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71 世界で一番暑い夏の日です 前編

「暑い…」


 部屋の窓を全開にして風を送っているにも関わらず、今日は暑かった。いくら真夏とはいえ、異常である。無風というわけではないのだが、とにかく気温が高く、はしたないという紫と雫からの苦言を無視して旭は水着姿で涼んでいた。


「はあ、菫の部屋で涼もうかな」


 水着姿で白い神子の羽織に袖を通し、風の神子の間を出て菫の部屋に向かおうとしたら、大きなお腹をした義姉と出会した。兄や甥っ子達の姿は無く、代わりに眼鏡をかけた中年女性が付き添っていた。彼女は義姉の叔母であり勤務先の診療所の医者だったはずだと旭は記憶を辿った。


「旭ちゃん…涼しそうな格好してるね…」


 ハンカチで額から落ちる汗を拭いながら命は義妹の装いに目を細めた。


「普段着よりは涼しいよ!お義姉ちゃんも水着着たら?」


「その手があったか…」


「おいおい、冗談でもやめとけよ」


「分かってますって、持ってる水着じゃサイズ合わないし」


 膝を叩く義姉に対して彼女の叔母は苦笑いを浮かべる。確かに出産を目前とした義姉はお腹周りは勿論の事、胸も更に大きくなっていたので妊娠前に着ていた水着は入らないだろう。


「紫さんには聞いているかもしれないけど、今日から出産して落ち着くまで神殿のお世話になる事になりました。短い間だけどよろしくお願いします」


「え、初耳なんだけど!」


 頭を下げる義姉に旭は目を丸くして声を上げて、こんな大事な事を黙っていた紫と兄に憤りを感じた。


「あーもう、事前に知ってたら色々用意してたのにー!」


「あはは、お気持ちだけで嬉しいよ。因みにお義母さんもサポートとしてしばらく神殿に滞在するよ」


「え!ママも⁉︎働いたら負けが口癖なのにお義姉ちゃんのサポートなんて出来るの⁉︎」


 母の楓は日頃からろくに働かず、家事も父に任せてぐーたら過ごしている所しか旭は見た事が無かったので、疑心暗鬼だった。


「今回のお産は炎の耐性を万全にしないといけないから、お義母さんと暦様の力が必要なんだ」


 お腹の子供は強い炎属性の魔力を持っているという事は知っていたが、危険な出産だとは知らなかったので、旭は不安に眉を下げた。


「今日はお義母さんが来たら暦様と光の神子…おばあちゃんとで出産について風の神子の間で事前に話し合う事になってるんだ。それまで休ませてもらうね」


 また1つ汗を拭ってから命は叔母と共に風の神子の間へ向かった。旭も心配になって来たので回れ右をして付き添う事にした。


 旭が風の神子の間にとんぼ帰りすると、直ぐに暦と祖母が来訪した。名だたる神子を前に義姉の叔母は緊張した様子だった。そして間を置かず母がやって来て、義姉の出産についての話し合いが始まった。


「この度はご迷惑をおかけしますがご協力お願いします…」


 深々と頭を下げる義姉に祖母達は首を振り穏やかに微笑んだ。風の神子の間の応接間は暦と楓、そしてお腹の子供が強力な炎属性を持つ為か、先程より更に暑くなっていたので、氷魔石を惜しみなく使って部屋を涼しくさせた。


「命さんが無事元気な赤ちゃんを産んでくれるならどんな苦労も厭わないわ」


「母の言う通りだ。母子健康でなければこの村は大変な事になるからな」


 祖母の言葉に深く同意する母に旭は大袈裟だと思いながらも、もし義姉とお腹の子供のどちらか、若しくは両方が死んでしまったら旭は冷静ではいられないし、兄は勿論甥っ子達も精神ダメージが強ければ精霊達が悲しみに同調して嵐が吹き荒れるのが何となく想像出来て身震いがした。


「そうですね、何が何でもこの子と生きて帰って来ます。それで私が産気づいた場合、先ずは先生を診療所から連れて来て貰って、お産は炎の神子の間で行うんですよね?」


「ええ、いつ産気づいても良い様に祭壇の部屋に色々用意してあるわ。炎の精霊達が集まる場所にいる方が魔力が落ち着くはずよ。それこそ私と姉もあの場所で生まれたのよ」


「へえー、そうだったんだ。じゃあ私はどこで生まれたの?」


 ふと浮かび上がった旭の疑問に楓は懐かしそうに微笑して頭を撫でて来た。


「お前は自宅で産んだ。その後私が意識不明になって現場は阿鼻叫喚だったらしい」


「全く、トキワの時も難産だったんだから私を頼れとあれ程言ったのに…楓は頑固者なんだから」


 何事もなかったかのように当時を語る楓に光の神子は苦々しげにため息を吐いた。旭はまさか自分が生まれた時にそんな大変な事になっていたとは思わず、普段はぐーたらしてて尊敬の欠片も持っていなかったが、初めて母を尊敬した。


「話は戻るが、お産の際、私と暦で命ちゃんと先生に炎耐性の魔術を施す。我々の魔力が尽きる事は無い筈だから長期戦になっても問題ない。まあ、念の為に炎耐性を付与した装具は大量に用意しておく。因みに分娩台や道具にも炎耐性は付与してある」


 ここ最近母が1人で神殿にやって来ていたのはそんな理由があったからなのかと旭は1人で納得した。やはり嫁と孫の事になると我が子の事より動くようだ。


「ありがとうございます。でも…準備にすごくお金が掛かったんじゃないんですか?腕輪も何回も作り直したし…」


 命は両腕に嵌めてある赤い宝石が埋め込まれた腕輪を掲げて口角を引き攣らせた。これ程までの付与効果をもたらすための媒体となる宝石は純度や大きさがあるものが必要である。この腕輪だけでも金貨50枚はくだらないだろう。


「お金の事は気にしなくていいのよ。生まれて来る子供にはそれ以上の価値があるのだから」


「そうは言っても申し訳無いです…時間は掛かると思いますが、必ずお返しします」


 腕輪や宝石を用意したであろう祖母の言葉に義姉は恐縮しきりで、律儀に代金の返済を申し出た。兄だったら絶対踏み倒すだろうなと旭は考えつつ、こういうところは正反対な夫婦だと感じた。


「遠慮しなくていいのよ。なんなら次の子の出産も協力するわ!」


 まだ出産を終えてもいないのに次の子供を期待する祖母に一同は乾いた笑いしか出なかった。彼女は神殿の繁栄の事になると見境がないようだ。


「お気持ちはありがたいし、この子が男の子だったら女の子が欲しいからまた挑戦したいけど…トキワを泣かさせちゃったし、流石に今回で懲りたので打ち止めです」


 日頃から子供が沢山欲しいと言っていた義姉も夫の涙には相当堪えたようだ。兄の泣き顔なんてまるで想像出来ないと思いつつ、旭はせめて生まれて来る赤子が女の子であるようこっそり祈った。


「おや、皆の衆お揃いでお茶会か?」


 タオルを頭に巻いて黒いツナギを半分脱ぎ、袖を腰に結んだサクヤが大きなスイカを抱えて風の神子の間にやって来た。


「大きなスイカ!お義姉ちゃんのお腹より大きいかも!これどしたのサクちゃん?」


「土の神子の畑仕事を助太刀したらば報酬にこれを頂いた。皆で食べよう」


「ありがとう!雫さん、お願いします」


 雫にスイカを切って貰うよう頼んでから旭はサクヤに席を勧めようとしたが、大所帯で近くに椅子が無かったのでピアノの椅子を持って来てサクヤを座らせた。


 しばらくして雫が切ったスイカをテーブルに置いてくれたので旭達は早速食べる事にした。


「甘くて美味しいー!」


 汗で出て行った体の水分がスイカの甘味と共に補給されて旭は感激に足をジタバタとさせた。


「うむ、労働の後のスイカは格別だな。所で皆がここで集会をしているという事は新たな闇の眷属の誕生が近いのだな?」


「うん、もういつ生まれてもおかしくない状態だよ。クオンとセツナ同様この子とも仲良くしてあげてね」


「無論だ」


 ニコニコと言葉を交わす義姉と許嫁に旭は癒されながら2切目のスイカへと手を伸ばそうとした所で兄がやって来た。


「風の神子代行よ、我が労働で得たスイカを召し上がるといい」


「ありがとう、サクヤ」


 サクヤがトキワにスイカを手渡したので、旭は取り分が減ってしまったと卑しい気持ちで2切目のスイカを手にした。


「いつもの部屋に着替えとか荷物置いたから」


「うん、ありがとう」


 ソファの肘掛けに腰掛けてスイカを食べながらトキワは命に素っ気なく業務連絡を伝える。


「お兄ちゃん、ちょっとお義姉ちゃんに冷たくない?もうすぐお産で大変なんだからもっと労わらないと!」


「うるさい余計なお世話だ」


 早くもスイカを食べ終えてからトキワは2切れ目を手に取って妹を睨みつけた。


「大丈夫、こう見えて毎日お腹を撫でて赤ちゃんに優しく語りかけてくれてるから。旭ちゃんに見せないだけでちゃんとパパしてるんだよ。ね?」


 義姉のフォローに旭はひとまず安心しつつ、兄は家族だけの時は一体どんな感じなのか、新たな疑問が浮かび上がった。


「先生と私と母と暦…おまけにトキワまで揃っている事だし、準備万端だな。なんなら今から生まれてきていいぞ」


 冗談半分で楓は嫁のお腹に語りかければそれもそうだなと風の神子の間に大きな笑いが起きた。


「…お義母さん、ご要望にお応えするそうです…」


 笑いが収まったところで命はお腹に強い張りを感じて痛みに顔を歪めながらも戯ける様に産気づいた事を告げたので、旭は動揺のあまり食べ掛けのスイカを床に落としてしまった。


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