41 ※残酷な描写あり 絶体絶命のピンチです
「あいたっー!」
慣れない針仕事による負傷で涙目になりながら、旭は来月のサクヤの誕生日プレゼントとして渡すハンカチに刺繍をしていた。
黒のハンカチに一針一針想いを込めて糸を通しているのだが、不器用が故になかなか進まなかった。
「はあ、ハンカチが黒でよかった。血が目立たない」
「渡す前にちゃんと洗いましょうね?」
変な方向に前向きな旭に雫は冷静にツッコミを入れた。何故誕生日プレゼントに刺繍したハンカチを選んだかと言うと、先日兄が執務室に忘れたイニシャルの刺繍が施されたハンカチを見てこれだと思ったのだ。
思えば愛読書の恋愛小説でも貴族の娘が婚約者や想い人に自らが刺繍したハンカチをプレゼントしていたので、許嫁のサクヤに贈るプレゼントに打って付けだった。ちなみに兄が忘れたハンカチは参考の為に洗濯した後に預かっている。取りに来たら返すつもりだ。
糸が無くなったタイミングで旭は手を休めてお手本のハンカチを手に取った。深緑のハンカチに銀の糸で兄のイニシャルが丁寧に刺されたそれは恐らく義姉のお手製だろう。
顔が好みというだけでこんなに尽くして貰えるなんて兄は果報者だと思いつつ、売店に糸を買う為にハンカチと道具を一旦カゴに仕舞い、風の神子の間を出た。
「あーちゃん、どこに行くの?」
売店に向かう途中で作業着姿のアラタに出会った。農閑期もアラタは雪の中でも育てられる野菜などを栽培して研究しているらしい。
「刺繍糸を買いに。サクちゃんの誕生日に刺繍のハンカチをプレゼントするんだー」
「ラブラブだねえ、さっくんは幸せ者だ」
「もっと言って」
戯けながら旭はアラタと別れて売店に向かおうとした所で突如神殿の門の方から大きな音が聞こえて来た。
「何?何が起きたの?」
音がした方へアラタと共に駆け付けると、堅牢な塀が破壊されていて、棍棒を持った隻眼の巨人がこちらを睨み付けていた。
「そんな…サイクロプスだと!?」
サイクロプスとは上位の魔物だ。初めて見る上位の魔物に旭は恐怖で震え上がって動けなかった。
「あーちゃん、結界張れそう?俺は神官達と食い止めてみせるよ」
アラタの指示で旭は我に帰り、コクリと頷くと、両手でパチンと頬を叩いて活を入れた。アラタは自身の水晶を双剣に変えて手にすると、右の剣を振ってサイクロプスの足元に大きな穴を作り出して動きを封じた。
旭は左手をかざして、これ以上神殿を壊されない様に自分が出来る最大級の強度で結界を張った。戦闘にも参加すべきか悩んだが、今の自分だと却って足手纏いだと判断して離れた場所でアラタ達の戦いを見守った。
「風の神子!」
「サクちゃん!」
「よかった、無事のようだな」
騒ぎを聞きつけたのか、サクヤも駆け付けて来た。生まれて初めて目にするサイクロプスに驚きながらも、神子として神殿を守ろうと両手に黒い靄のような物を纏った。
「混沌から出でよ!闇の使者よ!」
無駄な詠唱と共にサクヤは数多の猛禽類の形をした黒い影をサイクロプスにぶつけた。しかし威力が弱いからか、擦り傷1つ与える事が出来ない。
「やはり上位の魔物は一筋縄ではいかないか」
「そうだよ!私達には無理だよ!おとなしく援護に回ろう?」
見た所アラタや神官達でさえ苦戦しているのに、まだ子供の自分達が出来る事は無い。そんな旭の説得にサクヤは首を振ると再び魔術を展開させた。
「我は自分の限界を決めたくはない。何よりも、仲間の危機を指を咥えて眺める事は出来ない!」
先程以上の魔力を込めてサクヤは巨大な狼の影を生み出しサイクロプスに襲いかかった。狼の影はサイクロプスの左腕に噛みついた。今度は手応えがあったようでサイクロプスは呻き声を上げている。
「やるじゃんさっくん!」
動きを封じる事に徹しているアラタはサクヤの攻勢を称える。サイクロプスの腰の辺りまで岩が積み上がっていた。土の神子は岩まで操れるのだなと感心しながら旭はアラタの息が上がっている事に気がついた。
「増援はまだかな?俺、銀髪持ちじゃ無いから魔力に限りがあるんだよね…ここまで大きな敵だと接近戦は厳しいし…」
弱音を吐くアラタに旭は自分も力にならなければと奮い立ち、自分が出来る最大限の威力の真空波を展開しようとした。
以前一度だけ兄が見せてくれた高威力の真空波を思い出しつつ、棍棒を持つサイクロプスの右手を狙った。真空波は右手を鋭く切り裂き怯ませた事により、棍棒は地面に落ちた。
木製の棍棒は炎の使い手の神官により燃やし尽くされ、これでサイクロプスの戦力を削ぐ事が出来た。
しかし、どの攻撃も仕留めるには決め手に欠けている様子でサイクロプスは拳を振り上げると、アラタが築き上げた土で固めた岩を粉砕して、体の自由を取り戻した。
「はあ、力不足だったか。俺もまだまだ姉ちゃんに及ばないな」
嘆きながらもアラタは足止めから攻撃に切り替えて崩れた岩を操り、高速でサイクロプスにぶつけてダメージを与える。体が巨大故に動きが鈍く、当てるのは容易かった。
タイミングを見てサクヤも闇魔術で作り出した狼に指示をして攻撃を繰り返す。旭も神経を研ぎ澄ませて真空波でサイクロプスの右手を執拗に狙った。
しかしそれが裏目に出たのか、サイクロプスは怒りで旭を睨みつけると、大きな岩を掴み投げつけて来た。攻撃に集中していた旭は結界を発動できず、両腕で顔を庇い、強く目を瞑った。
「風の神子!」
旭を救うべくサクヤは結界を発動させようとしたが、彼もまた攻撃に集中していたので発動は間に合いそうに無かった。
「あれ…?」
最早これまでだと覚悟していた旭だが、痛みが生じなかった。もしや既に天国にいるのかと、恐々と瞳を開けると目前にあった岩が宙に浮いていた。
「まさかこれ、私がしたの?」
とっさに魔術を展開できるなんて…旭は自分の潜在能力に驚きを隠せなかった。
「だったら天才なんだけどね」
馴染みのある声と共に浮いていた岩が速度を上げてサイクロプスの顔面に直撃すると、サイクロプスは体をふらつかせていた。
「お、お兄ちゃん!何でここに⁉︎」
広場に作業着姿の兄がいたので、旭は戸惑いながらもどこか安堵していた。
「今日は雪掻きの現場が神殿の近くだったんだよ」
どうやら兄は仕事の現場でサイクロプスの出現に気が付いて、助太刀に来てくれたようだ。これなら勝てる、旭は根拠の無い自信で瞳を輝かせる。
「あざっす、トキワさん!」
「全く、他の神子達は何してるんだ?旭に何かあったら俺が割を食うんだけど?」
文句を言いながらトキワはサイクロプスに向けて手を翳すと、真空波を飛ばして木の幹よりも太く頑丈なサイクロプスの腕をいとも容易く切り落とした。
「うわ、えげつない…」
圧倒的な力にアラタは唖然としながら神官達に支えられ後退すると、魔力不足による頭痛に顔を顰める。
「このまま殺すのも、勿体無いな…よし、サクヤと旭にクイズだ。こいつの魔核は何処にあると思う?」
緊迫した戦闘中なのにトキワはまるで授業の様に妹と弟子に問い掛ける。
「ふざけないで早く倒してよ…」
血の匂いに吐き気を催しながら旭は兄を非難するが、トキワはいたって真面目な様子で次はサイクロプスの右足を切断して動きを封じた。
「ふざけてない。またいつサイクロプスが来ても倒せる様に学べ」
「なるほど、確かに一理あるな。我の予想ではやはり目だな」
師匠の意図に賛同したサクヤは早速予想する。
「じゃあ狙ってみなよ」
「相分かった。行け、闇の使者よ!」
サクヤが使役した猛禽類の影がサイクロプスの目を嘴で貫いた。痛みで呻き声を上げるが、魔核は無かったのか、灰にならなかった。
「ま、普通そこだと思うよな。次は旭!」
「ごめん…血の匂いが気持ち悪くて無理…」
「じゃあ魔核の場所だけ言え」
「……おへそ」
旭の回答で代わりにサクヤが猛禽類の影を使役してへそを貫くが、痛みにもがくだけだった。神殿を襲ったサイクロプスが悪いのだが、虐げられている様を見てると、旭は少し可哀想な気持ちになった。
「みんな大丈夫⁉︎」
サクヤが次に攻撃する箇所を思案していると、騒動を聞きつけた暦が姿を現した。ようやく伝令が回って来た様だ。
「大丈夫だけど、悪魔がいる…」
ハンカチで口元を押さえながら旭が兄の蛮行を悪魔に例えて指差した。暦は苦笑しながら旭の背中を優しくさすった。
「確実に殺すために魔核探しをしてるだけじゃん…まあいいや、時間切れだな。正解はみぞおちだ」
トキワの言葉でサクヤは漆黒の水晶を身の丈ほどの両手剣に変えて、サイクロプスのみぞおち目掛けて両手剣を突き立てて魔核を破壊した。すると、サイクロプスは瞬時に灰と化して消え失せた。
「倒した…サクちゃん凄い!」
トドメを刺した許嫁に感激した旭は飛び上がり、サクヤの元へ駆け寄ろうとした。
すると、突如サイクロプスがもう1体現れて雄叫びを上げた。
「ひえっー!」
まだいるとは思わなかった旭は悲鳴を上げて後退しようとしたが、足がもつれてその場で尻もちを突いてしまった。
「風の神子!」
サクヤは身を呈して旭を守ると、詠唱を省き目の前に結界を張った。その間にサイクロプスは暦が炎で焼き払い、トキワが真空波で魔核を破壊した。
瞬時にサイクロプスを倒した先輩神子達にサクヤは唖然としながらも、抱き着いて来た旭の震える体に優しく腕を回した。
その後しばらく警戒していたが、サイクロプスは出現しなかったので、トキワは報告書の提出を旭に押し付けてから仕事に戻って行った。
この戦いでもっともダメージが大きかったのはアラタだ。魔力の消耗が激しく返り血も浴びていたので、側近達が付き添い水の神子が魔力を込めた水が使われた神殿関係者の共用風呂へと向かった。
旭も身を清めようとしたが、体の震えが止まらず、風の神子の間に戻った後もサクヤに抱き着いたままでいた。
「ごめんね、サクちゃん…」
「気にすることない。落ち着くまで何時間でもこうしていればいい」
優しい許嫁の言葉に旭は恐怖が少しだけ和らぎ、サクヤの心音を聞きながら気持ちを落ち着かせようとした。
「サクちゃん…私より先に死なないでね…」
「我の方が歳上だからそれは難しいな」
真面目に答えるサクヤに旭はくすくすと声を立てて笑うと、上目遣いで隈の目立つ三白眼を見つめて頬を緩ませた。
「好きだよ、サクちゃん」
サクヤへの想いを包み隠さず告げて、旭は改めて彼と共に強くなっていこうと誓うのだった。