42 女心を学ぶそうです
春はもうすぐそこの筈なのに、雪は毎日降り積もっていた。既に冬の日課となったサクヤとの雪掻きを終えて、旭は白い吐息を浮かべた。
「はあ、寒い!サクちゃん、これから一緒にあったかいココアでも飲まない?」
「ちょうど我の体内が深淵なる液体を欲していた所だが…すまない、先約があるのだ」
「何の約束なの?塾に関する事?」
最近サクヤは神殿内の塾開設に奮闘しているので、外から識者を招いているのだろうと予想した旭の問い掛けに許嫁は首を振った。
「土の神子に会食に誘われてな。女心について学ぶを約束をしている」
「闇の神子もですか。私も土の神子に呼ばれています」
一緒に雪掻きをしていた護衛のマイトが頬を伝う汗を拭ってから苦笑いした。
「は?なんでうちの神官を勝手に誘ってるの?自分とこの神官がいるくせに」
「私もそう言いましたが、自分の神官は家族みたいなものだから恋話はしにくいそうです」
「ふうん、まあ今日はもう護衛が必要な仕事も無いしいいけど。なんかアラタさん浮かれてるねー」
先日アラタが挑んだお見合いで相手の女性との結婚を前提とした交際が始まった事は神殿内では有名な話だ。それにより菫は体調を崩して伏せがちになっているので、旭はアラタに破局して欲しい気持ちと、いっそ菫には吹っ切れて欲しい気持ちと半々だった。
「口止めされなかったら、後でどんな話だったか教えてね!」
「ああ、ならばその時は共に深淵なる液体を頂こうぞ」
旭達と別れたサクヤは自室に戻り、着替えを済ませ身なりを整えると、神官に行き先を告げてから土の神子の間へ向かった。ここに来るのは初めてだと思いつつサクヤはドアをノックして来訪を告げると、アラタが出迎えてくれた。
「ようこそ、さっくん!今日は語り合おうね!」
「本日のお招き感謝する。これは我が配下が作り出した芋のかりんとうだ。茶菓子に受け取るといい」
「これはこれはご丁寧に!」
サクヤの身の周りの世話をしてくれる高齢女性の神官が持たせてくれたかりんとうを受け取ると、アラタは食卓の方へ誘導した。既にマイトも着席していて居心地悪そうにしていた。
「面子は我々3名か?」
「うんにゃ、あとは特別講師の方を待つのみだよ」
「講師?」
「そう、女心を知り尽くしてるだろう恋愛マスターだよ!」
「ほう、所謂愛の伝道師といった所か」
女心も恋心も理解出来ていない自分には興味深い人材だとサクヤは興味を示すと、アラタも同意する様にうんうんと頷く。
そろそろ来るだろうと見越して昼食の準備をしていると、土の神子の間に来客があった。噂の愛の伝道師だろうかとサクヤが視線を向けると、剣の師匠であるトキワが何食わぬ顔顔で入ってきた。
「待ってましたよ!ささ、こちらにどうぞ!」
脱いだ外套を受け取り、アラタはトキワを食卓に勧めた。
「昼食をご馳走する代わりに相談があるって言うから来たけど、なんでサクヤとマイトさんもいるの?」
「いやー、各方面からの意見が聞きたくって」
配膳をしながら説明するアラタにトキワは釈然としない様子だったが、お土産に野菜とチーズをくれる約束だったので、任務を全うする事にした。
「準備が出来たし、メンバーも揃った事だから乾杯しよう!」
アラタも席に着くと、グラスに注がれたジュースを手に掲げた。一同もそれに従い、乾杯をした。
「これでメンバーが揃ったという事は、愛の伝道師は風の神子代行という事で合ってるのか?」
事前に知らせていたからか、用意されていた好物の白身魚のムニエルを口にして飲み込んでからサクヤが尋ねると、アラタは啜っていたカブのスープで噎せてしまった。
「は、何だそれ?」
「いやー、この中で唯一の既婚者だし、女心を分かってそうだからふざけて講師だって説明したら、さっくんが愛の伝道師だって…」
言い訳をするアラタにトキワは冷たい視線を向けてからため息を吐いて、ローズマリーの利いたラムチョップを食いちぎった。
「女心とか全然分かんないから、役に立つ気はしないけど?」
「いやいや何言ってんの!女心が分かったから奥さんと結婚出来たんでしょう?」
少なくとも1人のハートは射止めているのだからと、アラタは手酌でグラスにお代わりのジュースを注ぎながら問い詰める。
「そうは言っても…顔が好みだからという理由で結婚して貰ったから、俺の意見は参考にならないよ」
「え、奥さんトキワさんの顔の良さだけで結婚したの?」
元恋人に神子の花嫁になる覚悟が無いと言って別れを告げられたアラタにとって命の決断は理解し難かった。
「まあ、こういうのは先に惚れた方が負けなんだよ」
「ふむ、して風の神子代行と闇の眷属を生みし者、どちらが先に惚れたのだ?」
「さあね、そんな事よりアラタはどうなんだ?今回のお相手は」
素朴なサクヤの疑問を流してトキワは今日の本題であろうアラタの交際相手について話題を振った。
「いやー、お陰様で順調ですよ!雀さんと霰さんのアドバイスが効いたのかな?お見合いの時は結婚に対してがっつかず、聞き役に徹したら好印象を持って貰えて、先ずはお互いをよく知りましょうってなったんですよ!」
当時を思い出したのか、ぽわぽわと花を飛ばしながらアラタは口元を弛める。その様子をサクヤ達は無視して食事に集中した。
「来週末3回目のデートなんスけど、どういう事したらいいと思います?」
「…ヤれば?」
「いや、冗談でも止めて下さい。清らかな子がいるんだから!」
牛ステーキを切り分けながら、どうでもよさそうに答えるトキワをアラタは慌てて咎めてサクヤを見遣ると、言葉の意味を理解してない様子だったので、安堵する一方でマイトが遠慮がちに挙手した。
「発言しても宜しいですか?」
「マイちゃん!是非是非!」
「お相手の女性の趣味に付き合ってはどうでしょうか?私の母の事で申し訳無いのですが、料理が好きなので、時々手伝ったりすると喜びます」
親孝行息子で評判が高いマイトの提案にアラタはほっこりしながらも、いい意見だと採用する事にした。
「静さんの趣味か。ランニングだって言ってたな」
「となると一緒にランニングをして親睦を深めるのもいいかもしれませんね。走りながら土の神子のお気に入りの場所を紹介するのもいいかもしれないですね」
「それいい!後でお気に入りの場所をメモしておこう!」
マイトの提案を採用したアラタはご機嫌にムニエルをナイフで切り込んだ。
「ランニングは止めときなよ。悲劇が生まれるよ」
「一体どんな悲劇なのだ?」
口直しにレモンシャーベットを食べてからサクヤが問い掛ければ、トキワはジュースを飲み干しアラタに情報料を提供しろと言いたげにお代わりを注がせた。
「相手の女性はアラタに会う為にオシャレして来るだろ?それなのに今からランニングしようなんて誘ったら殺意を持つからな」
「そっか、スカートとヒールで走るとか狂気の沙汰だよね。じゃあ事前に知らせておけばいいかな?」
「いや事前に準備をしてランニングしたとして、雪の中汗だくのすっぴんで過ごせっていうの?」
「それならお風呂に入って貰えば…」
「風呂って共同浴場?他の神子や神官に混ざって1人で入るとか普通の村人には地獄だよ」
次々とトキワに論破されていくアラタは次第に勢いを無くし萎縮していた。自分の意見は参考にならないと言いながらも適切な意見をするトキワにサクヤは伊達に既婚者じゃないなと思いつつも、もしかしたら実体験なのかもしれないと想像した。
「でしたらお化粧が崩れない程度のお散歩にしたらどうですか?」
「そうだね、お散歩に変更しよ」
マイトの妥協案に賛成するアラタにトキワも頷く。
「その方がいいよ。風呂に入って来いなんて言われたらそれこそコイツ下心丸出しかよって思われるからね」
「いや、だからソッチ方面の話はさっくんいるから止めて」
「別に良いだろ?寧ろサクヤは遅れている方だし。そうだアラタ、エロ本貸してやれよ」
明け透け過ぎる発言をしてからトキワは席を立つと、アラタの寝室に向かった。
「はーっ⁉︎そんなの持ってませんし!ていうか何勝手に人の部屋に入ろうとしてるの!?」
慌ててアラタは後を追い、トキワの横暴を止めようとする。様子が気になったのでサクヤもマイトと共に着いて行った。
「やっぱあったじゃん…へえ、人妻物が好きなんだ?」
めざとく秘蔵の本を見つけたトキワはベッドの上で胡座をかいてパラパラとページを捲りながら内容を暴露した。
「違っ…人妻というか、お嫁さんに憧れを持っているだけですから!」
苦し紛れの言い訳が己の性癖を暴露しているだけとアラタは気づかずにいた。
「人妻と言えば、以前土の神子は闇の眷属を生みし者にエプロン姿でおたまを持って叱って欲しいと懇願していたな」
「さっくん!」
思わぬ伏兵に以前血が流れると忠告した筈なのにとアラタは悲鳴を上げた。
「…俺の嫁にナニ持たせようとしたの?」
「待って、誤解だから!おたまって調理器具の方ですからね?ソッチ方面に持っていかないで?」
殺気を感じ取ったアラタは慌てて弁明して本をひったくり抱き締めてからマイトの背中に隠れた。
「まあ今回の所は見逃してやるけど、次は無いから」
「肝に銘じておきます…」
改めて彼の妻には触れてはいけないと痛感してから、アラタは命に髪の毛を切って貰う野望は諦める事にした。
その後アラタのデート計画に一同でダメ出しをしつつ残りの料理を楽しんでから、時間となり解散となった所で、サクヤは自分が目的を達成していない事に気がついた。
「結局、我は女心をあまり学べた気がしないぞ」
「あはは、ごめんね。俺の相談ばっかりになったからね。今度はさっくんの話を聞かせてね」
自分の話となると、やはり許嫁の事になるのだろうか。旭の考えている事は分からない事が多いので、アドバイスを貰う良い機会だと感じてサクヤはコクリと頷いた。
「それまでこれで予習したら?」
沢山の報酬という名のお土産を一旦床に置いてから、トキワは懐から一冊の本をサクヤに差し出した。
「『私の初体験全集』…とな?」
手渡された本のタイトルを読み上げ、白のワンピースを着て微笑む茶髪の少女が表紙の本を見て、サクヤは首を傾げた。
「ちょっ…それいつの間に盗ったの⁉︎」
どうやらこれもアラタの蔵書らしい。返すべきか悩んだが好奇心が勝り、サクヤは小脇に挟むと深々と一礼した。
「土の神子の大切な書物だと見受けられるが、我の知識を満たす為に是非とも貸して欲しい」
真面目過ぎるサクヤの申し出にアラタはどうするべきか悩んだが、いずれ知る事だからいいだろうと諦めて貸してあげる事にした。
「ただし、絶対誰にも見せちゃダメだよ?特にあーちゃん!」
「相分かった。これが禁断の書物だという事は土の神子の様子からして十分伝わっている。約束は守ろう」
「あ、あと!その本を俺から借りたとかも言っちゃダメ!俺の名誉に関わるから!」
「あの、今日の会話は口止めしなくても大丈夫ですか?」
旭が後で話を聞かせて欲しいと言っていた事を思い出したマイトの確認にアラタはそうだったと膝を叩く。
「今日の会話は男だけの秘密って事でよろしく!」
「了解した。風の神子には黙っておこう」
他に注意事項は無いか確認してから無いようだったので、ようやく本日の女心を学ぶ為の会食は解散となった。
思えば男だけで集まって会話をしたのは初めてで、新鮮だったサクヤはどこか充実した気持ちで闇の神子の間に戻ると、自室にて早速借りた本を読む事にした。