫に意見を求めた。
「え…愛想が尽きたとか?」
「そういうのはナシで。大体サクちゃんが私を嫌うわけないじゃん!」
「たいそうなご自信でありますね…えー、現在闇の神子は何事も無かったかのように執務を行なっておりますが、光の神子が水晶を取り上げ、更には念の為24時間見張りをつけているみたいです」
「何で?おばあちゃんに逆らったから?」
この位で反乱分子と見做されるとは旭には到底思えなかったが、紫は険しい表情を浮かべる。
「そういうわけではないと思いますが、光の神子は闇の神子に何が起きたのか知っているのかもしれません」
「…じゃあおばあちゃんに聞くしかないか」
「ですね、ていうか光の神子に呼び出されていますので行って下さい」
理由を知る事が出来るならばと旭は身支度をしてから紫の肩を借りてフラフラしながら光の神子の間へ向かった。既に神殿中に婚約破棄の話が回っているのか、すれ違う神官や神子達から憐れみの目を向けられた。
「旭、大変だったわね」
「おばあちゃん…」
祖母の向かい側のソファに腰を下ろして旭は様子を窺う。サクヤがあんな事になったのに何処か落ち着いていて、やはり真相を知っているような気がした。
「私サクちゃんと婚約破棄なんかしたくないよ!おばあちゃんなんとかして!」
「ごめんなさいね、今回ばかりは私にはどうしてあげる事も出来ないわ」
「そんなー!許嫁の言い出しっぺなんだから責任取ってよー!私、このままなら風の神子辞める!」
これは脅し文句ではなく本音だった。旭はサクヤと一緒にいたいが為に風の神子になったのだ。これは今も昔も変わらない気持ちだ。風の神子がいなくなれば神殿の威光も弱まって、祖母にとって面白くない事になる筈だ。
「いいわよ。その代わりトキワに代表に戻って貰って、セツナを次席にさせるわ。美しき父子神子として盛り上がるわね!」
よくセツナは村人達から美し過ぎる男神子として持て囃される父親と生写しだと言われている。祖母の言う通りお披露目なんかした日には自分の時より熱狂しちゃうんじゃないかと危惧した。
「で、でもお兄ちゃんは家族バラバラになりたくないだろうから断固拒否すると思う!」
今だって次席がいたら代行なんて辞めてやるとよく言っている事を思い出しながら旭が意見すると、考えが浅いと言いたげに祖母は鼻で笑った。
「セツナを丸め込ませたらいいのよ。そうしたら命さんもセツナの傍にいてあげてとトキワにお願いするはずよ」
「な、なるほど…せっちゃんは人質というわけだ」
幼いセツナなら洗脳しやすいと見ている祖母の強かさに戦慄しながらも、兄家族が離散するのは妹として悲しいので阻止したい。そして自分が自分であり続ける為にもサクヤとの婚約破棄を撤回させなくてはならない。
「このまま大人しく婚約破棄なんて嫌!」
「そうね、婚約破棄をするしないにしても理由を聞かないと旭も納得いかないわよね?」
そう来ると思った光の神子は孫に助け舟を出した。ようは自分で見聞きして解決しろという事だ。
「うん、だからサクちゃんと話をさせて!」
決意に漲った旭の瞳は燃えていた。近い将来サクヤと結婚すれば皆が喜ぶし、何よりも自分も最高に幸せだ。それはサクヤも同じ筈だと信じて疑っていない。今回の件は絶対理由があるのだ。大した自信だと笑われるかもしれないが構わない。旭は弱りきった体に鞭を撃つと、サクヤとの対話へと臨むべくソファから立ち上がった。
設定メモ
雀は元気がない女の子と絶対断る人に例のセリフを言います。