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70 完全に腑抜けてます

「はあ…」


 これで何度目の溜息だろうか?ここ数日旭は暇さえあれば溜息を吐いては左手の薬指に光指輪を眺めて顔をふにゃふにゃとにやけさせていた。


「はあ…幸せ…」


 目を閉じればあの夜の光景が浮かび胸が高鳴る。今世界で一番幸せなのは自分だと胸を張れる位に旭は満たされた気持ちでまた一つ感嘆の溜息を吐いた。


「どうしたの旭ちゃん?具合悪いの?」


 炎耐性の腕輪の交換帰りに風の神子の間に訪れた命がぼんやりとした様子の義妹に眉根を顰める隣で紫は首を振った。


「流星群の夜に闇の神子からプロポーズをされてからずっと色ボケ状態なんですよ」


「ええ!プロポーズ⁉︎おめでとう旭ちゃん!」


「でへへ、ありがとうお義姉ちゃん」


 義姉からの祝福に旭は幸せオーラを振り撒くと、聞かれてもないのに婚約指輪を披露してからプロポーズの顛末を語り始めた。


「と、いうわけで私とサクちゃんは身も心も結ばれちゃったの…きゃー!」


 はしゃぐ義妹に対して命は衝撃のあまりふらついてしまい、慌てて紫が体を支えた。


「身も心もって…そんな旭ちゃん…もしかして…」


「デュフフ…そうなの、遂にしちゃったの!キ・ス!ほっぺやおでこじゃないんだよー!」


 だらしない顔で旭はサクヤとのキスを思い出して嬉しさと恥ずかしさで声を上げた。


「ああ…そっか、そうなんだね。おめでとう…」


 とりあえず肉体関係を持ったわけではない事が分かったので命はホッとしてから紫を見遣ると、やれやれと肩をすくめてからソファへと誘導した。


「あのね、キスって想像よりもずっと柔らかくて温かくて少し苦しかった…でもそれが凄く甘くて愛しいの…」


 赤裸々に語る義妹に命は聞いているこっちが恥ずかしくなり、居心地悪そうに俯いた。しかし旭はそれに気付かず完全に自分の世界に入っていた。


「ねえ、お義姉ちゃんは初めてキスしたのはいつ?どんな感じだったの?」


「えっ⁉︎ええ…っと、なんか義妹(いもうと)にそういう話するのはその…ちょっと恥ずかしいな…」


 まさか自分の経験談を尋ねられると思わなかった命はしどろもどろに答える。


「えー、いいじゃん!教えて!私もっとサクちゃんとキスしたいから色々知りたいの!」


「そう言われても…」


 口を尖らせてワガママを言う義妹に命は完全に参ってしまい紫に救いを求めた。


「風の神子、いい加減にして下さい。いつまでお花畑にいるつもりですか?大体よく考えて下さい。奥さんの経験談はあなたの兄上の経験談ですよ?」


 紫の叱責に旭は冷静になり、キスをする兄の姿を想像して身震いをすると、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。


「…お兄ちゃんがキスとか考えるだけで気持ち悪い」


 自分の夫が貶されている気もしないではないが、旭が一旦冷静になったので命は安堵して紫に感謝した。


「いやしかし、本当に風の神子には困ったものです。毎日舞い上がり過ぎて執務にも支障が出ているんですよ」


 辛うじて旭に朝夕の礼拝は無理矢理させているが、デスクワークや魔石の作製については甘い溜息ばかりついて仕事になっていなかった。


「このままだと代行のお手を煩わせる事になりそうです」


「まあ、うちの人なら使えるだけ使っていいけれど…このままじゃあ…ね」


 恋に浮かれる気持ちが分からない訳でもないが、これでは風の神子代表としての面子が立たない。どうしたものかと悩んでいると、当事者の1人でもあるサクヤが風の神子の間を訪ねて来た。


「サクちゃん!」


 折角収まった旭の色ボケもサクヤの登場で逆戻りになってしまった。許嫁の腕にしがみつく旭は完全に恋する乙女の瞳をしている。


「会いたかったぁー」


「フッ、我もだ…」


 外野を無視して完全に2人の世界の旭とサクヤに命と紫は頭を抱えた。


「しかしながら塾開設計画も大詰めでな。此度は合間を縫ってそなたに会いに来た」


 進学を目的とした村の学生達に向けての塾を開くというサクヤの野望は順調で、現在講師の住まいの確保と教室の設備の準備を進めていた。外回りを担当しているヒナタは教材の確保に奔走しているらしい。


「もう、サクちゃんったら…私と仕事どっちが大事なの?」


 甘ったるい声で旭が問い掛ける恋愛小説定番の究極の選択にサクヤは絶句して必死に最善の言葉を探すも決め手に欠けて声に出せなかった。


「…私がお仕えした、とある風の神子の話ですが」


 サクヤを不憫に思ったし、このままだと旭共々働かなくなる可能性を危惧した紫は昔話をする事にした。


「当時彼は新婚ホヤホヤで人生バラ色とかほざいていましたが、浮かれる事なく仕事や勉強をこれまで以上に熱心に励むようになりました」


 いつの風の神子か知らないが、愛に溢れた結婚だったようだと思いつつ旭は耳を傾ける。


「何故かと言いますと、妻と結婚した事で自分が腑抜けたら人々は妻のせいにするだろう。それが絶対嫌だから自分なりに仕事を頑張るようにしていると言ってました。それがつまりどういう意味か分かりますか?」


「…妻が大事だからこそ仕事が大事。というわけか」


 サクヤが口にした結論に旭は我に帰った。今の自分を見た者は間違いなくサクヤのせいで腑抜けたと思うだろうし、最悪婚約破棄になるだろう。何より村の子供達の為に頑張っているサクヤの評価が下がるのは彼を愛する者として許せなかった。


「みんなごめん…私浮かれちゃって完全に周りが見えなくなっていた…」


 現実に戻った旭は深々と頭を下げて謝罪した。その後顔を上げて長く上向きにカールされた銀色のまつ毛に縁取られた赤い瞳には強い意志がこもっていた。


「分かればいいんですよ。まあ、仕事と人として最低限の生活さえちゃんとしてくれたら文句は言いませんよ。アレも仕事以外は奥さんの事しか考えてなかったし」


「そうだね、仕事とプライベートをちゃんと切り替えていけば大丈夫だよ」


 紫と命のフォローに旭は安堵しながらも改めて気を引き締めた。


「今はプライベートでいいの?じゃあサクちゃんとイチャイチャしてもいい?」


「人前でイチャイチャするのは神子としての品位を疑われますのでやめましょう」


「だったらどんな時にイチャイチャしていいの?私毎日サクちゃんとイチャイチャしたい!」


 紫の苦言に旭は抵抗する。折角サクヤとの関係がステップアップしたのに楽しめないのは不満だった。


「えーと…旭ちゃんのお父さんとお母さん位の仲の良さを参考にすればいいんじゃないかな?それ以上は2人きりの時に節度を持って仲良くすればいいんじゃないかな?」


 トキオと楓は多少惚気合うが人前では過剰なスキンシップはしない。それでも仲がいいのはひしひしと伝わっている。彼らなら旭にとっていいお手本になると思って命は提案した。


「なるほど…パパとママを参考に、か…」


 これでこの問題も落ち着いただろうと誰もが皆が思い、紫がティータイムの準備でもしようと動いた。


「じゃあサクちゃんと一緒にお風呂に入っていいよね!」


 しかし旭の爆弾発言で紫はズッコケそうになってしまい、慌ててソファの肘掛けを掴んで体勢を立て直した。


「一緒にお風呂に入るのは…2人でする事なんだから2人でよく話し合って納得した上で決めるんだよ?お風呂だけじゃなく、2人でする事はどちらかが嫌がったらしちゃダメだよ」


「つまり私とサクちゃん2人とも一緒にお風呂に入ってもいいって思ったら入っていいんだね!」


 自分の主張を否定しない義姉の言葉に旭は目を輝かせた。これで行く末はサクヤに委ねられた事となった。


「風の神子よ、風呂に一緒に入るのは…こ、婚姻の契約を交わした後に検討しよう」


 羞恥心で顔を赤くさせて理性的な回答をするサクヤに命と紫は心底安堵した。旭はあからさまに落胆していたが、サクヤの意志を無視してまでする事ではないと自分に言い聞かせた。


「我々はまだ若いのだから、これから少しずつ交流して関係を深めていこうぞ」


「分かった。サクちゃんがそう言うなら我慢する。ところで次はいつキスしてくれるの?」


 ここでキスのおねだりをされると思わなかったサクヤは完全に狼狽えていた。


「そ、その件については…後日書面にて返答させて頂く…では我は仕事が残っているが故失礼する…」


 先延ばし発言をしてからサクヤは逃げるように風の神子の間から出て行った。


「さあ、闇の神子もお仕事ということですし、風の神子も気持ちを切り替えてお仕事頑張って下さい」


 これは好機だと紫は旭の腕を掴み、書類が積み上がった机の前に座らせた。


「で、でも私お義姉ちゃんとガールズトークしなきゃ…て、いない⁉︎」


 いつの間にやらソファに座っていたはずの義姉の姿がなくなっていて旭は驚愕に目を丸くさせた。


「奥さんは神殿まで同行してくれたお姉さんを待たせているからと帰りました」


「そんなあ…うう、仕方ない。サクちゃんとイチャイチャする為にもお仕事頑張ろう!」


「そうです。その意気です」


 大事な人と生きる為にはやりたくない事もしっかりやらなければならない。旭は気を引き締めると、目の前の溜め込んだ仕事へと立ち向かうのだった。

 


 



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