73 すっかり夢中になっています
「はあ、可愛い…」
先週生まれたばかりの初めての姪っ子に旭はデレデレと顔をとろけさせて、授乳の様子を見守った。
「ごめんね旭ちゃん、お部屋借りちゃって」
風の神子の間にはサクヤもいたので、命は気を遣い旭の自室を借りて、授乳をしていた。
「ううん、バンバン使って!むしろお姉ちゃんとるーちゃんを独り占め出来てご褒美です!」
「旭ちゃんのそういうところ、どっかの誰かさんにそっくりだな…」
「誰かさんて誰?」
「…誰だろうね」
鼻息を荒くする旭に命は苦笑いをしながら、小さな我が子に視線を移した。待望の娘は螢と名付けられ、髪の毛は薄く分かりにくいが銀髪で、右目が赤く左目が金色という珍しい容姿は当事者達を驚愕させた。
「お義姉ちゃんのおっぱい美味しそう…」
懸命に母乳を吸う螢を旭が羨ましそうに眺めたので、命はまた一つ苦笑いを浮かべた。
風属性の会合などで村人から抱っこして欲しいと赤子と触れ合う機会はあったが、身内として触れ合うのはセツナ以来だなと思いつつ、旭は優しい時間を過ごした。
最近は夏の盛りが過ぎたからなのか、螢が無事産まれて産まれた際に手にしていた水晶を炎耐性が施された宝石箱に暦と楓が魔術で封印して、炎の神子の間の祭壇に祀られているからなのか、暑さはだいぶ和らいでいた。
お腹がいっぱいになって眠ってしまった螢をベッドに寝かせて、ドアを開け放した状態で応接間に戻ると、サクヤがアラタと菫と何やら話をしていた。2人はここ最近毎日螢に会いに来ていた。
「螢ちゃんは?」
「寝ちゃったよ」
「えー、残念…ね、アラタさん」
がっかりした表情で菫はアラタに視線を向けて同意を求める。螢に会いに行くのはアラタとの時間を過ごすいい口実にもなっているようだ。
「寝てるなら仕方ないよ。しかし俺も早く赤ちゃん欲しいなー。このベビーラッシュの波に乗りたい!」
「確か梢さんの所は冬に生まれるんだよね?そっちも楽しみだなー」
去年の春に結婚したアラタの妹である梢は現在双子を妊娠中だ。姉の要に続き双子なので周囲を驚かせている。これで神殿が益々賑やかになると、旭は口元を緩ませてアイスティーを喉に流し込んだ。
「おかあさん、ほたるちゃん!」
後でプールに行こうと盛り上がっていた所で甥っ子達が顔を見せた。彼らは現在夏休み中だが、父親は仕事があるので、日中は母方の祖母か伯母家族の家で過ごしていて、時々彼らと共に様子を見に来てくれていた。
母親を見つけたセツナは一目散に抱き着いて、再会を喜んだ。こんなに離れて暮らすのは初めてだったので、甘えん坊になっているのかもしれない。
「セツナ元気だった?会いたかったよー」
駆け寄る我が子を命はギュッと抱きしめて頬擦りをした。その様子を羨ましそうに見ているクオンに気付くと目を細める。
「クオンもハグさせて」
「僕はいいから」
人前で母親に甘えるのが恥ずかしい年頃なのか、クオンは遠慮がちに隣に座るだけだった。気持ちを察した命は後で可愛がろうと思いつつ、クオンの頭を優しく撫でた。
「今日はくーちゃん達のパパも一緒なんだよね?」
「うん、部屋に荷物置きに行った」
兄の姿が見えないので旭が尋ねると、クオンが答える。今夜は泊まるらしいので、色々持って来ているようだ。
次にクオンとセツナは旭の部屋へ行って、妹の顔を見に行く。起こさないようにそっと近づき、ゆりかごを覗き込めば、兄弟は自然と笑顔になった。
「いやー未来の炎の神子は人気者ですね。毎日千客万来だ」
紫の言う通り、螢が生まれてから今日まで、毎日誰かしらがお祝いに駆けつけた。応対は義姉と母がしているので、執務には支障はなかったが、いつもと違う賑やかさに旭はそわそわしていた。
螢が父親似か母親似か議論していると、兄が姿を現した。珍しく顔に疲れが出ていたので、旭は少し心配になる。
「お疲れ様、子供達のお世話ありがとう」
夫を労うべく出迎えてきた妻をトキワは人目も憚らず抱き寄せ、姿を確認する様に体中を撫で回した。
「会いたかった…」
今まで聞いた事が無い位色気に溢れた甘い声で、妻との2週間振りの再会を喜ぶ兄に旭はぞわりと鳥肌が立ってしまった。サクヤ達の顔色を見ると、サクヤは勿論のこと、アラタと菫も色気に当てられて、顔を赤くして気まずそうにしていた。
「随分とお疲れですね、よっぽどシングルファザーがしんどかったんですか?」
色気に耐性があるのか、ケラケラと笑いながら問いかける紫にトキワはうんざりとした様子で嘆息した。
「毎日家事と仕事に追われて、先週末にようやく会えると思ったら、クオンの学校の野営訓練があるのを忘れていてガックシだった…まあクオンが楽しんでくれたから良かったけど」
そういえば、こないだクオンが大はしゃぎで父親と森で焚き火でパンを焼いたり、魚を釣ったり、テントで一緒に寝た事を報告していたなと、旭はぼんやりと思い出した。
「しかし子供が寝た後の夜の保護者会は本当地獄だった」
「夜の保護者会て、なんかオトナの響きですね」
神殿の人間の暮らしぶりしか知らない紫は村人達の暮らしについて興味深そうにしている。
「保護者会というのは名ばかりの宴会だよ。酔っ払いの相手ほど面倒臭いものはない」
「なるほど、確かに代行が苦手そうな分野ですね」
当時を思い出し、トキワは苦虫を噛み潰した様な顔をしてから、今度は熱っぽい視線で妻に向き直した。
「この2週間、何より一番辛かったのは…ちーちゃんがいなかった事だ。寝ても覚めても隣にちーちゃんがいないのが、こんなに辛い事だったなんて忘れてた…」
再び甘ったるい雰囲気になる兄に旭は胸焼けを覚えて、以前は義姉が好きならもっとストレートに愛せばいいのにと思っていたが、妻を愛称で呼びここまで甘々だと、見てるこちらが疲れるので、今まで通りの態度でお願いしたいと感じた。
「うーん、建前を保つ余裕もない位の奥様欠乏症ですね」
古い付き合いの紫はトキワの本性を知っているからか、薄ら笑いを浮かべて考察を述べる。
「ですね。よしよし、大変だったね。私も寂しかったよー」
抱き締められた状態のままで、命は子供をあやす様に夫の孤軍奮闘を称えた。
「さあさ、螢の顔でも見て元気出して」
妻に導かれるままにトキワは一足先に再会していた息子達と共に娘とも久々の対面を果たす。これだけ騒いでもマイペースに眠っている寝顔を見ていると、心が穏やかになっていった。
その後一同は茶菓子とお茶を楽しみつつ、話題は引き続き螢の顔についてになった。
「螢ちゃんはパパとママ、どっち似かな?」
「うーん、まだ顔がはっきりしてないから分からないけど、旭ちゃんやセツナの赤ちゃんの頃に似てるからお父さん似かもね」
「じゃあ私と姉妹に間違われちゃうかもね!楽しみー!」
螢が大きくなったら、お揃いの服を着たりするのもいいかもしれないと旭はそう遠くない未来に思いを馳せた。
「しかしこの目の色は驚いたなー…まさか片目が水鏡族じゃないおじいちゃんのが遺伝するなんてね。でもなんで炎属性の魔力がこんなに強いんだろう?」
「あれ、旭知らなかったけ?木こりのじいちゃんは元炎の精霊だよ。あとばあちゃんとこは代々炎の神子を輩出している一族だったんだよ」
「ええ⁉︎元精霊ってどういう事⁉︎」
兄から告げられた真実に旭は耳を疑った。精霊が人間になれるなんて初耳だし、自分に精霊の血が流れている事に戸惑いを隠せなかった。
「裏技を使うと精霊から人間になれるんですよー。まあ寿命が人間並みに縮むし、風の神子のお爺さま以外実際になった精霊は知りませんけど」
紫が精霊の立場としての事情を説明するので、いよいよ現実味を帯びてきた気がした。
「もしかして毎回銀髪が生まれるのも、精霊の血筋が関係してるんですかね?」
驚きながらも、アラタは光の神子の一族から生まれる子供達が必ず銀髪だという理由がそこにあると思って尋ねた。他の属性の一族は神子並みの魔力を持つ子供が生まれるが、銀髪持ちは10人に1人生まれるか、生まれないかなので、尚更である。
「さあ?そういうのは水の神子次席の方が研究してるからそっちに聞けば?」
興味無さげに命の肩を寄せて首筋を鼻で撫でるトキワが再び醸し出す甘い空気に、このままにしておくと、旭達に悪影響を及ぼすと見做した紫は対応策を実行する事にした。
「私が赤ちゃんを見ておくので、風の神子は皆さんとプールに行って、代行は奥様と自室で休まれてはいかがですか?」
「うん、そうしよう!くーちゃんとせっちゃん水着は持ってきてるよね?」
紫の采配に旭はこのチャンスを逃すまいと、イチャつく両親の姿に慣れているのか、平然とお菓子を食べる甥っ子達に確認をすれば頷いたので、早速実行に移す事にした。
「ありがとうございます紫さん、螢が起きたら遠慮無く呼んでください」
恐縮しきりの命に対して紫は胸を張る。そういえば、以前子沢山の風の神子に仕えていた事を旭は思い出しつつ、頼もしさを感じた。
「かしこまりました。子守については現役ですので、お任せあれ」
「それって私の事を言ってるの?」
「よく分かっていらっしゃいますね」
「もう!」
いつまでも子供扱いしてと膨れっ面になりながら、旭が自室に水着一式を取りに行くと、もう何度も見てメロメロになっているのにも関わらず、ベッドで眠る姪っ子にまたもや破顔して、瞬時に機嫌が直り、赤ちゃんの偉大さを思い知るのだった。