69 番外編 それぞれが見た流星群
夜の帳が下りて普段なら皆眠りに就く時間だが、今宵は流星群を見る為に人々は眠い瞼を擦り空を見上げていた。
神殿内も例に漏れず、神子や神官達は流星群を楽しむ為に外に出ていて賑やかだった。
「…マイトさん!」
「水の神子三席、どうされましたか?」
「巡回警備ご苦労様です。これ、よければ召し上がって下さい」
差し入れにと心を込めて焼いたマフィンが入ったカゴを掲げて環は嫋やかに微笑んだ。
「ありがとうございます。気を遣わせてしまったみたいで申し訳ありません」
恐縮しきりのマイトに環は首を振り、彼の手にマフィンを乗せた。
「私お菓子作りが趣味なんだけど、1人で全部食べたら太っちゃうから貰ってくれると助かります」
「そういう事情でしたらありがたく頂戴いたしますね」
ここまで言うならばとマイトはありがたく受け取り深々とお辞儀をする。礼儀正しいのは好ましいが壁を感じた環は少し寂しい気持ちになってしまった。
「休憩はいつ頃ですか?」
「11時に仮眠を取っている神官と交代します」
「あの、でしたら…少しだけ私と流星群を見ませんか?」
「私でいいんですか?」
環の申し出にマイトは目を丸くした。彼女ほどの人間ならば一緒に見る相手がいると思っていたからだ。
「マイトさんがいいんです!」
顔を赤くさせてダメ押しに気持ちを伝える環に流石のマイトも感じ取るものがあったのか、穏やかに笑い、敬うべく環の前に跪いて胸に手を当てた。
「至極光栄です。是非お供させて下さい」
「はい!ありがとうございます!」
まるで少女の様に喜ぶ環を目の当たりにしたマイトが自分の彼女への感情が何かを自覚するのは容易く、我ながら困難な道を選んでしまったと腹の中で嘆息した。
そして休憩時間になったマイトと環は温室前のベンチで肩を並べて星空を見上げた。
「こうしてじっくり星を見るのも久しぶりです」
「私もですよ。いつも遅くまで研究してるのに星を見る心の余裕なんて全然」
子供の頃から植物が好きで、その影響で薬草を生かした研究に没頭していたら、30歳目前となってしまった。周りの心配を他所に環は見合いもしないで独身でも構わないと主張していたが、背が高くて普段は生真面目な顔つきをしているけれど、笑うと可愛い…そんなマイトを好きになってから変わってしまった。
叶う事ならば親孝行で心優しい彼と共に未来を歩めますように…
出来ればそう遠くない未来であるようにと環は指を組んで流れ星にそっと願いを込めた。
***
もう諦めた方がいいのかもしれない…
菫の瞳は煌めく夜空を映さず影を落としていた。
先日流星群をアラタに一緒に見ようと誘ったが、案の定静と見るからと断られてしまった。
それでも1秒でも一緒に見たいと願った菫はアラタの後をつけて1人になったタイミングで誘う作戦だった。しかし親密な様子で星空を見ているアラタと静を恨めしげに観察するのは菫を惨めな気持ちにさせるだけだった。
視線が星空から互いに移ると、どちらからともなく口付けを交わすアラタと静の姿に菫は限界になってその場を走り去った。
「何やっているんだろう私…」
息を荒げ冷たい壁に凭れると、菫は弱々しく座り込み膝を抱えた。
菫がアラタを好きになったキッカケは氷の神子三席に就任した日の事だ。緊張のあまり精霊礼拝が出来なかった菫が人気のない場所で泣いていたら、アラタが畑で作ったトマトを差し出してくれた。
トマトを食べながら不安を吐露する菫の話をアラタは黙って話を聞いてくれた後「大丈夫だよ」と優しく頭を撫でてくれた。その時から彼に対して恋愛感情を抱いたのだ。
しかしどんなに好きだと伝えても恋愛対象として見てもらえない毎日に菫の心は折れ掛けていた。14歳の少女に手を出さないのは大人として正しい行いだと分かっていても相手にされないのはとても虚しかった。
「早く大人になりたい…」
年齢より背が高く大人びている自負はあっても子供であることには変わりない。今宵初めて星空見上げた菫は叶いもしない願いを流れ星に祈って大きく嘆息すると、自室へと戻る事にした。
「あれ、すぅちゃん?」
背後から掛けられた声の主に菫は大きな目を大きく見開いた。ここで2人の姿を見たら胸の痛みで眠れそうにないと思いながら振り返ると、そこにはアラタだけしかいなかったので夢を見ているのかと己を疑った。
「アラタさん…お一人ですか?」
「うん、さっきまで静さんと一緒だったんだけど、明日朝早いからって迎えに来てた従兄弟と帰っていったよ」
「そうだったんですね…」
どうやら静は仕事熱心なようだ。こんな特別な夜くらい休めばいいのにと思いつつも、菫はライバルの撤退に歓喜した。
「じゃあ、次は私と流星群を見てください!アラタさんがいなかったせいで、ずっと独りで寂しかったんですから!」
八つ当たりは承知で悲しみと喜びでぐちゃぐちゃになったありったけの感情をぶちまけると、菫は突然アラタの厚い胸板へと誘われた。
「泣かないで、すぅちゃん」
自分が泣いている事に気付いた菫は誰のせいだと責める様にアラタのシャツを掴んだ。
「流れ星、まだ見れるはずだよ。行こう」
背中を撫でて子供に言い聞かせるような口調のアラタが気に食わない菫は宣戦布告として背伸びをして、彼の首に腕を巻き付かせてから強引に唇を奪った。
「いつまでも子供扱いしないで下さい」
目を丸くさせて一体何が起きたのか理解が追いつかないアラタに菫は満足して勝ち気に口角を上げて笑ってみせた。
「それで、一緒に見てくれるんですよね?流れ星!」
「えっ…ああ、うん」
そして何事も無かったかのように天体観測へと誘う菫にアラタは狐につままれた様な気分になりながらも、宣言通り菫と共に見晴らしのいいスイカ畑で流星群を見上げたのだった。
***
「2人とも寝ちゃったね」
満天の星空の下、家の前に敷物を広げて家族全員で寝転がり流星群を見ていたが、眠気に勝てず寝息を立てている子供達を命は愛おしげに撫でて破顔した。
「結構頑張ったみたいだけどね。寝かしてくる」
ふわふわと魔術でクオンとセツナを浮かせて子供部屋へと運んで寝かせたトキワが外に戻ると、ここからは2人だけの時間だと言いたげに命に寄り添い腕枕をして命のこめかみに口付けを落とした。
「流れ星に何をお願いしたの?」
「家内安全と安産祈願だよ」
ロマンの欠片も無い現実的で平凡な願いだったが、命にとって切実な願いである。改めて星空に注目したらまた1つ星が降った。
「それにしても綺麗な星空だね」
「星なんかより、ちーちゃんの方がずっと綺麗だよ」
そう言って今度は頬に口付けてくる夫に命は思わず苦笑いをしてしまった。家族で流星群を見始めてからずっと視線が突き刺さっていたので薄々感じていたが、夫は星空に目も暮れずこちらを見つめ続けていたようだ。
「愛してるよ」
続いて第三子を宿したお腹を愛撫しながら流れ星に負けじとキスの雨を降らせてきた。
そんな蜂蜜よりも甘い夫の姿を義妹達が見たらギャップに仰天してしまうだろうと想像したら命は吹き出しそうになった。普段は大人として、先輩神子として人前でイチャイチャするのは自重するように努めているから尚更の事だ。
「トキワはお願い事しなかったの?」
「したよ。ひとつだけ」
思ったより欲が少ない夫に何を願ったのか視線で命か問い掛けると、ふわりと笑顔を浮かべて壊れ物を扱う様に優しく頬に触れてきた。
「これからもずっとちーちゃんと一緒にいられますように」
「私だけ?子供達は?」
「いつかは自立して家を出るからずっとは無理でしょ 」
「それはそうだけど…」
自分としては子供達ともいつまでも一緒にいたいが、無理な話だよなと少し寂しい気持ちになっていると、星空を遮る様に世界で一番大好きな顔が近付いてきたので、命は照れながらもそっと目を閉じて夫の愛を受け入れた。