33 心を込めて作ります
翌朝父からレシピを受け取った旭は務めを果たしてから、昼からサクヤと早速ハンバーグの練習を始める事にした。側近の紫を通して兄に神殿に来れないかお願いした所、3日後の週末に顔を出してくれる事になったので、それまでに義姉の味に近づけようとフリルのエプロンの腰紐を結ぶ手に力が入った。サクヤも黒いエプロンに黒のバンダナを巻いて張り切っている様子だ。
「まずは材料だね。牛と豚のひき肉、玉ねぎ、卵、牛乳、半端に残ってる野菜、硬くなったパン、塩胡椒、ナツメグ…」
「半端に残ってる野菜と硬くなったパンというのは食堂で分けてもらえるのだろうか?」
「うーん、全然想像つかない。どっちも食べずに捨てちゃってるよね?」
「とりあえず行ってみよう!もしかしたらあるかも知れない」
父から貰ったメモを貼った黒い交換日記を手に旭はサクヤと食堂へ向かった。昼食時の慌ただしさから解放された食堂では片付けや夕飯の仕込みに追われていた。
「こんにちは、昨日言ってた通り食材を分けてもらえますか?」
「こんにちは、闇の神子と風の神子。ハンバーグの材料でしたよね。準備してあります」
食堂の料理長に事前にハンバーグを作ると言っていたので、大体の材料を用意してくれていた様だ。食堂の机で旭とサクヤは料理長が見守る中、ノートを片手に必要な材料を照らし合わせる。
「これがひき肉…よね?玉ねぎは…これ?」
自身なさげに確認する旭に料理長は思わず苦笑いしながらひとつひとつ説明してくれた。
「あとは半端に残っている野菜と硬くなったパンなんだけど…あるかな?」
「半端に残っている野菜と硬くなったパンだなんて賄いに使う様な物ですよ?本来なら玉ねぎだけでもいいし、パンも普通のものを使いますが」
「でもレシピに書いてあるし、お義姉ちゃんの味を再現する為に必要だと思うの」
全ては兄が自分とサクヤが作ったハンバーグを義姉の味そのものだと絶賛する姿を見るためだと、まだ作ってもいないのに想像しながら旭は材料にこだわった。
「ですが半端に残った野菜は多少ありますが、硬くなったパンはありませんので、今日の所は普通のパンを使ってください」
「分かったわ」
料理長の妥協案に旭は了承すると、他の材料を持って調理場へ向かった。今回借りた調理場は神子や神官が個人的に料理がしたい時に利用する場所で、以前義姉とサンドイッチを作った場所でもある。
旭もサクヤも今日初めて包丁を握るので、流石に心配した神官達の中から雫が指導係を名乗り出てくれた。彼女は日頃から自分の家族達に料理を振る舞っているらしいので適任だった。
「手洗いは済みましたね?闇の神子は手袋と指輪を外してくださいな」
雫に指摘されてサクヤは黒革の指抜きグローブとゴツゴツとした骸骨がモチーフの指輪を外してエプロンのポケットに入れると、もう一度手を洗った。
「では包丁を使いますのでよく見ていて下さい」
トントンとリズム良く玉ねぎが刻まれていく様子を旭とサクヤが注視すると、次第に目に涙が浮かんできた。
「なんで?目が痛いよー」
「もしや玉ねぎには目眩しの術が⁉︎」
ポロポロと涙を流す旭とサクヤに雫は思わず吹き出してから、玉ねぎの成分が目にしみやすい事を説明すると、2人は料理の奥深さと大変さを痛感した。
玉ねぎは冷やしておくと少しマシになるらしいので次からそうしようと決めてから次の野菜はお手本を見せてもらってから旭はが刻む事になった。
「あわわ…指を切っちゃいそう」
恐る恐る野菜を切る姿にサクヤと雫は見ていられず、目を覆ってしまいそうになる。なんとか不恰好みじん切りが出来たので次はサクヤが雫のお手本を元に練習する。危なっかしい手つきでにんじんを輪切りしていたが、手を滑らせて指を包丁で切ってしまった。
「キャー!サクちゃん大丈夫⁉︎」
血を流すサクヤに旭は狼狽えるが、雫が手早く傷口を水で流した後に清潔な布を巻いて、急ぎ光の神子の元で治癒魔術を施して貰った。
「にんじんと血の契約を交わしてしまった」
「何訳の分からないこと言ってるのよ。とにかく次に進もう!」
野菜のみじん切りを熱したフライパンにバターを溶かして炒めてその後粗熱を取る為皿に移す。
「炒めた野菜が冷めるのを待つ間、使った調理器具を片付けて下さい」
「えー…めんどくさい。雫さんがしてよ」
「駄目です。お片付けも料理の工程の一つですよ」
椅子に座って休憩しようとする旭に雫は厳しく手を引いて、調理器具の洗い方を指導した。サクヤもそれを大人しく観察する。
「なるほど、不浄を祓うのもハンバーグ錬成の儀式に必要な手順だというわけか」
「その通りでございます。何かを生み出すには準備と後片付けが必要なのです。以後お見知りおきを」
思えば身の回りの世話は神官達がしてくれたので、旭はそれをどうやってするのか考えた事がなかった。
そんな所が日頃兄を苛立たせて不機嫌にさせていたのかもしれないと省みる。サクヤも同じ考えだったのか、古布でフライパンの油を拭いながら何か考え事をしている様子だった。
そして炒めた野菜の粗熱が冷めたところで雫の指示の元で旭とサクヤは肉だねを作り、形を作ってから氷魔石が入った保存庫で寝かせてる間に片付けを済ませて次の手順を予習した。
「いよいよハンバーグを焼きますよ。火加減は中火です。調節して下さい」
事前に言われた通りに旭は火炎魔石が原動力となっているコンロの火を調節してからフライパンの様子を見守った。フライパンが温まった所で油を馴染ませて、サクヤが整形したハンバーグを2つ乗せるとじゅう、と食欲を唆る音が弾けた。
「片面が焼けたらひっくり返します。よく見てて下さい」
手際良く雫がフライパンを譲りつつフライ返しでハンバーグを裏返した。あまりの早業に旭は驚きながらも、渡されたフライ返しを強く握りしめてハンバーグの下に勢いよく滑り込ませてひっくり返した。
「あちゃー…」
ひっくり返ったハンバーグはフライパンの縁にぶつかり無惨にも崩れてしまった。失敗に肩を落とす旭に雫は背中を撫でて励ましてから、フライ返しを受け取り形を整えてフォローした。
そして蒸し焼きにする為弱火にしてフライパンに蓋をしてから6分程でハンバーグは焼き上がった。生焼けになっていないか確認した後皿に盛り付けたが、この時もうまく出来ず皿の端に乗った不格好な物となった。
「は、初めてにしては上出来だと思いますよ!早速試食されてはいかがですか?」
「そうだな、これを食した後は我が挑戦しよう。風の神子、そなたは配下が焼いた方を食せ」
雫が作った形が整った方のハンバーグを旭に差し出して、サクヤは崩れた旭のハンバーグを口にした。
「うむ、形は悪いが美味だぞ!やるではないか」
初めて作ったハンバーグを許嫁に絶賛されて、旭は嬉しさで胸がいっぱいになり、自然と笑みが溢れた。旭も雫と半分こして食べたが、肉汁と共に溢れる野菜の甘味が舌を喜ばせ、もしや自分は料理の天才なのかもしれないと心の中で自画自賛した。
「美味しいです!これが代行の奥様の味なんですね」
「…多分?」
「風の神子よ、何故多分なのだ?そなたは闇の眷属を生みし者のハンバーグを食した事があるのだろう?」
「いやー、お義姉ちゃんのハンバーグを食べたのって神子になる前だったと思うから味というか食べた事自体覚えてないんだよね…パパが作ってた味には近いと思うよ?」
「なるほど、我も食べた事は無いが、これなら風の神子代行も妻の味だと絶賛すると思うぞ」
サクヤは旭のハンバーグを褒めて、次は自分がとハンバーグを焼くのに挑戦したが、ひっくり返すのが早かった為、フライパン全体にポロポロとしたハンバーグとは言い難い物体が生まれた。
***
そして遂に週末、特訓の成果を見せる時が来た。あれから旭とサクヤは毎日練習を重ねて来てハンバーグ漬けの日々を送った。兄は昼頃に訪問するということだったので、昼食に合わせてハンバーグ作りを開始した。今日は雫が休日の為、男性神官のマイトが立ち会う。
「私は料理をした事がないので何らかの事故が起きた場合の対処しか出来ません」
「大丈夫!私もサクちゃんもハンバーグ作りは目を瞑ったままでも出来るくらい上達したから」
「風の神子の言う通りだ。我は片目で挑むぞ!」
「はあ…まあ、怪我にお気をつけて」
自信満々に胸を張る旭とサクヤに、マイトは適当に相槌をしてから2人の調理を見守った。
「…できた!マイトさん、お兄ちゃんを呼んで来て!」
「かしこまりました」
2時間程してハンバーグが完成したので旭はマイトに兄を呼んでもらうと、皿に盛り付けてから手早く片付けを済ませた頃に兄が姿を現した。
「よくぞ来た、風の神子代行よ!さあここに座るといい」
目を爛々とさせて席を進めるサクヤにトキワは怪訝な表情を浮かべたが、大人しく座ることにした。
「何を企んでいるんだ?」
不機嫌に顔をしかめる兄に旭は不安になるが、意を決すると盛り付けたハンバーグをトレーに乗せて兄の座る机の前に運んだ。
「パパからレシピを教えてもらってお義姉ちゃんのハンバーグ作ったの!再現出来たか分からないけど食べて!」
真剣な妹の眼差しにトキワはきょとんとさせてからハンバーグを一瞥すると、不信な表情を浮かべた。
「焦げてるな…毒味はしたか?」
「失礼な!あ、でも今日は味見してなかった。一緒に食べよう?」
旭は自分とサクヤの分のハンバーグも運んで兄と共に昼食を取ることにした。
「じゃあ毒味よろしく」
こちらが先に食べないと兄は食べてくれそうになかったので、旭はサクヤと共に作ったハンバーグを口にした。
「あれ…?何か変な味がする」
「ううむ…」
首を傾げる旭とサクヤにトキワは白い目を向けて一向にフォークを握る気配を見せなかった。
「え、えっと…冷めない内に召し上がれ?」
取っておきの笑顔でハンバーグを勧める旭にトキワは軽蔑の眼差しを向けると、席を立とうとしたのでサクヤと慌てて止めた。
「不味いと分かってるものを喰わせるなんてふざけてるのか?」
「そうじゃないけど…練習では上手に出来たんだよ⁉︎」
「でもこれは不味いんだろ?」
「食べれない事はないもん!ね?サクちゃん」
「ああ、恐らく隠し味に入れた蛇の内臓の粉末の味が隠れてないだけだ」
サラリととんでもない事を口にしたサクヤに旭は目玉が飛び出そうになった。確かに料理の途中黒い粉末状のものを入れていた気がしたが、てっきり胡椒だと思っていたのだ。
「何故そんな物を入れた?」
「日頃仕事や家事育児で忙しい風の神子代行に精力を付けてもらいたくてな、水の神子に分けてもらったのだ」
彼なりの思いやりだというのは旭もトキワも分かっていたが、蛇の内蔵が入っていると言われて食欲が失せた。
「…ああもう!食えばいいんだろ?」
このままだと帰してくれそうになかったので、トキワは諦めて冷めかけたハンバーグを口に運ぶと、なんともいえない不味さに顔をしかめてから水を一気に飲み干した。
「ねえねえ?お義姉ちゃんのハンバーグとどっちが美味しい?」
「お前達のハンバーグの方が圧倒的に不味い!」
「それってお義姉ちゃんのハンバーグの方が美味しいって事だよね!うふふー」
自分の作った料理を酷評されているのに、兄が義姉の料理の方が良いという事実が嬉しくなり、旭は口元をニヤつかせた。
「うむ、これにて風の神子と代行は仲直りだな!」
「ああ?いつの間に俺と旭は喧嘩をしていたんだ?」
「ええ⁉︎雨の日に特訓に来ないから嫌われたと思ってた!」
まさか喧嘩している自覚がなかった兄に旭は思わず声を上げて、これまでの不安は一体何だったのかと嘆いた。
「ただ単に雪が積もって仕事が出来なくなる前に休日返上で働いていたから忙しかっただけだよ。雨の日は家の事してた。落ち着いたらまたしごいてやるから自主トレを欠かさない様に。もう用がないなら帰る。不味いハンバーグごちそうさん」
ケチャップを大量にかけて味を誤魔化してハンバーグを食べ終えると、トキワは旭とサクヤの頭を乱暴に撫でてからそそくさと調理場から出て行った。
「…ねえサクちゃん、これは作戦大成功って事でいいのかな?」
食後に2人で片付けをしながら旭が問うと、サクヤはクールに口角を上げた。
「どう考えても大成功だろう。また共にハンバーグを作ろうぞ!」
「そうだね!次は本家本元のお義姉ちゃんに食べてもらって太鼓判を押してもらわなきゃ!」
今回のハンバーグ作りは料理の事以外にも多くの事を学べた気がした旭は心軽やかに新たな挑戦を思い描くのだった。