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67 永遠なんてないんです

「よーし、今日もお仕事頑張るぞ!」


 いつもの朝のルーティンを終えた旭は気合を入れて机に向かった。今日は1日風魔石の精製に励む事になっている。


 魔力を込める前の石は重量があるので力持ちのマイトに必要分を運んで来て貰っている。旭が箱に軽量化魔術を掛けてもいいのだが、肉体労働も訓練の1つだと、脳みそが筋肉で出来ているような発言をされて断られてしまった。


「まずは軽量化魔石を…300個」


 手にした石に魔力を込めて軽量化魔石を精製した。ほんのり緑色に染まったら成功だ。旭は次から次へと流れ作業で魔石を生み出していく。


 ちなみに旭と兄が作った軽量化魔石は物を軽くする上に、石そのものまで羽の様に軽く持続時間も長く良質なので、非常に人気があって高値で取引されている。


「次は加速魔石が…30個」


 加速魔石は高価な割に石に込められる魔力の都合上、持続時間が短いのであまり需要が無い。これを馬に使えば風の力で移動速度は上がるが、馭者の技量が試される。


「最後が風魔石1000個!」


 これは簡単なのでその分値段は安いものの、一気に量産が可能だ。日常では髪の毛や洗濯物を乾かすのに石が割れるまで何度でも使用できる。貴族や金持ちは専用の魔道具に石をセットして利用するらしい。旭は席を立ち、積み上げられた魔石が入った箱に手をかざし集中して魔力を送った。


「ふう、一丁上がり!」


 大きく背伸びをして自身の仕事の成果を眺めた。あとは魔石の効果を鑑定する魔道具で担当の神官による検品が行われる。


「流石は風の神子、お見事です」


「えへへーありがとう!」


 マイトの賞賛に応えつつ、旭は集中していてすっかり忘れていた空腹感を思い出して時計を見遣ると、既にお昼時が過ぎていた。


「遅くなったけど、お昼ご飯にしよう!魔石の納品は夕方までだったよね?マイトさんも一緒に食べよう」


「ですが…」


「魔石を運ぶのに体力いるでしょう?ご飯食べないと元気出ないよ!」


 勤務時間中だと遠慮するマイトの背中を押しながら旭は紫と雫に食堂に行く旨を伝えて風の神子の間を出た。


「よーし、今日は旭ちゃんがご馳走してあげる!」


「そんな悪いですよ」


「いいのいいの!マイトさんにはいつもお世話になってる割に何も返してないし!」


「いえ、これは仕事ですから」


「雫さん達にも感謝してるんだけど、中々返す機会が無いんだよねー。と、いうわけで手始めにマイトさんからー!」


 お昼時を過ぎて人が疎らになった食堂に辿り着き旭はさあ遠慮無く頼めとマイトに催促した。自分が奢られなければ同僚達に続かないと判断したマイトは恐縮そうに昼食をご馳走になった。


「ありがとうございました」


「いえいえ」


 腹も心も満たされて笑顔を浮かべる旭にマイトはつられて笑いながら風の神子の間に戻り、魔石を所定の部署に運搬して行った。


「はあ…これで最後ですね」


「お疲れ様です」


 満身創痍のマイトが最後の1箱を持ち上げると、何かの残骸が下敷きになって絨毯にシミが出来ていた。


「ありゃー、何だろコレ…汚れ取れるかな?」


 箱の裏にも汚れが移っていたが、こちらは問題無さそうだったのでとりあえずマイトには魔石を運んでもらい、午後の分の石を用意してもらう事にして、旭は残骸の正体を探る事にした。


 魔石が入っていた箱に潰された残骸は16cm程の軸が木製の万年筆だと思われるが、見るも無惨に潰れていた。シミの正体はインクだろう。


「これ私の万年筆じゃないや。黒色だからサクちゃんのかな?」

 

 旭の使う文房具は可愛い色や柄の物が多いのでごく普通のシンプルな万年筆は持ち合わせて無かった。


「いやいや、黒い万年筆なんて誰でも持ってます…って、ゲッ!」


 手が汚れない様に雑巾で摘んで万年筆を確認した紫はマズイ事になったと顔を顰めた。持ち主に心当たりがあるらしい。


「これは代行の万年筆です…」


「へえ、そうなんだ。悪い事しちゃったなあ…代わりの万年筆を用意して謝らないと」


「それで済めばいいんですけどね…」


 いつもは飄々としているのに、たかが万年筆1本で何故か狼狽えている紫に旭は首を傾げた。


「私が知る限りこの万年筆の代わりを用意する事は不可能かもしれません」


「何?そんなに珍しい万年筆なの?普通に売店にありそうだけど…」


 似た様な物が神殿の売店のショーケースに並んでいた気がしたのだが紫は大袈裟に頭振って深刻そうな顔付きでこちらを見据えた。


「この万年筆、相当な思い入れがあるらしく、まめに手入れをしたり専用のケースに入れたり、気持ち悪くニヤニヤ眺めたりキスしたりしていて…それはもう恋人の様に大切にしている正に宝物です」


 まさかそんな大事な物だとは思わず、旭はとんでもない事になってしまったと目眩と吐き気を覚えてしまった。


 どうしてこうなったのか振り返って見た所、昨日夕方、マイトから槍の特訓を受けていたクオンの迎えに来ていた兄が待ち時間に執務室で雑用をこなしていた姿を思い出した。恐らくその時に万年筆をケースに入れたつもりで落としてしまったのだろう。


「どうしよう…もしかしなくてもお兄ちゃん怒るよね…」


「これはほぼ事故だから風の神子が怒られる理由がありませんよ。とはいえどうなるやら…」


「そ、そうだサクちゃんに頼んでお兄ちゃんに万年筆の存在自体を忘れてもらおう!」


「そんな非道徳的な解決は認めませんよ!そもそも記憶を操る闇魔術は使用者に負担が掛かるからダメです」


「やだなー冗談だよー…でもどうしよう…」


 解決策が見つからないまま旭が悩んでいると、突如大きな雷が響き渡り体をビクリと震わせた。魔石作りに夢中になっていて忘れていたが今日は雨が降っているので、仕事が休みの兄が神殿に来る可能性がある事を思い出した。


「最早嵐が過ぎ去る事を大人しく待つしかありません…流石に暴力沙汰にはならない…はず」


「とりあえず現実逃避にカーペットのシミでも落とそうかな…取れるかな?」


 取れなかったら買い替えるのも悪くないかと思いつつ、旭は掃除道具を持ってきた雫の指示に従いポンポンと濡れた古布でインク染みを叩いた。



「何をしている?」」


「絨毯に着いたインクを取ってるの。でも無理そうだな…」


「ドジだなー」


「ドジなのは万年筆を忘れたお兄ちゃんだし!私は何も悪くない…て、お兄ちゃん⁉︎」


 シミ取りに夢中になっていて、そのくせ自然と会話を交わしていた旭は兄の来訪に仰天してしまった。


「やっぱりここで落としてたか。それで万年筆は?」


 早速本題を切り出した兄に旭は顔を引き攣らせて紫に視線を移すと、観念した様子で雑巾に包んだ万年筆を差し出した。


「嘘だろ…」


 変わり果てた姿となった愛用の万年筆にトキワは茫然自失となり、動かなくなってしまった。


 こんな兄の姿を見るのは初めてだった旭は掛ける言葉も見つけられず、動揺を隠せなかった。


 重い空気が暫く続いた後、トキワは身体の奥から嘆息してから万年筆を受け取り、惨状を確認するとまた1つ息を大きく吐いた。


「お兄ちゃん…」


「…分かっている。誰も悪くない」


 ここに悪意を持って物を壊す人間はいない。トキワは自分に言い聞かせる為にも口に出した。


「形ある物はいずれ壊れる事も分かっている」


 冷静になろうと必死になっている兄に旭は本来自分の役目では無いと思いつつも堪らず抱き着いた。拒まれるかとも思ったが兄は旭の頭に手を触れて、徐に撫でた。


「とりあえずお茶でも飲んで落ち着いたらどうですか?」


 紫に勧められるまま兄妹はソファに座り、熱い紅茶で体を温めながらも渋みに顔を顰める。何代にも渡り風の神子に支える歴戦の神官である紫だが、紅茶を淹れるのだけは超絶に下手だった。


「あー本当紫さんの淹れる紅茶は最高に不味いね」


「先々代は好んで飲んでましたが?」


「あのジジイ味覚音痴だったんじゃない?」


 兄と紫の話題の中心人物である先々代の風の神子とは旭は会った事はあるはずだが、当時は幼過ぎて記憶にない。写真では見た事あるが、どこにでもいる様な普通の老人だった。


「この万年筆はな、当時片想いの子から誕生日プレゼントに貰った物なんだよ。一生大切にするって約束したのにな…」


 珍しく感傷的な兄の話に耳を傾けつつ旭は紅茶にミルクを注いでスプーンでかき混ぜる。これで渋みも和らぐだろう。


「それから間もなくその子は進学の為学園都市に行っちゃって離れ離れになって、俺はいつもこの万年筆で手紙を書いていた」


「その片想いの子ってお義姉ちゃんで合ってる?」


「…言うまでもないだろう?」


 以前カトリーヌの舞台を一緒に観た時にも聞いた事がある明言を避けた兄の言葉に旭は彼の想い人は今も昔も義姉だったのだと確信して、ここ数年不仲だと悩んでいた自分が心から愚かだと思い知った。


「で、先々代の風の神子のじいちゃんに魔術を習いに行った時にこの万年筆を自慢したら、一生大切にしたいならばと使い方や手入れの方法を教えてくれてケースもプレゼントしてくれたんだ」


 そう言って兄が取り出したのは年季の入った革製のペンケースだった。どうやらこの万年筆は義姉以外にも先々代との思い出も詰まっている様だ。


「これを使って手紙も書いたけれど、神子の勉強をする時にも使ってたし、土地や家を買う時の契約書やそれこそ婚姻届にも使った。クオンやセツナの出生届にもだ」


 ここまでくると壊れた万年筆は兄の半生を共にしたと言っても過言では無かった。旭はまだそんな物を持っていなかったので、羨ましい気持ちになった。


「クオンに大人になったらあげるって約束してたけど、果たせそうにないな…」


「修理は無理そうだもんね…」


「リメイクでもするよ。とりあえず持って帰る」


 欠片でも残さない位大切な物があるのは素敵な事だと旭は憧れを抱き、自分も今持っている物を大事にしようと心を入れ替えた。


 トキワが残りの紅茶を流し込んだ所でマイトが追加の石を運んで来たので、兄妹で魔石作りに励む事にした。


「今年に入って失せ物が多いな…」


「他にも何かあるの?」


「ハンカチを無くした」


「あっ…」


 兄の発言に旭は3ヶ月前に忘れ物として預かっていたハンカチを返していなかった事を今更思い出して椅子から飛び上がると、自室で埃を被っている裁縫箱から深緑の布地に銀糸で刺繍が施されたハンカチを取り出し、兄へ王に宝を献上する様に跪いて返却するのだった。

 

 

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