63 たまには実家に帰ります
「それじゃあいくよ」
紋章が刻まれた左手に旭は魔力を集中させると、柔らかい風と光がそっと兄の胸板へと紋章を移動させた。
「証の譲渡完了!あとはよろしくね、風の神子代表さん!」
ちょっとふざけて言っただけなのに鋭く睨みを利かせる兄に旭は肩をすくめて義姉が寛ぐソファの後ろに隠れた。
「もう、旭ちゃんを怖がらせないの!ごめんね旭ちゃん、久しぶりの実家楽しんで来てね」
「こちらこそ、大変な時期なのにお兄ちゃんを使ってごめんね」
旭は久しぶりに東の集落にある実家に一泊する事になっていた。神子になった当初はよく帰っていたが、最近は子供じゃないし神殿の暮らしの方が楽しいので疎かにしていた。今回帰省に踏み切ったのは親孝行の一環だ。
「気にしないで、お腹の子供が生まれたら夫婦でゆっくりする時間がしばらくなくなるからいい機会だよ」
そう言って命は立ち上がり、義妹に引け目を感じさせないように嬉しそうに夫の腕に抱き着いて寄り添った。
「ならいいけど…くーちゃんとせっちゃんはお出掛けだっけ?」
「うん、うちの姉家族とキャンプに行ってる」
「キャンプかあ…楽しそう、今度サクちゃんとやってみようかな」
帰ったら早速候補地を探そうと思いつつ、旭は荷物の確認をしてから兄夫婦に別れを告げて、護衛のマイトと共に馬車へと向かった。
「風の神子」
「サクちゃん!お見送りに来てくれたの?」
「ああ、道中の安全と帰還をお祈りする」
「ありがとう、明日絶対帰ってくるからね!」
旭がサクヤに抱き付けば優しく背中を撫でてくれたので満たされた気持ちになる。離れるのは名残惜しいが、両親が手ぐすねを引いて待っているので馬車へと乗り込んだ。
馬車に揺られて10分ほどで東の集落の実家へと辿り着いた。マイトの手を借りて馬車から舞い降りると、家の前で母が待ち受けていた。
「ようやく来たか」
「ママ!お待たせー」
まさか外で待っててくれると思わなかった旭は嬉しくなって母に抱き着いた。
「うっわー!いい歳して母親に甘えてんのかよ!相変わらずガキだな」
親子の対面を嘲笑う声に旭は眉間に皺を寄せた。声の主は隣の家に住んでいるヒロトだ。以前隣の家は兄の幼馴染みが住んでいたらしいが、天涯孤独になったのをキッカケに冒険者となり家を売りに出したらしい。そこを買って住む様になったのがヒロト達という訳だ。
彼は旭と同い年の幼馴染みではあるが、5歳で神子になって神殿で暮らす様になったので、あまり交流は無い。それなのにたまに顔を合わせると憎まれ口ばかり叩くので、出来れば会いたくない人物だった。
「自分がママに甘えられないからって八つ当たりしないでよ!」
「はあ⁉︎ババアに甘える訳ねえだろうが!」
「あーはいはい、そういう事にしといてあげる」
ヒロトとは顔を合わせる度に喧嘩をするので旭は毛嫌いしていたので無視してここまで護衛してもらったマイトにお礼を言って帰りの時間を確認してから見送ると、ヒロトに向かって舌を出して家に入った。
「おかえり旭、今お昼ご飯を作っているから待っていてね」
家に入る前からいい匂いがしていたので予想がついていたが、娘の里帰りの為に父は手料理を用意していたようだ。いつもならソファで寛いで料理の完成を待っていたが、旭は持参したトランクからエプロンを取り出して身につけると台所へ向かい父の隣に立った。
「パパ、私もお手伝いするよ」
「旭…」
娘の成長にトキオは感激して目頭を熱くさせながらサラダの盛り付けを指示した。旭はトングを使い人数分のボウルに手際良くサラダを取り分けて行った。
「中々上手じゃないか、神殿でも料理をしているのかい?」
「うん、サクちゃんとハンバーグ作ったのをキッカケに月に一度は一緒に料理をしているの!」
今まではハンバーグしか作っていなかったが、慣れて来たので最近は新しい料理にも挑戦をしていた。先生は雫や食堂の料理長だ。
「料理がこんなに楽しいと思わなかったよ!これも全部レシピを教えてくれたパパのおかげだよ!ありがとうね!」
旭が感謝の言葉を伝えると、見る見るうちに父の目から涙が零れ落ちてきた。まさか泣き出すと思わなかった旭は困惑の表情を浮かべた。
「いやあ、歳を取ると涙脆くなっちゃうんだね…」
初めての娘でしかも16年ぶりの子供だった事もあり、旭を甘やかして育ててしまった自覚があったトキオは率先して自分の手伝いをしてくれた上に感謝までしてもらったので感激したのもあるが、心身共に成長している事に嬉しさと寂しさを覚えた。
食卓に料理が並び、両親と旭でお昼ご飯となった。母は愛用の粉唐辛子を肉団子に振り掛けてご満悦の様子で頬張っていた。
「トキオさんの分もかけてあげよう」
「ありがとう楓さん」
夫のコンソメスープに楓は容赦なく大きなスプーン山盛りの唐辛子を振りかける。両親の辛い物好きは相変わらず筋金入りの様だ。
「2人とも本当辛い物が好きだよねえ…」
「こればかりは好きな物だからしょうがない。私達はお互いを何も知らず結婚したが、初めて一緒に食事をした時に同時にスープに粉唐辛子を掛けようとした時は運命さえ感じたな」
「あれで一気に打ち解けたよね。食べ物の好みが同じって夫婦生活では大事なことだと痛感したよ」
自分とサクヤとの味覚はどうだろうか?甘い物が好きな所は同じかもしれない。しかし野菜と魚が苦手な旭に対してサクヤは野菜も食べるし、魚に至っては大好物だ。これでは結婚して上手くいかないかもしれないと少し不安になったので野菜と魚を好きになれるよう努力しようと心に誓った。
昼食後は片付けも手伝いまたも父を感激させた後はソファで寛ぐ母の隣で旭は持参したファッション雑誌を読みながら、だらだら過ごした。その様子を向かい側の椅子に座りトキオは幸せそうに目を細めていた。
「お母さんはなんで私を産んだの?」
「なんだ突然、アイデンティティについて悩んでいるのか?」
「そうじゃないけどさ、お兄ちゃん産んでから凄い今更な感じで私を産んだなーなんて思ったんだよね」
「まあ旭が疑問に感じるのも仕方ないか。私達夫婦の自分勝手な理由なんだが、トキワが16になったら即結婚して家を出て行きそうな空気だったから、もう1人作るかって事になった。結局あいつはモタモタして18で結婚したがな」
自分は16になったら即サクヤと結婚するつもりなので、旭は2年待った兄の気持ちが理解出来なかった。もしかしたら男女で考え方が違うのかもしれないし、身を固める事に迷いがあったのだろうと結論付けて父特製のバタークッキーを口に放り込んだ。
「でもそのおかげで少しの間だったけど、ここで家族みんなで暮らせて幸せだったよ」
「パパ…」
自分が神子になりたいと言い出さなければ今頃この家で学生をしながら暮らしていただろう。想像してみるがどうもしっくり来ないから神子の方が性に合っているようなので、父には悪いが選んだ道は間違っていないと思った。
「大丈夫、今は楓さんと2人きりで恋人同士のような生活を送れているから、とても幸せなんだ。時々孫も遊びに来てくれるし、旭とトキワにも会いたくなったらいつでも会いに行けるわけだし」
「うむ、毎日孫の相手をすれば体力的に疲れるし、お前達とも毎日顔を合わせたら口喧嘩ばかりになるから今の距離感が私には丁度いい。だからお前も帰ってくるのはたまにでいいぞ」
寂しくないと言ったら嘘になるが、娘が幸せに暮らしているならそれ以上望む事は無い。それがトキオと楓の結論だった。
そして夕飯の後、旭は久しぶりに母と風呂に入った。昔のように父も一緒にと誘ったが、年頃なんだからと断られてしまった。
「…お前、本当に成長してないな」
娘の貧相で少し骨が浮かんだ胸元に楓は思わず嘆息してしまった。
「ママに似たんだから仕方ないじゃん!あーあ、パパの家系に似たらマシだったかもなあ」
「希望を打ち消すようで悪いが、義母も私といい勝負の絶壁だったぞ。顔は絶世の美女だったがな」
「パパ方のおばあちゃんてずっと前に亡くなったんだよね?どんな人だったの?」
「とにかく顔が良くて裏表が無い…裏裏の性格だな。口説いてくる男が多かったから撃退する為に辛辣な言葉を浴びせている内に優しい言葉を忘れてしまったらしい。私も初対面に『よくも息子を誑かしたな、この泥棒猫!』と言われた」
「ママは何て返したの?」
「猫って言われたから猫の真似をした。そしたら爆笑されて何故か気に入られた」
儚い外見に反して母は度胸があるので気が強いらしい祖母に気に入られるのは何となくわかる気がした。
「それ修羅場新聞に投稿したら載りそう!嫁姑問題の投稿て人気なんだよ!」
「あれは私も読んでいる。うちの嫁は善良だから高みの見物だ。そうだな暇潰しに投稿するか。コーネリア・ファイアには負けるが私も文くらいは書ける」
何より義母との思い出を形に残すのも悪くないと笑う母の横顔は優しげで、旭は会ってみたかったと亡き祖母に思いを馳せた。
旭の部屋は昔のまま…それでいて子供用のベッドから大人用に変わっていて、いつ帰って来てもいい様に整えられていた。しかし今夜は両親と同じ部屋で寝る事にした。
「まだまだ子供だな」
「いいじゃん、私は一生パパとママの子供なんだし!」
「ぶっちゃけ狭いんだが…」
「まあまあ、たまにはいいじゃないか。楓さんも旭も小柄だから大丈夫だよ」
「トキオさんがそう言うなら仕方ない。しょうがないな、今夜だけだぞ」
許可も得た事で旭は両親の間に割って入る様にベッドに潜り込むと、2人の手を握り子供の頃に戻ってそっと目を閉じておやすみを告げた。
登場人物メモ
ヒロト
13歳 髪色 灰 目の色 赤 風属性
旭の幼馴染み。隣の家に住んでいる。旭と顔を合わせると喧嘩をふっかけてくる。




