58 許嫁の話を聞きます
突如部屋から出たサクヤを追うために旭は自らに加速魔術を掛けた。彼は何処へ行ったのか。姿は既に見えず、勘だけが頼りとなってしまった。
旭の母を姉さんと呼んだサクヤの口調は大人びていて別人のようだった。そんな彼に対して母が口にしたイザナという先代の闇の神子の名前…これが何を意味するのか考えてみる。
まずサクヤは先代の闇の神子とは一切面識は無い。何故ならば先代が亡くなった数年後にサクヤが生まれたからだ。祖母が言っていたから間違いない。
となるとサクヤは祖母から聞いた先代の神子の人物像を演じたのだろうか。だとしたらいくらなんでも冗談が過ぎる。
闇の神子の間に辿り着き、待機している神官にサクヤが来なかったか確認したが、首を横に振るだけだった。自分の部屋に引きこもったと思ったが違う様だ。ここで旭はサクヤではなくイザナが行きそうな場所を探した方がいいのでは無いかと頭を過ったが、生まれる前に亡くなった叔父の事なんて名前と写真でしか知らないし、自分が探すのはサクヤなのだと言い聞かせて思いつく場所を順に回る事にした。
いつものランニングコースや厩に訓練場、中庭のバラ園など思いつく限りを回るが見当たらない。
「あ…」
ふと旭は空を見上げた先に聳え立つ塔にもしかしたらサクヤがいるかもしれないと予感して、迷わず飛び立った。飛行魔術が使える様になってからコツコツと鍛錬を重ねて来たが、これ程の高さまで1人で飛ぶのは初めてだ。それでも旭はサクヤの為なら飛べる気がした。
「サクちゃん!」
塔の屋上へ降り立った旭が周囲を見渡すと、ふわふわの黒い毛並みが愛くるしい闇の精霊ディアボロスを抱きしめたサクヤが座り込んでいるのを発見した。
「風の神子…」
顔を上げたサクヤの顔色は青く、どこか怯えた様子だった。初めて見る許嫁の一面に掛ける言葉が見つからず、旭は黙って隣に座って手を握った。
しばらくディアボロスのパッティングの息遣いだけが聴覚を支配していたが、意を決したサクヤは繋がれた旭の手を握り返した。
「秘密にしたままそなたとの関係を続けるわけにはいかない…我の話を聞いてくれないか?」
つまりは許嫁関係を解消したくないというサクヤの意思に旭は胸を詰まらせながらも大きく頷いて笑って見せた。
「信じてもらえるか分からないが、我の中には歴代の闇の神子の記憶が存在するのだ」
また変な本に影響を受けてしまったのかといつもの旭なら呆れる所だが、先程のサクヤの言動と以前祖母が話したサクヤなら先代の闇の神子について知っているという言葉があったので嘘ではないと確信した。
「何故ならば闇の神子は皆同じ魂で転生を繰り返しているからだ。つまり我は歴代の闇の神子の生まれ変わりという事になる」
だから水鏡族に闇属性の魔術の使い手は1人しかいないのかと納得しつつ、ならば光の神子も同様なのかもしれないと旭は推理してからサクヤの話の続きを待った。
「じつの所記憶を取り戻したのは最近の事でな、我が頭を打ち記憶を失った際に記憶を取り戻す為に魔術を使ったのをキッカケに歴代の闇の神子の記憶も甦ったのだ」
「そうだったんだ…」
「ああ、この件については後日養母が若輩者の我の為に記憶を封印していたと教えてくれた。感謝しかない」
もしも幼い頃から前世の記憶があったらサクヤは一体どうなったのだろうか。想像するだけで旭は不安な気持ちに襲われた。
「先刻我の口から先代の言葉が出たのは憶測に過ぎないが、風の神子の母を見て先代の記憶が魂に結びついて人格として表に出たのかもしれない」
「それって…サクちゃんの人格を先代に乗っ取られたって事?」
「そういう事になる」
あっさりととんでもない事を口にするサクヤに旭は目を丸くさせた。もしあのまま人格を乗っ取られ続けていたら、サクヤと二度と会えなくなる所だったはずだ。不安げに瞳を揺らす旭を元気付けるようにディアボロスは頬を舐めて可愛らしく1つ鳴いた。
「今先代は我の中で眠っている。歴代もそうだ。今の闇の神子は我だ。それは揺るぎない…」
だから大丈夫だと言いたいのかもしれないが、目の前で許嫁の人格が変わった様を見た旭の不安は消えない。
「先代の闇の神子については既知だろうか?」
「…私の叔父さんだって事しか知らない」
彼については祖母も話したくなさそうだったし、祖父も母も叔母からも聞いた事が一度も無かった。となると祖母達にとって思い出したくない人物なのかもしれない。
「ならば我が先代について語ろう。彼もそれを望んでいる」
ずっと知りたい事だったのに、今はあまり知りたくない。しかしサクヤを受け入れたい気持ちの方が勝り、旭は小さく頷いた。
「先代の闇の神子は光の神子の第2子として生まれた。光の神子が闇の神子を生んだのは水鏡族の歴史上初の事だ。彼はイザナと名付けられ神殿で家族からの愛を受けながら健やかに育った」
ならば先代の神子は何故早くに亡くなったのか、魔物の襲撃でもあったのか…謎は深まる。
「しかし先代が13歳の時、ある心の変化が芽生えた。彼は炎の神子代表の姉に恋愛感情を持ってしまった」
「え、姉って…もしかして私のママ⁉︎」
予期しない展開に旭が目を見張り問い掛けると、サクヤは静かに頷いた。水鏡族では血の繋がった兄弟姉妹間の結婚は禁じられている。つまりイザナは母に対して禁断の愛に目覚めたと言えるだろう。
「彼は姉への思慕が日に日に募ったが、姉からは愛を否定されて気持ちが抑えきれなかった先代は心を操ろうとした」
それは闇属性の使い手のみが使える精神を支配する魔術だ。サクヤはこれの応用として相手をリラックスさせて安らかな睡眠に導く魔術を毎年会合で披露しているが、人の心を操る姿は見た事がなかった。
「だが既に母が先手を打って、姉に闇魔術を防ぐ効果を付与した腕輪を授けていた為にそれは未遂に終わった。これを機に先代は闇の神子の間から出られない様結界が張られて、姉と会う事は叶わなくなった。そしてその間に姉は炎の神子の代表を妹に明け渡して男と結婚した後に神殿を出て駆け落ちしてしまった」
「その男の人がパパ…」
お互い一目惚れして会ってすぐにプロポーズして結婚したと聞いたが、まさかそんな裏事情があったとは旭は思いもしなかった。
「姉の結婚と駆け落ちを知った先代は怒り狂い、結界を破り彼女達を追う為に闇の精霊との契約を破棄して神殿を出ようとしたが、またも光の神子に先手を打たれ拘束された後に水晶を没収され地下牢に幽閉された」
「神殿から出ようとしただけなのに、おばあちゃんはどうしてそんな仕打ちを…」
旭には地下牢に閉じ込める程の事をしたと思えず、光の神子の仕打ちに恐怖を覚えた。
「彼は道を阻んだ神官の生命を奪った。罪人を裁くのは当然の事だ」
先代の犯した罪に旭は恐怖に体を震わせた。
「その後先代は地下牢で生涯を終えるかと思われたが、姉への執着が消えず更に募った先代は魔術ではなく話術で見張りの神官を懐柔させて脱獄して神殿を出た。そして執念で姉の住まいを探し出した」
彼の姉への恋慕は混沌を極め、歪んだ愛情は相手の気持ちを考えず周囲に恐怖をもたらしたようだ。
「久方ぶりの姉との再会に狂喜乱舞する中で先代は彼女の傍にいた幼い子供に目が留まった。姉を奪った憎きあの男に瓜二つにも関わらず、先代はその子供を姉と自分との間に出来た子供だ。その証拠に将来自分と同じ両手剣使いになると預言した」
幼い子供というのが兄だというのは旭も直ぐに気がついた。それと同時に兄が先代の預言通り両手剣使いになった事も知っていたので背筋が凍りついた。もしかしたら母と兄の不仲の原因なのかもしれないとも憶測した。
「姉は先代を炎で捕らえ神官達に身柄を確保させた。再び神殿に逆戻りとなった先代に母が告げたのは追放だった。強力な魔道具で拘束された状態で彼は父に連れられ村から遥か彼方に浮かぶ無人島へと追いやられた。神殿という世界しか知らない先代にとってそれは死を意味した」
つまりここで先代は生涯を終えたのかもしれない。孤独に死んでいったであろう先代を思うと旭は自然と涙が零れ落ちた。
「だが、先代は生きた。魔術も使えず身一つで島で使える物は何でも使って必死に生きた。大体5年位無人島で生活をしていく中でふと彼は自分は何故生きているのか自問自答してもう一度姉に会いたいからだと結論付けた。そしてある決断をした」
設定メモ
ディアボロスの外見は黒のトイプードル




