64 すっかり改心したみたいです
神殿が仕入れたり寄付される食物は担当の神官が毒や異物が入っていないかチェックしてから食堂などで使われる。近年はそれらを検査する魔道具が導入されたので幾分楽になったらしいが、それでも量が多いので毎日大変そうだ。
この理由から神子個人への手紙以外の贈り物は家族から以外は禁止されている。ちなみに手紙も事前に神官が内容を確認するので、不適切な内容の物は処分される。
神子の中には返事を書く者もいれば書かない者もいる。風の神子は奨学基金を利用した村人から感謝の手紙を受け取る機会が多いので、定型文を印刷したカードにサインと一言メッセージを添えたハガキを返している。
今日はそれをしようと机に向かい手紙を入れていた箱に手を掛けると中身が空だったので旭は首を傾げた。
「ああ、手紙の返事なら先日風の神子が実家に帰っている間に代行が済ませてましたよ」
「えー、折角のお休みなんだからお義姉ちゃんにかまってあげれば良かったのに」
「心配しなくても随分とお楽しみのようでしたよ?執務は奥さんがお休み中にしてました」
紫の報告を聞いて自分と同じように充実した休日を過ごせたならいいかと旭は負担を減らしてくれた兄に感謝してから、暇になってしまった時間をどう過ごそうか考えていると、執務室をノックする音がした。入室を許可するとアラタが菫と共に現れた。
「あのー、風の神子の執務室はデートスポットじゃないんですけど?」
「いくら相手がすうちゃんでも、デートだったら静さんに怒られちゃうよー。ちょっとあーちゃんに…風の神子に用があるんだけど、今いい?」
「ちょうど暇になった所だからいいよ」
念の為紫に視線を向けて確認したら頷いたので、旭は椅子から降りた。
「あのさ、元反神殿組織のおじさん達があーちゃんに直接謝りたいんだって」
「それって確かおばあちゃんに髪の毛を生やしてもらうの会の人達だよね。今更謝られても困るんだけど…」
彼らは旭を人質にしようと喫茶店で暴れた挙句、作戦を変更して義姉を誘拐して傷付けた憎き輩だ。いくら更生したとはいえ、赦せと言われて許す程旭は心が広くなかった。
「まったく、旭は子供ねー!ここは素直にはいはい赦しますよーって口だけ言っておけばいいのよ」
「そういうものなの?」
「そうよ」
どうせアラタが仲介を引き受けているから煩わせるなと思っているだけだろうと訝しみつつも、しつこく縋られても困るので旭は元反神殿組織の男達の謝罪を受ける事にした。
「とはいっても、一番謝るべき人物はお義姉ちゃんだと思うんだけど…」
「それはもう勿論真っ先に奥さんに謝りたいって言ってたんだけど、トキワさんに伝えたらガチギレして、今後奥さんに関わろうとしたら一族郎党まとめて全員ブチ殺すとか言い出したから謝罪文と就職先で作った作物を献上して手打ちになった」
「うわ、いくらお義姉ちゃんが妊娠中で心配掛けたくないからって流石の私もそれは引くわ…お兄ちゃん怖すぎ」
兄の怒り狂う様を想像するだけで旭は夜眠れなくなりそうだった。ここは旭が彼らを許す事にして二度と関わらない様に警告しなくてはと気を引き締めて、待ち合わせの部屋へとアラタと菫と共に入った。
「うわっまぶしっ!」
部屋では元反神殿組織の男達が正座をして頭を下げた状態で待機していた。以前の様に帽子を被らずハゲ頭の状態だったので、窓の光に反射して輝いていた為、旭は思わず目を瞑った。
「えーと皆さん、顔をあげてもらえますか?」
遠慮がちに申し出ると、男達は一斉に顔をあげて姿勢を正した。旭は彼らの顔を一瞥したが、誘拐犯の顔を覚えていなかったのでどんな態度を取ればいいか分からず戸惑った。
「…発言を許します」
だからさっさと謝って帰ってくれと思いつつも神子の威厳を保つ為に旭は静かに言葉を発した。
「この度は我々に謝罪の機会を与えて下さり誠に感謝しております!風の神子様と風の神子代行様の奥方様に対して行った行為を心からお詫び申し上げます」
代表の男が詫びで締めるとまたも一斉に頭を下げ始めて目眩しを食らわせてきたので旭は苛立ちを覚えつつもすまし顔を保った。
「顔を上げなさい。あなた達が頭を下げると眩しくて堪りません」
面倒くさくなって来たので旭は素直な気持ちを男達に伝えると、アラタと菫が吹き出す音が聞こえてきた。
「私への侮辱と誘拐未遂は現在のあなた方の働きに免じて許します」
慈悲深い旭の赦しに男達はホッとするも、直ぐに鋭い視線を向けられて背筋を凍らせる。
「ただ、義姉に行った事に関しては情報が少なくて判断しかねます。素直に罪を告白しなさい」
当時旭が見ただけでも義姉は縄でキツく締め付けられた跡と顔を殴られ服を破かれていて到底赦せる状態ではなかったが、念の為確認する事にした。
「わ…私達が風の神子代行様の奥方様を拘束して監視した際、その…輪姦そうとしたら抵抗した為…顔を殴りました…本当に申し訳ありません!」
「げっ!そんなヤバいことしてたの⁉︎」
この件に関して初耳だったアラタは思わず声を上げてしまった。菫も顔を青くさせて軽蔑の眼差しを浮かべていた。
「酷い!あれから3日後にお義姉ちゃんは妊娠が判明したんだよ⁉︎それなのに回してたら目が回って赤ちゃんも目が回って大変な事になってたかもしれないじゃないの!」
旭が意味を履き違えた発言をしている様子だったが、それよりも命が妊娠していたという事実に男達は強い後悔と恐怖に身体を震わせた。
「それにしてもなあ…どうりで全員トキワさんに股間を潰されたわけだ…みんなよく生きていたね」
さりげなく物騒な新事実を口にしたアラタに旭は瞠目しながらも、兄ならやりかねない報復だと感じた。
「その件に関しましては光の神子様のご慈悲に感謝しかございません」
男の1人が言うには今まで散々侮辱してきたにも関わらず、光の神子が男達の股間を魔術で治療してくれたお陰で傷は勿論の事、男性機能も無事回復したとの事だった。
「男の尊厳を取り戻してあげた事で反神殿組織の人間達を丸め込ませるとは、流石光の神子だなあ…」
恐らく光の神子は孫の暴走を予期した上で野放しにして自分は反神殿組織に恩を売ったという策士振りにアラタは彼女だけは敵に回してはいけないと警戒した。
「改めまして…あなた方が私にした無礼は赦します。ですが義姉にした暴力については私と兄は一生赦さないので今後とも犯した罪を忘れずに真っ当に生きて下さい」
謝れば必ず赦される訳ではない。それを分かって欲しいと伝えれば、男達は神妙な顔立ちで頷いた。
最後に仕事先で収穫した野菜や乳製品を頂いた。既に異物毒物については検査済みで、彼らが更生して働いた成果を誠意として旭はありがたく頂く事にした。
「アラタさんてこんなお節介もしてるんだね」
元反神殿組織の男達が帰って肩の荷が降りた旭は大きく背伸びをしながらアラタに皮肉を言った。
「まあ、あのおじさん達の処遇について進言したのは俺だから、この位の世話はしなきゃね。真面目に働いているお陰で農家さん達も助かっているみたいだし」
「面倒見が良いアラタさんも素敵!大好き!」
惚れ直したと菫はアラタに抱きついた。満更でもない様子のアラタを旭は白い目で見てから部屋の外で待機していたマイトに貰った農産物を運んで貰い、風の神子の間に戻る事にした。
「あ、サクちゃんだ」
隣の応接室からサクヤと馴染みの商人、そして彼の娘の職人が出て来た。
「おお、風の神子よ!ちょうどそなたに会いに行こうと思っていた所だ。遂に指輪が完成したぞ!」
そう言ってサクヤは手にしていた指輪ケースを開けようとしたので旭は手のひらを前に出して制止した。
「待って、指輪が素晴らしい出来なのは分かっているし、サイズが合っているか試着をした方がいいのも分かっている…でも、それはプロポーズの後でも遅くないと思うのよ!」
「なるほどそう来たか、相分かった」
プロポーズへの拘りを吐露する旭にサクヤは理解を示して指輪のケースを懐に収めた。
「では大将、親方よ、調整があったらまたご足労願う」
「かしこまりました。いつでも馳せ参じます」
商人親子は深々と頭を下げてから神殿を去って行った。旭も見えなくなるまで感謝を込めてお辞儀した。
「風の神子は何をしていたのだ?その野菜達はもしや…賄賂?」
「違うから!ていうか私に賄賂を贈ってもなにも良い事ないし」
旭は素直に元反神殿組織の男達が謝罪に来た顛末を説明すると、サクヤの瞳に影が帯びた。
「そのような非道な奴ら…我の闇魔術で精神を崩壊させてやったのに…」
「いやいや!お兄ちゃんよりえげつない報復しないで!それに精神を操る魔術はサクちゃんにもダメージが大きいんだから使っちゃダメ絶対!」
「フッ、冗談だ。報いは充分受けたと養母も言っていたからな」
「よろしい!それでプロポーズはいつしてくれるの?」
「そうだな…来月の流星群の夜にチャペルで行うのはどうだ?」
「素敵!楽しみにしているね!」
思いの外ロマンチックな提案に旭は頬を染めて快諾すると、来る日を指折りして待つ日々が始まった。一方でサクヤはここに来てプロポーズの言葉を全く考えてなかったので流星群の夜までに情報を集めようと固く決意するのだった。