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72 世界で一番暑い夏の日です 後編

「お、お義姉ちゃん、だ、だだ大丈夫⁉︎」


 完全に狼狽えているのは旭だけで、サクヤでさえ落ち着いていた。


「こんな時ってどうすればいいんだっけ⁉︎お、お湯を沸かすんだっけ?」


「うるさい、黙ってろ」


 残りのスイカを食べ終えたトキワは取り乱している妹の鼻を摘み注意する。旭は痛みで少し平静を取り戻した。


「ちー、歩けるか?担架を用意してもらうか?」


 叔母の問い掛けに命は小さく頷き、立ち上がった。これから炎の神子の間へ向かう様だ。


「無理しないで、俺が連れて行くから」


「そうだな、こういう事でしかコイツは役に立たないから甘えるといい」


 楓も同意して促したので、命はトキワの申し出に甘えて横抱きしてもらうことにした。


「トキワ、絶対落としちゃ駄目よ」


「落とすわけないでしょ」


 不穏な言葉を吐く光の神子にトキワは呆れた口調で反論して産気づいた妻を抱き上げた。


 その後暦の先導で炎の神子の間へと移動して祭壇の部屋で命達は出産に臨んだ。旭は兄とサクヤと3人で炎の神子の間の応接間で待機していた。


「あーうー…お義姉ちゃん大丈夫かなぁ…」


 じっとしていると最悪の事態ばかりが頭に浮かび、旭は応接間をぐるぐると歩き回っていた。


「邪魔臭いから外で走ってこい」


 げんなりした様子でトキワは手で追い払う。サクヤは本棚からコーネリア・ファイアの恋愛小説を手に取り読んでいた。


「走りに行っている間に生まれちゃったらどうするの⁉︎」


「だったら大人しくしなよ。視界に入って鬱陶しい」


「むう…ていうかお兄ちゃん落ち着き過ぎ。心配じゃないの?」


「心配に決まっているだろ…いいからここにいたいなら大人しく座れ」


 絞り出す様に心情を吐露した兄に旭は大人しくサクヤの隣に座った。しかし、静寂に耐えきれず小さく唸った。


「くーちゃんとせっちゃんは?」


「従兄弟の家」


 クオンとセツナは伯母夫婦と従兄弟が大好きらしいので両親がいなくても楽しくやっているだろう。こうして会話をした方が気が紛れる気がしたので旭は引き続き兄に話題を振る事にした。


「ねえねえ、私やくーちゃんとせっちゃんが生まれた時はどんなだったの?」


「それは我も気になる。聞かせてもらえぬか?」


 サクヤも話題に食い付いて本を閉じると、期待に満ちた目でトキワを見た。煩わしさを覚えながらも暇潰しにトキワは要望に応える事にした。


「旭は難産で、母さんが産気づいてから生まれるまで丸2日掛かった。生まれた後は母さんはしばらく意識不明になって意識が戻った後も起き上がれなくて、家の中は葬式ムードだったな。それでも旭の世話をしないといけないから俺と父さんで交代で面倒見たんだぞ。感謝しろ」


 母から先程難産だったと聞かされてはいたが、まさかそこまで大変だったとは思わなかったので、旭は開いた口が塞がらなかった。


「風の神子代行よ、我が許嫁を育てて頂き、心から感謝する!」


「そこはサクヤが感謝する所なのか…」


 まるで結婚の挨拶の様にサクヤが深々と頭を下げて感謝したので、トキワは思わず吹き出してしまった。


「で、クオンの時は聞いた所によると、たまたま診療所の視察に来ていたミナト叔父さんにお腹を撫でて貰ったら産気づいて、水の精霊の祝福を施して貰って出産した影響か、クオンは水属性になったのかな。その辺は迷信だから何とも言えないけど」


「聞いた所という事は、代行は立ち会えなかったのか?」


「いや、旭のお陰で間に合ったよ」


「私のお陰で?」


 心当たりが無かった旭が首を傾げると、珍しく兄が優しく笑い頭を撫でて来た。


「俺は唯一の風の神子だったから神殿を出て駆け付ける事が出来なかった。そんな時、父さんと母さんが旭を連れて来て証を預かってくれたお陰で生まれたてのクオンに会えた。当時旭は神子じゃなかったから、この話は他言無用でよろしく」


 全く記憶に無かったが、いつも迷惑ばかり掛けている兄に少しでも力になれた事があったのかと旭は嬉しい気持ちでいっぱいになった。


「セツナの時は真夜中に産気づいたから寝ぼけ眼のクオンを浮かせて、命をお姫様抱っこして照明魔石で夜道を照らしながら診療所に向かった。生まれたのは朝方だったかな。セツナの時は一応俺が風の精霊の祝福を掛けた」


 一人一人色んなエピソードがあったのだなと思いつつ、自分はどうだったのだろうかとサクヤは疑問に思った。きっと一生知る事は出来ないだろうが、それでも今こうして大切な人達と生きているのだからと気にしない事にした。


 すると考えている事がバレたのか、隣にいた旭が汗ばんだ手で握って来たので、要らぬ心配をかけた不甲斐なさと自分はひとりじゃないという心強さを感じながら握り返した。


「そういえば赤ちゃんの名前はもう決めたの?なんなら私が考えてあげようか?」


「勿論考えてあるよ。当ててみな」


 炎の神子の神官がアイスティーを持って来てくれたのでお礼を言ってから旭は名前を考えてみる。


「女の子なら翠ちゃん!男の子はミコトくん!」


「ほう、風の神子は『そよ風のシンデレラ』の翠とミコトから着想を得たのだな」


 ちょうど手にしていた「そよ風のシンデレラ」を掲げてサクヤは理解を示した。


「我も考えたぞ。男ならカイト、女なら蒼だ!夏らしくていいだろう?」


「2人ともハズレ。正解は生まれてのお楽しみで」


 そう言ってクイズを切り上げてシャツの裾で汗を拭いトキワはアイスティーを一気に飲み干す。流石炎の神子の間というべきか、風の神子の間より一層暑く感じた。


「男の子かなー、女の子かな?お兄ちゃんはどっちがいい?」


「無事に生まれてくるならどっちでもいいよ」


「ふーん、じゃあ…お兄ちゃんとお義姉ちゃんどっちに似て欲しい?」


「無事に生まれてくるならどっちでもいいよ」


 心からの言葉だろうが同じ回答でつまらなかった旭は頬を膨らませて不機嫌になる。


「それは当然として!どっちがいい?」


「どっち、ねえ…女だったらまた子供が欲しいて言わなくなるだろうから女かな。顔は俺に似た方がいいかな」


「なんで?お兄ちゃんは4人目は欲しくないの?顔だってお義姉ちゃんに似てもいいじゃない!」


「素直に答えても文句を言うのか…あのな、妊娠出産は病気や怪我より危険で厄介なんだぞ?薬は効かないし、今まで無事だっただけで必ず母子健康とは限らない。それを何度も乗り越えるのもしんどいんだよ」


「なるほど、風の神子代行は闇の眷属を宿し者の体が心配なのだな」


 妻に対する愚痴ではなく、愛故に心配している事くらい旭にも伝わった。


「俺に似た方がいいのは…絶対誰にも言うなよ。言ったら前歯を抜くからな」


 物騒な脅し文句に旭は身震いをしつつも知りたいのでコクリと頷いた。


「兄弟で差別したらいけないのは分かっているけど、クオンの目を見ると多少のワガママも聞いてしまうんだよ…小さい頃に一緒に暮らせなかった引け目もあるんだろうけど、あの目に強請られると勝てない」


 クオンの目に弱いという事は彼の母親である命の目に弱いという事だ。そう考えたら兄は義姉にベタ惚れという噂は本当だと考えられる。


 ならばもっと分かりやすくイチャつけばいいのにと思いつつ、旭がアイスティーの氷を食んだ瞬間、凄まじい暑さに襲われた。目を丸くして視線をグラスに向けると、全ての氷が溶けていた。


「どういう事⁉︎お義姉ちゃん達に何か起きたの⁉︎」


 旭は取り乱しながら祭壇の部屋に向かうも、鍵が掛かっていた。こうなる事を予想していたのだろう。扉の前でヤキモキしていると、兄に首根っこを掴まれて応接間へと逆戻りしようとした所で赤子の泣き声が聞こえて来た。


「う、生まれたっ‼︎」


「早っ!」


 新たな生命の誕生に旭は興奮気味に声を上げる一方でトキワは1時間足らずのスピード出産に驚愕した。


「サクちゃん!赤ちゃん生まれたよ!」


 応接間で待機しているサクヤを呼びに行き、旭は手を引き祭壇の扉の前へと戻り続報を待っていると、扉が開いて楓が顔を出した。


「御察しの通り生まれた。今の所母子共に無事だ。性別は女だ」


 最低限の情報を告げると楓は再び引っ込んだ。仕事が残っているのだろう。


「おめでとうお兄ちゃん!良かったね!女の子だってー!」


 兄の両手を握り旭はぴょんぴょんと跳ねて喜びを露わにした。


「新たな闇の眷属の生誕…めでたい事この上ないな!」


「旭、サクヤ、ありがとうな」


 安堵の表情を浮かべたトキワに旭とサクヤは頬を緩めた。


「ほら、赤ちゃんよ」


 赤子を抱いて出て来たのは光の神子だった。トキワは即座に旭の手を振り払い、生まれたばかりの娘を抱いた。


「見せて!赤ちゃん見せて!」


 必死に背伸びをして姪っ子を見ようとする旭に苦笑しつつ、トキワは屈んで対面させた。


「わあ!小さい!可愛い!」


 目を蕩けさせて旭は早速姪っ子にデレデレになった。サクヤも目を細めて見つめる。


「私も抱っこしたい!」


「あとでな」


 素っ気ない返事をしてからトキワは娘を抱いたまま光の神子と祭壇の部屋へと入っていった。


「何はともあれ無事生まれて良かった〜」


「うむ、あとは闇の眷属を生みし者もこのまま無事である事を願うばかりだ」


 イニシャルが刺繍された黒いハンカチで汗を拭いつつ、今更旭が水着姿である事に気がついて目を見開いた。


「何故風の神子は水着を着ている?」


「だって暑かったんだもん…折角だからこのままプールに行っちゃおうかな!たくさんキスする為に肺活量を鍛えたいし!サクちゃんもどう?」


「そうだな、ここは一つクールダウンと決め込もう」


 許嫁の誘いに乗る事にしてサクヤは炎の神子の間を出ると、旭には先にプールへ行ってもらう事にして、水着を取りに自室へと向かった。


 





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