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29 一度あることは二度あります 前編

 木々が紅葉して秋が深まる休日のある日、旭は年に一度の弓使い達による狩りに参加する事になった。狩りは神殿の敷地外で行われる為、風の神子代行の兄に精霊との契約の証を預けての外出となる。


「じゃあ、行ってきます。旭ちゃんの事は任せて」


 今回旭と同行するのは義姉の命だ。彼女は旭と同じ弓使いなのでほぼ毎年一緒に出席している。他にも馭者と護衛に男性神官のマイトが付き添う。


「終わったら寄り道しないで帰ってくる様に」


 美の化身と言っても過言でない顔を不機嫌に歪める兄に旭は恐怖で怯えて義姉の背中に隠れた。仲直りしたとはいえ、写真館での喧嘩や兄の愛人に関する噂話が影響しているのか、兄夫婦の間に殺気立った雰囲気が流れている気がした。


「もう、分かってるって。そんな顔しないでよ、美形が台無しだし、旭ちゃんが怖がってるよ」


「…自分の子供を放って旭と出掛けるなんて、母親としてどうかと思うんだけど?」


「はいはい」


 義姉は不機嫌な兄に臆する事なく、反抗的な態度を取っている。そんな兄夫婦の険悪な会話に旭は不安になった。自分がきっかけで離婚してしまったらと思うと気が気でなかった。


「僕達の事なら大丈夫だよ。父さんがいるし、サクヤ兄ちゃんが遊んでくれるし。2人とも楽しんで来てね」


「ありがとうクオン。行ってきます」


 一緒にお見送りをしに来た息子の言葉に命は頬を緩めるとかがんで視線を合わせると、柔らかい頬に口付けた。


「ぼくもー!」


「おいで」


 セツナも抱きついてキスをねだるので、命は快く応じた。母子の触れ合いに先程のギスギスした空気が和らぐ。


「あなたにも」


 不機嫌な夫に歩み寄り、肩に手を添えてから、命は背伸びをして頬に短く口付けた。日常的にキスを交わしてなければこうも自然な仕草にならないだろうと感じて、旭は義姉の兄への愛を感じた。


「サクヤ様も旭ちゃんにしてもらったら?」


 口元をニヤニヤさせながら提案する義姉に旭は獲物を狙う様な目付きで許嫁に近寄ると、初々しく頬に口付けた。


「行ってきます、ダーリン!」


「うむ、息災でな、風の神子よ」


 キスに全く動揺を見せないサクヤに旭は地団駄を踏みたい気持ちを抑え平静を装うと、手を振ってから馬車に乗り込み狩場へ向かった。



 狩場である森には馬車で入れないので近くの道で一旦降りて集合場所を目指す。旭は先に馬車から降りたマイトにエスコートされて外に出てから義姉と3人で森まで歩く。幸い地面は乾いていて歩きやすく、10分ほど歩いた先で20人ほどの弓使いが集結していた。


「風の神子よ、ようこそおいで下さりました」


 旭達が来た事に気付いた弓使い達が一同に跪き恭しく頭を下げたので、旭は上品に笑ってからお辞儀をした。


「本日はよろしくお願いします……もう畏まらなくていいですよ」


 それを合図に弓使い達は立ち上がり雰囲気が一気に和らいだ。毎年そんな事しなくていいと言っているのだが、風の精霊達の機嫌を損ねたら狩りが上手くいかないからと念の為、風の神子である旭に最初だけ敬意を持った挨拶をする事にしていて、その後は弓使い達は旭に気さくに接してくれている。


 狩りの前に準備運動と場所の確認などを行った後、旭は命とマイトと共に割り当てられたエリアで狩りに挑む。ちなみに狩りで得た動物は冬に備えた保存食と防寒着になるので業者に売って、それを弓使いの訓練所の運営資金に回す事になっている。


 旭は今までの狩りで1匹も仕留める事が出来ず、弓に対するやる気は年々薄れていて、週に一度の指導以外は弓を手にする事も無かった。それでも毎年狩りに参加するのは、大好きな義姉を独り占め出来るからだった。これが無ければとうの昔に狩りも弓の訓練もやめていただろう。


「あそこの木の影に野うさぎがいる」


 義姉が指差す方にまんまると太った野うさぎが草を食んでいた。今年は天候に恵まれて動物達の餌が豊富なので体格がいいのだろう。旭は相棒の弓を構え、精神を統一させて目の前の獲物に集中すると矢を放った。


「あー…」


 矢は野うさぎの近くに生えている木の幹に当たってしまった。義妹のミスをフォローする様に命は逃げ出した野うさぎを水の矢で正確に射った。


 その後も旭は野うさぎや鹿などを発見しては弓で狙うが、一度も命中せず、獲物を仕留める事が出来ないまま終了時間が近づき旭は焦りを感じていた。


「鹿がキノコを食べている。時間的に最後のチャンスだね。私はフォローしないから逃げても追撃してね」


 遂に義姉に見放されたのかと旭は絶望に似た感覚を覚えてしまったが、そんな事ない、義姉は自分の事を信じてくれているからこそ、敢えて厳しい態度を取っただけだと鼓舞して弓を構えて風の矢を放った。しかし矢は鹿の角に命中したものの、颯爽と逃げられてしまった。言われた通り追撃する為に走ったが、見失ってしまった。


「惜しかったね、でも当てる事は出来たよ」


 鹿がいた場所に近づいて命は鹿の折れた角を拾うと、旭に手渡した。

 

「これは旭ちゃんが初めて獲物に当てた記念に持っておくといいよ。頑張ったね」


 大好きな義姉に頭を撫でられながら褒められてホッとした旭は頬を弛ませると、もう少し弓の訓練を続けようかなと心変わりするのだった。


 狩りを終えた旭達は馭者の待つ馬車へと戻るとマイトを外で待機させて着替えを済ませてから一息ついた。


「じゃあ本日のメインイベントに行こうか?」


 毎年旭と命は狩りを終えると、西の集落にある喫茶店で昼食として甘い物を楽しんでいた。その喫茶店は、可愛い制服とフワフワのパンケーキが名物だった。この楽しみがあるからこそ旭は苦手な狩りにも参加できるのだ。


「…これは寄り道になるのでは?」


 馬車に揺られながら遠慮がちに問いかけるマイトに旭は寄り道では無いと首を振った。


「これは大事な予定の一つです。大丈夫、もしお兄ちゃんが怒ったらマイトさんはちゃんと注意したって言うから」


「そうそう、私も証人だから」


 甘い物に目がない旭と命はマイトを丸め込み、喫茶店に辿り着くと軽い足取りで店内に入った。


「いらっしゃいませ。ようこそ風の神子さま」


 アイロンでシワひとつないシャツを着こなした店主が旭と命を出迎えてくれた。旭は歓迎に感謝するように丁寧にお辞儀を返した。


「こんにちは店長さん、今年も義妹と来ちゃいました」


 顔馴染みの店主と命が会話を交わしている間、旭は借りてきた猫のように大人しくしつつ、店内の甘いパンケーキの匂いに空腹を刺激されていた。


 席に着いてメニューを開くと、魅力的な物ばかりで旭は目移りをしていた。命は最初に馬車と店の入り口で待機している神官達に片手で食べられる差し入れを注文していた。


「この生クリーム盛り盛りのパンケーキベリーソース添えとレーズンバタークリームサンドパンケーキ…どっちにしよう…」


 小食が故にどちらも食べる事は絶対無理なので、旭が唸りながら悩んでいると、命は何かを懐かしむように笑みをこぼした。


「どうしたの?」


「昔私もよく何を食べようか悩んでたなって…」


「そうなんだ!お義姉ちゃんはそんな時どんな風に決めたの?」


 義姉との共通点に旭は嬉しくなりながら目の前の問題を解決すべく問いかけると、義姉は益々破顔した。


「当時は食べ盛りだったからお腹に溜まる方にしてたかな。まあでも結局は両方食べる事が出来たんだよね」 


「なんで?食べ盛りだからもう一品いけたの?」


「あはは、そりゃ食べようと思えばいけたけど、お金が無いよ…なんで食べられたかというと、私が頼まなかった方を必ず注文する人がいてね、分け合いっこしてたの…当時は食べ物の好みが似てるんだなて思っていたけど、今思えば私に両方食べさせる為に自分の好みは二の次だったんだろうな」


「もしかしてその人って元カレ?」


 以前雀が義姉には兄と結婚する前に彼氏がいたと言っていたので、旭は思い切って話題に振ってみたが、義姉は思い当たる人物がいないのか首を傾げていた。


「うーん…元カレといえば元カレなのかな?」


「やっぱりいたんだ!お義姉ちゃんの元カレってどんな人なの?」


「どんな人って…旭ちゃんがよく知ってる人だよ?」


 旭が知ってる人物で義姉と交際していてもおかしくない年頃の男性というと限られてしまう。


 真っ先に思いついたのはミナトだったが、ディエゴの事件があった時には既に暦と結婚していたし、弓使い仲間の誰かという雰囲気は無かった。そんな中旭はある人物に辿り着いた。


「まさか…マイトさん?」


 絞り出した旭の答えに命はきょとんとしたが、次第に彼女が事実を全く知らない事に気がつき、困惑の表情を浮かべた。


「ごめんね旭ちゃん、回りくどい言い方をしちゃったみたいだね…私の元カレは旭ちゃんのお兄ちゃんだよ?」


「えっ…私にはもう1人お兄ちゃんがいたの⁉︎」


 衝撃の事実に旭は雷に撃たれたような気持ちになった。そんな義妹に命は慌てて首を振り否定した。


「私はトキワとしかお付き合いをした事がありません…これで伝わった?」


 照れ臭そうに義姉がストレートに告げると、流石の旭も理解して今までの心配事が全て吹き飛んだ。


「あっそうか!結婚して夫になったから元カレっていう事か!」


 そして先程の義姉の言葉の意図を理解してポンと手を叩いた。


「なんだー、心配して損した!」


「なんか私の知らない所で随分と拗れていたんだね」


「となると栞をくれたのもお兄ちゃん?」


「何それ?」


「ずっと渡そうと思ってて忘れていたんだけど、お義姉ちゃんがくれた恋愛小説に押花の栞が挟んであって、それに『愛してる』とか『大好き』とか『結婚して』とか書いてあったの」


 義姉から貰った恋愛小説を読む度に甘い言葉が書かれた押花付きの栞が見つかったと旭は報告する。思い当たる節があった命は瞬く間に顔を赤くして手で覆ってから、どう答えるべきか考え込んだ。


「ええっと…それはね、当時私に懐いてた男の子が私に綺麗な花を見つけたらメッセージカードと一緒にプレゼントしてくれたから、私が押花にしてカードに貼って栞にしていたの…そっかー、本に挟んだままだったかー…」


「その男の子って今何してるの?」


「…健やかに成長して元気に暮らしてるよ」


「それってお兄ちゃん?」


「…ご想像にお任せします」


 それはもう認めたも同然だと判断しつつも、旭はそれ以上問い詰めず、口元をにやけさせながら兄夫婦が恋愛結婚で兄の方が義姉に惚れていた事に意外性を感じ、今ではすっかり愛が冷めてしまっている様子の兄に世の儚さを憂いた。


 結局兄夫婦の思い出に倣って旭が迷っていた2品を注文して義姉妹で仲良く分け合う事にした。


「はうー幸せ…生クリームとふわふわパンケーキ、合わないわけがない!」

 

「レーズンバタークリームは少しだけラム酒が利いていていい香り。やっぱバターは正義だわ。食べてみて、あーん」


 旭と命は注文したパンケーキを堪能しつつ、時折食べさせ合いっこしながら楽しいティータイムを過ごした。パンケーキを完食してアップルティーを飲んで口の中をスッキリさせてから旭が最近のサクヤについて愚痴をこぼしていると、男性の団体客が来店してきたので邪魔にならないよう帰ろうと2人は席を立つが、何故か客達が行く手を塞いできた。


「あの、私達お会計をするので道を開けて頂けませんか?」


 命の申し出に団体客は応じず黙り込んだままだった。


「お嬢さん、貴女は風の神子ですよね?」


 メガネの位置を直しながらハンチング帽を被った中年男性は旭に視線を向けた。狙いが義妹だと思った命は庇うように義妹を後ろに隠して男を睨みつけた。男は怯まず口を弧にして思い掛けない言葉を吐いた。


「貴女には人質になってもらいます」



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