32 兄と仲直りがしたいんです
反神殿組織の一件から兄が雨の日に顔を出さなくなってから早1ヶ月が経っていた。旭としては顔を合わせたくなかったので助かる気持ちもあったが、このままだと一生会えなくなる気がして不安だった。
「浮かない顔だな、風の神子よ」
あれから心を入れ替えてトレーニングに力を入れている旭に付き合っていたサクヤは小休止中に訳知り顔で声を掛けた。
「うーん、私お兄ちゃんの事、恐いと思うけど嫌いじゃないんだよね…だから今の状況…モヤモヤする…」
「なるほどな、反神殿組織が滅んだ今、そなたの憂いは風の神子代行の事か」
反神殿組織はトキワの手により一夜でアジトが壊滅したそうだ。そしてアラタが想像した通り、組織の人間達の帽子やカツラは風で吹き飛んでしまっていたらしく、捕らえに来た神官達が言うにはハゲと薄毛の男達が意識を失った状態で縄でギチギチに拘束されて地面に転がされていたらしい。
どうやら反神殿組織は一番人質にしてはいけない人物を人質にしてしまったようだと旭は分析した。もし自分があのまま人質になっても、証を預かっている兄は神殿から動けない。
ならば誰が助けに来るか考えて思い浮かんだのは、サクヤが黒馬の王子様の様にアドラメレクに乗って助けに来る姿だが、彼もまた神殿から出られないので、現実的には両親がアジトに乗り込んで火の海にすると思った。そう考えたらどちらにしても反神殿組織は滅びる運命にあったのかもしれない。
捕らわれた男達は神殿の地下牢に収容された後、トキワが攻め行った際の出来事がトラウマになったのか、深く反省し、現在はアラタの提案で人手不足の農家にて無償で奉仕する事で罪を償う形を取っているそうだ。そして滅茶苦茶にしてしまった喫茶店には迷惑料を払ったらしい。
「私がお兄ちゃんみたいに魔術を上手く使えたら、お義姉ちゃんが人質に取られる前に解決していたかもしれない」
「そいつはどうだろうか?闇の眷属を生みし者は神子への信心が強いが故、例え風の神子がゴリラの様に強かろうが身代わりになっていたと思うぞ」
「確かに…お義姉ちゃんは自分の事は二の次だしな…だとしても私はお兄ちゃんが言った通り自分の身は自分で守れる位強くならなきゃ」
何かに取り憑かれた様に強くならなきゃと繰り返し呟く旭にサクヤは眉を曇らせる。最近は笑顔も減って元気が無いように思えたし、このままでは旭がダメになってしまう気がした。
「つまりはだ。風の神子は代行と仲直りをしたいというわけだな。ならば我がそなた達兄妹の間を取り持ってやろう!」
許嫁にも剣の師匠にもいつも通りになって欲しい。2人とも仲直りのきっかけが欲しいだけだと睨んだサクヤの提案に旭の目が輝いた。
「ありがとうサクちゃん!でもどうするの?」
「フフ、仲直りと言えば真心込めた手料理を振る舞うのが定石だ。風の神子が代行の好物を作れば万事解決!」
自信満々に披露したアイデアに旭の表情が無表情なったのでサクヤはしたり顔が固まる。
「私、料理出来ないんだけど?サクちゃんは?」
「無論、出来ない。だが今から練習すればどうにでもなるだろう。以前から料理には興味があったから良い機会だと思っている」
「サクちゃんが一緒に頑張ってくれるなら…」
「よし、決まりだな。まずは何を作るかだが、風の神子は代行の好物をご存知か?」
「お兄ちゃんの好きな食べ物…そういえば知らないな。一緒にご飯する時はくーちゃんとせっちゃんの手前なのか、好き嫌い無く食べてるみたいだし聞いた事もない」
考えてみれば兄の好みについて興味を持った事が無かった旭は懸命に記憶を辿るが、ヒントになるものは無かった。
「ならば身近な人物から情報を得るしか無いな…」
「身近な人物…あ!今日夕方パパが会いに来てくれるから聞いてみる」
「なるほど、風の神子の父なら代行の好物を知っているだろうし、作り方を知っている可能性があるな」
旭の父は日中働きながらも、生活力の無い母に代わり家事全般を全て引き受けているので料理上手だった。兄は結婚するまで実家住まいだったはずだから、父の料理が好物の可能性は大いにありえる。
夕方に旭の父から情報を得るという事で考えがまとまった所で、旭はサクヤとトレーニングを再開した。休憩前よりも心なしか気分が明るくなり、隣でペースを合わせて走る許嫁に少し惚れ直すと、父の訪問が楽しみになって来た。
***
トレーニングや執務に勉強などやるべき事をして過ごしていくうちに、あっという間に夕方になった。旭は父を迎える為にサクヤと共に神殿の広場で待ち構えていると、前方から明かりに炎を携えた父が姿を現した。
「パパ!お仕事お疲れ様!」
神殿の敷地内に入ってきた父に旭は駆け寄り抱きついた。珍しく熱烈な歓迎に父は皺が刻まれている目元を細めて喜んだ。
「どうしたんだ旭?今日は甘えん坊さんだ」
「えへへ、パパにお願いがあるの」
なるほどおねだりかと父のトキオは納得すると、愛娘の願いならば何としても叶えたいと頬を緩める。
「お勤めご苦労様だな、風の神子の父よ!立ち話をするにはここは寒い。我の領域へ参ろうぞ」
「ありがとう、サクヤくん。じゃあ行こうか」
自身は炎属性なのでこの位の寒さは平気だったが、娘が風邪をひいては困るので、トキオは娘の許嫁の心遣いに感謝して共に闇の神子の間へ向かった。
「それでお願いとは何かな?」
応接室に通されて早速本題に移る父に旭はよくぞ聞いてくれたと言いたげに目を爛々とさせた。
「お兄ちゃんの好きな食べ物を教えて欲しいの!」
「トキワの好きな食べ物?どうしたの突然?」
思ってもいなかった娘のおねだりにトキオは目を丸くさせた。息子と娘は互いの好みに興味を持っている風には見えなかったからだ。
「風の神子は代行と和解すべく我と共に手料理を振る舞おうと考えている」
「和解って、喧嘩してたの?」
「うん…こないだのお義姉ちゃん誘拐事件時に喧嘩してから全然神殿に来てないの…」
「…そっか、仲直り出来るといいね」
「うん、だからお兄ちゃんの好きなパパの手料理を教えて欲しいの」
仲直りへの答えを求める娘に対してトキオは苦笑した後に哀愁じみたため息を吐いた。
「残念ながらあの子が好きな食べ物は私の料理じゃないよ」
「えー⁉︎パパのご飯美味しいのに!」
「…でも旭もあまり食べてくれないよね?」
「あはは、だってお野菜沢山入ってるんだもーん」
「そういう所は兄妹で似るんだね…トキワも小さい頃は野菜嫌いで大変だったよ」
昔を懐かしみながらも、どこか自嘲気味に笑う父に旭は気まずそうに視線を泳がせた。実家に帰るたびに父は手料理を振舞ってくれていたが、旭は美味しいと言いながらも野菜は避けて食べていたのだ。
「それはさておき、風の神子の父は代行の好物に心当たりがあるようだな?」
眼帯に手を当てながらサクヤは大袈裟にニヤリと笑うとトキオの真意を探った。
「トキワの好きな食べ物は命ちゃんの…奥さんの手料理だよ」
「え、お義姉ちゃんの手料理?嘘だー」
兄が子供達と神殿に来た際、よく義姉の作った弁当を昼食に食べているが、美味しそうに食べている記憶が無かったので、旭は父の言葉に耳を疑った。
「本当だよ、多分命ちゃんに胃袋を掴まれたのも結婚した理由の1つだと思うよ」
「うーん、パパが言うならそうなのかな…恋愛結婚らしいし。でもお義姉ちゃんにお料理を教えてもらうのはお兄ちゃんに即バレするから難しいな…」
「そうだな、風の神子代行は闇の眷属を生みし者をしきりに監視しているからな。ちなみに修羅場新聞の投書欄で目にしたのだが、妻への束縛が強い夫は浮気をしている可能性が高いらしいぞ」
「えー、そんなあ…」
以前より兄は若い女性にモテるから浮気相手は選び放題だし、祖母から愛人を作るよう勧められている。先月行われた会合でも多くの女性達が兄宛に渡した手紙に写真を同封していたのを記憶していたし、何よりも舞台スターのカトリーヌと只ならぬ関係だったのを目撃していたので疑惑は深まる一方だった。
しかし、それでも旭は先日この目で見た義姉を大事そうに抱える兄の姿を信じたかった。
「2人とも何か勘違いしてるみたいだね。あの子はそんな不誠実な男じゃない。いつも奥さんと子供達を第一に考えてる愛情深い子だよ」
「我からすると、そなた達の様に仲睦まじい夫婦には見えないがな」
「それは命ちゃんが恥ずかしがり屋だし、お互いにいい大人だから人前では好意を抑えているだけだよ。さて、脱線はこの位にして…命ちゃんの料理なら昔旭が気に入っていたからハンバーグのレシピを教えてもらっているんだ。家にメモがあるから明日写して持ってきてあげるね」
「えー!今すぐ持ってきてよー!」
「我が儘を言うな、風の神子よ。それにまずは明日厨房が使える様手配をするのが優先だ」
「フフ、無茶振りするところは楓さんにそっくりだ。今日はママがお腹を空かせて待ってるからパパはもう帰るよ。レシピは明日朝、仕事に行く前に持ってきてあげるからね」
「はーい、気をつけて帰ってねパパ」
残っていた紅茶を飲み干してソファから立ち上がると、トキオは闇の神子の間を出ようとしたので、旭とサクヤはお見送りをしてから、それぞれ夕方の礼拝を行った後、調理場の使用許可を取って明日に備えるのだった。