49 勇者様御一行が旅立ちます
「勇者殿、この魔道具は何だ?」
その夜、勇者は闇の神子の間にて約束通りサクヤに手持ちの魔道具を披露した。異空間収納の小箱から取り出された数々の魔道具にサクヤは興味津々だ。
「これは変装に使う魔道具だよ。髪の色を変えられるんだ」
サクヤが指したアトマイザーの形をした魔道具を手に取り、エアハルトはダイヤルを灰色に合わせて頭に吹き掛けると、一瞬で髪の毛が灰色に変わった。
「目の色はこれで変える事ができるよ」
そう言って異空間収納から取り出したのは蓋にダイヤルが付いた目薬だ。エアハルトはダイヤルを赤に合わせてから蓋を外し両目にそれぞれ数滴垂らして瞬きをするとアメジストような瞳が赤く染まった。
「まるで水鏡族の様だ!」
完璧なエアハルトの変装にサクヤは興奮気味に目を輝かせた。
「そういえば以前風の神子代行が髪の色を灰色に変えて変装していたが、あれも魔道具を使ったのだろうか…」
「風の神子代行て…ああ、トキワ君の事か。昔『結婚祝いに何かよこせ』とか言って僕からかっぱらった奴じゃないかな?だからこれは買い直したんだ」
机に置いていたアトマイザーを人差し指で突いてエアハルトは懐かしそうに笑った。
「なるほど、流石風の神子代行がめついな」
子供のためにお金を貯める事に余念が無い師匠にサクヤは感心しつつ、次は鍵の付いた本の形をした魔道具に興味を示す。
「その本は開くと異空間に行けるんだ。そこで強力な魔術の試し撃ちをしたりしてるんだ」
「修行に打って付けという訳だな」
「欠点は本を燃やされたら閉じ込められてしまう事かな。使う時は信頼出来る人間に預けないといけない」
「勇者殿は普段誰に預けているのだ?」
「テリーに預かって貰っている。彼は僕の幼馴染みでね、昔から気の置ける存在なんだ。最近モテ期なのは妬ましいけどね」
「最近という事はアザミ殿とロベリア殿は昔からの仲間では無いのか?」
「うん、以前は魔術師のおじさんと刀使いの大男の4人で旅をしていたんだけど、おじさんは体力の限界で、大男は家庭を持っていたし貴族だったから家を継ぐ事になってね…パーティーを脱退する事になったんだ」
「刀使いは先代の土の神子と結婚したと聞いている」
「そうそう、羨ましい限りだよ」
嘆息するエアハルトの横顔をサクヤはじっと見つめる。整った顔立ちでアメジストの様に煌めく瞳は多くの者を惹きつけると思うので独り身で恋人がいないのは意外に感じていた。
「勇者殿はこれまでに燃える様な恋をした事はあるのか?」
絶賛恋心を探求中のサクヤは折角だから勇者にも話を聞こうと切り出した所、エアハルトは自嘲気味に笑った。
「燃える様な恋、か…そうだなあ、僕が本気で打倒魔王を目指したきっかけは失恋だったんだ」
意外なエアハルトの動機にサクヤは目を丸くした。勇者としての使命感ではなく、失恋がキッカケとは思いもしなかった。
「彼女は僕の祖国のパン屋の看板娘だった。働き者で笑顔が可愛らしくて、白い肌に浮かぶそばかすが素朴で愛らしかった。すっかり虜になった僕は毎日彼女のパン屋に通い親交を深めたかったけれど、当時の僕は若い女性と目を合わせるだけで緊張してしまうから、店の外から彼女を眺める事しか出来なかった」
甘酸っぱい思い出を語るエアハルトの横顔は少し照れ臭そうで、彼にも自分の様な少年時代があったのだなとサクヤは親近感を覚えた。
「そんなある日、突然彼女の姿が見えなくなった。僕の代わりにパンを買ってくれていたテリー達によると、ここ数日間無断欠勤したので店主が家を訪ねた所、彼女は心ここに在らずの状態で会話が成立しなかったそうだ」
「何か事件に巻き込まれてたのか?」
サクヤの問いかけにエアハルトは返答せずに話を続ける。
「彼女は魔王に身も心も奪われてしまっていたんだ…サクヤくんは今代の魔王の所業については知ってるかな?」
「若い娘を魅了して手籠めにしていると聞いているが…まさか勇者殿の想い人も魔王の毒牙に…⁉︎」
エアハルトは頼りなく笑い肯定した。これ以上過去の古傷を抉ってもいいのだろうかとサクヤが戸惑いの表情を浮かべていたら、気にするなと言いたげに優しく頭を撫でられた。
「その後僕が彼女の魅了の術を解いてあげたから普通の生活を送れる様になったけど、魔王への恋心は本物だったみたいで弄ばれたショックまで癒す事は出来なかった」
昔話で語られる殺戮の限りを尽くして来た魔王に比べると今代の魔王は大人しいものだと人々は評するが、うら若き乙女達の心を壊す行為はとても卑劣だとサクヤは眉を顰めた。
「聞いた事あるかもしれないけど、水鏡族の村にも魔王が襲来した時もあるんだ。だからいくら神殿に住んでいても君の大切な許嫁が被害に遭う可能性だってある」
決して他人事ではないと忠告するエアハルトにサクヤの背筋か凍りつく。もし旭が魔王の餌食となり、あの天真爛漫な瞳が二度と自分を映さなくなったらと考えるだけで胸がかきむしられる様な気持ちになった。
「その様な事は絶対あってはならない…風の神子は我が守るし、誰にも渡さない……っ⁉︎」
自分で口にしておきながらサクヤは驚きを隠せなかった今まで旭とは共に母である光の神子を守りたい存在だと思っていたのに、彼女自身を自分が守りたいと初めて思ったのだ。
「サクヤくんは許嫁ちゃんが大好きなんだね」
旭がサクヤを大好きだという言葉は旭を始め色んな人達から何度も聞いて来たが、逆の言葉を掛けて貰ったのは初めてだった。
「そうか…そうだったのか…」
自分は旭が大好きだ。人に言われてサクヤは漸く気が付いた。今まで共に水鏡族の未来を担う存在だとか回りくどい言い回しで許嫁を評して来たが、いつも旭がくれた「大好き」に答える言葉は「ありがとう」ではなく「大好き」で良かったのだと気付いた。
「どうしたのさっきゅん?」
様子がおかしいとエアハルトが首を傾げて心配していたのでサクヤは我に帰り顔を上げた。
「勇者殿よ、感謝する。ようやく自分の気持ちに気付くことが出来た。我は風の神子が大好きだ!」
長年の自分の気持ちが分かったサクヤは晴々とした表情でエアハルトに心からの感謝を告げた。
「青春だなあ…いいなあ…」
自分も若い頃にこんな気持ちになりたかったとエアハルトは青春真っ盛りのサクヤを羨んだ。
その後サクヤはエアハルトから打倒魔王への道のりを修行時代やトキワと初めて会った時のエピソード、神子達と力を合わせて撃退させた話や、その後も魔王を追い続けている今日までの冒険譚を夜更けまで聞いて充実した時間を過ごした。
***
そして勇者一行は旅立ちの朝を迎えた。サクヤと語り明かして寝不足気味なエアハルトはともかく、テリーもゲッソリとした表情で両腕にアザミとロベリアを侍らせていた。
「クソ、俺が部屋に戻らなかったのをいい事に3人で盛り上がったな…」
結局サクヤの部屋で夜を明かしたエアハルトはテリー達が過ごしたであろう甘いひと時を想像して自分の色恋沙汰との無縁さを恨み嘆息した。
「みなさん、また近くに寄ったらいらしてくださいね。歓迎しますよ」
「ありがとうございます。次お会いする時には魔王討伐の報告を土産に出来たらと思います」
「ふふふ、期待してるわよ。その為にも…」
光の神子が相棒の長杖を掲げた理由をエアハルトは瞬時に察して政権を恭しく差し出した。すると長杖から温かい光が溢れて聖剣へと降り注がれていった。
「本来なら聖女の役割でしょうけど…私と光の精霊達からのほんの祝福です。御武運を」
「ありがとうございます。僕にとってはあなたが聖女ですよ」
「まあ、お世辞でも嬉しいわ」
にこにこと光の神子は勇者と抱擁を交わしてから握手をして互いの健闘を祈った。
「聖女って存在するの?」
歴史を元にした物語で聖女は必ず勇者と共に魔王と戦い、討伐を果たし平和をもたらした世界で勇者と結ばれて幸せに暮らすのが定番だが、エアハルトの隣にはそれらしき女性はいなかったので旭は疑問を口にした。
「今の所巡り逢えてないね…もし水鏡族の村に来たら、勇者が探してたって伝えてくれる?」
ウインクをして戯けるエアハルトに旭は思わず吹き出して隣にいるサクヤに笑いかければ、つられてサクヤも頬を緩ませた。
「あそうだ、さっきゅんには一番お世話になったからお礼があるんだ」
そう言ってエアハルトは異空間収納の小箱から白銀に輝く蔦模様の腕輪をサクヤの右手首に嵌めた。
「もし絶対絶命のピンチになったらこの腕輪が力になるはずだよ」
「ありがたい。頼もしい限りだ」
一体どんな仕組みなのか分からないが、勇者からの贈り物にサクヤは感謝して、今後肌身離さず大事にしようと決めた。
「それでは、皆さんお世話になりました。お元気で!」
手を振り勇者一行は神殿が用意した馬車に乗り込んで水鏡族の村から発った。旭はサクヤと共に馬車が見えなくなるまで手を振り見送った。
「面白い人達だったね」
「ああ、愉快でいて力強く逞しい…しかも我に大切な事に気付かせてくれた。全くをもって彼は勇者だ。我も負けていられない」
サクヤはまた1人、目標となる人物が増えたと胸を躍らせて、早速修行へと身を投じることにした。
登場人物メモ
ロベリア 109歳 髪色 ブロンド 目の色 緑 魔術師
ハイエルフの女性。アザミ同様テリーに一目惚れする。アザミの事も大事なのでいっそテリーと3人で家庭を築くのもありだと思っている。